和平交渉(2)
「レオン!」
「くそ! まずはチェリック公を安全なところへ」
レオンを狙って飛んできた矢を、エドリックが風の魔法で払う。一緒にいた護衛の騎士へチェリック公を預け、レオンも対岸を見る。弓兵が数人、こちらを狙っているようだ。
「敵の弓兵を」
エドリックがそう声を張り上げれば、魔術師団たちは皆呪文の詠唱を始めた。そして各々、魔法を放つ。炎の魔法が命中すれば、断末魔が聞こえ……相手は人間だと、アレクは見ていられなかった。
乱戦になっている川の中でも、人が崩れ沈んでゆく。皆兜までつけているので今沈んだ人間が誰かわからないが、間違いなくそれは人間なのだ。
魔物と戦っているのとはわけが違うと……人間同士で、なぜ争わなければいけないのかと……アレクは絶望に近い感情を覚えていた。
「アレク、ボーっとするな! すでにここは戦場だ。死ぬぞ! 自分の身は自分で守れ!」
川を越えてきた兵が、アレクの後ろに迫っていたらしい。レオンがそのゼグウスの兵を、手にした剣で切り伏せた。アレクの足元に、倒れた人間。レオンの持つ剣が血に濡れて、倒れた兵の下からも赤い血がにじみ出てくる。
「以前言ったはずだ! 人間相手に剣を握る事になった時は、躊躇うなと……!」
「は、はい……!」
アレクも剣を抜いた。川を越えた敵は、レオンやエドリックを狙ってくるだろう。彼らがレクト軍の指揮官なのは相手もわかっているだろうし、殺そうが捕らえようが価値があるのだ。
川で乱戦になっている隙をついて、川を超える者は何人もいた。だが、そう言う者は魔術師団の絶好の的になるようでレオンやエドリックまでたどり着ける者はそう多くない。
「レオン、向こうはゼグウスの大臣だったね。あの男を、捕虜にできないかな」
「馬鹿を言え、お前が橋を燃やしてしまったし向こうに渡るのは緩くない。それに、我々は戦争をしに来たわけではない」
「もう始まってしまったよ。元には戻せない。だったら、この『メルガス川の戦い』に勝利し、できるだけ多くの捕虜を取るのが今の我々の仕事だと思わないかい?」
「それはそうなのだろうが……」
「地位が高ければ高い程、捕虜としての価値は高い。敵の指揮官は、どの程度の奴を出してきているのかな」
そう言いながら、エドリックが腕を払うようにすれば突風が放たれる。その先に、こちらへ向かってきていた敵兵。その突風は刃のように鋭く敵の足を文字通り切り裂き、敵兵はその場に膝をついた。
エドリックはワクワクとしているように見えて、彼はこんなにも好戦的な性格だっただろうかとアレクは思う。だが、確かに橋を燃やしたのも彼だ。橋の燃えるのに合わせて発生したその煙が、戦の開始を告げる狼煙のようだった。
魔術師団の後方からの支援もあって、多くの敵兵はアレクのところまでは来ない。だが、全く来ないと言う訳でもなく……馬に乗って川を越えてきた騎士が、アレクの方へ向かってくるのが見える。
人間相手に真剣を振るうのは……初めてだ。しかも相手は馬に乗っている。相手の実力もわからない。
それでも、剣を振るうしかなかった。生きるために。アリアの元へ戻るために。
「うおぉぉぉぉ……!」
馬上から振り下ろされる剣を、アレクも剣で受け止める。一撃は重かったが、相手の力はそこまで強くないと……瞬時にわかった。普段一緒に稽古をしてくれている、エクスタード家の私兵の一撃の方がよほど重い。アレクは反撃に出る。
剣を振り上げれば、アレクの一撃を受け止めた兵は馬から落ちた。その兵の喉元を狙って剣を振り上げるが……レオンにあれだけ躊躇うなと言われたにも関わらず、いざその時になると突き刺せない。
そのアレクの覚悟の弱さを敵は悟ったのだろう。右腕に持っていた剣を振ろうとするが、その手は真っ赤な血を噴き出して地に落ちる。
アレクには何が起こったのかわからなかった。だが、その落ちた手のすぐ隣にレオンが立っている。レオンの剣が、その兵の腕を切断したと言うのはすぐに分かった。
「うわぁぁぁ……!!」
アレクの下で、敵兵がのたうち回っている。叫び声は、周囲の音にかき消され彼の味方には届いていないだろう。アレクはレオンの顔を見るが、レオンは冷たい目でアレクをもう一度怒鳴った。
「死にたくなければ躊躇うなと、何度言わせるんだ!? お前はここで死にたいのか!?」
「いえ……」
「アリアが待っている、レクトへ帰るんだろう?」
「はい」
「なら自分が今何をすべきか……わかるな?」
「はい。敵を切って、生き延びる事です」
「そうだ。私もこんなところでは死ねん。エミリアが、リュークと共に待っている。生きて国に戻る」
レオンは今、アレクへ向かってきた敵が乗っていた馬の手綱を掴んでいた。自身の馬が後方にいる事もあって、その馬にひょいと乗ると敵の方へ向かうようだ。
レオンが、騎士団長自らがこの状況で前線に出るのは良くないのではないかとアレクは思ったが、この乱闘の最中では指揮系統も機能しない事がわかっている。
後方から指示を出すよりは、前線に出て一人でも多くの敵を切り伏せる事が最善だと彼はそう判断したのだろう。
幼き頃に『闘神』と呼ばれた彼は、今では『大陸一の剛の者』と評される彼は……向かってくる敵が何人束になって来ようが、全くもって敵うはずもないようだった。
「まったく、レオンは横暴だね。できるだけ捕虜を取ろうって言ってるのに」
エドリックはそう言いながら、先ほどアレクを襲いレオンに腕を落とされた敵兵の前に立つ。切断された腕を持って元の身体へ繋げるようにしてやると、何か魔法をかけているようだった。
それと同時に、彼の身体を光の環で拘束する。切断された腕が彼の身体と見事に融合して、そして生きて捕虜にするという事なのだろう。
「……アレク君、怪我をして転がっている兵を敵味方関係なく助けてあげてくれないかな。君は騎士じゃないから、無理に敵と戦う必要はない。我が国の兵は勿論一人でも多く助けたいし、ゼグウスの兵は捕虜にする」
「わ、わかりました」
そうして、アレクは……自分を襲う敵と切り結びながら、まずは切られて致命傷を負っている味方の兵をできるだけ後方へ運ぶことにした。魔術師団のうち、数名が傷口を塞ぐ魔法を使えるようだ。
勿論既に事切れている兵もいたが、その兵の亡骸も後方へ下げる。せめて一緒に国に戻って、遺族の元へ帰してやりたいと思いながら……
どれくらいの時間怪我人の回収をしていたかはわからないが、戦場とは地獄のようだと……アレクがそう思っているうち、いつの間にかレオンが川を越え対岸に回っていたらしい。ゼグウス騎士団の司令官と思われる男を討ち取ったようで、その側近に剣を向け角笛を鳴らさせていた。
その角笛の音に、皆勝敗を悟ったのだろう。切り合っていた騎士たちは剣を下ろし、ゼグウスの兵たちは武器を捨て両手をあげた。
「流石レオンだね。レオンは戦の申し子なのかな」
エドリックはそう言いながら、ゼグウス兵達を捕虜にするため光の環で拘束していく。辺りはもう暗くなり始めていたが、その時アレクは冷たい川に入って川に沈んだ兵の亡骸を一人でも多く引き上げようとしていた。
川岸で松明を照らしていても川の中の様子が見えなくなるまで、その作業を続ける。作業を終えた頃には、手足は凍えて真っ赤になっていた。