恋慕(3)
暫く馬車の後についていけば、少し立派な建物の前で止まる。御者が馬車の扉を開けば、まずライオネルが降りてきて、そして……馬車から降りてくるアリアに手を差し出す。当然アリアはその手を取るが、アレクはふいに目を背けた。
「君も一緒に来ると良い」
「わ、私もですか」
「あぁ、アリア様がそうしたいと、君は護衛だから、何かあった時のためにそばに居て欲しいそうだ。私も騎士の端くれなのだが」
「騎士でいらっしゃるライオネル様のお力を疑っている訳ではありませんので、気を悪くなさらないでください。兄にも、彼を常にそばに置くようきつく言われておりますので」
「えぇ、問題ありませんよ。アリア様のお兄様の性格はよく存じています。アリア様の事を大切にされている証拠でしょう」
そんな訳でアレクは共に芝居を観劇することになったのだが……正直、未知の世界で想像していたよりもすごかった。アリアの護衛だという事はすっかり忘れ、彼らの織り成す世界に没頭してしまうくらいには……
護衛とはいっても何もなければただの付き添いに違いない。アリアも初めて見る歌劇にとても感激していたようで、公演が終わった後には興奮気味のようだった。
それは公爵令嬢となってからは見せた事のない顔で、以前……教会に居た時に二人でレオンの話をしていた時、彼と過ごしてきた二年間でいかに素晴らしい人物なのかを熱く語っていた時のようだった。
建物を出た後は昼食へ向かう事になり、レオンが昨日言っていた通りアリアの好きな『シャルメン』で食べる事になったのだが……アリアとライオネルが二人で、アレクとジュディー、そしてライオネルの従者の男性の三人と机は分かれた。
すぐ隣なので、彼らの会話はよく聞こえてくる。二人の会話を邪魔しないよう、アレク達は極力静かにしていたのもあるが……先ほど見た歌劇のどこが良かったとか、芝居そのものの内容や演者のその表現力などで盛り上がっているようだった。
「アリア様、歌劇が随分とお気に召したようで安心いたしました」
「正直なところ、歌劇と言うのがここまですごいものだとは思っていませんでした。まだ興奮が冷めず……私一人ではしゃいでしまって、お恥ずかしいです……」
「初めてご覧になったのでしたら、それも当然かと。来月演目が変わるそうですから、またご一緒頂けますか」
「はい、その時はぜひ」
さらりと次回の約束まで取り付けたライオネルの事を、アレクは思わず殴りたくなる気持ちだ。だが、レオンにも失礼のないように言われているし、そもそもアリアがどこの貴族の男と恋仲になろうが怒る権利は自分にはない。
悔しいと、そう思わずにはいられなくて……食器を握る手に、思わず力が入る。折角の『シャルメン』の美味しい料理も、今は味を感じないほどには食事に集中もできない。
そんなアレクの気持ちをよそに、アリアはライオネルと盛り上がっていた。あの可愛らしい微笑みを、ライオネルに向けるのを見ると胸が締め付けられる。
そんな調子のまま昼食は終わり、外へ出た時にアリアが石畳の出っ張りにつまずいて転びかけた。ライオネルがアリアを支える。
「アリア様、大丈夫ですか」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます、ライオネル様」
「いいえ、お怪我がなくて良かった」
そのやりとりに、そろそろ限界が近い。早く帰りたいと、アレクはそう思いながら外に繋いでいた自分の馬の手綱を取るのだが……
「誰か、その人捕まえてください! ひったくりです!!」
そんな声が聞こえて、アレクは声の方向を見る。女性が叫びながら、先を走る男を追っていた。先を走る男は、小包を抱えている。その小包が女性から奪った物なのだろう。
アレクは反射的に、握っていた手綱を手放し動く。走ってくる男の正面に立って、男がアレクを避けようと動いた方向に動いて飛びかかった。アレクは男を捕まえるものの、男は暴れる。
「は、離せっ!」
「離すか! あの女性から奪った物を返すんだ!」
「これは俺のだ!」
「……私は騎士団の者だ。君の話も聞くから、この小包は一度私が預かる。まずは観念しろ」
「く、くそ……!」
ライオネルが出てきて男の手から小包を奪い取れば、男は観念したようだ。荷物を奪われたという女性もそこに追いついて、ライオネルに礼を言う。
「騎士様! ありがとうございます!」
「礼には及びませんが、この男も自分の物だと言っている以上、私は両者の主張を聞いた上でこの小包を誰に渡すのか決めなくてはいけません。一旦、騎士の詰め所まで来て頂きますがよろしいですか」
「は、はい」
「ロベルト、お前は男の方を頼む。私はこの女性と共に行こう」
「畏まりました、ライオネル様」
ライオネルの従者、ロベルトはアレクが押さえつけている男を立たせる。持ってきていたであろう縄でその両手を縛り、詰め所まで連行するようだ。ライオネルは女性を馬車へと誘導している。
「アリア様、申し訳ございません。私はこの事件を解決せねばなりません」
「いいえ、本日はとても楽しかったです。騎士として、事件が起これば見過ごせませんものね」
「はい。本当はエクスタード家までお送りするつもりでしたが……」
「ここで結構です。アレクとジュディーがおりますから、問題ございません。ライオネル様は、お勤めに」
「本当に申し訳ない。ではアリア様、また」
「はい、ライオネル様」
ライオネルはアリアの手を取って、その甲に口づける。アリアもこれには参ったような顔をして顔を赤くしていたが、そんなアリアの様子を見てライオネルは頬を緩めていた。
外套を翻し、馬車に乗り込めば馬車は出発する。彼の従者、ロベルトは馬に乗り縄でつないだ男を歩かせていた。アレクはその姿を少し見送った後アリアの方を向く。
「アリア様、我々も戻りましょうか」
「そうですね、ジュディーさん。あぁ、緊張した……」
アリアはいつもの調子で、ふぅとため息を吐くように。堂々とした公爵令嬢たる姿を見せていたが、やはり相当肩肘を張っていたようだ。
アリアはアレクの方を見て、驚いたような顔をする。何かと思えば、男を押さえつけ抵抗された時にやられたのだろう、頬に擦り傷のようなものが出来ていた。
「アレクさん、お顔に怪我が」
「え? あぁ、本当だ。大丈夫、こんなの怪我のうちには……」
「ダメですよ。ジュディーさん、これを濡らしてきてくれませんか? 『シャルメン』のご主人に言えば、お水くらいは頂けるかと……」
「はい、アリア様」
アリアが出したハンカチを持って、ジュディーは建物の中に戻る。彼女が戻ってくるまでの間、アリアと二人な訳だが……何か話した方が良いかと思っている間に、先に話し始めたのはアリアの方だった。