過去(2)
そしてレオンが十歳になった数か月後に事件は起こる。エクスタード家とグランマージ家、両家の親交を深めるためエミリアは度々エクスタード家を訪れており、その日もエミリアは母親のイザベラ、そして兄のエドリックと共にエクスタード家を訪れていたのだが……
母親のイザベラはレオンの継母と花の美しい庭園でお茶会を、そして子供たちは子供たちだけで……とは言っても当然使用人達は近くにはいるが……室内で盤面遊戯に興じていた最中だった。
盤面遊戯、ここで行われていたのはいわゆるチェスだ。レオンとエドリックが互いに駒を進め、エミリアはお菓子を食べながらそれを見ていた。
レオンは既にエドリックの『特殊能力』については知っていたが、エドリックはそれを制御できる。こういった頭を使いながら進める遊びの時には、相手の思考を読まないよう純粋な勝負をしてくれていた。
「エド、勝負あったな。これでもう逃げられないぞ」
「うーん、そう来たか。ちょっと待てよ。ここをこうすると……いや、だめか」
「素直に負けを認めたらどうだ?」
「それは悔しいなぁ、途中までは僕の方が優勢だったのに……。あれ、レオン」
「うん?」
「エミリアの顔色、悪くないか?」
エミリアはレオンに甘えてレオンの膝の上に座っていた。先ほどまでお菓子を食べていた、その手が止まったことには気づいていたが……退屈して寝てしまったとばかり思っていた。
だが、エドリックに言われその顔を見れば、確かに血の気がないというか……青白い顔をしているように見える。すやすやと寝ているとも言い難く、苦しそうだった。
「大変だ……! 誰か、エミリアが」
「どうされました、レオン様」
「顔色が悪く、苦しそうなんだ。医者を呼んでくれないか」
レオンはかなり焦っていた。なぜ自分の腕の中に居たのに、エミリアの異変に気づかなかったのか。レオンの言葉に使用人が一人部屋を飛び出すが、レオンにはどうしていいかわからない。
「エミリア、エミリア。聞こえるか? エミリア」
エミリアの頬を、ぺちぺちと軽く叩くように触れる。エミリアは反応がなく、ぐったりとしたまま……エドリックが立ち上がり、レオンの横に立つ。そうして真面目な顔をしながら、エミリアに触れた。
エドリックの手から、青白い光が発せられる。
「エド、何かわかるか?」
「……さっきからエミリアが食べていたお菓子に、毒が盛られている」
「なんだって!? 一体、誰がそんな……」
「犯人はもう見えた」
エドリックはレオンの耳元で、そう呟く。エドリックの『特殊能力』について、実際のところ知っている者はそう多くない。あまりに多く広めたくないと言うのは彼の父の意向だった。可愛い息子を、周囲から畏怖の目で見て欲しくはないと言う親心だったのだろう。
だからこそ、犯人は子供達が食べるであろうお菓子に毒を盛った。エドリックの能力について知っていれば、そんな事をするはずはない。
レオンを狙ったのか、エミリアやエドリックを狙ったのかは定かではないが……使用人が持ってきた焼き菓子に、レオンもエドリックも手を出していなかった。全て、甘いものを前に目を輝かせたエミリアにあげてしまったのだ。
「我が家と君の家を繋げたくない奴がいるのかな。……大丈夫、致死量までは食べてなかったし、今解毒の魔法をかけた」
「そうか……」
「レオン、犯人を捕まえに行くよ。すみませんが、妹をお願いします」
「は、はいエドリック様……」
レオンはぐったりとしたままのエミリアをその場にいた執事に託し、エドリックの後を付いていく。エミリアの事が心配で仕方がないが、エドリックが大丈夫と言うからには大丈夫なのだろう。
エドリックは迷いなく歩き、外へ出る。家の中ではないのかと、レオンは少しばかり安堵した。使用人の誰かが毒を盛ったと、そう思ったことに使用人達に申し訳なく思ったのだが……レオンのその気持ちが音を立てて崩れたのもまた数分後の事だった。
厩舎の前でエドリックは止まり、その扉を開く。当然ながら、そこには馬番の男がいた。
「ジャクター……?」
「レオン様に、エドリック様。どうかされましたか」
「レオン、こいつが犯人だ」
「は、犯人? エドリック様、何の事でしょう?」
彼は、二月ほど前に馬番として雇ったばかりの男だった。地方から出てきたばかりで仕事がないと物乞いのような事をしていたのを、レオンの父であるベイジャーが拾ってきた。
ベイジャーは自他ともに認めるお人よしであり、困っている人を見ると放っておけない性格だった。今までも何人もそうやって、行き場を無くした者たちに住む場所と仕事を提供してやっていた。
父のそんなところをレオンも尊敬していたが、家臣達の中にはいつか寝首を掻かれるのではと心配している者たちもいて……ついにそれが現実のものになってしまったという事だろう。
最近乗馬を嗜むようになったレオンにとっては、このジャクターと言う男はよく見る顔の一人である。思い返せば……彼が来てからのこの二カ月の中で、鐙の皮が切れ落馬しかけた事もあった。もしかすると、彼が意図的に手を加えていたのかもしれない。
「エミリアが、毒の入った菓子を食べたようだ。ジャクター、お前が私たちに出される菓子に毒を盛ったのか?」
「レ、レオン様何を仰るのですか。毒など、私は……」
「……嘘をついても良い事はないよ。僕には全て見えている。今、お前に会って……お前の『裏』も見えた。お前が誰に言われて、こんな事をしているのかが、ね」
「な、何を……」
うろたえるジャクターは、あくまでも自分は無関係だと白を切る。だがレオンはジャクターに飛びかかり、握った拳で彼の鳩尾を狙ってまっすぐに腕を突き出した。まだ十歳の少年のものとは思えない重い一撃に、ジャクターは膝を付く。
レオンはそのまま更に彼の頭を殴り、仰向けに倒れたところで馬乗りになった。更に数発殴れば、エドリックに止められる。
「レオン、それくらいにしてやりなよ。そいつ、もう意識なくしてるよ」
「……エド、ジャクターの『裏』も見えたって言ったな? 一体、どこの誰が……。狙いは俺だったのか? エミリアか?」
「エミリアだ。僕らがエミリアにお菓子を全部あげるのも想定のうちだったんだろう。我が家にも一匹鼠が入り込んでるみたいだから、後で父上に言っておくよ」
「それも見えたのか?」
「うん。……あぁ、あったね」
エドリックが彼の所持品を漁って、ポケットから小瓶を取り出した。一見すると小麦粉のような、白い粉が少し入っている。彼がどうやって菓子にこの粉を混ぜたのかはともかく、これで彼が犯人だと証明できたと言う事だろう。
執事からエミリアに毒が盛られたことを聞いたと思われる、継母達の護衛についていたはずのサムエルが庭の方から走ってきた。伸びたジャクターに馬乗りになっているレオンを見て、彼は全てを悟ったようだ。
「レオン様、エミリア様に毒が盛られたと……まさか、ジャクターが?」
「そのようだ。この小瓶の中の粉が恐らく毒で、これはジャクターが持っていたのだ」
「なんと……して、レオン様がジャクターを?」
「危ないところだったよ。僕が止めなければ、レオンはそのまま彼を殴り殺していたかもね」
「レオン様。婚約者であるエミリア様に毒を盛られお怒りになる気持ちもわかりますが、暴力はいけません」
「ジャクターが逃げないよう、足止めのために数発殴っただけだ」
「ともかく、この後の事は私にお任せください。レオン様は、エミリア様のお側に」
「……わかった」
レオンが先ほどの部屋に戻れば、エミリアは彼女の母の腕にいた。エドリックの魔法が効いたのか、意識は取り戻したようだがまだぼんやりとしているようでイザベラに抱き着いてグズグズとしている。
その姿を見て、レオンはイザベラの隣に駆け寄る。エミリアもレオンの顔を見て安心したのか、レオンの方に手を伸ばした。
「レオン様、エミリアを抱いて下さいますか?」
「はい。エミリア、おいで」
「レオン……」
レオンがイザベラからエミリアを受け取れば、エミリアはレオンの服をぎゅっと掴む。その小さな手は震えていた。何があったのか彼女自身よくわかっていないだろうが、とにかく怖い事があったというのは感じていたのだろう。
もう大丈夫だとそう言って、レオンはエミリアの頭を撫でる。エミリアが落ち着いて、再び眠るまでの間レオンはずっとそうしていた。
その日のうちにグランマージ家の使用人も一人が捕らえられた。そして、エドリックによってレクト王国の貴族の一つであるマルコット伯爵家が摘発される。
どうやらジャクターとグランマージ家で捕らえられた男は、マルコット伯爵によって送り込まれた刺客だったと言う事らしい。マルコット伯爵の狙いは、ずばりエミリアを消す事。グランマージ家だけでなくエクスタード家にも刺客が送りこまれたのは夫人が度々子供連れでエクスタード家に出入りしているのを知っての事だった。
新興貴族であるグランマージ家が、古くから続く名門貴族であるエクスタード家と関りを深めていくのが気に食わなかったようだ。それにマルコット家にはレオンやエドリックと同年代の娘もおり、グランマージ家にエミリアが生まれなければ彼女はレオンの花嫁候補の一人でもあった。
エミリアがいなくなれば再び娘がレオンの結婚相手として候補にあがるかもしれないと、そんな思惑の元実行された計画だったようだ。
グランマージ家と言えば、当主エルヴィスの妻は現在の国王の妹であり、その子エルバートは国王の甥にあたる。エミリアは更にその娘で王家にも近い家柄であったという事もあって、王家を敵に回してしまったマルコット伯爵家は取り潰しとなった。
実行犯のジャクターと、グランマージ家で捕らえられたもう一人の男は絞首刑に。マルコット元伯爵は斬首。残された家族は地方へ……
そしてマルコット家の領地はグランマージ家に移される事となったがエルヴィスはそれを辞退し、その土地はエクスタード領に併合された。マルコット領とエクスタード領が隣同士と言う事情もあったのだが、将来エミリアに持たせる持参金代わりにグランマージ家がエクスタード家に譲ったとも言われている。
その事件があってからと言うものの、レオンはエミリアに対してより過保護になった。彼女を守ると言う、幼き日に父と交わした約束がレオンの根本にあるのは言うまでもないが……それがなかったとしてもきっとレオンはエミリアを深く愛し、その愛ゆえの過保護さは変わらなかったであろう。
それからもレオンとエミリアは仲睦まじいまま、時にエミリアが一方的にレオンに悪態をつく事などもありながら成長していった。
エミリアが成長するにつれ、レオンに対し兄妹のような甘え方をすることはなくなっていって、レオンはそれが寂しいと思うようになったりもしていたが……
それでもエミリアにとって、レオンは兄であるエドリック以上に頼れるし甘えられる存在ではあった事は間違いない。そうして、エミリアが十七歳になったその日、エミリアは王都から消えた。