過去(1)
エクスタード領一の都市、プラムニッツ。領主館のある大きな街で、王都にも負けない賑わいを見せる街であった。
とはいっても、プラムニッツの主要産業は軍馬の生産。仕事を持つ住民のうち半数が馬の生産、育成に関わるような街である。広い土地は都市部と、放牧地や馬の厩舎のある軍馬の生産区と大きく二分されていた。
馬の出産期が終わり、仔馬達が放牧地でのびのびと過ごしている頃にレオンは生まれた。時の当主であるレオンの祖父、エクスタード公にとって待望の初孫である。
祖父、そして父の後の跡継ぎとなる男児の誕生にエクスタード領では三日三晩の宴が催されたほどだった。
レオンは大きな病気もなくすくすくと成長したが、病を患ったのは母・ディアンヌの方である。ディアンヌはレオンが二歳の頃、流行り病に倒れた。レオンに病が移ってはいけないと、まだ幼いレオンは母親と引き裂かれ……二度とその腕に抱かれる事はない。
祖父が時のレクト王国の騎士団長であったが、父ベイジャーも当時は副団長として王宮に詰めていた。そのため領地に父が戻ってくるのも年に数回、それもたった数日の事。
妻・ディアンヌの容態が思わしくないと聞いては流石に休暇を取り戻っては来たが、レオンの母は若くして帰らぬ人となってしまった。
まだ二歳だったレオンには、母の死などわからないだろう。久しぶりに戻ってきた父が妻を亡くし涙を流しているのを、不思議そうな顔で見つめていた。
それから父・ベイジャーが長く王都を離れられぬという事もあり、レオンは領地を離れ王都にあるエクスタード家の私邸へと移る事となった。
とは言っても、騎士団で副団長を務める父は多忙で、レオンが王都へ移ったからと言っても毎日帰ってくるわけではない。屋敷の使用人たちが親代わりであったと言っても良いだろう。
子供の成長は早い。屋敷へ戻ってくるたび、父はレオンの成長に感動していたようだが……レオンが初めての子であるせいもあってか、どれくらいの月齢で何をできるかを理解していなかった。
もちろん、幼子が何でもできるとは思っていない。しかし、父がレオンに寄せる期待は標準的な月齢に合わせた成長よりも少し進んだものであったため、レオンの教育については少しばかり厳しいものだっただろう。
レオン自身、幼いながらに父に褒められる喜びと言うものを感じていたのかもしれない。厳しい教育の甲斐もあってか、同じ時期に生まれた他の子よりも少しだけ早い成長を見せていた。
そして、レオンが五歳になる二月ほど前……グランマージ家にエミリアが生まれた。グランマージ家にとっても、エクスタード家にとっても、それは待望の女の子である。両家ではすぐにレオンとエミリアの結婚が約束される。
レオンがエミリアと初めて会ったのは、エミリアが生後まだ一週間と言う頃であった。
「この子はお前の友達のエドリックの妹で、エミリア。大人になったら、お前のお嫁さんになる娘だ。大切にするんだぞ」
「このこが、ぼくのおよめさんになるの?」
「あぁ、そうだ。だからお前が彼女の一番の良き理解者となって、どんな時でもそばにいてやるんだ。お前も騎士の子として、そして将来騎士になる男だ。何があってもこの子を守ると、この父と約束してくれ。わかったな?」
「はい、ちちうえ!」
「ベイジャー様、まだ四つのレオン様には少々難しいお言葉かと」
「はは、そうだなサムエル。しかし、レオンは賢い子だ。きっと、私の言う事もそのうち理解しよう」
「エミリア、なかよくしようね」
レオンがその小さな手を差し出せば、エミリアがその指を握る。反射だという事は、大人は皆知っているだろう。だが、そんな事を知らないまだ幼いレオンには……この握り返してくれた小さな手を守るのが自分の使命だと、そう感じたに違いなかった。
何より、レオンにとっては父のいう事は絶対でもある。エクスタード家を継ぐ者としてその名に恥じぬよう、そして騎士になる男として、父の言った『将来の妻となるエミリアの良き理解者となる』『どんな時でもエミリアのそばにいる』そして『何があってもエミリアを守る』と言うのは……レオンの心に深く刻まれた言霊だったのだ。
ベイジャーが再婚したのは、それから数か月後。レオンにもいい加減母親が必要だと、家臣や父親に説得されての事である。ベイジャー自身は亡き妻へ誓った愛を貫き、再婚などするつもりはなかったが……レオンのためと言われ、確かにまだ幼いレオンには母親が必要だと受け入れた。
再婚したのはレクト王国でもそれなりに歴史のある侯爵家の娘であったが、まだ成人したばかりの彼女は当然すぐにレオンの母親にはなれなかった。レオン自身も戸惑いがあったし、彼女も彼女で当然のことながら子育ての経験もない。
レオンの世話は基本的には使用人たちが引き続き行っていたとは言っても、エクスタード家に嫁いできた以上レオンの母親にならなくてはいけないと言う重圧もあっただろう。その重圧がレオンにも伝わっていたせいか、彼女がレオンと打ち解けようとしてもレオンが一線を引いていた。
賢いレオンは『彼女は生母ではない』と、幼心にわかっていたと言うのもあるのかもしれない。警戒心の強い野良猫を、餌付けし少しずつ懐柔させるような日々だっただろう。
そんな継母の努力を見てか、レオンも次第に彼女へ気を許していった。しかし他人への甘え方を知らなかったレオンは、継母の事を母親だとそう思うようになっても自然な親子関係とは言えなかったであろう。
だが、それでもレオンにとって継母は生母以上の『母』になっていった。たとえ、父が継母の事を愛していなかったとしても。そして、レオンがそれを感じ取っていたとしても。
レオンはとても勤勉な少年だった。地頭も良かったが、何より本人の向上心も大きい。加えて、毎日剣の稽古も欠かさない。父をはじめ、王宮の騎士団に出入りしている家臣も多く訓練の相手に事欠く事もなかった。
レオンが十歳になる頃には、家庭教師が思わずうなるほどの秀才ぶりを披露していたし、剣の腕も少年とは思えない程のものである。騎士たちの子や他貴族の子も剣の訓練を受けている者は多いが、同年代でレオンに敵う少年はまずいなかった。
数歳年上の見習い騎士ですら、レオンは簡単に打ち負かす。大人相手でも互角に打ち込むレオンの事を、畏怖と敬意を込めてエクスタード家の家臣たちは『闘神』と呼んだ。
また、大人たちが口を揃えてレオンの事を末恐ろしいと言うのは……レオンは武器となる物は何を持たせても抜群に筋が良い事だ。本人が一番扱いやすいのは剣だとは言っていたが、槍でも斧でも弓でも……どんな物も使いこなし向かう所敵なしだっただろう。
ある程度身長も伸びた頃からは、馬術の訓練も欠かせなかった。ここでもレオンは卒なく馬を乗りこなしては、暴れ馬と呼ばれるような人間の言う事を中々聞かない馬ですら懐柔した。