アレックス・ダンドール(2)
「どこから話せばいいのかな……。まずは、私の生まれた家の話かしらね。レクト王国の大賢者、エルヴィス・グランマージって聞いたことある?」
「うーん、ごめんなさい。わからない……」
「……そう。そっか、地方の人には馴染みのない名前なのね。王都で生まれ育っていたら、きっと知らない人はいないわ」
「そんなに有名な人なんですか?」
「そうね、今の魔法技術の礎を築いた、魔術の父なんて言われてる人なの。元は商人の子だったそうなんだけど、魔法技術を発展させた功績を認められて当時の王女様をお嫁にもらって、グランマージって家の名前と伯爵の称号をもらったような人らしいわ」
「へぇ……で、その人とどんな関係が?」
「私の祖父よ」
「……え?」
つまりは、エミリアは魔術の父なんて呼ばれているらしい大賢者と、レクト王国の王女であった女性を祖父母に持つ伯爵令嬢という事ではないか。
それくらい、教養のないアレクにだってわかる。今、自分の目の前にいる女性は、本来であれば自分がこうやって対等に話せるような身分ではない。貴族であり、雲の上のような存在であるはずなのだ。
「し、失礼しました! そんな人だって知らないで……」
「別に、かしこまらなくて良いわ。私は家を出ているし、今はただの冒険者よ」
「でも」
「お嬢様扱いされるのは好きじゃないの。確かに、生まれも育ちも伯爵家よ。蝶よ花よと、大事に大事に育てられたわ。でも、私が大事に育てられたのは、お家のため。その話は一旦置いといて、じゃあ次ね。エクスタード公爵家は知ってる?」
「……知りません」
「でしょうね。エクスタード公爵家は、歴史の古い家ね。レクト王国建国間もない頃から、王宮騎士団の団長を務めている家なの」
エクスタード公爵家は古くから続く名門、対してグランマージ家はエミリアの祖父の代に叙爵された新興貴族。だが、グランマージ家は立場こそ伯爵家であるが、エミリアの祖父・エルヴィスの権力は国家に対して物言いできるほど強大なものらしい。
エクスタード家とグランマージ家は、婚姻による両家の繋がりを求めていた。それはエクスタード家にもグランマージ家にも、ひいてはレクト王国と言う国家にとっても利益のある事なのだそうだ。
だが、エミリアの父親の代は両家とも男子しか誕生しなかった。そのため両家はそれぞれ別の家の女性を妻にし、その子供に願いを託し……エクスタード家は男子が、グランマージ家には男女一人ずつの子供が生まれた。
一番最後に生まれたエミリアは、両家にとって待望の女児だったのだ。
「私は、生まれた瞬間からエクスタード家にお嫁に行くって運命が定められていたの」
「本人の意思とは無関係に結婚なんて、ひどい話だな」
「貴族の社会じゃ当たり前の事みたいよ。私の両親だって、別に好き合って結婚した訳じゃないもの。母様は当時、想う人が別にいたって言ってたわ」
庶民、その中でも特に田舎の人間であるアレクには、貴族の社会の事は全くわからない。家のために好きでもない人と結婚するなんて考えられない事だ。
だが、貴族の中では当たり前の事であって、エミリア自身も許嫁がいる事を幼い頃から疑問に思ったことはなかったらしい。
「でも、十歳くらいの時だったかしら……私、魔法に目覚めちゃったの」
悪戯に笑う。その表情と言えば、新しいおもちゃを手に入れた時の子供のようで……もしかすると少女時代の、魔法に『目覚めた』時と同じ表情だったのかもしれない。
エミリア曰く、魔力とは人間誰しも多かれ少なかれ持っているものだそうだ。だが、魔法はそう簡単には使えない。魔力を引き出し魔法を使うための道具が『魔導書』だが、そもそも魔力が眠ったままの人間ではいくら魔導書を読もうが魔法は使えない。
生まれ持って『目覚めている』人間も稀にいるが、どんなに魔力を持っていても大抵の人間の魔力は眠っている。その眠っている魔力を目覚めさせるための『方法』があるそうなのだが……
「魔力を目覚めさせる……それは、どんな方法なんですか?」
「身体に紋章を刻むの」
「紋章?」
「えぇ。うーん……ちょっとならいいか。あんまりジロジロ見ないでね。こんなのよ」
そう言って、エミリアはスカートの布を少し持ち上げながら、アレクに左足の内腿をチラりと見せつける……女性への免疫は、ない。突然の事に驚き、咄嗟に顔を背けるが耳まで暑くなっているのを感じた。
「紋章の形によって、使える魔法の種類も変わってくるから、魔術師は自分の紋章を他人には見せないんだけどね。あなたは紋章の事なんてわからないでしょうし、他の部分にも紋章を刻んでいるから私は他の魔法も扱えるし……」
「そ、そういう問題じゃない! 他にもあるなら、そっちにしてくれれば……」
「言ったでしょう、他人には見せないの。だから、他のはもっと際どい場所なのよ」
「じゃあ見せなくていいよ……」
話を戻すわね、と。何事もなかったようにエミリアは話を続ける。祖父は大魔術師、そして父は賢者と呼ばれている。兄は五つ年上だが、エミリアが生まれた頃にはすでに父が現役を退いた後の王宮魔術師団の長となるべく教育されていたそうだ。
そんな男たちを見て育ったエミリアは、どうして魔術師一家に生まれたのに自分は魔術を学ばなくて良いのかと疑問に思い、そして……身体に紋章を刻めば、自分も魔法を使えるようになるのだろうと思い立つ。誰にもばれない様に、こっそりと……
「おじい様の研究室に、こっそりと忍び込んでね。そこには、おじい様の魔力を込めた筆があるのを知っていたから。その筆で紋章を身体に描くと、私の内に眠る魔力が引き出されるって事も」
魔力を目覚めさせるには、強大な魔力を込めた筆で身体へ紋章を描くのが一般的らしい。『魔法筆』と言うらしいのだが、魔法筆で身体をなぞると眠っていた魔力が呼び起され、その形に紋章が刻まれる。
筆に込められた魔力が強大であればあるほど、眠る魔力が多く目覚めてくれるらしい。
「で、魔法に目覚めた私は、両親には反対されたけれど必死に魔法を勉強したってワケ。それで、自分の魔法は国のために使いたいって、そう思っていたの。おじい様、父様、兄様……みんながそうしてきたみたいに、私も魔術師団に入って国の役に立ちたいってね。でもね、私が女だからって……それだけの理由で、師団には入れてもらえなかった!」
そこでエミリアは、少しばかり声を荒げる。よほど悔しかったのだろう。アレクの中にも確かに、女性が戦いに身を投じる事への偏見はあったかもしれない。だが、エミリアの魔法を見て、男だから女だからと言うのは理由にならないと言うのは理解できたつもりではある。
彼女は凄腕の魔術師であることは疑いようもなく、そこには性別は関係ない。女性だからと言うだけで師団が入団を認めないというのは、差別ではないのだろうか。
もっとも、アレクとしても……王宮の師団がどういう所なのかは詳しく知らないが、危険を伴うであろう場所だろうから女性が入団するのは……と、思ってしまったのもまた事実ではある。
「だから、私は家を出る事にしたの。そのままエクスタード家にお嫁に行ったら、二度と魔法なんて使わせてはもらえないかもしれない。私は……折角魔法を扱えるようになったのだから、この力は戦う力を持たない人々のために使いたいって」
「……それは、素晴らしいと思う。でも、エミリアさんの家族の気持ちもわかる。女の子だし、危ない事はさせたくないんだろうなって。俺にも妹がいるから……あいつがそんな事言い出したら、いい顔はできないと思う」
「きっと、普通はみんなそうなのよ。家庭に入って、子供を産んで……それが女の幸せだって。でも、私はそうじゃないの。グランマージ家に生まれた以上、この力を世のため人のために使いたい。だから、今こうして冒険者になってるのよ」
芯の強い人だと、アレクはそう思った。だが同時に、彼女の心の奥底には後悔のような……何か脆いものも見えた気がして。
つい、その疑問を彼女へぶつける。聞かれると思っていたのかもしれない。エミリアは、意外な顔はしなかった。
「エミリアさんが家を出て冒険者になった事情はわかったんですが……。その、婚約者さんは、どうなったんですか?」
「彼は、すごく良い人だったわ。私が家を出たのは、お嫁に行く前日だった。もちろん、そんな日だから屋敷の警備は厳重よ。その厳重な警備を搔い潜って、私を連れ出してくれたのは彼だったの」
「……それは、すごい……」
「そうでしょう? 自分のところにお嫁に来るはずだった女の子を、逃がしちゃったのよ。最後に交わした言葉は、いつか帰ってくるのを待ってるって……。でも、彼ももう今年で二十七歳。その年でいつまでも独り身でいる訳にもいかないでしょうし、何より彼のお父上は二年前に魔物討伐に出た時に亡くなったって聞いた。今はお父上の後を継いで公爵様になっているはずだから、早く跡継ぎだって作らないといけないだろうし……とっくに私との婚約は破棄して、どこかのご令嬢と結婚してるんじゃないかしら」
きっと、エミリアは彼の事が好きだった。だからこそ、寂しそうに笑って言うのだ。本当ならば彼の隣に立つのは自分だったが、自分の夢のためにその場所を諦め捨てた。
冒険者になって、人の役に立つと言う道を選んだことに後悔はないのだろうが、彼への想いだけが未練なのだろう。
「……王都に連れて行って欲しいとは言ったけど、良かったんですか? 王都へ行ったら、家の人とか、その彼とか……ばったり会う可能性もあるんじゃ」
「王都って広いのよ。人もたくさんいる。きっと、アレクが想像している何倍も。ばったりなんて会わないと思うわ。でも……」
「でも?」
「両親やおじい様に兄様、それに彼にも……家を飛び出した事を謝りたいって、今は思っていたりもするの。だからばったり会ったら気まずいなって心配をするよりも、勇気を出して一度家に帰ってみてもいいかな……なんて。折角、王都に戻るんだし。誰に何を言われようが、冒険者はやめないけどね」
「……そういう気持ちがあるなら、戻った方がいいと思う。きっと許してくれるし、認めてくれるんじゃないかな」
「そうね、そうだと良いけど……」
それから王都まで、あまり話はなかった。つい先ほどまで他人だった二人だ、身の上話以外にどんな話題が良いのか……お互いにわからなかったから。