謹慎と舞踏会(5)
「エクスタード公爵・レオン卿お見えになりました」
いつもは騎士団長として出入りしている王宮に、今日は一貴族として入る。舞踏会の会場となる広間には、既に大勢の貴族たちが華やかな格好をして集まっていた。
「エクスタード公、お久しぶりです。相変わらずの色男に、今日は磨きがかかっておりますな」
「バーナード侯爵、お元気そうで何よりです」
「これがうちの娘でアンジェと申します。アンジェ、ご挨拶を」
「初めてお目にかかります、エクスタード公。アンジェと申します」
アンジェと言う令嬢は、年齢は二十歳くらいか……大きなドレスのスカートの裾をふわりと軽く持ち上げ、レオンに礼をする。
彼女もまた、レオンとの結婚を狙っている令嬢の一人と言う事なのだろう。今日この場にいる令嬢たちは、みなレオンが目当てなのだ。次々に、どこぞの公爵やら伯爵やらがレオンに娘を紹介にし来る。
正直興味もなければ、皆同じような流行りの格好で覚えきれない。レオンは笑顔を顔に貼りつかせながら、この場が早く終わればよいと……そう思っていた。
「レオン様すごい人気ですね」
「……皆、公爵夫人と言うその肩書が欲しいだけだろう」
「え? でもレオン様にはエミリアさんが……」
「言っていなかったな。今夜の舞踏会は、私の妻となる女性を探すためのものだそうだ。グランマージ家も招待はしているものの、エミリアの姿はないだろう? それが答えだ。エミリアは、私と結婚するつもりはない……彼女が今夜この場に来ないという事は、私との婚約は破棄になる」
「そんな……! じゃあ、俺が昼間グランマージ家へ急いで行くように言われたのは……」
「違う女性と婚約した後に、元婚約者へ贈り物なぞできんだろう」
「……レオン様はそれで良いんですか」
「良いとは思っていない。だが、いつまでもエミリアを待っているわけにはいかないんだ。私は結局、陛下にとっては種馬でしかないという事なんだろうな」
本心では嫌だと、そう言いたい。だがエクスタード公爵としては、当然の事だろう。そう、幼い頃から我慢するのは慣れていた。自分の意思だけで動いてはいけないと、そう教えられていたから。
レオンの行動一つに、使用人達や領民達の生活だってかかっている。自分一人が我慢すれば、皆が幸せに暮らしていける。それなら、レオンは我慢するだけだ。
アレクが悔しそうに唇を噛んでいるが……彼の人生をほんの一部でも預かった以上、彼に対しての責任もある。ここまできて王の命に背くような事をすれば、謹慎どころでは済まないかもしれない。
「エクスタード公、私と踊って頂けませんか」
「……遠慮する」
だが、踊る気はない。踊ろうが踊るまいが、もう誰かと結婚するのは逃れられないのだ。だったら踊る必要もなければ、少しでも家の利となる相手を選ばせてもらう。誰も選ばなければ王女を与えると、王は言った。
どこかの令嬢と結婚するよりは、王家と婚姻で結びつく方がよほどエクスタード家の利となるだろう。レオンは舞踏会が終わるまで、誰の手も取らないと……そう決めていた。
「エクスタード公、陛下がお呼びです」
一曲、また一曲と……時間だけが過ぎていく。そろそろ舞踏会も終盤だろうと思った頃、王の従者がレオンを呼んだ。レオンは王のそばまで行くと、その前に膝を着く。従者としてついてきていたアレクも、レオンに倣って膝を着いていた。彼はきっと、国王陛下を前に倒れてしまいそうなほど緊張してるだろう。
「グランマージ伯の孫娘は、来たのか」
「いいえ、来ておりません」
「では今日来ている令嬢の中に、貴公の目に叶う娘はおったか」
「おりません」
「では、王女と結婚しろ。今ここで発表する。よいな」
「……はい」
心の中で、エミリアに別れを告げる。来ないのは、わかりきっていた事ではないか。ほんの少しだけ、来てくれると期待していたが……
思い出すのは、幼い頃からたくさん見てきたエミリアの笑顔だけ。何があっても彼女を守ると、そう誓っていたと言うのに。まさかこんな形でその誓いを違える事になるとは思ってもいなかった。
思えば、彼女の口からは……一度だって好きだと言われた事もなかっただろう。こんなにも想っていたのは自分だけだったのかと、虚しくもなる。
そんなレオンの想いをよそに、王の従者が大声を上げた。静まれと。王の言葉だと。その場にいた皆が静まり返り、王の言葉に注目する。
「皆の者、楽しんでくれているだろうか。次が最後の一曲になるが、その前に皆に伝えようと思う。エクスタード公」
「はい」
「皆も知っている通り、エクスタード公はまだ若いながらも騎士団をまとめ、我が国の安全を守っている聖騎士だ。しかし、これも皆知っている通り、彼はまだ妻を娶っておらぬ。過去にはグランマージ伯爵の孫娘と婚約こそしていたもの、その婚約も過去の話。そこで、今夜は皆にエクスタード公の新たな……」
「お待ちください!」
会場の入り口から聞こえる声に、皆がそちらを振り向く。走ってきたのだろうか、声を発した人物と言えば、肩を上下に揺らしている。
「エミリア……」
「エミリアさん!」
エミリアは、この場にいる令嬢達と同じようにふんわりとしたドレスに身を包んでいた。エミリアから遅れて、従者だろう者が二名ほど走ってくる。
どこの世界にこんなにも遅れて、走って息を切らしてくる令嬢がいるのだろうか。淑女とは程遠いエミリアの姿に、場内がざわつく。
「レオンよ、あれがグランマージ伯の孫娘か」
「はい。彼女がエミリアです」
「ふむ……貴公が他の女と結婚するのには、耐えられぬか。行ってやれ」
「はい!」
レオンは少し駆け足気味で、エミリアの元に向かう。皆がレオンとエミリアの行方を見守っていた。だが、レオンにはそんな事はどうでもいい。エミリアが来た、その事実だけで胸が張り裂けそうだ。
「エミリア……」
「レオン……」
「君は来ないと思っていたよ」
「遅くなってごめんなさい。ドレスを直してもらっているうちに、こんな時間に……」
遅れた理由がそれかと、レオンは安堵した。だったら遅れると、グランマージ家の使いの一人でも出してくれれば良かっただろうに。
エミリアにしてみれば、ドレスなど久々だろう。少しばかり照れているような顔をしているから、その表情に愛しさがこみあげてたまらない。
「そんな事はどうでもいい。君が来てくれるのを……五年前から待っていた。エミリア、私と踊ってくれるか」
手を差し出せば、エミリアがその手をそっと取る。宮廷楽師たちも、ここが一番盛り上がると思ったのかもしれない。優雅な音楽が流れ始めれば、レオンはエミリアを抱き寄せ二人は見つめあったまま踊り始める。
それを見て周囲の貴族たちも続々と踊り始めた。確かにこうやって踊るのは五年ぶりだが、それはエミリアも一緒だろう。二人とも身体は確かに覚えていたが、動きはぎこちない。
「レオン……私、この格好変じゃない?」
「とてもよく似合っている」
「本当? 良かった。サークレットも、ありがとう。でもこれ、こう言う場ではいいけれど……普段使いにはちょっと派手かも」
「時間がなかったんだ。今度は時間があるから、もう一つ作ろう」
音楽は終盤に差し掛かり盛り上がりを見せ、一つの壮大な物語が幕を閉じる。たった数分に込められた、楽師たちによって奏でられた大きな世界。音楽が止み、踊りも終わる。
その場にいた誰もが、レオンに注目していただろう。レオンはそんな事は気にかけず、エミリアの前に跪いて手を差し出す。
「エミリア、結婚して欲しい」
「レオン……」
エミリアにも、今日の舞踏会の目的は伝わっていたはずで……この場に来たからには、この求婚を拒むことはないだろう。だが、昨夜の段階でエミリアにはそのつもりはないと聞いていた。
まだ冒険者のままでいたいと言うのは、紛れもなく彼女の本心だろう。しかし、それ以上にレオンとの婚約を破棄したくないと、彼女はそう思ってくれたのだ。
返事はわかりきっている。だが、確かめずにはいられない。差し出した手が、微かに震えていた。
「エクスタード公、私はあなたに相応しい淑女ではありません。でも、あなたの隣をどこの誰にも譲りたくないのです。幼い頃からずっと私を愛してくれていたあなたの求婚を、どうして断ることができましょう。私もずっと、あなたの事をお慕いしておりました」
そう言って、レオンの手を取るエミリアの瞳には涙があふれている。それは夢を捨てる事への悲しみか、レオンと結ばれる事への喜びか……
レオンは人目も憚らずエミリアを抱きしめる。その姿を見て、少し遠くでアレクが泣いていた。
「うぅ、レオン様、エミリアさん、良かったぁ……」
大きな拍手が、場内に響く。その拍手喝采でレオンとエミリアは二人の世界を抜け出し現実へと戻ってくるが、少しばかり照れくさそうな顔をしていた。