表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

事件はくさいトイレの中に。

作者: 伊藤禎二

「桃子、お願いがあるんだけど」

 いつものように、登校した。机の上にカバンを置いたとき、教室で待ち構えていた担任のおたふく小泉が近寄ってきた。

 今日の放課後の手伝いボランティアを自分たちの中から決めてほしいとの依頼だった。業者から今朝、新しい椅子と机を三年のクラスに放課後納入する旨を連絡してきたらしい。業者の何らかのミスで日程がくめないとのことだった。迷惑な話だ。

 三年生は卒業したばかりだった。全容は知らないけど、新学期前の納品は今日以外は無理だということなのか。卒業生たちは前期試験も終わり、大学の結果待ちの状態の時期だ。しらんけど。

 朝のホームルームは時間が限られている。早速予定を変更して放課後手伝いボランティアを募ったが誰も希望者はいない。各クラス一名ずつ。十クラスあるから全部で十名必要だという。そのまま話し合いは二ラウンド目、一時限目に突入。授業は担任の化学の予定だったが授業は中止。でも、文句を言う生徒はいなかった。普通に考えたら、ラッキーと思っている生徒も多いはず。学年末テストも終わったばかりだし。こっちは受験科目だから、微妙だけど。

 話し合いの最中、若菜が登校してきた。遅刻だ、常習犯。若菜はいつものように教室の前から堂々と入ってきて教卓の前で司会をしているわたしの前を素通りした。詫びるように片手を目の前で前後に振ると、焼きおにぎりをそこで三等分に割り、手の上にのせてきた。とっさに口に放り込んだ。

 若菜はわたしの机の前、ゆずにも通過越しに渡しているのが見えた。柚希もあわてて口の中に放り込む。

 先生を見た。バインダーを胸元に抱えたまま、大きなあくびをしている。セーフ。

 ボランティアは結局決まらず、わたしが居残りすることになった。学級委員の宿命だ。


 二時間目の授業は大っ嫌いな数Ⅱだった。中村の授業はわかりにくいし、眠いし、タバコ臭はきついしサイアク。その上授業内容がすぐに脱線する。テスト範囲まで授業が終わらず、最後に補助プリントを渡されて完了なんてざら。自力で勉強しろと突き放される。テストを作るのは一組の多田先生。中村は内容を把握していないから、だいたいうちのクラスの結果はボロボロ。何度泣いただろう。実は教員免許持っていないんじゃないかって疑っている。しらんけど。

 抑揚のない口調で眠りへのいざないはカンペキ。もはや職人。不眠症には聞くだろうけど、生徒に発揮してどうする。

 今日はぽかぽか陽気で暖かかった。もうすぐ春なのか。校庭に面した窓ガラスからはやわらかな日の光が教室にふりそそいでいる。まぶたが重い。ねむたい。

 教科書を立てて広げ、ほほを手で支えながらの居眠りはカンペキだ。中村にバレないように授業を聞いているふりをしての、いつものスタイル。うつ伏せなんて絶対にしない。わたしは平常点も重視する優等生なのだ。

 机の足と、床の擦れる小さな音がした。前を見ると机が小刻みに揺れている。柚希が机にうつ伏せになっている。肩が震えているように見える。

「どうしたのゆず」

 後ろから肩をゆすった。

「おなかが痛い」

 振り返った柚希は顔が真っ青で、額に脂汗がにじんでいる。一気に眠気が吹っ飛んだ。

「先生、山本さんが腹痛を訴えてます」

 わたしは手を挙げた。小太り低身長45歳独身の中村が、視線を黒板から後ろに変える。

「山本、大丈夫か。女子の毎月のアレか」

 少しざわついていたクラスは静まり返った。

 なにそれ、ムカつく。ここは共学の公立高校だ。男性教諭がそんなこと言っていいと思っているのか。生徒みんなの目の前で。こいつの独身の理由がここにある。セクシャルハラスメントだ。理系クラスだからか、クラスメートの三分の二は男だ。女子は肩身が狭い。って、そう思ったことないけど。でも。たとえ女子の多いクラスだとしても、言ってはいけない言葉だ。

「保健室行くか」

 中村が言った。わたしは立ち上がった。

「連れていきます」

 連れていくなら学級委員のわたしだ。

「大丈夫です。トイレに行きたいだけです。ウンコなんで」

 ゆずの言葉にクラス中がどよめいた。ゆずはそんなところがある。あざとかかわいいとか、フェミニンとか無縁。きっと生理の腹痛とは思われたくなかったのだろう。

「漏らすなよ」

 中村の言葉でクラスは爆笑の渦だ。こいつ、ほんとクズ。バカ。ポンコツ。デリカシーのかけらもない。ゆずはお腹を抱えたままふらふらと教室を出て行った。

 大丈夫だろうか。わたしはゆずの後姿を目で追っていた。

 そのあとも地獄のような眠たい単調な授業が続いていく。しばらくして二年五組に帰ってきたゆずは、真っ直ぐ姿勢よく帰ってきた。黒板前のドアから入ってきて、会釈する余裕さえある。

 中村は黒板に書いていたチョークの手をとめ、ゆずの方を見た。

「ちゃんと出たか」

「はい。スッキリ出ました」

 また、クラスは大爆笑だ。ゆず。ホントすごいよ。女子でそんなこと言える人がどれだけいる。

 チャイムが鳴った。地獄の二時限目が終わった。中村はテキストを持って教室を出て行った。みんな開いてもいない教科書をしまっていく。テストに関係ない授業をどれだけの生徒が聞いているのだろう。今気になるのは成績表だけだ。

 休み時間、ゆずの顔を見た。

「はあ、地獄だった。下痢。でるでる、やばいものが。大量に出て、もう出ないはずなのにその場を離れられない苦しみ。その待機時間が苦しかった」

 そばに来た若菜がゆずを見る。

「いいなぁ。中村の授業さぼれて」

「はあ? 地獄だから」

 ゆずは若菜を睨みつけると、数学の教科書をカバンに入れて、現文の教科書とプリントを机の上に出した。


 チャイムが鳴った。若菜が自分の席に戻る。三時限目が始まる。

 ユウカ先生が十分ほど遅れて入ってきた。小走りで教卓の前に立った。

「遅れてごめん。さっき、二組で指摘があったんだけど。えっと、学年末テストのプリント一枚目の最終問題。まちがっていました。間違っているというか、質問に対する答えがいくつもある状態でした。正しい答えなのにバツになっている人がいます。それで、安川先生とも検討した結果、この問題は何を回答しても丸にします。テストの問題、今日持ってきている人いる? 」

 クラスがどよめいた。

「明日、解答用紙を回収します。次の時間はその問題の説明をするから、答案用紙と問題持ってきて。まさか捨てた人いないよね」

 若菜が手を挙げた。

「ちょっと、若菜。ちゃんとファイリングするように言ってるよね。他に、捨てた人いないだろうね。捨てた人は点数プラスにしないよ」

 ユウカ先生が周りを見渡した。

「違います。おなかが痛くなったのでトイレに行ってもいいですか」

 若菜を見た。額に脂汗。若菜はその場でうずくまった。

「大丈夫? 顔が真っ青じゃない」

 先生が若菜のそばに来た。背中をさすっている。

「おなかをくだしたんだと思います。行っていいですか」

「わかった。慌てなくていいから、ゆっくり行っておいで」

 若菜が教室を走って出て行った。

 授業が始まった。授業のことは頭に入らない。ユウカ先生の従業は面白いのに、気が散る。チャイムが鳴ったと同時に若菜が戻ってきた。一時間授業を欠席したのだ。

「地獄だった」 

 若菜はそう言うと、席に戻らず目の前に立って机の上に手を置き、わたしの方を見つめた。ゆずは前の席からこちらを振り向いている。

「今日、三年の教室に新しい机を入れるんだって。それ、聞いた? 桃子ってその作業放課後手伝ったりするの? 」

 ちょっと、若菜。お前、朝のホームルームの時わたしの話聞いてなかったのかよ。あ、遅刻してたか。いや、一時限目の授業も作業員決めしてたのに、覚えていないなんてムカつく。

「するよ。学級委員だから。誰かさんも聞いてなかったみたいだし。みんなは誰かがやればいいやって、思っているんじゃないの。わたししか、する人いないでしょう。強制だよ、ある意味」

「大丈夫なの、おなか」

 ゆずが聞いてきた。

「おなか? 」

「数学の前に食べた焼きおにぎり、あれ腐っていたような気がするんだよね。苦いって感じなかった? 糸が少し引いていたような」

 あの、三人で割って食べた、おにぎり。確かにいつもと違ったような味がしたかも。

「まじで」

 絶望の声が漏れた。

「全部出し切ったらすっきりした」

 若菜の言葉。誰のせいだと思っているんだよ。

「なんか、おなかが痛くなってきた気がする」

 腹部を触った。張っている気がする。

「気のせい、気のせい。腐っていても当たらない人だっているし。桃子は強靭な胃袋と腸を持っているんじゃないの。あなたは対象外だって」

 ゆずが肩を軽くたたいた。

 おにぎりの感触を、脳から引っ張り出す。いつもは焼きおにぎりなんか食べないのに、どうして食べたんだ。そうだ、若菜が急に渡すから。先生の目の前で。だからあわてて口に入れた。もう。若菜のせいじゃないか。

 少しずつ下腹部が痛くなってきた。これは下痢? 気分も悪い。

 体が内側に丸くなってきた。ダンゴムシになった気分。お腹に力が入っている。 

「吐き気もしてきた。トイレに行ってくる」

 椅子から立ち上がった。

「先生に言っておく」

 そう言った若菜に「下痢とかウンコとか言うの絶対やめてよね。腹痛って言ってよ」って言った。

 若菜がウインクをした。ヤバい若菜、これは言うパターンだ。

 でも、その時は本当にそれどころじゃないくらいお腹が痛くなっていた。

 クソー。皆勤賞狙っていたのに。授業遅れたら遅刻扱いだよね。苦しみながらも、脳裏に別の絶望が浮かんだ。


 二年五組の教室から少し遠い三年の教室へ。自分のクラスのすぐ近くに渡り廊下があって、そこを渡ると三年生の教室のあるフロアーにたどり着く。自分たちの建物と違って、真新しい白に壁が塗り替えられて、床も張り替えられている。キレイだ。

 一番手前の教室が見える。空っぽ。ここに机といすが納入されるのだろう。あと十日ほどで三学期も終わる。春休みが終わって新学期が始まったら新三年生として、この教室に入る。それまで、この教室はその瞬間を待ち望んでいる。

 十組まであるクラスは上の階と下の階に分かれている。そして、それぞれの階の中央に男女のトイレが隣り合って一つずつあり、そこを挟むように三部屋の教室。一番奥は自習室。トイレ、教室の前は廊下で、向かい合わせの部屋はない。

 今は誰も使っていないトイレ。やばい音や臭いを発する可能性が大のこの状態で、二年のトイレを使うわけがない。もちろんここしか選択肢はない。

 女子トイレの入り口前に血痕が落ちていた。それも複数。血は入り口からトイレの奥まで続いている。

 中村が言った言葉を思い出した。生理の血? まさか。そんなデリカシーのない女子いるか。でも、いるかも。ここは使われていないトイレだ。ばれないだろうし誰かが掃除すればいいなんて思っている、バカ女はいるかも。ああ、血をそのまま放置してもいいのか。でも、人の血を拭きとりたくない。

 個室に入った。奥のドアが半ドア。血痕はそこまで続いている。人の気配もある。誰かいる。下痢の音を聞かれたくないからここまで来たのに。意味ないじゃない。

 でも違うトイレに行く余裕はない。切羽詰まっている。全身鳥肌。とりあえず半ドア個室から一番遠い個室に入った。どうにでもなれ。音も臭いも。こっちはそれどころじゃないんだから。

 

 下痢ではなかった。爆発もしなかった。思い込みとは恐ろしい。ウンコはした。普通のバナナ的ないいウンコ。便意はあった。でも、吐き気も気のせいだった。お腹の軽い腹痛が終わって、すっきりした気分。個室で水を流して洗面台へ。手を洗いながら、半ドアの方を向いた。臭ったかな。しょうがない、ここはトイレだもん。しらんし。

 でも。陰で、ウンコ女ってあだ名をつけられても困るしな、一応口止めした方がいいかな。覗きにいこうか。誰もいない可能性だってある。トイレ中にドアを開けっぱなしにして用を足しているとか。ないない。そんな女子高生この世にいるか。いや、密閉空間が嫌いな人もいるって言うし。それで、この場所に来たとか。でも、こんなに長い時間いるってことは、やっぱ、ウンコじゃん。じゃあ、わたしのことウンコ女って言う筋合いないってことか。わたしはあなたとこと、そんな目で見ないわよ。うんうん。仲良くしようね。

 頭の中が妄想で膨らんでいく。

 そうっと中を覗いた。中に血まみれの死体が目を見開いていた。大声で叫び声をあげていた。


 警察が来たのは、それから一時間ほど経ってからだと思う。覚えていない。

 あの後、腰を抜かして歩けなかった。渡り廊下をはっていった。教室についてから授業をしていた古文の安川先生に死体を見つけたことを伝えて、それからはずっと保健室にいた。

 

 死体は西岡澄香先生だった。三年の担任。担当教科は倫理。選択科目だから教えてもらったこともないし、これからも教えてもらう予定のない科目だ。全生徒千二百人ほど生徒数のいるの普通科の高校。顔も知らない教師はいる。でも、彼女はマイナーな教科を担当していたのに知名度は高かった。大学を卒業したばかりで美人。目立っていた。

 保健室で、しばらくはカーテンで仕切られたパイプベッドの中にいた。布団をかぶり、ダンゴムシみたいに丸まっていた。わけもなく涙が流れて、手は震える。頭が痛くて割れそうだった。

 少しだけ落ち着いてきてベッドから這い出て、カーテンの隙間から顔を出したら、保健室の水野先生においで、大丈夫だからって手招きされた。

 それから椅子に座って暖かいココアを飲んだ。勝手に涙が流れた。先生が抱きしめてくれて、大丈夫だからって何度も言ってくれた。相変わらず鼓動は早いけど、手が温かくなってきた。

 あのあとすぐに授業は中止になったらしい。担任不在の、ホームルームという名の待機。職員会議の後、クラスは解散。二人は呼ばれて、職員室に行き警察官と先生に事情を聞かれた。生徒は全員強制下校になったが、若菜もゆずもわたしのそばに来てくれた。

 机と椅子の搬入は中止。明日から臨時休校になったらしい。再開日時は未定。もしかしたら、このまま春休みに突入するかもしれない。

 わたしたちはカーテンの仕切りの中に入って、ベッドの上に上がった。三人でいろいろなことを話した。亡くなった先生の事、腐っていたおにぎりのこと。三年生のトイレのこと。そして、血痕。あれは殺された先生のものなのだろうか。

 首に携帯をぶら下げている。手に取って検索したけど事件のことは何も出てこない。今夜のニュースでは出てこないのかな。服の中に目立たないように押し込んだ。

「事件のことは、先生たちと一部の人しか知らないと思うよ。あのあと、別室に連れていかれてトイレのこと聞かれたけど、そのあと口止めされたから」

 若菜が言うと、「ゆずもそう」とゆずも言う。

「たぶん、なんでホームルームになって急に帰されたのかみんな知らない。でも、こういうのは情報は出ちゃうものだから。出る前に学校から連絡はあると思うけど」

 若菜は冷静だ。

 女の警察官が保険室に入ってきた。わたしはそのときは、やっと落ち着いてきた。個室で話したいって言われたけど、ゆずが拒否した。ゆずはわたしの手をしっかり握ってくれた。

 仕切られたカーテンから出て、保健室の先生用の机の横の丸椅子に座らされた。警察官は先生が使う椅子に座った。水野先生は部屋から出された。机の上にノートとバインダーを投げるように置いて、わたしの方を向いた。ゆずと若菜はわたしの後ろに立っている。

「あんたたち、出て行ってくれないかな」

「イヤです」

 こんなときのゆずは強い。大好き。若菜は何も言わなかったが、わたしのそばから離れなかった。友達って大事だ。ありがとう。

「なんで、あのトイレに行ったの」 

 警官が言う。彼女はわたしより身長が低かった。年下に見える。ずっと、わたしを睨んでいた。疑われているのかもしれない。それとも、威嚇しているのかも。

「あのときは激しい下痢だと思っていたんです。個室で大きい方をしていると思われたくありませんでした」

 恥ずかしいとか言っている場合ではない。

「なんで。腹痛でトイレって言ったら大だろう」

 なんで、怒鳴られるんだ。わたしは死体を発見しただけだ。犯人じゃない。

「血痕がありました。女子トイレの入り口に。その時は生理の血だと思っていたけど、犯人が死体を運んだ時についた血かも。なんていうか。今考えると不自然なんだけど。なんで、あのときあの血を見てそう思ったのか。血痕自体も少し大きくて。直径4cmくらいで。サイズ感違うかもしれないけどそれくらいで、ポタポタ落ちてて」

 急に脳裏に西岡先生の顔が浮かんで、ぎゅっと目を閉じた。

「そもそも、なんで二年生の女子トイレに行かなかったわけ。お腹が痛かったんでしょ、早く出したかったんでしょ。近くのトイレに行くでしょ」

 婦警の口調が荒い。

「うちの学校、乙姫ないので」

 ゆずが警察官を睨みつけながら、口を挟んだ。

「わかりますよね、女子なら。トイレットペーパーをわざと大げさに引っ張って音を鳴らしたり、水をなんども流して聞かれたくない音を消すんです。それで、本当に流したいときにタンクの水がなくなって流せなくなったりして、個室からしばらく出られなかったりするリスクを負うんです。そんな経験ないんですか。女子は大変なんですよ、音を消すための努力が。誰もいないトイレが少し先にある。大なら迷わずそっちに行くでしょ。あんた、経験ないのかよ」

「それはあなたの個人的な意見でしょう。わたしは吉田桃子さんに聞いてるの」

 警察官の顔が引きつっている。

「わたしは疑われているんですか」

「殺人なのは確実だから、誰かがウソをついてることになるわよね。あなたがってわけじゃないけど」

 彼女は舌なめずりをした。まるで、獲物をねらうケモノだ。

「帰ってもいいですか。他のクラスの子帰っているみたいなんですけど」

 こんな警察官と同じ空気を吸うのも嫌だ。

「あなた、重要参考人なんだよ。死体発見したんだから、捜査に協力しなさいよ。私下っ端だから上司の命令に逆らわれないのよね。あなた、西岡先生知っているわよね。殺したの」

「はあ? 」

 若菜とゆずが大声を出した。

 やっぱり疑われている。わたしの輝かしい優等生人生に泥をつけるつもりなのだ。指定校推薦なくなるかもしれない。人が一人死んでいるのだから、それどころじゃないか。

 保健室の水野先生が戻ってきた。若い警察官はここから出された。先生が警察に抗議をしてくれたらしい。でも、保健室からわたしがでないことが条件だった。犯人扱いだ。

 家に戻れないが、二人は帰らずそばにいてくれた。二人も渡り廊下を渡って三年生のトイレにいっていたらしい。別室で事情を聴かれたときは、この若い女性警官ではなかったという。

 わたしたちはベッドの上に上がって、仕切りのカーテンで中を見えなくした。誰にも聞こえないように小声で話した。

「ゆずは半ドアの個室を見た? 」

 わたしの問いにゆずが答えた。

「そんなの見てない。あのときは授業中だったし個室はたぶん誰も使ってなかったよ。誰かがうまく潜んでいたら、そうかもしれないけど。そんな感じはしなかった」 

「若菜は何か気づかなかった? 」

「うーん。わからない。誰もいなかったと思う。でも、帰るときに女子トイレ入り口に血痕が付いていたのは知ってた。殺人の血とは思っていないから、げげって感じだった」

「そこはわたしと一緒だね。小さいのと、中くらいのと」

「うん」

 わたしは腕を組んで考えた。

 ゆずは二時限目、若菜は三時限目、わたしは休み時間から四時限目にトイレに行った。ゆずのときは死体がなかったけど、わたしのときは死体があった。

「若菜、変な音聞こえなかった? 」

「下痢が絶好調で、自分のすごい音しか聞こえなかった。でも遠くかな、なんか引きずるような音がしていたような。でも、分からない。自分の下痢と腹痛でそれどころじゃなかったから」

 若菜がトイレの個室にいたとき西岡先生は殺されたのか、もしくはすでに殺されて移動した可能性ってあると思う。推測だけど。若くて美人。好きだった男の先生はいたと思うし、気に入らなかった女の先生もいただろう。先生だけじゃない、生徒だってあやしい人はいるはず。だから、わたしは疑われてるんだ。

「ユウカ先生って教室に入る時間が少し遅れたよね。二組でテストの間違いを指摘されたって言ってたけど、二時限目に二組で現文あったのかな。たしか、一時限目じゃなかったっけ」

 若菜が言った。

「なんで」

 思わず身を乗り出す。

「二組の市川がうちのクラスに教科書返しに来てたらしいんだよね。一時限目の休み時間に」

「まじで」

 声が裏返った。

「朝のホームルーム前に教科書貸してって市川が言ったのを見たよ。それで、吉永が貸していた。別にその時は何も思わなかったけど。で、返しているのも見た」

 ゆずが言った。

「それだけじゃないよ。ユウカ先生と西岡先生がバトっているのも見たことがあるし」

「えぇ」

「去年西脇第二から大和先生がきたでしょ。イケメンとはいいがたいけど、それなりの。二人で取り合ってるってうわさは聞いたことがある」

「それ、聞いたことある」

 若菜も言った。

「ユウカ先生三十五だし、崖っぷちじゃない。西岡先生は二十代。美人だしスタイルいいし、それでムカついてるとか。ゆずはユウカ先生大好きだけど」

「そんなことで人殺すかな」

 ほほに手を当てて考えた。

「二時限目に授業があった的な話してたけど、ウソじゃん。そのときに殺したとか」

 うーん。あのときは、ユウカ先生がそんな風に言っていたように聞こえたけど。別に二時限目に授業をしたとは言ってないしな。

「一時間目二組の現文の授業があったとするでしょ。テストの間違いを指摘されました。二時間目は職員室で安川先生と、テスト問題をどう取り扱うのか相談して全員を加点することに決めた。それから先生を殺して、少し遅刻して五組に来た」

 そう言いながら頭をかいた。ムズイ。こんなことするのムリだ。

「安川先生には二時間目に授業を受け持っていたので相談できませんでした。とりあえず西岡先生を殺してから三時間目の頭で、安川先生とテストの配点を相談して五組に来ました。これでどう」

 頭がこんがらがってくる。こんなこと、できる? 時間に追われながら犯行に及ぶなんて。

「そもそも、安川先生と相談したってこと自体がウソの可能性もあるよね」

 若菜が口を挟む。

「ユウカ先生がそんなウソ言うわけないんだけど」

 ゆずが口をとがらかした。いやいや、疑わしい材料を出してきたのはあなたですけど。

「これ本当ならドラマになるね。愛憎劇、三角関係。おおおおお。大和先生も罪な男ですな」

 ゆず。いったいあなたはどっちを向いている。

「ゆずはずっとトイレの個室にいたんでしょ。ユウカ先生が二時間目に事を起こしているんなら個室が半ドアだったはずだよ。死体もない、血痕もない。二時限目にアクションは起こされてないね。それで考えるとユウカ先生は無実だよ」

「そうかな。よかった」

 ゆずの安堵の声。

「三時限目に何かがあったとしか考えられないよね。ドアが半ドアになっていた時は、死体が入っていたと考えた方が自然じゃない」

 ない頭で結論づける。

「じゃあ、大和先生が西岡先生にしつこくされて殺したって可能性はないかな。大和先生は三年生の担任だし、今なら暇だし、殺す時間もたっぷりある」

 若菜が興奮して言った。

「愛憎劇。モテる女はつらいね」

 ゆずも興奮している。

「恋愛を絡めるってどうなのよ」

 いつも女が男のことで頭がいっぱいって考えは、気に入らない。吐き気がする。

「かわいさ余って憎さ百倍っていうじゃない。振り向いてくれなかった時の恋の憎悪は半端ないんだって。殺したくなるものなんだよ。そうでなくても、西岡先生のうわさはすごいよ。男を手玉に取る悪魔って聞いたことある」

 どこからの情報だよ。ゆずはかわいいとかあざといとか無縁なのに、男女関係に興味があるのか。しらんけど。

「中村だったりして」

 ゆずの言葉にのけぞった。

「中村って、数学の、あの中村? デリカシーなくて短足で小太りの。ないない。絶対ない。殺されたのは西岡澄香だよ。恋の魔術師、テレビに出てもいいくらい美人でスレンダー、二十四歳の。中村は四十五。うちのママと同じ年だよ」

「そうだよ、ゆず。ありえない」

 若菜も否定する。

「中村と付き合ってる説聞いたことあるんだよな。複数の目撃証言ありだよ」

 ゆずは言い張る。

「ないない。絶対ない」

 若菜がしっかり否定する。

「若菜には女の気持ちが分からないんだって。女は魔物だよ。中年男をもてあそぶ女はいるんだよ」

「わたしにも、恋の魔術師とか、わかりません」

 こっちもしっかり否定する。

 ゆずにはびっくりした。恋愛マスターだったなんて。しらんけど。

 時計を見る。もうすぐ八時。ああ、最悪。塾はとっくに始まっている。こんな無駄な時間を過ごして。わけのわからない推理をして。ボランティアしていた方がましだった。

 

 保健室の外が騒がしくなってきた。大きな音がして、大声が聞こえてサイレンが聞こえた。わたしと若菜をベッドに残して、ゆずがドアを開けて顔を出した。わたしと若菜も遅れて顔を出す。

 さっきの警察官が廊下に出ている椅子を片づけている。廊下には長机やダンボール、バインダーなどが置かれていた。白髪のある男の警察官が台車に荷物を乗せて出口の方に運んでいるのが見えた。これが彼女の上司? イメージと違う。ドラマチックじゃない。

「どうしたんですか」

 わたしの言葉に、あの女性警察官が振り向く。

「犯人が確保されたの。撤収よ」

「はぁ? 」

 ゆずの言葉が耳元で聞こえた。

「何それ。もう帰っていいってこと」

 若菜も言う。

「うん、ありがとう。帰って」

 一瞬だけ振り向いて、すぐに片づけ始めた。

「なにそれ、おかしいでしょ。さっきあなた、わたしのこと疑っていましたよね」

「はいはい。帰って。おつかれさま」

 警官はバツが悪いのかこっちを見ない。

「せめて犯人とか教えてよ。こっちは保健室で監禁されていたんだから、あなたに」

「やあね、監禁なんかしてないわよ。任意、任意」

「ふざけんな。犯人は誰なのよ」

「そんなこと、高校生のあんたたちに教えられるわけないじゃん。ニュースで確認しな」

 はらわたが煮えくり返るってこのことを言うのか。

 わたしは服の中に納まっていた携帯を首から取り出した。

「わかった。そっちがそう言うんなら、さっき録音した内容を校長のところに持っていって、抗議してもらう。いや、マスコミにネットで送った方が早いか。SNSもいいよね」

「録音」

 警察官がやっと振り向いた。顔が恐怖でゆがんでいる。

「別の携帯で録画もしています。あなたの顔ばっちり映ってます。監禁されたことも犯人扱いされたことも、不当に扱われたことも、全部。こっちは死体見つけて動揺して。あんたと違って未成年なんだよ。ケアされるべき人間なんだよ。あんた、わたしにどんな言葉を浴びせたか、忘れたわけじゃないよね」

「ちょっと、やめて。冗談よね」

 警官が引きつり笑いをしている。

「脅迫する気? 」

「犯人教えてって言ってるの」

 動画も録音もしてないけど。震えている姿見たら、言葉がどんどん過激になってきた。

「犯人教えたら、動画も録画も削除する」

 少し黙っていたが、つぶやいたように言った。

「中村圭佑」

 思わず叫びそうになった。ウソ。二時限目の数学の授業の後、人殺ししたってことだ。

「被害者にずっと告白していたけど相手にされないでカッとなった的な。三年の教室に死体を隠していたけど、急に業者が来ることになってとりあえずトイレに隠しなおしたら、あなたに見つかったのね」

 びっくりして、声もでなかった。

 若菜がトイレにいるとき死体を運んだんだ。若菜が帰りに女子トイレで血痕を見つけたとき、奥では死体を必死に隠している最中だったんだ。まさか若菜が個室でこもっているなんて気づかなかった。若菜の恐ろしい下痢の音も水の流れる音も気づかなかったに違いない。

 わたしが入り口手前の個室に入ったときに隠すのを断念して逃げたのかも。ウンコする前に覗かなくてよかった。下手したら殺されていたかも。

「勘弁して。話したのばれたら上司に怒られるから。今のも私に聞いたなんて絶対に言わないで。早くデーター削除して」

「はいはい」

 警察官を無視して保健室に入った。保健の先生に犯人が捕まったことを伝えた。中村が犯人だと言ったら、複雑な顔をしていた。

 わたしはゆずと若菜を抱きしめた。二人も私を抱きしめてくれた。

「ありがとう。犯人に疑われてつらかった。ゆずと若菜がそばにいてくれたから、乗り越えられた」

 ゆずのことは大好き。大事な女友達。若菜も好き。男の親友って、こんな感じなのかも。

「男の子がいると、ちょっと安心かも。若菜雄三くん」

「あのさあ、下の名前を呼ぶのやめてくれる。古臭い名前、大嫌いなんだから。桃子はいいよ、かあちゃん若いから。うちのオカンは六十前なんだからね。ネーミングのセンス疑うよ」

「まあまあ、若菜が男でよかったよ。女子トイレの個室で下痢なんかしてたら中村に殺されていたかもしれないんだからさ。男子トイレにこもっててよかったね」

最後まで読んでいただきありがとうございます。もし、読んでいただけたなら読んだよ、って一言お願いします。読んだのか、途中で「面白くない」とやめたのか、知りたいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ