令和3年4月10日(土)「雌伏の時」澤田愛梨
「お待たせー」と10分遅れでヒラヒラしたフリルが目立つ少女が現れた。
高校生にしてはやや幼い服装だが、彼女にはよく似合っている。
これからデートに向かう出で立ちの高月怜南は悪びれることなく「可愛いでしょ」とひらりと1回転した。
「ボクじゃなくて彼氏に見せればいいじゃない」
以前、高月は彼氏がいると話していた。
他人のことには興味がないものの、一度聞いたことは忘れない。
「別れたの」と微笑んだ高月は「だから、代わりにつき合って」と身体を寄せてくる。
ハッキリ嫌だと顔で示したのに「日々木さんとの予行演習だと思ってさ」と彼女は悪戯っぽい視線をボクに送る。
答えないでいると、彼女は「諦めたの?」と顔を至近距離まで近づけてきた。
メイクによって際立つ長い睫毛がボクの目の前まで迫る。
複雑に混じり合った彼女の芳香がマスクを越えて鼻腔にまで届いた。
ボクが身体を仰け反らせて「諦めてなんかいない」とキッパリ言うと、「じゃあ、いいじゃない」と高月はこちらの腕に自分の腕を絡みつけてきた。
そして、駅前にあるコーヒーチェーン店の名前を挙げて「今日のデートコースはそこからね」と楽しげに囁いた。
晴れてはいるものの気温はそれほど高くはない。
これ以上ここで口論を続ける不毛さを感じて、ボクは彼女に引っ張られるままついて歩くことにした。
高月と会うのは久しぶりだ。
受験シーズン真っ最中は余裕がない様子で、ボクと会話することもほとんどなかった。
合格の報告は受けたが、それきり疎遠になっていた。
そんな彼女から昨夜突然連絡が入った。
メッセージには『明日デートしましょう』と書かれていた。
高校生活はまだスタートを切ったばかりで、部活も始まっていない。
ヒマだったボクは特に何も考えずにそのふざけた提案にOKと返事をした。
初めて入ったコーヒーショップで、高月は呪文のような言葉をスラスラ口にした。
ボクがメニューを見ていると、彼女は「これが良いよ」と横から口を挟む。
慣れていないボクは肩をすくめて「それで」と応じた。
やけにハイテンションな高月がボクに代わって注文を済ませた。
土曜日の昼過ぎの店内はかなり混雑している。
空席はまばらで、注文の品をボクに持たせた高月が先を歩いて席を探した。
ふたり掛けの席を確保し、向かい合って席に着く。
ボクはマスクを外すと、早速口をつけた。
「美味しい?」と高月が覗き込むようにこちらを見る。
その得意げな微笑みを見ると彼女と本気でデートをしているような錯覚に陥る。
ボクは素直に答えるのが忌々しくて、フンと鼻を鳴らした。
対面の彼女はそれをニヤニヤしながら眺めていた。
ドリンクをしっかり味わってから「今日は何?」と問い掛ける。
彼女は貼りついた笑顔を浮かべたまま「やーね、デートじゃない」と答えた。
「そういう戯れ言につき合う気はない」「そんな態度じゃ日々木に嫌われちゃうよ」「高月には関係ない」「こうして協力してあげてるじゃない」「からかっているだけだろ」「えー、今日は日々木さんっぽい服装にして来たんだからさ、日々木さんだと思ってエスコートしてよ」「彼女はもっと可愛いし、天使のように心が清らかだ。高月じゃ代役にならない」
矢継ぎ早の会話のあと、ひと呼吸置いてから高月が「少しは進展あったの?」と聞いた。
ボクは視線を逸らせて「同じクラスになった」と回答した。
高月はやれやれという顔で「臨玲はどう?」と話題を変える。
ボクは再び前を向いて「意外と普通だね」と感想を述べた。
「お嬢様学校って言うからとんでもない連中ばかりって想像していたけど、日々木さんや日野に匹敵するような子は……ほとんどいないね」
「ほとんどってことは、何人かはいたの?」と高月は驚きの顔をする。
「ひとりね。初瀬紫苑が同じクラスにいた」とボクは声を潜めた。
高月のパッチリした目が大きく広がった。
ここまで驚くことかとボクの方が驚いたほどだ。
「初瀬紫苑って、あの初瀬紫苑?」と彼女の声はうわずっている。
ボクが黙って頷くと、「私も臨玲に行けばよかった」と本気で残念がっていた。
その態度に戸惑いながら「そこまで言う?」と嘲るように言うと、「だってあの初瀬紫苑よ! 私たちの世代のカリスマじゃない! ファッションもそうだけど、その存在っていうか、生き方っていうか、すべてが憧れでしょ」と彼女らしからぬ熱弁が返って来た。
ボクも初瀬紫苑の名前は知っていた。
だが、高月のような思い入れはまったくない。
そこまで熱烈な支持者がいることも知らなかった。
確かに臨玲で初瀬紫苑は独特の雰囲気を醸し出している。
明らかに普通の一般人とは異なるオーラの持ち主だ。
ボクですら話し掛けるのを躊躇ってしまう。
ほかの1年生も遠巻きに眺めるだけだ。
いまのところ彼女と普通に接しているのは日野ただひとり。
日野もまた入学式の騒動により近寄りがたい存在だと思われているようだった。
「紹介してよ」と高月は無茶を言う。
「ボクより日野に頼んだ方が良いよ」
できることなら初瀬紫苑には関わり合いになりたくない。
そう思わせるものが彼女にはあった。
目の前の相手にもそれに近いものがある。
初瀬紫苑はそのパワーアップ版だ。
もしかしたら高月のお蔭で「近づくな、危険」のセンサーが働くようになったのかもしれない。
日野と初瀬紫苑だけが注目される現状を伝えると、高月は「自称天才クンは埋没しているのね」と皮肉を言った。
ボクは胸を張り「これから巻き返すさ」と宣言する。
現時点で差があることを認める程度にはボクも大人になった。
いまは及ばなくても高校生活は3年間ある。
その間に日々木さんに相応しい人間になってみせる。
さらなる皮肉が飛んで来るかと思っていたら、「そのバカみたいな自信は羨ましいわ」と自嘲気味の言葉が彼女の口から飛び出した。
ボクはバカという言葉を華麗にスルーして、「高月らしくないな」と笑ってやる。
「うちの学校、女子のレベルは高くないのよ。だけど、みんな頭が良さそうな顔をしているのよね。自己紹介の時だって、部活を頑張るとかボランティアに励むとか余裕を見せてくるし」
「心配することはないよ。ボクのような天才は滅多にいないさ。高月は凡人の中では優秀なんだから、いままで通りの努力をすればやっていけるさ」
睨みつけてくるかと思ったが、彼女は溜息を吐いただけだった。
そして、「努力すれば報われるだなんて恵まれた者のセリフでしょ」と腹立たしげに吐き捨てた。
だが、「とは言っても、努力もせずに愚痴るだけじゃあ最低よね」と目を細めてボクを見る。
「ボクが成功を収めた暁にはお情けで恵んであげるから楽しみに待っていて」
「余計なお世話よ。第一、ちょっと頭が良いくらいで成功するほど甘くはないわ。私は貴女が落ちぶれていくのを見ることが楽しみなの」
嫌味の応酬はやがて未来の設計図を語り合うものへと変わっていった。
高校での活躍、大学への進学、大人になって成し遂げる目標。
いまは叶わぬ夢物語かもしれないが、ボクたちには時間がある。
どちらが成功を収めるかの競い合いは、うるさいと店から追い出されるまで続いた。
††††† 登場人物紹介 †††††
澤田愛梨・・・高校1年生。私立のお嬢様学校である臨玲高校に在籍。自称天才だが、その名に恥じぬ抜群の記憶力を有している。小学生時代に周囲から疎まれた経験があり、自分の実力を隠すようになっていた。試験でも手を抜いていたが中学3年生の時に日々木陽稲に魅せられ隠すことを止めた。陽稲を追って臨玲に進学した。
高月怜南・・・高校1年生。公立の進学校に通っている。かなりハイレベルな高校で、必死に勉強して入学した彼女はついていけるのか不安を抱いていた。他人が苦しむ姿を見るのが好きという捻くれた性格の持ち主。自称天才の愛梨をからかいの対象にしていたがその実力を目の当たりにして学力などは認めるようになった。ただし愛梨の人間性はいまもその対象とみなしている。愛梨とは中学3年生時のクラスメイト。
日々木陽稲・・・高校1年生。臨玲高校。ロシア系の血を引き日本人離れした容姿の美少女。天使や妖精と称される外見だけでなく、その優しい性格に愛梨は魅了されている。しかし、彼女は可恋一筋。愛梨とは中学3年生時のクラスメイト。
日野可恋・・・高校1年生。臨玲高校。傑出した頭脳と運動能力の持ち主。中学生にしてNPO法人の代表を務めていた。愛梨の臨玲進学が決まってからコンタクトを取り、陸上を続けるのか尋ねた。続けると答えると練習メニューを作成し定期的に連絡を取るようになった。愛梨とは中学3年生時のクラスメイト。
初瀬紫苑・・・高校1年生。臨玲高校。令和元年の12月に公開された『クリスマスの奇蹟』という映画で一躍ブレイクし、翌年のクリスマス映画では主演を務めた。事務所の方針で映画一本に絞り露出も抑えている。それでも同世代に熱烈なファンが多い。
* * *
「絶対いいように利用されるわよ」
ボクが日野と連絡を取っていると言うと高月は眉根を寄せた。
彼女に言われるまでもなく、その危険は理解している。
「別にいいよ。いまはね」
本物のデートのようにウインドウショッピングを楽しみながら街中を歩く。
高月は好意から忠告してくれたのだろうが、ボクの考えは違う。
「天才といえど経験を積む必要があるからね。日野には健康問題がある。必ずボクの力を求める時が来るさ」
高月は呆れ顔だが、ボクは心配していない。
きっとチャンスは来る。
その時のために爪を研いでおけばいい。
ボクは天才だ。
機会を逃しはしない。




