69 お人好しと危険な夜会(3)
「ルーカス殿下!それは一体どういった……」
ルーカス殿下の登場で分かりやすく、焦り出したお父様は早口でそう言った。
ルーカス殿下は依然笑顔のままで、あちらから見たら恐怖でしかないのだろうと少し同情してしまう。
「これら確かに貴方が書いたサインと印章ですね。」
「それは……確かにそうだ!ニコラが不敬罪と聞いてアーレント家から追い出した時のものだ。ほらっ、見ろお前はここに居ていい人間ではない。」
再び私に刃を向けるとお父様は焦りと同様で醜さが増した顔で私を睨んだ。
「内容をしっかりお読みになってから発言なさった方がよろしいかと。」
話す気も起きずそれだけ言って目を逸らした。
「では読みあげよう……『ケヴィン・アーレント、ドリス・アーレントは娘を虐げ貴族としてあるまじき行いをした。それに伴いアーレント家としての権利を失い、全ての権利、侯爵位をニコラ・アーレントに譲る。永遠の社交界追放を命ずる。』」
表情を全く崩さず淡々と読み上げられる内容に元家族の顔が見たことがない程に歪められる。
「どういうことだ。あの時……」
「どうなっているの!?あなた……あの時しっかり読まなかったのね。どこまでも使えないわね!」
お母様が狂ったように叫ぶ。そんな姿を見てお父様も平常心が保てなくなったのかその場に崩れ落ちる。
「そういう訳ですのでさようなら。」
これ以上元家族の醜態を見ていても仕方が無いのでカールハインツ殿下の元へ行こうとしたら足を掴まれた。
「な、何をするつもりですか?」
突然のことに少し間抜けな声が漏れてしまった。
「ニコラ、助けてくれよ!お前は俺の娘だ。だから助けてくれ。悪かった、今まで悪かったから謝るよ。」
「そうよ。ニコラ、私達が貴女を育てたのよ。助けてくれるわよね、お願いよ!」
豹変した態度に驚いているのは私だけではない。周りの貴族たちの目も冷たさが増した。
「あら?もう二度と関わらないで欲しいと言っていましたのに。それに、謝罪されても私の時間が戻るわけでも辛かった事を忘れるわけでもありませんし。」
そう言っていつものように作った笑顔を向ける。
どんな理不尽もこの笑顔で本音を隠して生きてきた。彼らにとって都合のいい私と笑顔はこの状況では悪魔の微笑みにも見えるのだろうか。
「誰か、この女を止めてくれ!」
私が助けないと分かると今までお父様を取り巻いていた令嬢たちの方を向いて叫んだ。
当然ながら帰ってきた言葉は彼の望むものではなかった。
「貴方のやった事は貴族としてあるまじき行為ですわ。許されることではありません。」
「恥ずかしい方ですわね。」
と口々に言い出した。小さな声では、「お金も地位もないあいつに価値ないし。」「平民の分際で話しかけないで欲しいわ。」等と聞こえるがそれについては触れないでおこう。
「ドリス、どうすればいいんだ!?」
今にでも失神しそうなお母様の肩を掴み揺さぶりながらお父様はお母様顔負けのヒステリックさで喚き散らした。
「静粛に。その者には退場を願おう。拘束して連れて行け。」
突然響いたカールハインツ殿下の声でお母様とお父様は兵士達に捕まえられ連れて行かれた。
最後に目が合った。唇だけで『さようなら』と言った。
「ちょっと私は、私はどうすればいいのよ?」
取り残されパニックになったルイーゼは私に掴みかかろうとしてきた。
慌てて後ろに引こうとすると、ルイーゼの腕を誰かが掴んだ。
「私の婚約者に手を出さないで頂きたい。」
「殿下……ありがとうございます。」
形の良い美しい手が掴んでいるルイーゼの腕は震えている。
「い、痛いわ。」
可愛こぶった声でルイーゼは言うと会場を見回した。
その様子に殿下は目を細めるとルイーゼの方を見た。
「それは、すまないな。」
悪いとは全く思っても無い顔で言うと私を庇うように立って下さった。
その様子にルイーゼは不機嫌そうな顔で私を睨むと
「カールハインツ殿下ぁ〜。その女より私の方が可愛くありませんかぁ?」
突然、甘ったるい声を上げて殿下の腕を掴んだ。上目遣いで殿下を見るその顔は、餌を見つめる猿さながらであった。
嫌だな……殿下に触らないで欲しい。
「婚約者には私がなりますよぉ〜?そういえば〜お姉様はホントは私の事すっごく虐めてたんですよ。殿下はその女に騙されているんです。目を覚まして下さい!」
何も喋らない殿下に、言いたい放題のルイーゼに何も言えなくなり、殿下を見上げた。
「それだけか……?」
殿下はそれだけ言うとルイーゼを見た。それだけとは私がルイーゼにやった事は虐めた事だけかと聞いているのだろうか?
「いえ、婚約者を取ったり、ワインを掛けたり仕事を押し付けたりしましたぁ。ほんとに酷いんですぅ〜。」
殿下の態度に希望を持ったのか更に甘い声で殿下に近づく。それに、今言ったこと全部私にルイーゼがやったことではないかと思うのだけれど。
「それだけか……言い残すことは。」
今まで見たことがないくらい冷たい瞳でルイーゼを見下ろす殿下に周りの貴族も同じくらい冷たい視線でルイーゼを射抜いている。
「言い残す?ですから私は」
突然のことにルイーゼは焦りながらそう言ったが次の瞬間、やや雑な動きで腕を振り払われていた。
「きゃあ!」
「触るな。穢らわしい。これ以上ニコラの事を貶してみろ……今までの暮らしを送れると思うな?」
抑揚のない声で言うと兵士に指示を出した。
「ルイーゼ……」
最後に何か言おうと口を開いたが言葉にならず戸惑う。
「何よ!あんたのせいで全部滅茶苦茶、最悪よ!」
兵士に拘束されながらも、最後まで恨み言を忘れないルイーゼにもはや尊敬の念が生まれそうだ。
三人が居なくなり静かになった会場は呆然とした空気が立ち込めている。
「私、カールハインツ・グレーデンはニコラ・アーレントと婚約する」
そんな中カールハインツ殿下が静かに口を開いた。