50 お人好しと残念な人
「ただいま帰りました。」
誰に言うわけでもなく小さな声でそう言って重たい扉を開いた。
家族には気付かれたくないが黙って入るのも気が引ける。
セーラも居ないのかな?
最近何か忙しそうだったし仕方ないか。
「ニコラ、殿下とはどうなんだ?早く結婚しろよ。私の地位が上がれば更に金に目のくらんだ御令嬢達が…………ぐふふ」
鼻の下を伸ばした気色の悪い笑みを浮かべなが、突然現れた父に不快感しか感じなかった。
「お父様にはお母様がいますよ。」
言っても無駄。聞く耳を持たない、そんなこと考えなくたって分かってはいるのに……
今日はどうしても一言言ってやりたい気分になってしまった。
「あんな気の強い女、顔が良くてもダメに決まっているだろう?女は男に従うくらいがいいんだよ。お前も親に口答えとは生意気だ!」
この人の貞操観念ってどうなってるのでしょうか?
前から思っていましたがそろそろ、この人の娘という事が恥ずかしくなってきましたね。
呆れてものも言えないとはこの状況の為に用意されたみたいですね。
なんて、考えても口には出せない。
昔から誰にも怒られない良い子でいたかった。その所為で自分の考えすらまともに主張出来なくなってしまった。どうしようもない親を諌めるくらいすれば何か変わっていたのかもしれない。
今更考えたところで何も変わらないのは分かっているけど。
「恥ずかしくないのですか?侯爵家の人間がこんなことを続けて。」
思わず言ってしまった。今まで抑えていた気持ちが溢れ出してしまい、言葉は止まらない。
「何を言っている?あの女の方が幾分かマシだな。お前は本当に最悪だ。恥ずかしいだと?誰のお陰でこの家に居られると思っているのだ。」
私の言った言葉など耳に届いていない。人に責任を押し付けて罵ることしか出来ないのね。
……残念な人だ。
この人が私を追い出せば、私はアーレント家の人間でもなくなり居場所は無くなるだろう。
権力ばかり振りかざして何になるというの?
この人が真面目に仕事をやらなくて良かったかもしれない。領地の人達が酷い目にあっていただろう。
「失礼します。」
「おいっ!待て!俺は、いつだってお前など簡単に追い出せるんだからな。」
相手をするのも馬鹿らしくなり自室に戻ろうとした私の背中に父は何やら叫んでいる。
勝手にすればいいのに。私だって望んでこんな場所に居る訳では無い。
私はあの人に父親らしい事をして貰っただろうか?
考えてみても幼い頃から私への対応は優しいものとは言えなかった。
彼の私への思いなど無関心から道具へと見方が変わったくらいだろう。
悲しいのか怒っているのか、それとも失望か。
最早、自分が家族に抱いている気持ちがよく分からなかった。
アーレント家の為と思いここまで自我を抑え生きてきたというのにその見返りがこれなのか?
アーレント家など、没落してしまえば良かったのかもしれない。
ここでそんな風に思ってしまったら今までの自分を否定する事になる。
何度この言葉を自分に言い聞かせたか、数え切れないが漠然と植え付けられたアーレント家の存続に徹する事が生きる意味になっていた。




