39 お人好しの焦燥
「ニコラ、大切なことを思い出したわ!」
大切…………それはユリウス様のことだろうか。新しい情報に期待しながら彼女の言葉を待った。
「私の侍女が私達のことを隣のテーブルから睨みつけているのよ。私は本当はもう帰らなければならないのよ。」
「フィリーネ様、今頃、奥様が怒ってその様子を怯えながら見ている旦那様が精神をやられてしまいます。帰りましょう。一時間待ったのですからいい加減戻らなければなりませんよ。」
隣のテーブルには、背の低い可愛らしい侍女と思われる女性がいた。
見た目とは裏腹に口調は厳しい。
「分かったわよ。さぁ、帰るわよ!では御機嫌よう。」
焦った様な顔をしたフィリーネは私に向かってそう言った。
「待たせておいて突然走りださないで下さい。」
私がぼんやりと会話を聞いているうちに二人は忙しなく去って行った。
侍女とは仲がよさそうだったな。少し意外だ。
始めは憂鬱だったが案外フィリーネとの時間を楽しんでいたようだ。
店の外に出るとセーラが荷物を抱えて待っていた。
「待たせてしまってごめんなさい。あら?その箱は……」
セーラの荷物に目を向けると見覚えのある箱があった。
「ニコラ様が愛用している香油ですよ。そろそろ無くなる頃ですよね。」
ルイーゼがいつも欲しがる香油だ。明日もユリウス様と会うとか言ってたな。
今日中に説得しないといけない。
「ありがとう。そろそろ帰りましょうか。」
私達は急いで帰宅した。
私はルイーゼを止めるためだが、セーラもどこか落ち着きがなく焦っているようだった。
「おおー!ニコラ、今帰ったのか。殿下とは上手くいっているんだろうな?お前みたいな役立たずがやっとアーレント家に貢献できるんだ。しくじったら家から追い出すからな。」
一刻も早くルイーゼを止めないとならない状況なのに父に会ってしまった。
いつもは何とも思わないが最近感情的になり過ぎたせいか、今焦っているせいかは分からないが妙に腹立たしく思えた。
「失礼します。」
このままでは余計なことを言ってしまいそうと思いそれだけ言って、妹のもとへ向かった。
「ルイーゼ居るかしら?少し話があるの。」
扉を軽くノックしてそう言った。
「何かしら?上質なドレスでも手に入ったの?」
そんなことを言いながら面倒くさそうな顔でドアを開けた。
「時間が無いから単刀直入に言うわ。ユリウス様と距離を置いた方がいいわ。彼に関わると危険なのよ、それにアーレント家の没落にも繋がるわ。」
ルイーゼが私の言う事を聞くと願って口を開いた。
「お姉様、ユリウス様が私を選んだ事がそんなに悔しいの?惨めね。お姉様は結婚なんてしないでずっと働いてればいいのよ。ユリウス様だって私と結婚した方が幸せになるって決まってるわ。」
私の気持ちなど全く分からないルイーゼは好き勝手に言っている。
たしかにあの話が本当ならばユリウス様は幸せになるかもね。
密輸の罪をアーレント家に着せることができて。
「話はそれだけ?そうだお姉様、何でもいいから香油を下さらない?もう使い切ってしまったのよ。明日もユリウス様と会うのに付けていかなくちゃ。」
ルイーゼは信用出来ないから全てを話すことは出来ない。アーレント家の没落と聞いても何も気にしないなんて…………。
しかし、話を聞く気があれば協力しようと思った。けれど話を聞くどころかいつも以上に憎まれ口を叩く。
「そうね、ユリウス様に会うならばこれが良いわ。」
全ての感情を抑え笑顔の仮面で、私はルイーゼに押し付けるようにシャクナゲの香油を渡した。
「私が使う方がいいものね。お姉様、明日ユリウス様と楽しい一時が過ごせそうですわ。」
馬鹿にしたように言うとルイーゼは大きな音をさせながら扉を閉めた。
ルイーゼの性格が父に似て最悪なことは分かっていたがここまで酷いとは…………。