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10 in BLACK  作者: 森 鸚綠
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2.「Komm, du süße Todesstunde(2)」

               2

 ええ、彼のことは覚えていますよ――――……。

 中耳に嵌めた超小型のイヤフォンから聞こえてくる一連の言葉は、それなりに齢を重ねた老爺の擦れた声で、あたかも脚本に書かれた科白を読み上げるようだった。いや、実際にそう。私は見るからに穏健そうな翁が、これから喋る全ての内容を事細かに知っている。

 何故ならば、すでに一度聞いているから。

 私はIT機能を搭載した片眼鏡の端末を、極細いコードで備え付けのプロジェクターに繋ぎ、天井から下げた小型のスクリーンに投影した映像を眺めていた。とはいえ、優雅に映画鑑賞、などと洒落こんでいるのではない。そんな贅沢な時間の使い途など、今となっては全く無縁だった。

 すでにニューヨークに現地入りしてから、二週間が過ぎている。

 まだスクリーンの中ではドキュメンタリー番組でよく見るような、白々しいインタビューを真似たように、一人の老爺が相手の質問に答えていた。聊か作り物めいた虚構。とは言っても、ごく人当たりの良い笑顔を、皺の多い皮膚に彫り込んだ老人は、一つ一つの質問を丁寧に執り成している。その様子は、真摯や律儀などといった単語よりか、愚直と呼ぶ方が幾らかしっくりくるだろう。

 年代物の椅子に深く腰掛けている、痩躯の男は、さしずめ枝葉を払い落した老木のようだ。

 ――――――キャロル・ハワード。

 アメリカ国内で活動するキリスト教系の魔術結社、〈聖十字教団〉の頭目で、御年七五歳を迎えた大御所の魔術師だ。長く〈聖十字教団〉に身を置いているものの、彼自身は有名な「鳩派」だったから、数年前ならば教団内でも有力者とは勘定されていなかったはず。そもそも、〈聖十字教会〉は〈連盟〉捜査局がマークしていたほど、「過激且つ異端的な教義解釈」で知られた組織だった。彼らに対する当時の評価が、〈連盟〉データベースの履歴に残っていたのを拝借したけれども、監視グレードはA+、さらに加えて「キリスト教典の誇大的・恣意的解釈による偏屈した教義、キリスト教カトリックの儀礼を独自に改造した魔術儀礼は、魔術結社というよりは閉鎖的カルト集団と評するべき」――――――と、なかなかの貶されぶりに笑ってしまったくらい。

 それほど〈連盟〉に毛嫌いされていたこの〈聖十字教団〉も、三年前の〈連盟〉による幹部一斉摘発を契機として、随分と穏やかな魔術結社へと変わってしまったものだった。

 今現在、〈聖十字教団〉は鳴りを潜めていた――――例えば、このキャロル・ハワードのような――――所謂「鳩派」の連中が幹部となって、魔術結社としての運営や方針の一切を取り仕切っている。つまるところ、〈連盟〉に骨抜きにされた、元過激派キリスト教魔術結社の残骸。穏健派に主導権が移ったのちは、〈連盟〉とも仲睦まじい関係を保っている、とは何とも御笑い種な話だったろう。仮に「摘発」されてしまった元幹部たちの耳に入ったとすれば。

 私は胸の内で皮肉げに笑いながら、しかしそんな様子はちとも浮かべず、真面目な顔でキャロル・ハワードが質問に答える様をじっと見ていた。

 この穏健派筆頭ともいえる好々爺に対し、〈陪審院〉が管轄する事件の捜査、との名目で接触してきたのが昨晩のこと。右目に掛けた片眼鏡内蔵の超小型カメラが、薄い拡張現実のフィルタを通して、一部始終を映像記録として収めている。

 そうして午前十時過ぎを回った寮の一室で、淹れ立てのコーヒーを啜りつつ、数時間前の記憶をなぞるように映像を再生していた。この寮とは〈連盟〉アメリカ支部が所有している、謂わば「役人寮」といった建物で、前々から使用申請を出しておけば、予約に合わせて利用することが出来る。先に断わっておくと、無論、〈連盟〉の構成員のみが対象。私も〈連盟〉内部――――〈陪審院〉所属である以上、この特権を甘んじて享受しても文句は言われまい。

 二杯目のブラックコーヒーを胃の腑に流し込み、眠気覚ましに浪費しながら、記録の同じ部分を何度もリピートさせる。

 キャロル・ハワードの証言に、とりたてておかしな点はない。

 ――――――被疑者ジェローラモ・ヴァレンティーノについては、よく御存知でございましょう?何かお気付きになった点や、知っていることがあれば、些細なことでも構いません、お教えくださいませんか?

 こちらは私の声。

 しっとりと落ち着いていて、それでいて、耳に触らぬ渋みを含んでいる。

 これでもよく「品の良いお婆ちゃん先生」だとか、言われることも少なくないが、ただ「気性が荒くない」というだけのことで、私自身としたらさほど「優しい」人間ではないと思っている。

 こんな容易い目利きすら見誤るようでは、全く以て、魔術師なぞ務まるわけはなかろうに。

「ええ、私に応えられることであれば……と言いましても、彼については〈連盟〉に登録された情報以上のことは、こちらも何も知らないのですがね……。ええ、彼は一時期、この〈聖十字教団〉に所属しておりました。高校生の頃、以前旧知だった新興宗教組織……ああ、これはあまり公に言えることではありませんが、ええ、今ではすっかり関係を絶っておりますよ。すみません、それで、ええその組織にいたく心酔していたようでしてね、この魔術結社に紹介されてきたのです」

 私は映像の中でハワードの言葉に、ええ勿論、存じておりますと愛想良く応える。

 ハワードが「公に言えない」と前置きしたのは、一般社会に間口を取った「新興宗教組織」などと、接点を有していること自体がタブーだから。そうした密かな関係を持つ魔術結社も、けして皆無ではないものの、〈連盟〉から危険視されるのは、当然のなり行き。先に待つとしたら、それこそ厳しい監視だけだ。彼の発言はそれを鑑みれば専らただの牽制。すなわち〈聖十字教団〉の後ろ暗い過去を、わざわざ掘り返す真似はするなとの、実に解りやすい釘の刺し様だった。

 ――――――それで、こちらに籍を置いていた頃の彼は、どのような様子でしたか?

「……特に、目新しいような情報ではないでしょうが。私どもの組織は、三年前の〈連盟〉による特別監査を受けるまで、〈連盟〉に所属する魔術結社としては異端……、過激だった、とでも言いましょうかね、御存じのとおりです。ですから我が結社の組員にしても、少なからずそうした異端的思想、極端な教義解釈に傾倒する者もおりました。お恥ずかしい話です。そうした者たちは、三年前まで組織を率いていた幹部が投獄されたのと同時に、この結社から追放処分となっております。ヴァレンティーノに関しては、それ以前に追放されておりますがね」

 それも知っていることだ。

 キャロル・ハワードは一拍の間を置き、息を継いで、今一度痩せ細った咽喉を震わせた。

「私はこの通りの『鳩派』でして、以前は結社内でも少数派に属しておりましたから、彼らの内実については詳しくないのです。ホーエンローエ女史ならばお判りになると思いますが、どんな組織でも、派閥というものは存在しますからね。我々と彼らは少なくとも、仲が良いとは言い難い関係にありました……ヴァレンティーノについては、ですから詳しくは知らないのです。ただ、そうですね、彼は一種の天才性を有しておりました。才気……ああ、カリスマ性とでも言うんでしょうか。彼は有名だったのです。彼の言葉に触発されて、新たな派閥さえ生まれかねないほどの、凄まじい求心力がありました。私が総勢五百を数える組員の中で、ヴァレンティーノの名前を覚えていたのも、それが理由でしょうな」

 カリスマ性。

 天性の才気。

 それが、彼の持つ天賦の性、とでも言いたいのだろうか。

 私はハワードの証言の内容を諮りながら、ニューヨークを訪れる前、〈連盟〉管轄の監獄に収容された「元幹部」から聴取済みの情報と擦り合せる。被疑者ジェローラモ・ヴァレンティーノは、七年前に〈聖十字教団〉を追放されていた。彼に関して下された「排他的性格や狂信的傾向が見られる」、そんな理由付けなど、あくまで表向きの方便でしかない。真の根底にあるのは、さしずめ腐り落ちた無花果のような、爛熟しきった利己心くらい。実際、元幹部たちも揃って口を割っている。ジェローラモ・ヴァレンティーノという若輩者が、己の結社内に新たな派閥を作り上げんとしていた、その現状が恐ろしかったと。全く以て正直な告白だった。

 「支配者」の地位にある連中は、既得権益の喪失、というものをとかく怖がるもの。

 傍から見ていると大変滑稽極まりない振舞いで、お世辞にも褒められたことではないのに、場にいる本人たちは至って真剣なのだから救いようがない。まさに無節操。その点を目聡く指摘するのなら、スクリーンの中で鷹揚な微笑を湛えた、皺くちゃの老爺とて同類だろう。このキャロル・ハワードなる男も、若きカリスマと周知の人物だったヴァレンティーノの追放という輿を、対立する「鷹派」とともに喜んで担いでいたに違いない。つまりは同じ穴の貉、とやら。

 何も魔術結社に限らずとも大概の組織では、この類の獣が権力の生い茂る上層部を草叢に、恰好の寝床とばかりに棲みついている。別段珍しいことでもなく、それを、とやかく糾す気もない。さして面白みのないスクリーンの映像を、ただ黙々と鑑賞しながら、せりあがった生唾を喉奥に飲み込もうとして、口をつけたのはコーヒーの三杯目。コーヒーメーカーが抽出する均質な味にも、流石に飽きたものの、眠気覚ましとしてのカフェインの効果を期待して我慢する。

 私は皮肉交じりの諺を返すかわりに、そうですか、と変哲のない相槌を打った。

 ――――――ほかに彼について、何か、覚えていることは御座いますか?

 キャロル・ハワードが考える様子を見せてから、はたと顔を上げ、「そう言えば」と小さく切り出した。

「そういえば、彼はバッハのカンタータを好んでいました。原題はドイツ語で――――」

「Komm, du süße Todesstunde」

 ハワードの言わんとする言葉を、先んじて舌先に載せ、「――――でしょうか」と問い掛けると、老爺は二、三度頷いてから続きを述べる。

「ええ、そうです。ヴァレンティーノはキリスト教に関するあらゆる楽曲の中でも、とりわけその曲を好んでいたようです。たった一度だけですが、彼が携帯端末で音楽を聴いているところを見かけて、話しかけたことがありました……ええ、確かにその時、彼はそう言っていました。ああ、CDやレコード盤も持っている、とのことでしたから、余程のことでしょう」

 ――――――彼は、何故その曲が好きだと?

「さあ、そこまでは……。ああ、でも、この曲は主による救済そのものだ、というような意味合いのことを、言っていたかもしれません。私どもはあくまでキリスト教系の魔術結社ですから、公のカトリックやプロテスタント、といったキリスト教組織とは関係ありませんので、ことにクラシック音楽などといった分野は明るくないのですが。確か、ルーテル教会――――ルターが興したプロテスタントの曲で、肉体の死と魂の永遠、主による死後の安寧が主題だ、というようなことは知っておりますが。ええ、彼もそんなことを、説明しておりました……」

 何度か言葉を区切るのに合わせ小首を傾げつつも、ゆっくりと記憶を紐解くような仕草で、ハワードが歯切れの悪い言葉を並べていく。そのまま段々と控え目な声量になっていき、終いには、口を噤んだきり黙り込んでしまった。僅かに窪んだ眼窩に手を当てたまま、細めた目蓋の間で何かを探るように瞳が揺れる。

 ほんの数拍の間を空け、ハワードが、思い返すように言った。

「……『罪人は必ず救われる。何故ならば、我々には死が待っているから』」

 それは彼の言葉ですか、とすぐさま尋ねる。

「ええ、そうです。今、思い出しました、そう……彼は確かに、そう言いました。それから、そうだ、人は罪深い生き物だ、とも……具体的に、誰のことを指しているかまでは、解りませんが」

 こちらを真直ぐに見詰め、ハワードは真剣な調子で吐露した。

 私はそこで内蔵のメディア・プレーヤーを停止して、拡張現実のリンクを切り、スクリーンの映像を完全に落とす。白い布切れになったスクリーンが、ほんの少しばかり、空調設備の生み出す気流に振れている。ふと手元のカップに目を遣ると、とうに三杯目も空だった。

 ここまで熱心に見ておきながら、けれども、判断を覆すような発見はない。私とてキャロル・ハワードから、何も有益な情報が得られることを期待して、事情聴取に訪れたわけではなかった。彼自身が何度も口にしているように、被疑者と関わりがあったのは、ヴァレンティーノに惹かれた者たちと、ごく少数の「鷹派」の人間だけ。彼らの居場所ならば、〈陪審員〉の捜査権限で幾らでも調べようがあるし、すでに必要な情報収集は終えていた。所詮ハワードからの情報など、二の次、三の次といった程度のもの。

 このキャロル・ハワードへの事情聴取は、謂わば、真の目的が別にあった。

 被疑者ジェローラモ・ヴァレンティーノを炙り出すこと。

 私が――――〈陪審員〉という肩書を負った魔術師が、〈聖十字教団〉、つまり彼の「古巣」とが接触することで、何らかの反応を示すのではないかという算段。見え透いた罠だとは百も承知で、御粗末且つ古典的に過ぎるともいえる術だけれど、一つの方策も打たないよりかは良いはず。それが、たとえ気休めに過ぎぬとしても。

 万に一つ。

 そんな出鱈目な賽の目に、まさか、本気で賭けているわけではあるまいに。

 深く腰を下ろしたチェアの脇の小机へとカップを戻し、片眼鏡のレンズ越し、半透明の膜のような拡張現実にするりと指先を滑らせる。新たなウィンドウに曳きだしたのは、〈連盟〉捜査局から引き継いだ事件の仔細と、これまでに調べた被疑者に関する瑣末な情報。

 二ヶ月前、最後の被害者が殺害されてから、被疑者の消息は奇麗に絶たれている。

 オーストラリア・メルボルン。

 そこが七件目の犯行現場で尚且つ、ジェローラモ・ヴァレンティーノが、最後に確認された場所でもあった。全ての魔術師を監督するべく張り巡らされた、精緻で目の詰まった鉄の網は、高スペックなサーバによる情報管理システムのことだけを指しているのではない。街角にあるさも変哲のない監視カメラの映像であっても、絶大なる〈連盟〉の権限に依れば、何の際限もなく湯水のごとく見放題。私たちの生活は、ほとんど〈連盟〉に掌握されている、などと吹聴しても誤謬には値しないくらい。

 そもそも、今回の件では被疑者を絞り込む段階で、監視カメラの映像が用いられていた。七名の殺害された魔術師たちは、何れも〈連盟〉捜査局の内偵捜査、「要警戒人物」リストに登録された人物ばかり。そんな彼らが立て続けに誅されるという、前代未聞の事件―――――の犯行現場付近の全てで、同じ男の姿が捉えられていた。それがジェローラモ・ヴァレンティーノ。

 メルボルン市内の数箇所を最後に、杳として行方知れずのままだった。

 極めて厳戒な監視を受けていた「不逞の輩」を、七人も殺害したあげく、あっさりと姿を晦ました被疑者に対し、〈連盟〉が躍起になったのも仕方のないこと。すぐさま〈陪審院〉へと移管され、丁度身の空いていた私にお鉢が回ってきた――――――。

 ことの経緯を思い返して、私は自嘲ともつかぬ、曖昧な笑みを洩らす。

 そこでちょうど、ポン、とやけに明るい音が鳴った。まるでワイン・ボトルのコルク栓を抜いたよう。赤いポップアップがたちまち視界の端に点り、インターネット回線の通話アプリが立ち上がる。最前面に飛び出してきた長方形のバーをタップすると、通話か着信拒否、どちらかの選択肢を採るよう催促される。

 回線が開かれるのとほぼ同時に、通話相手がくっくっ、と愉快そうに嗤うのが聞こえた。

 二等陪審員 ペトロネッラ・ヴィデーン。

 真四角のウィンドウには内蔵カメラの映像が映っていて、明るすぎるほどの金髪――――シードルにも似たプラチナ・ブロンドを後ろで束ね巻いた年若い娘の顔が、僅か目と鼻の先に見える。くっきりと線を引いた二重の目蓋には金のアイシャドウ。ヌーディな色味の口紅。朽葉色の丸い瞳を窄めたまま、まるで品定めでもするかのような不躾極まりない顔つきで、こちらの様子を窺っていた。

「アハッ、お久しぶりでーす」

 スモーキー・ボイス。

 俗に「ハスキーボイス」と呼ばれる声よりも、どこか煙かかった、林檎のチップで燻したような甘さを含んだ癖のある声質。彼女が聞き慣れた声のまま、実に軽やかに蓮っ葉な言葉を吐くのには、こうも深刻な状況だというのに笑わずにはいられなかった。

「ええ、久しぶりね」

 相変わらずといっては何だけれど、ペトロネッラは普段と変わらぬ様子だ。

 それでも背後にちらつく夜景は、高度二〇〇メートルは下らぬはず、さながらドローンで撮影したかのよう。百万ドルの夜景。そんな陳腐な単語を連想しつつも、黒ずんだ闇の面にネオンやビルの明かりの類が、白々と浮かび上がる様子に目を凝らす。

「今はどこに?」

 私の質問に、ニヤリ、と不遜に笑って答える。

「どこって、香港。今から真夜中の貫徹レースってゆうか、深夜特急便で、ベトナムのハノイまで飛んでくんですよ。アハ八ッ、いやほんと人遣いが荒くて笑っちゃいますって。あれ、エッダさんもニューヨークまで箒でひとっ飛び、なんてことないですよね?」

「私ももう年だもの、流石にそれはないでしょう」

「あー、いいなぁ、やってらんないなぁ」

「この電話はもしかすると、長旅の間の暇潰しなのかしら」

「まぁ、そうとも言いますね」

 ペトロネッラはけらけらと笑いながら白状した後、一拍の間を挿して、ごく生真面目な口調で尋ねてくる。どうやら、この電話は単なる暇潰しというわけでもないらしい。時間を持て余しているのは事実だろうが、にしては、随分シリアスな度合に針の振れた雰囲気ではなかろうか。

「で、そっちはどうです?」

「――――――あまり、芳しいとは言えませんね」

「だと思ってたんだなぁ」

 二週間前ショートメッセージを送った時から、ね。

 しらしらと明かしてしまうと、次いで、こちらに話の続きを促してくる。

「事件コード・C-0806、被疑者ジェローラモ・ヴァレンティーノの捜索については、依然として難航しています。〈連盟〉捜査局内偵課の監視下に置かれていた人物を、たった半年間で七名も殺害しただけのことあって、彼の魔術師としての技量は相当なものでしょう。犯行現場には残された複数の遺留品も、使用した魔術の痕跡は愚か、〈感染の法則〉に拠る逆探知――――の魔術の(パス)すら、徹底的に消し去ってありました。〈連盟〉の登録システムやGPSから探るとしても、闇市場で取引される不正端末を使用しているのなら、辿りようがありませんね。それから監視カメラの映像に関しては、アメリカ全土が対象では漁るには広すぎるでしょうから―――――……」

 実際は、無用の長物。

 ペトロネッラが短く二の句を継いで、四角い小窓のなか、小さく華奢な肩を竦めて見せた。

「あちゃ、手詰まりですね」

「ええ、恥ずかしい話ですけれど」

「でも、」

 ――――――でも、見込みはあるんでしょ?

 吐息混じりの囁きは、まるで、厭らしい紫煙のよう。

 そんな風に年下の娘に言われてしまっては、首肯こそすれ、無礙に否定するわけにはいかぬもの。私はその問い掛けに応じ、「多少は、ね」と密かに目を細めた。

 居場所が割り出せないとすれば。

 こちらの推して知るべきは、次の標的。

 被疑者、ジェローラモ・ヴァレンティーノが今まさに狙っているはずの、新たな獲物を先読みするしかなかろう。そう腹を括ってからというもの、七名の被害者に類似する魔術師のリストを犯行パターンと照らし合わせ、何人かの候補を厳選しておいたのだ。その中でも特別「死相」の濃い者を、数度の魔術で絞り込んでいる。

 ニューヨークを訪れたのは、つまり、次の該者が出ると踏んだから。

「ほかには?そいつの特徴、ほかにないんです?」

「……若き天才、或いは、カリスマだそうですよ。そう、人を惹きつける天賦の才能――――なんて仰った方も見えましたね。それから、バッハのカンタータが好きだとも」

「カンタータ?」

「ええ」

 ――――――Komm, du süße Todesstunde.

 すなわち。

 彼女が酷く胡乱そうな口振りで、「来たれ、汝甘き死の時よ」と呟く。

「御大層なプロテスタントの死生観だか宗教観だか知らないけど、そんな荘厳な教会音楽……、いやカンタータが好き、しかも過激思想で追放済みなんて大概ロクな奴じゃない。しかも、若き天才?カリスマ?人を惹きつける天賦の性、って、アハハハッ、盛りすぎなんじゃありません?」

「……そうかもしれない、或いは、そうでないのかも」

「仮にですよ、それが本当だとしたら――――――アナタも、きっとタダじゃ済まない。そういう人間は、高邁な精神だとかなんとか嘯いて、結局頭のトチ狂ったイカレ野郎なんですよ。まだマッド・ハッターか三月ウサギの方がマシですって。私だって、そりゃブリギッテさんのことは信頼してますけどね、ああいう連中は救いようがない」

 だから、気を付けてくださいよ。

 最後に低く付け足したのは、珍しいことに、判で押したような科白だった。

 そこで初めて、私はふとこの電話の意味を悟る。

「最初から私の為だったんでしょう?」

 ペトロネッラ二等陪審員は何を今更、と屈託のない笑顔のままサラリと吐いた。

 ――――――行き詰った時は、ほら、話すと思考が纏まるんですって。


 次節はまた数日後の更新を予定しております。

 読んでくださる読者の皆様につきましては、いつもありがとうございます。また、より良い物をお届けできるように精進致します。どうぞよろしくお願い申し上げます。

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