1.「墓泥棒、或いは、テウルギアの支配者(4)」
――――――〈陪審員〉に必要なものは、何だと思う?
僕が――――――ダレン・ゴーストヒルズが〈陪審院〉への帰属請求を受けたとき、すでに一等陪審員だったギュスターヴ・シュヴァリィは、そんな質問を口頭で発した。
僕はロンドンのバラ・マーケット近くにある、本格的な「インド・カリー」を振る舞うと評判の、小洒落たインドレストランで夕飯を奢られている最中で、スパイスの効いたチキンカレーを、銀色のスプーンで口に運びながら呆気にとられる羽目になったのだけれど。
「聞くところによると、キミは、〈陪審院〉について思うところがあるそうだね」
一等陪審員 ギュスターヴ・シュヴァリィ。
〈陪審院〉所属の実動員の最有力者で、筆頭格ともいえる、〈陪審員〉の中でも古株の魔術師だ。彼がまだ若造で青二才の僕なんかに、〈陪審員〉のスカウトとはいえ、直接面会に訪れるとは思ってもいなかったから、正直かなり驚いてはいた。そこへ、今度は〈陪審院〉の存在そのもの――――なんて命題や存在意義にも近いことを問われれば、誰だって閉口するにきまっている。
それでもシュヴァリィ陪審員の、まるで「ヘタな言い訳など不要」だって但し書きしたような表情に気圧されて、仕方なく訥々と僕自身の見解を述べた。
「そもそも、〈陪審院〉の必要性はあるんでしょうか?『魔術師を裁く断頭台』だとか、或いは、執行機関だとかの仰々しい二つ名だって、ただの権威付けみたいなものでしょう。どんな言葉で飾り立てても、結局、やってることは殺人だ。……そもそも、〈陪審院〉の管轄する大罪人の判定基準も不確定ですし、第一彼らは〈連盟〉が恣意的に定めたルールに違反した時点で、ある意味……〈魔術師〉の資格を失っているともいえる。何故、そのような魔術師崩れを、〈陪審院〉が裁く必要があるのですか?いえ……寧ろ彼らは〈魔術〉ではなく、銃殺刑や絞首刑といった、通常の死刑執行を受けることが、犯した罪に相応しいのでは、と思うのですが。まぁ、犯した罪……というのも、曖昧な定義ですけれどね」
そう。
殺すだけならば、何も、魔術師じゃなくたっていい。
ギュスターヴ・シュヴァリィ陪審員は、若干呆気にとられた顔をしてから、二、三度瞬きをすると目元を柔らかく綻ばせた。今思えば、ふてぶてしいにも程があるってくらい、小生意気なことを言い連ねたものだけれど、かえってそれが彼のツボにはまったらしい。
「これは期待以上だな」
「は、はぁ……?」
「いや、〈陪審員〉の欠員を補充するのに、適正のある魔術師を探すのは一苦労でね。特に『自分こそが〈陪審員〉に相応しい』なんて思い込んでいる連中が厄介なんだ。うん、キミの指摘する厳めしい二つ名、の弊害というところかな。彼らは〈連盟〉の定めた規則と、魔術監視体制の熱心な信奉者でね――――その法を犯した魔術師を裁くことが、純然たる『正義』だと思い込んでいる。それはね、ただの盲信だよ。自らの頭で考えられない馬鹿に、〈陪審員〉の席が務まるものか」
優しげで柔和な笑みを浮かべたまま、シュヴァリィ陪審員は、辛辣な言葉を紡ぎ続ける。
「その点に関して言えば、キミは〈連盟〉のことも信用していないようだし、それにマトモな脳味噌の持ち主みたいだ。少し斜に構えすぎているのと、生意気なところは、まぁ愛嬌として認めておこう。十二分に見込みがある。キミみたいな魔術師にこそ、〈陪審員〉の本分を全うする資格がある」
褒められているのだろうか。
僕は少しだけ不審に思いながらも、息を潜めて、彼の言葉を待った。
「――――――〈陪審員〉に必要なものは、何だと思う?」
「……」
シュヴァリィ陪審員の問いに、ほんの数秒だけ逡巡して、そのまま本心を告げることにする。
「殺人者であるという自覚」
それしかない。
人間という愚かで滑稽な生物は、自分を『正義』の手先だと認識したとき、最も凶暴で無慈悲になるものだから。そんな奴らが、「魔術師を裁く」なんてご立派な大義名分を得てしまったら、多くの〈魔術師〉は喜んでギロチンの刃を振るうに違いない。それこそ、盲目的、というやつ。僕の予想からすると、『断罪』と称して声高に罪の撲滅を掲げ、勤勉且つ勝手気侭に死刑執行に勤しむはずだ。
どんなに言い繕っても、結局、殺人は殺人でしかない。
「お見事」
――――――それを言い当てた者は、皆、〈陪審員〉の職責に就いた。
「ちなみに、キミがそう思った理由には何かあるのかい?」
「僕は先天的な資質、というよりも、コントロールができなかっただけだとは思うんですけれど。子どもの頃から幽霊が見えました。それも生者と亡者の見分けがつかないくらい、はっきりとです。だから、気がついたら『いるはずのない』存在と話している……、そういうことも多かった。友達の親や、幼稚園の先生とか、周囲の大人は病院に連れていけ、だとか、精神科を受診しろだとか両親によく言っていたみたいで。でも、彼らには悪気はなかった。ただ、それが周囲の人間として、正しい判断だと思っていた―――――それだけのことなんでしょうけど」
だから、『正義』ほど恐ろしいものはない。
殺人は殺人。
殺人者であるという自覚がないのなら、その時点で、刃を振るう資格はないだろう。
「正しい、という思い込みは危険だと思っただけです」
一等陪審員ギュスターヴ・シュヴァリィは、改めて、僕を〈陪審員〉として推薦させてほしいと告げた。その言葉を二つ返事で了承したのは、十八歳と六か月が過ぎた、とある真夏の夜のことだった。
そして、それは今から四年前の話。
パリ・14区 住宅街。
フォーブール=サン=ジャック通り、病院前の交差点。
僕は深夜の街角で、被疑者『罪人』アンリ・ルペーズと対面していた。三日前から僕の契約する幽霊たち――――――〈歩兵〉をパリの街中に放って男の捜索に当たらせていて、ほとんど骨を折ることもなく、『被疑者』の居場所を割り出していたのだ。そのついでに、アンリ・ルペーズの隠れ場所、恐らくは後ろ盾の組織が用意したセーフハウスに、子飼いの幽霊を送りこんで監視し、抜け出した頃合いを見計らって接触するくらいは簡単なことだった。
アンリ・ルペーズは痩せ細った体躯に、黒の色素がやや抜け落ちてしまったと思しい、年季の入った襤褸布みたいなローブを巻きつけている。蝋で固めたような口元を伸ばしっぱなしの髭が蔽っていて、今どきポマードで撫でつけた白髪は、てらてらと街灯の明りに濡れて見えた。
何となく想像通りの人物像だ。
衣食住を捨てきってしまって、ただ、魔術の為だけに生きている人間。
――――――〈魔術師〉は科学者に似ている。
そういう意味では、このアンリ・ルペーズもまた、一線を越えてしまったのだろう。
「僕は今から貴方を殺す。〈陪審院〉所属・二等陪審員――――ダレン・ゴーストヒルズが担当員です。貴方には〈陪審院〉による死刑執行が決定されました。一般市民に対する不法な〈魔術〉行使、〈連盟〉フランス支部捜査官殺害及び人身売買組織からの不法な人的資源の取得、そして〈連盟〉ポータルサイトからの禁書指定ファイルの不法奪取、Aクラス相当の禁忌指定魔術の複数回試行。以上の罪状を以て、貴方の死刑が執行されます」
アンリ・ルペーズが、ヒッ、と上擦った声を洩らす。
壊れた笛から鳴ったみたいな、もうほとんど、吐息とも引きつけともつかない声だった。彼の青い血管の筋が浮き上がった、痩せこけた喉元からひゅうと息が洩れるのを、ほとんど気にも留めずに続ける。
「これらの罪状について、何か訂正はありますか?」
答えは返ってこない。
まだ自分の身に起きたことを、理解できていないといったところか。
彼の様子を三十秒ほど観察した後、これでは埒が明かないと察して、今回の件についての概要を語ってみることにする。ごく平坦で抑揚のないフラットな口調が肝心。ここであまり脅してしまっては、錯乱した相手が何をしでかすか、とても解ったものじゃない。
「貴方は〈連盟〉フランス支部の前捜査官だったベル・カルディコットと共謀し、禁術指定済みの高位魔術に関して、試行実験を繰り返していた。それに必要となった参考文献や魔術資料は、〈連盟〉の運営する複合ポータルサイト内の、魔術関連書籍――――――〈呪書物〉、グリモア検索システムをクラッキングし、pDF化されたデータとして不正にダウンロードしたことは確認済みです。人身売買組織から受け取った報酬で、腕の良いハッカーでも雇ったんでしょう。〈連盟〉が誇るトップクラスのセキュリティを破り、準最高機密扱いの禁書指定ファイルを盗み出すとは、それにしても相当な額を費やしたものだ」
GIGRD―――――通称・ジグラッド。国際呪書物情報検索データベース、の略称だ。全世界の魔術師を対象とした管理システムとして、〈連盟〉がインターネット上に作り上げた、巨大複合型ポータルサイトの内部では、各魔術師の個人情報登録と連携アカウントを用いた各種サービスが配信されている。〈連盟〉の情報データベースと管理共有された、総体的な魔術師登録システム―――――――の恩恵で、オーグメンテッドのフィルタを通して広がる仮想現実には、まさに「魔術の殿堂」って呼ぶに値する電子空間が用意されているのだけれど、GIGRDは、その中でも特に利用数の多いメインサービスだ。〈連盟〉付属図書館に収蔵された膨大な魔術関連書籍を、スキャンした画像データに変換後、電子書籍として閲覧できるように整備。誰でもアカウントさえ取得していれば、通常公開レベルの書物に関しては、時と場所を選ばずに閲覧できるというわけ。
アンリ・ルペーズが試みた高位魔術―――――Aランク指定の禁忌魔術に関するグリモアなんて、〈連盟〉捜査官の権限でも閲覧の許諾どころか、資料公開請求すらできない。だから、彼がどうやって手に入れたのか気になってログを調べたところ、第三者のアカウントを盗用してデータを盗み出した形跡が見つかった。全くどれだけ罪状を増やせば気が済むんだろうか。
禁書指定ファイルの実物は、当然だけれど、デッドメディアの紙媒体。それらの多くは、一五世紀から一七世紀の中世にかけて書かれた呪書物で、経年劣化で傷んでいるものも少なくない。GIGRADの電子データも、そういう書物を保存するための手段だったはず。それが裏目に出たのは手痛いところだ。
「一七世紀・フランスで成立した『ソロモン王の小さな鍵』全五部。第一部の『ゲーティア』、そして、第四部『アルス・アルマデル』――――――これの原型とされる一六世紀の類似本の一部も不正取得していますね。これらの電子データはどうしたんですか?インターネットに公開した、というわけではありませんよね」
「……全データを印刷後、ハッカーに頼んで暗号化処理した後、完全にクラッシュさせた。あれが世に出回ることはない」
「そうですか」
『小アルベール』。 『ホノリウス教皇の魔導書』。 『魔術のアルバテル』。
多くの禁書指定された呪書物――――グリモアは中世に編纂されたものでありながら、さらに「昔」の時代に書かれたという、一種の仮託がとられることが多い―――――とはいえ魔術に関する書籍としては、極めて貴重な原型には違いなかった。それが出回ることになれば、魔術の監視者である〈連盟〉にとって、かなりまずい状況になるのは当然の帰結だ。
僕はアンリ・ルペーズの答えに、一抹の安堵を覚えつつ、ふと気になって尋ねてみた。
「そういえば、『ソロモン王の小さな鍵』を読んだ感想はいかがでした?」
「お前に教える義務はない」
「そうですね、これに関しては僕の単なる興味ですから。答えてくださらなくて結構です」
僕はアンリ・ルペーズが放った、ぶっきらぼうな捨てゼリフに、少しだけ笑いそうになっていた。何故って、僕に「教える」義務はない――――――なんて、あんまり愉快だったから。『ソロモン王の小さな鍵』。或いは、『レメゲトン』と呼ばれるグリモアならば、とっくに読了済みの魔術資料だ。
「――――――それでも、貴方はどうやら、禁忌指定の魔術の成功には至らなかったようだ」
そう厭らしく指摘すると、ルペーズは乾ききった顔の皮膚を引き攣らせ、ゾッとするほど妄執と憎悪に満ちた表情を張り付けた。アンリ・ルペーズは〈魔術師〉としては二流。仮に無数の生贄を使い潰し、多額の金銭を投じて禁書指定のデータを得たところで、彼の望むような高位魔術が成功するわけはない。そんなことは、きっと彼自身が誰より自覚していた――――――事実だったろうけれど。
敢えて真実を突き付けるように、僕は言葉を連ねた。
「『避けようとして後退りする、しかめっ面に、それでも照りつける光。それこそが真実だ。ほかにはない』。フランツ・カフカ――――『変身』で有名な作家の言葉です。貴方は知っていたんでしょう。どれだけのことを尽くしても、〈魔術師〉としては貴方の望む高みには―――――理想の姿には程遠いということを。そして、歩を進めれば進めるほど、真実は貴方に近づいてくる」
――――――お前には、もう逃げ場はない。
ハッと『罪人』が息を詰めると、たちまち、暗闇の中を転がるように駆け出した。
それを追いかけることもなく、「幽霊」たちの糸を繰り、彼を捕らえろと短く命じる。すぐさま、僕の周囲を取り巻いていた幽霊が、地面の上を滑るようにひた走ってルペーズに追い縋る。ほんの数秒で半透明の〈霊体〉に、四肢を絡め取られたことに、弱り切った罪人はほとんど呆然とした様子で言葉を発した。
「た、たのむ、見逃してくれ……!私は、私はただ、〈魔術師〉として己の、真の力量が知りたかっただけだ……!だから、許してくれ、ちがうんだ……」
「何が違うんです?魔術師としての貴方の底ならば、もうとっくに見え透いている頃合いだ。それだけの対価を費やしても、貴方には何も為せなかった。その程度の人間だったんです。潔く諦めるべきだ――――――尤も、命乞いをしようがしまいが、刑の執行は変わりませんけれどね」
無慈悲極まりない宣告。
僕たちは彼ら――――――『罪人』に対して、一切の希望を与えはしない。
それこそが、魔術を以てして魔術師を裁く、〈陪審員〉の存在価値なのだから。
「お、お前、〈死霊術師〉だな……?は、そんな下等魔術の使い手が、よくも〈陪審員〉なんぞを名乗っていられるものだ、は、ははははッ、この墓泥棒め!棺桶のなかの屍から、霊魂だけを掠め取る不埒者のくせにッ――――――……!」
アンリ・ルペーズが激昂する。
〈死霊術〉。
それは、古くから「口寄せ」や「憑依」――――――或いは、「交霊術」や「降霊術」として認識されてきた魔術の一種だ。人々の不安や願望を取り除くためのシステムが、〈魔術〉の本質とするならば、無数に分類された魔術のパターンとは、それぞれが特定の社会に合わせて現出した表象のこと。世界各地の小さなコミュニティ――――社会集団において共有される習俗や、信仰、死生観や世界観―――――それらは全て、その社会の背景にある環境や歴史によって分岐して、様々な〈魔術〉の形態を派生させていった。
最も適切なシステムの極点が、つまりは、現在の〈魔術〉というわけ。
だとすれば、〈死霊術〉とは多くの社会で――――「死者」と再び言葉を交わしたい、或いは、先祖の霊に未来を教えてほしい、などといった願いを叶えるための手段だった。死者と交わる魔術。そういう本質をもった魔術は、ブードゥー教だったり、「巫女」や「シャーマン」が行う口寄せだったりと、多くの類型があるものだから、その実態は混然一体の無法地帯と化している。
今しがたアンリ・ルペーズが言ったように、〈死霊術〉自体は魔術の中でも下位に置かれていて、こうして蔑視される傾向が目につく。魔術界全体の風潮だ。僕が〈陪審員〉に就任したときも、反発した魔術師たちは、〈死霊術師〉が「誇り高い」職責に似つかわしくない、という主張を繰り返した。
とはいえ、だ。
僕の〈死霊術〉を、そこらの死霊術師と一緒にされては困る。
「『アルス・テウルギア・ゲーティア』」
「何……?」
「貴方が読んだ『ソロモン王の小さな鍵』、或いは『レメゲトン』――――――その第二部の題名です。簡単に言えば「霊を支配する」魔術について書かれている。僕が〈陪審院〉に籍を移した際に、〈連盟〉のGIGRAD内部にある多重隔離区画――――禁書指定を受けた閉架書庫への閲覧請求を受理していただきました。つまり、貴方が大枚を叩いて『掠め取った』禁書ファイルを、合法的に閲覧することができたというわけです。そしてその成果は、僕の〈死霊術〉に余すことなく還元されている」
――――――〈テウルギア〉。
魔術教育機関の学生だった頃から、何度も改良と修正を加え、今でもアップデートを繰り返しながら作り出した――――――僕が独自に編集した〈死霊術〉。そもそも、近代以前の〈魔術師〉は自らの魔術にかんして、実験記録や成果、思いついた理論なんかを〈呪書物〉としてまとめてきた。それがグリモア。要するに、魔術に関する研究日誌だとか、記録の類だ。それも魔術界にとっての転換点だった、『黄金期』を境に、〈呪書物〉は本来の意義から――――――普遍的な魔術の教科書、ガイドブックとしての価値を見出されるようになってしまったのだけれど。
そういう意味では、〈テウルギア〉と名付けた――――僕の〈死霊術〉は、本ではなく〈魔術〉自体がグリモアだっていう奇特な形態――――であって、僕の魔術研究の結晶ともいえた。
僕の扱う〈テウルギア〉とは、つまり、霊の支配法だ。
本来、〈死霊術〉には死者の亡骸を「触媒」として、魂―――――〈星幽体〉と、霊的エネルギーである〈霊体〉を喚起し、その触媒となった死体に定着させるような方法がメジャーだった。それから、「巫女」や「シャーマン」によく見られるような、トランス状態の術者に対して、同様に〈星幽体〉と〈霊体〉を憑依させる、なんていうのも基本的な〈死霊術〉のラインナップかもしれない。そして、珍しい種類ではあるけれど、死霊そのものを使役する―――――魔術というのも、あることにはある。
今ではその使い手は、マイノリティというより、ほとんど絶滅危惧種だ。
僕もその一員というわけ。
僕の〈死霊術〉は、呼びかけに応じた死者の魂―――――死霊、亡霊といった類の存在を、呪句によってカタチを定め、契約相手として繋ぎ止めてから、魔力の糸を通じて操る――――所謂基本的な〈死霊術〉とは全く異なる魔術へと編纂してあった。
意図的な幽体離脱――――――〈星幽体投射〉を行うことで、魔術的な次元、この現実とは異なる位相にある〈星幽界〉へと干渉し、そこで、死者の魂と〈契約〉を取り交わす。その際に用いる呪句や、魔法円といった術式に関して、『アルス・テウルギア・ゲーティア』の知識が用いられているのだけれど、専門的な説明は割愛しておこう。
〈星幽界〉――――アストラル界、とは、想像と創造の次元だ。
魔術師がイメージした想像が、そのまま投影され、確たる事実として顕現しうる空間。先程、ベル・カルディコットが書斎で瞑想に耽っていたのも、この星幽界へと精神を同調させる修行の一環。この異相的な次元では、魔術師はほぼ全能――――その究極として、世界をコーディングする理そのものを読み取り、制御することさえ能うと推測されているくらいだ。僕の〈テウルギア〉が死霊との契約に、〈星幽界〉を通すのも、ただの亡霊をより高位の霊的存在へと昇華させることができるから。
「手足」として操る幽霊たちは、元はただの亡霊にしろ、今では全く別物といっていい。
チェスの駒。
それに擬えるように、彼らは、〈駒〉としての役割を持っている。
アンリ・ルペーズが一流の魔術師だったなら、僕が使役する〈幽霊〉の群れを見た時点で、そのくらいのことは事実として瞬時に読解できただろう。けれど、彼は「そうではなかった」。僕自身の意思によって、故意に半透明の〈霊体〉として顕現している、このゴーストたちを繰る魔力の糸と、そして〈死霊術〉の正体を見抜けなかったのが証拠。
アンリ・ルペーズが不意に、皺だらけの唇をわななかせ、引き絞るように呪句を上げた。
「聖守護天使へイネスの名に於いて命ずる――――――……!汝は二十の軍団を率いる騎士、地獄の公爵、残忍なる絞首台!フルカスよ、ソロモンの六芒星と聖なる天使に従い、我が前に顕現せよ!」
フルカス。
ソロモン王が伝説の指輪を以て、意のままに使役したとされる、七十二柱の悪魔の一体。『ソロモン王の小さな鍵』、第一部、『ゲーティア』にも記載された悪魔だ。性格は残忍にして、時に彼を喚起した術者をも襲い、地獄へと連行して己の奴隷とする。一方で、地獄の老師であり、博識にしあらゆる知識で万事を紐解き、全ての未来を見通す才を持つ―――――故に、彼は認めた術者にしか姿を示さず、その溢れる知識の片鱗も与えることはない。
汗のつぶてを撒き散らしながら、男が同じ呪句を諳んじるが、周囲の魔力――――魔術の専門用語では、呪素と称される力が微かに渦巻くだけで、フルカスの〈霊体〉が顕現する気配など皆無だった。
聖守護天使の助力を得る〈アブラメリン魔術〉と、『ゲーティア』や、『ソロモン王の小さな鍵』、『レメゲトン』に描かれる魔術を原型とした〈ソロモン王の秘術〉の複合魔術。
それを生白い目で見つめつつ、一瞬息を継ぎ、正しい「亡霊」たちの名を呼んだ。
「騎士!」
ごく短い単語。けれど、それは絶対的な命令。
つまり、彼らに与えられた「役割」をコールすることで、僕が昇華させた姿で、その役目を果たすために顕現させるためのコマンド。僕の周りに溶け込んだ呪素が、たちまち、一定の意思に沿って形を為していく。〈霊体〉。非実体でありながら確かに存在する――――呪素によって構成された虚像は、鎧を纏った騎士の姿をとり、次々と背後へ侍るように立ち現われていた。
四体の騎士。
「あ、ああ、あ――――――……!」
目の前の罪人が瞠目し、まるで泥人形が水へと自壊していくように、地面へと崩れ落ちる。
「よりにもよってフルカスを呼ぼうとするとは。貴方如きに、地獄の老賢者と名高い彼が応えると思ったのですか?」
僕はその悪魔をよく知っていた。
何故なら、同僚――――同じ〈陪審員〉に、彼の正当な契約者がいるからだ。
「貴方は諦めるべきだった。自分の力量を理解するべきだったんです。最早手遅れでしょうけれど」
その言葉が逆鱗に触れたのだろう、糞ッ、と悪態を吐くと狂ったように叫んだ。
「――――――こ、この墓泥棒がッ!」
「罪人」の烙印を押された男が、執拗ともいえるほど、何度も「墓泥棒」と喚いている。気の毒な話だった。彼はあまりに純粋すぎたのだ。理想の〈魔術〉を追い求めたせいで、〈魔術〉の深淵を覗き過ぎた結果、自分自身の力量さえも暗闇の中に見落としてしまった。
彼が払うことのできる犠牲を、全て払っても、「理想」には程遠かったというわけだ。
何故、〈魔術〉を以て裁かなければならないのか。何も死刑執行だけならば、〈魔術師〉でなくとも、武装要人でも雇えばいいのだから。でも、それじゃ意味がない。
彼らのような〈魔術師〉の――――――一縷の望みさえも絶ち、〈魔術師〉としての自尊心を完膚なきまでに叩き潰す。「罪人」が最後に縋ろうとするのは、いつだって、今にも切れそうな細い蜘蛛の糸。つまりは魔術に対する自負心。それを完全に否定すること――――は、すなわち〈魔術師〉としての死を意味する。これこそが〈陪審院〉による裁きの、本当の意味であり、僕たち〈陪審員〉に与えられた真価だ。
鉛玉などではなく。
魔術を以て、「魔術師」の心を殺す。
とはいえ、僕たちが殺人者であることは変わらない。
「―――――絞首を」
密やかな命令に従い、「騎士」、と呼ばれた幽霊が動いた。
青白く透き通った〈幽霊〉が、アンリ・ルペーズの首を掴み、宙吊りにしたまま締め上げていく。
僕はきっとこの仕事に向いているのだろう。けれど、この〈陪審員〉という席に長く留まるには、それこそ鋼鉄の精神が要るに決まっている。執行機関の役人が踏まえるべきは、この行為を「殺人」と認め、一つずつ罪科として積み重ねているという事実。
そして――――それでもなお、殺人に慣れない愚直さこそが、〈陪審員〉たらしめるのだ。僕のこの性格じゃ、とてもではないけれど生涯の天職とは思えないし、続けられそうにない。
だとしても、今この瞬間――――――僕は紛れもなく、一人の〈陪審員〉だった。
――――――さようなら、どうか、僕の罪を忘れないで。
全身から力が抜けてくずれ落ちる、男の亡骸に向けて、そう小さく祈るように呟いた。
第1話「墓泥棒、或いは、テウルギアの支配者」はこれにて終了となります。最後までお読みくださりありがとうございました。次話からは、もう少し間隔を空けながらの更新を予定しております。よろしければ、こちらもお付き合いいただければ、幸いです。
次回 第2話「Komm, du süße Todesstunde」