1.「墓泥棒、或いは、テウルギアの支配者(3)」
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子どもの頃から幽霊が見えた。
僕の苗字が「ゴーストヒルズ」なんて奇妙な言葉の時点で、何となく納得できてしまうのが癪だけれど、その由来を紐解けば、僕の先祖はどうやら共同墓地近くに住む墓守の一族だったのだそうだ。イギリスから移住したアメリカ人の墓守。グレイブ・キーパーというやつ。勿論、ただの墓守じゃなかった。彼らは〈魔術師〉という特殊な職業を担う人種で、二〇〇年前には「傀儡師」だとか、「亡霊遣い」なんて綽名を持っていたくらいだ。
――――――〈死霊術〉。
これを易しい言葉にするなら、ネクロマンシー、と言うべきだろうか。
そしてその屍体を操る魔術の習得者は、〈死霊術師〉と呼び習わされている。
ゴーストヒルズ家の先祖は、名前の通り、幽霊の漂白する墓地に住む魔術師だった。
というのも、今では大昔の話。
僕が生まれたのはごく普通の一般家庭だ。〈魔術〉なんて縁も所縁もなかった。
そんなことなど知らない僕が、幽霊の存在に――――――幽霊が見えてしまうという一種の資質に気がついたのは、まだ六歳くらいのとき。ここで間違えないでほしいのは、幽霊自体は、もっと幼い頃から認識できていた点だ。僕自身の視界には、ずっと「幽霊」が鮮明に映りこんでいて、それも生者と亡者の区別がつかないほどに――――――彼らはリアリティに溢れていたから。
僕にとって、彼らは存在するもの、という認識だった。
それがどうやら周囲の人間には「見えていない」。僕の見ている世界は、友達だと思っていた近所の子や、幼馴染とは絶対に共有できないらしい。子どもながらに段々と、彼らと僕の眼差しに齟齬があることを悟ると、やがて「幽霊」という亡者の残像を理解できるようになった。識別もまたしかり。死んでいる幽霊たちの足元に影が無いってことで、幼い僕にも、精確無比に見分けがついたわけだ。
実は白状すると、精神病院への入院を勧められたことは、一度や二度じゃない。
周りの友達の親兄弟や、それから幼稚園の先生なんかがそうだった。
「もしかして、あなたも、幽霊が見えているの?」
その一言がなかったら、僕は今頃、精神病棟送りだったに違いない。
僕の両親は幸いというべきか、それとも悪運というべきか、世間のいう「霊感」を有していた。このあまりに高感度な幽霊認識システムを搭載してしまった、僕の先天的才能についても、〈魔術師〉ではない一般人の両親は共感してくれたし――――――ほどなくして、僕の素質を見込んだ〈連盟〉側から連絡が舞い込んだ。本当に運が良かったとしか言いようがない。
そうして紆余曲折を経て、九年間の義務教育後、〈魔術〉の世界に飛び込んだ。
多くの魔術師たちに「先祖返り」と評された、僕の〈魔術〉の腕前は、たちまち頭角を現していった。僕だって未だに半信半疑なくらいだ。かくして様々な魔術教官を驚かせた後、史上最年少で〈陪審院〉所属が決定。現在〈陪審員〉歴四年目、二二歳の執行機関員というわけ。
まあ、嬉しいかどうかで言えば、全くもって嬉しくなんかない。
――――――なんで、お前なんかが〈陪審員〉なんだ?
――――――もっと、相応しい人間がいるだろう。
――――――お前には、魔術師としての誇りが欠如している。
そんな批判にも雑言にもとれる、「余計なお世話」を、当てつけのように暴投する馬鹿も大勢見てきた。というよりも、〈魔術師〉としては奴らの方が圧倒的マジョリティで、正しい反応なのかもしれない。
〈陪審院〉。
曰く、 「魔術師を裁く断頭台」。
全ての魔術師を裁くに足りるだけの、どこまでも、ただ圧倒的な魔術の技量。それが必要とされることを思えば、彼らのような魔術師たちが、〈陪審員〉の座に抱く憧憬や崇敬の感情も、何となく察しがつくものではある。でも、だ。
僕たちからすれば、その類の情は、最も忌避されるべき要素。
何故ならば。
「初めまして、ベル・カルディコット捜査官」
僕の目の前で微睡んでいた、華奢な女が、ギョッとしたように振り向いた。彼女の書斎兼工房だろう。今の時刻は午後十時三四分。書棚に囲まれた部屋にはLEDや白熱球なんかの、電気照明は置かれておらず、アンティークの燭台に挿された蝋燭だけが揺らめいている。
微かに浮かび上がるシルエットは、一見すると、有能な女性秘書といった雰囲気だろうか。
彼女の整ってはいるが派手でもない顔に、鼈甲製の丸眼鏡が載ると、どこかお洒落に見えてくるから不思議だ。すっぽりと体躯を覆うローブ。大きく首元の空いたブラウスに、足首まで届くロングスカートの、どれも漆黒で揃えてある。〈魔術師〉にとって「瞑想」も魔術を実践する上で必要とされる技能。そして、魔術的瞑想を行う場合、多くは黒い法衣を着用する――――――。
僕は彼女の精神が無防備になる、この時間を狙い澄まして、姿を現したのだった。
〈連盟〉のデータベースへの情報照会請求が受理されたおかげで、僕の「手足」たちを使うこともなく、この場所を訪れることができていた。
「――――――な、あ、貴方は」
「こんばんは」
今日は、貴方にお話が合って参りました。
「ば、陪審員……どうして、わ、私に……何の用があって……」
「それを僕の口から聞きたいですか?」
厭味たっぷりに尋ねると、女――――――カルディコット捜査官は、観念したように一度目蓋をふせ、緩く頭を振ってから、白っぽい乾いた唇を開いた。完全に血の気が引いてしまっている。まぁ、魔術師なら誰でも、結界だらけの工房に平然と乗り込まれたとなれば、青褪めるのも無理はない。それが処刑人たる〈陪審員〉ならば、なおさら。
ベル・カルディコットが霧のような声で紡ぐ。
「もしや、私も……〈陪審院〉の執行対象になったのでしょうか。その、つまりあの件で」
「いえ。貴方は『罪人』ではありませんよ」
「では、何故……」
僕はカルディコットに対し、愛想笑いを浮かべたまま、穏やかにこう切り出した。
――――――アンリ・ルペーズの人身横領についてご存知でしたね?
〈連盟〉イギリス支部所属 捜査官ベル・カルディコット。
そして、以前の肩書は――――――〈連盟〉フランス支部・捜査局管轄の捜査官。
「貴方は一年前までフランス支部の捜査官だった。そして、恐らくはアンリ・ルペーズが〈連盟〉の禁忌指定を受けた高位魔術、或いは禁書扱いの〈呪書物〉――――――グリモアに掲載された魔術儀式を試みようとしていたことも知っていたんでしょう。あのクラスの魔術儀式となれば、生贄だけじゃなく、多岐にわたる魔法円を描くための膨大な参考資料、それに〈連盟〉の目を欺くだけの高度な結界が必要になったはずです。誰にも気づかれないなんて、内通者がいなければ、恐らく不可能だったに違いない」
初めから被疑者であるアンリ・ルペーズに殺害された―――――〈連盟〉フランス支部の捜査官ではなく、その前任者――――――ベル・カルディコットが噛んでいることは解っていた。何故ならアンリ・ルペーズの地下工房から押収された人骨は、およそ一年間で使い潰せる量ではなかったから。だとすれば、それ以前の数年間にわたって、被疑者は〈魔術〉の実験を繰り返していたと見るしかない。
二週間前に殺害された捜査官は、着任早々、アンリ・ルペーズの身辺捜査を開始。そして一年間の追跡で、彼が非合法組織から多額の金銭と、大量の「人間を譲渡されていることを突き止めた。この時点で〈連盟〉に身柄拘束請求が出るはずだけれど、今回に関しては、彼のバックにいる組織が大規模且つ政治絡みだったせいで、判断がつかなかったのだろう。アンリ・ルペーズはその間に、〈連盟〉の捜査官が嗅ぎ回っていることに気づき、口封じの為に殺害した――――――。
彼は恐らく捜査官の遺体も、生贄として使い、証拠ごと食い潰す算段だったに違いない。それが死体発見に繋がったのは、優秀で正義心の強い魔術師――――――だった捜査官が〈不可視の魔術〉を使って現場から逃亡する機転を利かせた結果。明朝、パリの街角で死体が上がった。
そのおかげで、今回の件が明るみに出て、〈陪審院〉が動くことになったのだ。
「アンリ・ルペーズが他人名義の電子口座から、定期的に現金を引き出していたことは調査しています。彼は貴方に、口止め料として報酬の半分以上を渡していた。彼にとって報酬はあくまでオマケ。本当に欲しかったのは生贄、つまり組織から横流しされた人間の方だったんです。だから、貴方に多くの金銭を支払っていた。ギブ・アンド・テイク。どうやら貴方も散財が趣味だったようですし、お互いに良い関係だったんでしょうね」
「そ、それは……ち、違います!私は確かにフランス支部での勤務中、彼――――――アンリ・ルペーズが禁忌指定の高位魔術を実験しようとしていたことは知っていました。でも、彼がそんな人身横領だなんて、そんな非合法組織と関わっていたことは、全く知らなかったんです!ただ、彼には『実験について黙っていてほしい、悪いようにはしない』と言われて、それで……!」
「それは嘘です。ベル・カルディコット『捜査官』。〈連盟〉捜査局に所属する魔術師である以上、貴方には彼が試みようとする高位の霊的存在喚起魔術――――――に関して、どれだけの対価が必要になるか解ったはずだ。そしてその規模の魔術ならば、〈連盟〉の監視網に、必ず何らかの痕跡として引っ掛かることも。だから貴方は多額の報酬と引き換えに、彼の『実験』に合わせて同僚たちの目も欺いたんです。そうでなければ、アンリ・ルペーズの〈連盟〉規範逸脱行為は、早々に露見していた」
僕は隙のない仮説を述べながら、けれど、カルディコットの言い分も内心で認めていた。
彼女の主張通り、アンリ・ルペーズが国際的な人身売買組織の構成員だったという事実は、知らなかったに違いない。まして、その巨大組織の背後にシャルル・ブランの極右政党――――――の外郭団体や架空の財団が存在しているなど、思いもつかなかっただろう。
それでも被疑者からの「謝礼金」の額で理解できたはずだ。
彼が随分と羽振りの良い商売に噛んでいること、そして、それが社会的に表沙汰にできない不法団体だということくらいは。だってベル・カルディコットは、少なからず、〈連盟〉の捜査官だったのだから。
「――――――貴方は本日午後十時五十八分を以て、〈連盟〉イギリス支部捜査官を免職処分。そして同時刻より、インターポール並びにフランス警察の合同捜査案件に関する『重要参考人』として、身柄の拘束とインターポールへの移管が決定しています」
「な、何を……!わ、私はそんなこと、関係ないわ!ただ、彼の魔術の手伝いをしただけ、確かに同僚たちに目をつけられないよう捜査や情報の小細工はしたけれど、それだけよ!そんな、こんなことあり得ないわ、第一私は〈連盟〉の魔術師よ!こんなことをして、インターポールにフランス警察だなんて、〈魔術〉が一般社会から隔離・秘匿されるべきだって、貴方も知ってるはず―――――――」
「ええ、そうですね」
――――――だから、貴方は〈魔術師〉としてではなく、一般人として証人台に立つことになるでしょう。
今日の午後にインターポールの捜査官――――――リチャード・ブラックに交換条件として提示したのは、アンリ・ルペーズの代役を務められる人間の身柄。つまり、今回の件に関して事情をある程度知っていて、『重要参考人』に仕立て上げられる人物だ。ベル・カルディコットは全てを知ってはいないけれど、全容を把握することも不可能ではなかった―――――――まさに格好のスケープゴートってところ。
リチャード・ブラックには既に住所を連絡してある。
ロンドン ギルドフォード・ストリート 32番地。
「ベル・カルディコット。今しがた貴方は『同僚たちに目をつけられないよう捜査や情報の小細工はした』と仰いましたね。それは〈連盟〉規定条項・第三条及び、〈捜査局〉所属捜査官勤務綱領・第五条第二項に明記される、〈連盟〉による被疑者捜査における公務執行妨害――――――の該当行為です。貴方はすでに〈魔術師〉としての資格はない。放蕩と散財の限りを尽くしただけの凡人ですよ。僕たち〈陪審員〉が相手にするまでもなく、ただの一般市民として、国際政治の為に司法を以て裁かれることになっただけです」
僕たちが裁くのは――――――あくまでも、大罪を犯した〈魔術師〉だけ。
それ以外は対象じゃない。
僕は意図的な幽体離脱、魔術用語としては〈星幽体投射〉と呼ばれる魔術技能で、カルディコットの書斎兼工房に投影した〈霊体〉を、薄らとした蝋燭の灯火のなかに煙らせながら告げる。
そうして僕の「生霊」が消える間際、勢いよく扉が開け放たれた。
カルディコットとの会話の最中に、こっそり子飼いの幽霊が、ポルターガイストで玄関と部屋の鍵を開けておいたのだ。リチャード・ブラックの率いる捜査隊が、ベル・カルディコットに捜査令状を突き付け、薄闇の最中で身柄を拘束するのが見えた。
午後と同じスーツ姿の男が、「見えない」僕の姿を探しあぐねたように、ぐっと潜めた声で暗闇に問いかける。
「今からどこに行くんです?」
「――――――『罪人』の処刑場ですよ」
今では流石に亡者と生者の区別がつかない、なんて冗談みたいなことはない。こちらもプロの魔術師。そんなことになれば、魔術師失格以前の問題だろう。アメリカの魔術学校、そして〈連盟〉直属の魔術教育機関で訓練したおかげで、〈幽霊〉を任意の姿で認識するくらいは朝飯前ってものだ。
半透明の霊体の群れを引き連れながら、フッ、と僕は闇に姿を晦ませた。