1.「墓泥棒、或いは、テウルギアの支配者(1)」
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カフェ・オ・レが温くなりだしていた。
僕は齧りかけのクロワッサンを皿に置いて、それから、親指に付いたパンくずのかけらを舐めとった。行儀がいいとは言い難いけれど、こればかりは譲れない。贔屓にしている店のクロワッサンは、バターを贅沢に使っていて、しかも折り込んだ層が本当に薄い。軽くトースターで温めると、たちまち黄金色に焼きあがった表面から金の油が浮いて、1、2枚と炙られた生地が崩れる。ぱらぱら、と剥がれた香ばしい紙片のような屑だって、無駄にするのはもったいないのだ。
カフェ・オ・レを啜っていると、アイウェア型端末の画面越しに、通話相手が渋い顔をしていた。ここ数年でIT関連の技術が飛躍的に発展したおかげで、ウェアラブル端末と拡張現実が日常生活に普及してしまって、今では道行く人々が装着型端末と多機能イヤフォンを常備している。僕も例に洩れず。だから、それなりに便利ではあるものの、窮屈で面倒な電脳ライフを営むことになってしまっている。
特殊レンズを通して広がる拡張現実のウィンドウで相手が唸った。
何を暢気な、と言いたいのだろう。
カップをソーサーに戻すついでに、顎を小さく動かして話を促した。そもそも、朝食を摂っているところに連絡を寄越してきて、後で掛け直すという申し出を無視したあげく、ぺらぺらと勝手に話し出したのは「あちら」の方だ。朝っぱらから苦情を受ける筋合いはない。
とはいえ、今回の任務に関係があるのも確かだから、口は噤んでおく。
「……で、今回の件について『被疑者』の足取りは分かったかい?」
「そうですね、まぁ、すぐに見つかるでしょう。僕の手足がパリ市内を捜索しています。彼の罪状についても速やかに検証しますし、『被疑者』を執行対象として確定するのも時間の問題ですね」
「くれぐれもミスのないよう頼むよ」
「そんな過ちを犯すような人物に、この職が務まると思います?だとすれば、僕たちを〈陪審員〉に任命した人事にも責任があるんじゃないですか?」
「相変わらず舌だけはよく回るね」
「お褒めいただき恐縮です」
「キミは本当にいい性格をしている」
はぁ、と吐き出された溜息がイヤフォンから響く。
「今回に関しては〈連盟〉の捜査官が殺されているからね。〈連盟〉上層部も普段以上に神経質になってるようだし、気を引き締めて任務にあたってくれ」
「善処します」
僕は気負うこともなく答える。
そもそも、僕や通話相手――――の同僚にとって、健気なまでの懸命さなんて似合わない。
―――――― 〈連盟〉。
――――――正式名称『国際魔術監督機構』。
そして略称はIMSA。
一九二〇年に発足した「国際連盟」を思い浮かべたなら、それはかなりニアピンな連想だし、あながち間違いじゃなかったりする。元々、通称〈連盟〉と呼ばれる組織は、国際連盟と同時期に創設されたから。つまり国際連盟に連なる機関ということだ。
「国際魔術連盟」。
これが創設当時の旧名。
現在では、国際連盟が国際連合に改編されるにあたって、完全な傘下組織として吸収されている。その組織としての御題目といえば、「国際的魔術監視」で、まぁ想像通りなわけだけれど。
さて、国際連盟なんてものを提唱したのは誰か――――――と問われれば、アメリカ大統領ウィルソンだった。じゃあ、〈連盟〉を創りだしたのはどんな奴らか?
勿論、〈魔術師〉だ。
〈魔術〉を監督しようなんて、そもそも、〈魔術師〉以外に標榜しない。いや、今のはちょっと誤謬。そんな厳めしい金言を掲げたがるのは、たいてい為政者や国家権力っていうのが、国際政治を理解するにあたっての大前提だ。つまり、それを信奉したのは〈魔術師〉で、標榜したのは権力側というわけ。
そもそも、創設に国際連盟なんて絡んでる時点で、お察しの通りではある。
ま、それは置いておこう。
ここでは〈連盟〉が創設された社会的背景、が特筆されるべきだろう。
『黄金期』。
それは、〈魔術〉にとっての春だった。
すなわち、十九世紀から二十世紀初頭にかけての、一期間。
例えば心霊主義、あるいは神秘主義といった―――――オカルティックともいえる風潮を帆に受けて、近代魔術師たちが〈魔術〉という未知の大海に漕ぎ出した、というロマン溢れる時代のことだ。実に夢物語って感じがするだろうけど、本当に春の夜の夢だったともいえる。ああ、蜃気楼、とかも比喩としては正しい。
だって、『黄金期』は抹消されてしまったから。
――――――そんなものは、所詮、三流オカルトだ。
それが保守派の〈魔術師〉と、国家権力側が掲げた言い分だった。何故前者が『黄金期』を否定したかといえば、一般市民への〈魔術〉の解放――――――は、誰でも〈魔術〉が扱えるようになる、つまり〈魔術師〉のアイデンティティの喪失に直結していたから。では後者はどうか。彼らは〈魔術〉を軍事利用可能な、稀少な特殊資源として捉え、それを独占しようとしただけだ。どちらにしたって、利己的には違いない。
彼らは神秘主義の御旗の下で、〈魔術〉の実在性を証明しようと試みた近代魔術師たちを、「頭のイカれた」オカルティストどもだと吹聴し、徹底的な情報統制で『黄金期』を終息させていった。一九二〇年から第二次大戦が終結する一九四〇年代まで、たったの二十年間程度―――――で、巧妙な情報工作やプロパガンダ、出版・言論分野への介入を通じて、サッパリ綺麗に〈魔術〉を否定することに成功。全面的な〈連盟〉監視下に置かれた民間魔術師と、〈連盟〉でさえも干渉できない国家権力側が擁する魔術師が、現在の魔術界を構成している。政府側の魔術師は大方、専門の魔術部隊だとか、魔術特務機関だとかだろう。
通称〈連盟〉・IMSA――――のデータベースには厖大な情報が詰め込まれていて、〈魔術師〉一人ずつの個人情報や、魔術結社などの魔術関連組織に関する登録情報を含む、全世界に数百万人いるとされる〈魔術師〉の全データが管理下にある。それらの情報に基づく盤石な監視体制。いっそ完璧ともいえる〈連盟〉という巨大組織の内部は様々な部署が割拠していた。データベースの更新・管理担当の「情報管理部」。はたまた、魔術関連組織間の抗争やトラブルの民事裁判担当の「調停部」だとか、まぁ「国際的魔術監視」なんてモットー相応の規模だってことは疑う余地もない。
そして〈連盟〉の捜査官とは、「捜査局」――――――魔術監視において秩序維持の観点から捜査の必要性があると判断された事件―――――を調査するセクションに属する人員だった。
〈連盟〉の捜査官が殺された。
それは僕が駆り出されるには、勿論、十二分な理由になる。
「あぁ、そういえば」
「何だい?」
「お礼を言わなきゃと思ってたんです。シュヴァリィさんの紹介してくださったパリのアパルトマン、そう、とても居心地が良かったので。ウィークリー・マンションとしても借りられるのがありがたいです」
僕は振り返って、通りに面した窓から、街の様子を眺める。
パリ市内。
リビング・ダイニングとキッチン、それに寝室が一部屋と、トイレとシャワールームが付いたアパルトマン。地区年数は百年オーバーだけれど、数年前に内装だけリノベーションされていて、住むのに不自由はしない。それどころか、快適そのものだ。一九〇〇年代そのままの、クラシックな外観と、現代的なテイストの造りが融合して、モダンなウィークリー・マンションといった雰囲気。
「今居るんだろう、知ってるよ。良い場所だろう」
「はい、ありがとうございました」
僕は拡張現実に投影された、半透明のウィンドウに映る相手へと、ほんの軽くだけ頭を下げる。それから「仕事向き」のひどく真摯な面になると、まるで場面を転換させるみたいに問い返した。
「――――――それで、話はそれだけじゃないんでしょう?」
本題はここから。
そういう意味を暗に示したところ、相手は若干眉を顰めながら、密やかともとれる調子で続けた。
「インターポールの捜査官がキミに面会を申し入れてきてね」
「え?」
インターポール?
そもそも魔術に関する一切は〈連盟〉の監督下に置かれている。だから、たとえ魔術師絡みの事件が起きたとしても、それは「捜査局」の魔術師―――――つまり捜査官が担当する案件であって、インターポールが首を突っ込むようなことは万が一にもありえない。インターポールだけじゃなく、そもそも、各国の警察や検察だって〈魔術〉の領域は門外漢。全ての魔術犯罪は〈連盟〉の管理対象だ。
どういうことだ?
僕の怪訝そうな表情を読み取ったのだろう、相手が追加情報を並べ、欠けた要点を補足してくる。
「今回の『被疑者』は政治にも絡んでいるらしい。それもかなり面倒な部類の関わり方で。キミに面会を申し入れてきた捜査官は、世界規模の人身売買組織について追っているそうだ。そしてその組織と『被疑者』との間に接点が浮上している、と報告してきた」
「……だとしても〈連盟〉に接触してくる必要はないでしょう。インターポールだって、その辺りの線引きくらいは、真っ当に理解しているはずだ」
「まぁ、そう言わないで。今回の件は思った以上に大事になるだろう、というのが〈陪審院〉トップの推測だ。こちらとしても独立機関の原則は守るとはいえ、〈連盟〉も気掛かりの案件だろう。気は乗らないかもしれないが、とりあえず、一度面会の席を設けてくれるとありがたい。連絡先はメールで送るよ」
解りましたよ、と渋々肯く。
今回は特に面倒な任務に当たってしまったらしい。アタリを引いたな、という相手の言葉は、あからさまな皮肉だからさらりと聞き流す。アタリなものか。全く面倒極まりないし鬱屈するな、とは思うけれど、僕らの仕事が「憂鬱」でなかったことなどない。ただ時勢を読んで動く勘の良さ、機転、臨機応変な柔軟性が、何割か多めに必要になっただけだ。
「〈陪審院〉の名を貶めることのないように」
――――――〈陪審院〉。
それは、「魔術師を裁く断頭台」。
全世界の魔術師を管理・監督する国際組織――――〈連盟〉の内部にありながら、独立した権限に基づいて「魔術師を裁く」司法機関。いや、司法というよりは執行機関だろう。執行するのは死刑のみ。それ以外の刑罰は選択肢として存在しない。
何故って、〈陪審院〉の管轄する魔術師は――――――大罪人だけだから。
そもそも、〈連盟〉監視下の魔術師は九割方、巨大データベースに管理掌握されているのだ。もしも〈魔術〉に関するトラブルや事件が起きれば、瞬時に登録情報に照会後、〈連盟〉の捜査局に報告されて身元拘束請求が出る。捜査官による徹底した調査後、『被疑者』に対し、起訴・不起訴などの判断が下される―――――のが本来の流れ。場合によっては、〈連盟〉管轄の牢獄行きもあるものの、ほとんど「非意図的なミス」や不手際によるトラブルばかりだ。情状酌量の余地アリ。それで捜査はおしまいになる。
但し、だ。
――――――〈魔術師〉にだって重犯罪者って奴はいる。
そういう面倒な輩は悪意をもって〈魔術〉を用い、一般社会に影響を及ぼしたり、多くは魔術とは全然関わりもない市民を殺害したりする。それだけじゃない。例えば政治家や富豪、高級官僚や軍上層部の人間は、一部の魔術師を手懐け、「子飼い」として飼い馴らしているのだ。彼らがマフィアやギャング、人身売買に臓器密売、麻薬の密造・密輸なんかにかかわる犯罪組織と癒着していれば、〈魔術〉はそういう裏社会にも違法ドラッグのごとく蔓延してしまう。実際、現実の話だけれど。
僕らが担当するのが単に「見境のない」魔術師だけじゃなく、国際政治や裏社会にも通じる、一癖も二癖もある厄介な魔術師だってことが解るだろう。
〈陪審院〉。
それは「魔術師を裁く断頭台」で、しかし、「魔術と権力を量る天秤」でもある。
そして、〈陪審院〉に所属する実動部隊――――――が〈陪審員〉だ。
僕たち〈陪審員〉には〈魔術師〉としてのランクとは別に、この職責への適性を示す「等級」があって、総勢十名の魔術師たちが四段階のピラミッド型に格付けされている。最下層から順に、三等が四人、二等が三人、準一等が二人、一等が一人――――――の計十人。こうした指標を踏まえて、『被疑者』の危険度や犯罪周辺の背景事情から、個々のレベルに応じた任務が割り振られる仕組みだ。
〈陪審員〉には担当案件に関する捜査権、身柄の拘束、そして刑の執行までの全権委任が前提として認められている。僕たちは「監視者」としてのシンボルで、同時に、誰も逃れられないギロチンなのだった。
今回の案件は、そういう意味で、面倒極まりない。
「解っていますよ」
〈陪審員〉に任命されるのは、何も、年功序列や魔術の才能だけじゃない。
最も必要なのは――――――。
「では、宜しく頼むよ。ダレン・ゴーストヒルズ二等陪審員」
ダレン・ゴーストヒルズ。
〈陪審院〉所属 二等陪審員。
僕は「勿論です。では、また―――ギュスターヴ・シュヴァリィ一等陪審員」と答えて内蔵の通話アプリを切る。それから新たに拡張現実の視界にウィンドウを呼び出すと、フランスの大手新聞社のホームページを検索し、今日の紙面をデジタルデータで購入して落とした。二〇二三年、五月二三日付。ベロリ、と机に非実体の新聞を乱雑に広げ、何も触れない指先でページを捲っていく。社会・政治面トップは「ブラン氏率いる極右政党 さらに党勢拡大」の見出し記事。それから、「イスラエル・パレスチナ間紛争 休戦協定撤回か」だとか、地中海で相次ぐ難民失踪、イギリスのEU離脱決定の影響について、なんかの厳めしい掲載記事が続くのを同時翻訳ツールで読み下しながら冷めたカフェ・オ・レを呷る。
全紙面を一読した頃になって、シュヴァリィ一等陪審員から、ショートメッセージが届いた。
インターポール捜査官 リチャード・ブラック。
そして電話番号とメールアドレスが記されている。
僕は記載されたアドレスをタップすると、新規メッセージを立ち上げ、面会日時を示した文面を打ち込み始めた。