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プロローグ

縦読み推奨

 僕は『捨て子』だった。

 両親に捨てられたというわけではなく、生まれる前から捨てられていたのだ。

 神の加護を受けられなかった魂は、地上界に赤子として落とされる。そこが海の底なら、赤子は溺れるだろう。そこが平野の中央なら、魔物に食べられるだろう。そこが街中だったとしても、運が良くて奴隷にされ、運が悪ければ……通りがかった人間に踏まれ、蹴られ、なぶり殺されるだろう。

 僕ら『捨て子』には、人権も居場所もない。僕たちの瞳が琥珀色に輝いているだけで、全ての権利を剥奪される。たとえ人間と変わらない容姿をしていても、だ。

 ――なぜ『捨て子』は、人に忌み嫌われるのか。

 それは、生まれた時から言葉が話せるから。

 それは、食事を取らなくても死なないから。

 それは、周りの人にそう教わってきたから。

 それは、殺すとみんなが褒めてくれるから。

 それは、殺しても絶対に咎められないから。

 それは、殺すと経験値が多く手に入るから。

 それは、自分が周りに嫌われたくないから。

 理由のほとんどは、『みんながそうしている』から。

 当然、誰も反論できるはずがない。


 『捨て子』は、どう取り繕っても『捨て子』なのだから……。


『ガルルルルルル!』

 そんな僕が魔物に囲まれて死にかけているのも、当然の事なのかもしれない。全身傷だらけの体は、立つのがやっとの状態だ。

 壁際に追い詰められ、三匹の黒い狼が今にも飛びかかろうとしていた。

(…………)

 左手に持った短剣をなんとか構えながら、人生について考える。今まで生きながらえたことを幸運と見るべきか。食料として狼の役に立てることを喜ぶべきなのか。

 額の傷から流れる粘っこい血が、左目の視界を奪っていた。それでも右目には嫌というほど狼がくっきりと映っている。やけに鮮明なのは、狼との距離が目と鼻の先だから。


 このままでは間違いなく――死ぬ。


 にもかかわらず、僕は狼に向かって微笑んでいた。

(それで君たちが救われるのなら、僕の死も無駄じゃない……かな)

 ――そんなことを思いながら。

 心の中では、どこか救いを求めていた。死にたくない。もっと世界を楽しみたい、味わいたい。

 誰もが笑って暮らせる世界を作りたい。

 そんな絵空事の願いに応えるかのごとく、体が勝手に動き出す――。



 曇りがかった昼の空。会場がしんと静まり返る。

 直前まで『死ね、死ね』と一斉に連呼していた客たちは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。

 無理はない。その闘技場に放り込まれた黒髪金眼の少年は、獰猛な狼たちに翻弄され、まともに反撃すらできぬまま傷を負い、今にも死にかけていたというのに。

 少年の髪が真っ白に光ったかと思うと。それはまるで、紙がヒラリと舞うように。

 子供が白紙に描いた落書きのような、予想のつかない軌道で、彼は狼の攻撃を次々と回避していく。こんな光景を見せられたら、観客も唖然としてしまうだろう。

「嘘だろ……」「あの金眼、Lv.Aの雑魚じゃなかったのか⁉︎ 相手はB級魔物の黒狼ダークウルフだぞ‼︎」「金眼のくせに!」

 客たちがざわめき出し、静寂は破られた。『捨て子』の少年が善戦するにつれ、喧騒は大きくなっていく。連携が乱れた三匹の狼は、先ほどの立場からは打って変わり、翻弄される側となっていた。

 少年は身をかわしざま、短剣で敵を切りつける。それは浅い傷で、狼にとっては痛くも痒くもないものだ。

 しかし、何十何百と目にも留まらぬ速さで繰り返される斬撃は、着実に狼を疲弊させていく。戦闘はもはや少年の独擅場だった。

 やがて、剣舞を演じるかのように戦っていた少年も、さらに速度を上げる。

 ――否、少年は何もしておらず、狼の動きが鈍ったのだ。相対的に、観客は少年が踊りを加速させたかのように錯覚してしまう。

 弱り切った狼は急所を何度も突き刺され、一匹、また一匹と沈んでいく。最後の一匹も果敢に飛びかかるが、少年はとっくに反応していた。飛んだ狼の下に滑り込み、短剣を縦にして両手で支える。

 敵の勢いもあり、短い刃は狼にすんなりと食い込んだ。そのまま割かれた腹から血がどっと溢れ出し、黒い獣は絶命する。

 それを見た観客は『捨て子』に恐怖を覚えたのか、狂ったように叫び出した。

「酷い! 狼に謝れ!」「死ね!」「見たか、金眼は危険だ! 皆殺しにせねば!」「復讐だ、復讐される!」「処刑よ処刑! 早く!」

 そんな声を聞いてか聞かぬか、少年はただ、信じられないといった表情で立ち尽くす。

 彼は驚いていた。観衆による罵倒にではなく、自分が勝ったという事実に。

 そして肩の力が抜けたのか、糸の切れた人形のようにパタリと倒れる。その粗末な奴隷用の服は、返り血と自身の血で赤黒く染まっていた。


「お嬢様、どう思われますか……」

 観客席の一角。

 細目をした執事姿の麗人が、隣にいた金髪の美少女に抑揚のない声で語りかけた。

あれ(・・)は素晴らしいですわ。すぐに手配してくださいませ」

 お嬢様と呼ばれた少女は頬を上気させながら、鈴を振るような声で返答する。その青玉のように鮮やかな碧眼が闘技場の少年に向ける視線は、他の客の醜い視線とは明らかに違った。

 憎悪ではなく、興奮、尊敬、憧憬、期待などが見て取れるような視線を注いでいる。

「お値段の方は……」

「全財産、1000万クリスまで出しますの。それでもダメなら、実力行使でお願いしますわ」

「承知致しました……」

 少女から小さな水晶を受け取り、深々と礼をした女執事は、音を立てずに消えていく。

 常人ならすぐに見失うであろう気配の薄さは、まるで機械のような印象を与える。

(少年……わたくしはあなたに、全てを託しますわよ)

 少女は不敵に笑いながら、頬に汗を伝わせる。もう後がないにもかかわらず、その瞳には根拠のない自信が宿っていた。

 それが吉と出るか凶と出るか、神すらも知らない。乾坤一擲、全財産と運命を賭けて、賽は投げられた。


 闘技場に横たわる、血まみれの少年。

 彼を回収しに来た二人の兵士は、槍で少年を恐る恐るつついている。

「これ、触っても大丈夫か?」「呪われたりしないよな?」

 まるで生命を燃やすかのように白く変貌した、その短髪。兵士が気味悪そうにつぶやくが、少年に対する観衆の罵声にかき消される。

「何やってんだ、てめえら! さっさと金眼を殺せ! 客がうるさくて仕方ねぇ!」

「た、隊長! 申し訳ございません!」「いますぐ殺します! せーの……」

 背後から現れた大男が処刑を急かす。部下らしき兵士たちは謝罪し、槍を振りかぶる。

 ――しかし、少年の首を狙う二つの斬撃は阻まれた。厳密には、初めから気配を消してそこにいた女性に。

「あれ? 槍が止まって……」「なっ、貴様は何者だ!」

「申し訳ございません……お嬢様の命令ですので……」

 じわりと水にインクをこぼしたように、無表情の女執事が姿を表す。

 ぎょっとした兵士が問いただすが、彼女はすました顔で告げる。

「その奴隷を買います。1万クリスでどうでしょう」

「1万だと? 無理だ無理、客を見てみろ。処刑しねぇと気が済まねえだろうなぁ」大男が観衆の方を見て、わざとらしいため息を吐き、「1億クリスでも用意できるなら話は別だが……?」

 片目でチラリと相手を見て、無理難題を吹っかける。相場がパン一つと同程度の『捨て子』を、屋敷一つ建てられる値段で買う者はいないだろう。この男、はなから売る気などないのだ。

「……。では、10万クリスでどうでしょう……」

「話にならねぇな。百歩譲って1000万クリスだ。ま、用意できたらの話だがな」

「100万クリスなら……」

「いんや譲れねぇ。さっさと帰れってんだ、しっしっ」

 大男は動物を追い払うような仕草をした。それに対し、女執事は一瞬顔をしかめるが、やがて水晶を取り出して強く握った。

 それは魔物から取れる小さな水晶、通称クリスタル。クリスと呼ばれる光の粒を保存でき、通貨として広く使われている。

「な、本気で払う気か⁉︎ こいつはゴミ同然の価値しかない捨て子――っと、口にするのも汚らわしい!」

「何度も言いますが、お嬢様の命令ですので……」

 クリスタルが光り出す。宙に浮かび上がったのは、羊皮紙の契約書。そこには、1000万クリスと奴隷の全権を交換するという旨が書かれていた。

 大男は自分のクリスタルを取り出したのち、紙の最下部にあった『承認』の文字に触れる。

 すると契約書は燃え、光の粒子がクリスタルからクリスタルへと渡った。

「へ、へへ、これで一年は遊んで暮らせるぜ。どうなっても知らねえが、そいつは好きにしな」

「言われなくても……。少年よ、お嬢様の元へ、お連れいたします……」

 女執事が少年を抱きかかえ、闘技場から出て行く。当然、観客の顰蹙を買って怒声を浴びせられるものの、彼女は顔色一つ変えなかった。

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