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ある神官の一日(イフェ諮問神官視点) 後編



 挨拶をして家の中に入れて欲しいとお願いすると、小動物のような女性は、意向を伺うように申請人を見上げました。

 その姿は、彼に怯えているようにも見えます。

 すぐにでも神殿へ連れて行ってあげたいところですが、今後のことを考えれば、はっきりとこの申請が無効であり、神殿による保護が必要であることを証明、または証言してもらわなくてはなりません。

 後見人にご領主が付いている以上、下手なことはできませんしね。


 鷹揚に頷く申請人に敵意をいだきながら、気合を入れて家の中に一歩足を踏み入れると、ふと風が通り、良い香りがしました。

 見渡せば、室内はさっぱりと清潔に片付けられていて、環境は悪くはないようです。

 住環境を理由に引き取ることもできるかと思ったのですが、やはり彼女自身の証言が必要、と。


 申請人から申請証を預かり、退出を促すと、申請人は警戒する様子を見せて、まるで警告するように扉を全て開けておくと言いました。


 やはり、何かやましいことでもあるのでしょう。

 ますますもって、怪しい限りです。


 ですが、まぁ、彼女から申請人の姿が見えないことが何より重要なのであって、扉が全部開いていてもこちらとしては問題ありません。

 もし会話を聞いて途中で乱入してくるようなら、それを理由に彼女を引き取ることもできますし。


 承諾すれば、申請人は調理場の奥でお茶の用意をしてくれているらしい女性に「少し出てくる」と声を掛けて外に出ました。

 ・・・隣室に待機するのかと思ったのですが、外に出るとは。

 これではよほど大きな声で話さない限り、外まで聞こえることはないでしょう。

 本当にやましいことがある男というのは、会話を盗み聞きしようとするだけでなく、音や気配で少しでも女性を威嚇するべく、近くに待機しようとすることが多いものなのですが。

 この点だけは、少し、好感が持てます。

 

 それでも、扉を全て開いているのですから、油断はできません。

 私から見えない角度で威嚇してくる可能性があるので、女性が壁に向かう形になるように家具の位置を調整して座ると、ちょうど黒髪の女性が微笑みながら少し変わったお茶を出してくれました。

 立ち上る湯気の香りが爽やかで、飲むと喉がスッとする不思議なお茶です。


「これは、初めて飲む味ですね。なんというお茶なのですか?」

「普通のお茶ですよ? ただ、ちょっと香草を加えてみたんです。お口に合いますか?」

「ええ、とても美味しいです」


 心から言うと、女性は嬉しそうな笑顔になりました。

 なるほど、これが訪れし者がもたらす有益さの一つなのでしょう。

 お茶に何かを加えるという発想が、今までこの街にはありませんでしたから。こちらの常識に縛られない訪れし者の豊かな発想力は、時に街どころか大陸全土の生活を豊かにするものさえあるといいます。


「こちらのお茶は、フローイン教師もお飲みになったことがあるのですか? ああ、私はフローイン教師と同じ神殿で働いておりまして。同じ時期に中央神殿で修行したこともあるんですよ」

「フローイン、教師ですか? ・・・いえ、ありません」


 おや?

 フローイン教師の口添えがあったので、親しい間柄だと示すことで少しでも安心して貰おうと思ったのですが、むしろどことなく声と表情が固くなってしまいました。

 何を思い出しているのか、むっとしたように一瞬眉を寄せて、それから私がいることを思い出したのか、慌てて眉間のシワを消します。


 訪れし者がどうやってこちらへやってくるのか、詳しくはわかっていませんが、神殿内で発見される訪れし者を最初に接し保護するのは、教師たちです。

 その中でもフローイン教師は教師たちの長という立場でもあり、訪れたばかりで混乱する訪れし者をその美貌と美声で落ち着かせる第一人者と言われている、はずなのですが。


 ・・・フローイン教師。

 あなた一体何をやったんですか?


 とりあえず、女性の表情を強ばらせてしまったフローイン教師から話題を変えて、日々の生活や困ったことがないかなどを聞き出そうとしたのですが、会話を続けているうちに、申請人と出会ったのがつい最近のことだということが分かりました。


 腸が煮えくり返るような怒りを覚えます。もちろん、顔にも声にも出しませんが。


 こちらにやってきてからまだ日が浅いということは、出会ったのはさらに最近のことなはずです。

 顔合わせをさせてすぐに同居させるなんて。

 急がなければならない事情はわかりますが、これはいくらなんでも女性が気の毒です。


「彼のことを、どう思っていますか?」


 ・・・単刀直入に、さっさと言質を取ることにしました。



―――



 女性は、何を言われたのかわからないというように、大きな黒い瞳を瞬かせています。


「私は貴女を守り、保護するものです。なにも恐れることはありません。ですから、正直に答えてください。貴女は夫になる方をどう思っていますか?」


 少しでも女性に安心してもらいたくて、言葉を重ねたのですが。

 直後、とてつもない悪寒に襲われ、背筋と首筋がピリピリと痛むような緊張感を感じました。


 な、なぜか急にとんでもなく命の危機に立たされているような気が・・・。


 青ざめてしまいそうになるのを気合でなんとか持ちこたえ、表情に出さないように気をつけて答えを待つと。


「どうって・・・」


 戸惑って、少し考えるように小首を傾げた女性の口からポロリ、とこぼれてきたのは。


「・・・クマさんのぬいぐるみみたいだなぁ、と」


 え?

 ・・・ぬ、ぬいぐるみ?

 ぬいぐるみ・・・ってなんでしたっけ?

 ぬいぐるみって、凶悪な生き物の名前でしたっけ? いやいや、え? ぬいぐるみ??

 混乱する頭に、ぽん、と思い浮かんだのは、街の幼い女の子が大切そうに抱きしめる、小さくて可愛らしいクマのぬいぐるみで。


「・・・はいっ!?」


 あまりにも予想外すぎる一言に、思わず素で聞き返してしまいました。


「あ、いえっ、あの、髪もおひげもふさふさのふわふわで、ぬいぐるみみたいというか。どっしりしていて、安心感があるところも似てますよね!?」


 柔らかそうな丸みを帯びた頬を真っ赤に染めて、慌てて弁解するように言葉を重ねていますが、結局、熊のぬいぐるみといったのは、聞き間違いではなかったようです。


 あの悪鬼のような強面の、どう考えても不精しているとしか思えないボサボサの髪と髭が、『ふさふさのふわふわ』。

 身体すべてが武器です、と言わんばかりの鍛え抜かれた縦にも横にも大きい体が、『どっしりしていて安心感』。


 ・・・むしろ、本物の野生の獣になら似ている気がしますが。

 間違っても、ぬいぐるみのような愛らしさや柔らかさは欠片もないと思います。


「・・・そ、そうですか。ぬいぐるみ、ですか」


 あまりにも予想外すぎる答えに、頭の中では野生の獣と可愛らしいぬいぐるみが格闘し始めてしまいました。

 もちろん、野生の獣の圧勝です。


「・・・他には?」


 思わず遠い目になって混乱しつつ質問すると、顔を真っ赤にさせたまま、あわあわと慌てていた女性は、思い出すように指折り数えるようにしながら、言葉を紡ぎ始めました。


「えっと・・・。言葉数は少ないですけど、必要なことはちゃんと教えてくれますし、私が作った御飯をとても美味しそうに食べてくれる方です。それに、私が過ごしやすいようにさりげなく気遣ってくれる、とても優しい方なんですよ。・・・あとは、これからゆっくり知って行けたらいいな、と」


 うっすらと頬を染めて恥ずかしそうに微笑みながら、どこか嬉しそうに語る女性に、目からウロコが落ちるどころが、目玉自体が落っこちそうになってしまいました。


 ・・・これは、もしかして。

 最初から、私の・・・勘違い?


 どう見ても、この恥ずかしげで幸せそうな表情は、声は、脅されている人間のものではなく。

 それどころか、これは。


 恋する乙女の顔、ですね。


「・・・良い夫婦になれそうですか?」


 どういう経緯かはわかりませんが、あの申請人は彼女のことを非常に気遣い、そして彼女もあの容貌魁偉な男性を、優しい人なのだと認識しているようで。


 ・・・いえ。容貌は、その人の人間性とは、全く関係ありません。


 自分の思い違いに、思わず赤面して項垂れてしまいそうになりました。

 初めて彼をみた時から、私は、彼の内面を見ようとしていなかったのです。


 諮問神官、失格です。


 私は外に出さないように気を付けながらも、内心激しく自分を罵り、自己嫌悪にどっぷりと浸かりながら尋ねると、女性は柔らかな表情のまま、まっすぐな強い瞳で私を見つめてきました。


「・・・先のことは、私にはわかりません」


 一瞬、深い悲しみと痛みが、瞳をよぎったような気がしました。

 しかし、それを確かめるよりも早く。


「でも、私は私のやるべきことをした上で、そうなれるように努力します」


 真っ黒な瞳に浮かんだのは、それ以上に強く輝くような、強い意思。

 ハッとするほどの決意を秘めた強い瞳に息を飲むと、不意に視線を柔らげ、少し照れたように微笑みました。


「いつか、本当の良い夫婦になれたら、素敵ですよね」


 夢見るように、憧れるように。

 けれど、確実に。

 実現が難しいとわかっていても、希望をもって、諦めずに努力し続けていく。


 ・・・この女性は、それができる人なのでしょう。

 詰めていた息を、大きく吐き出して、微笑み返しました。

 

「貴女がその気持ちを忘れなければ、きっとなれますとも。ご結婚、おめでとうございます」

「ありがとうございます!」


 初めて向けられた満面の笑顔に、猛烈に恥ずかしくなりました。

 私は諮問神官という立場でありながら、申請人を外見だけで判断しようとしていました。確かに、あまりにも恐怖を抱かせる外見ではありますが、見た目と中身が一致するとは限らないということはよく知っているはずなのに。


 猛省しながら申請人を呼びに行くと、少し離れた場所から中へ入り、その射殺されてしまいそうな鋭い視線が最初に確認したのは、私を飛び越えた先にいる小さな女性の姿で。

 視線が合って、にこりと微笑んだ女性に、無表情のままながらも、視線が柔らかくなり。


 きっとこれが彼流の微笑みなのだろう、と思うと肩から力が抜けました。


「お二人に、|星神≪フィリー》と星妻(リーフェ・リア)のご加護を。ご成婚、おめでとうございます」


 きっと、彼はこれからも私のような未熟者に外見だけで怯えられたり、謂れ無い敵意を向けられたりしてしまうのでしょう。

 それでも、怯えることなくまっすぐに微笑みを向けるこの女性と一緒なら。

 その誤解が解けるのも、あっという間のはず。


 ・・・良い夫婦に、なれそうですね。


 確信をもって婚姻を認める署名を記入し、申請書を申請人に手渡しました。


 これで。

 私はこの二人の正式な後見人の一人になります。

 それぞれの後見人ではなく、ひと組の夫婦の後見人として。


 暇を告げて街へ続く道を歩きながら、途中で一度だけ振り返ると、二人はまだ、扉の前で熱く見つめ合っていました。


星神(フィリー)星妻(リーフェ・リア)のご加護を」


 ・・・新たな生活を始める二人へ、もう一度、心を込めた祈りを。






おまけ。



 ある日、イフェ諮問神官の執務室にて。


「・・・イフェ諮問神官? これは一体?」

「ああ、それは私の自戒なんです」


 広々とした執務机には、恐ろしげな獣のお面を被った可愛らしいクマのぬいぐるみが、でんっ!と置かれている。



 数日後。



 いつもの時間に執務室に来たイフェ諮問神官は執務机の上を見て、目を丸くし、それから盛大に吹き出した。


 広々とした執務机の上には、いつもの通り、恐ろしげな獣のお面を被った可愛らしいクマのぬいぐるみ・・・と、そのクマのお腹にそっと寄り添うように小さな動物のぬいぐるみが、ちょこん、と置かれていた。


 それからというもの、イフェ諮問神官の執務机には、常にこの二つのぬいぐるみが置かれている。


 ・・・誰の仕業かは、謎のまま。



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