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もしも夫が風邪を引いたなら(夫視点)


風邪を引くと、思考もおかしくなるものです。


 ・・・まずい。

 目が覚めて、最初に思ったのはそれだった。


 ひどく汗をかいているのに、寒気を感じ、体の節々が痛む。

 明らかに風邪の熱症状だ。

 ここ数年、風邪なんて引いたことがなかったんだが。


 気が緩んだか。


 じっと動かずに、浅く呼吸を繰り返し、体の回復を待っていると、腕にひんやりとした感触。

 一瞬体に力が入り、それが小さな妻の手だと気付いて、弛緩していく。


 すぐに小さな手が離れたと思うと、恐る恐る、そっと額に小さな手が戻ってくる。怯えたように離れていきそうになった手は、額全体を撫でるようにして戻ってきた。

 発熱している肌に、小さな手が冷たくて気持ちいい。


「だ、旦那さま、熱です! 起きて、どいてください!」


 火事でも発見したかのように慌てふためいた声に、そんなに慌てなくても、と思いつつ、いつも通り足をまげて妻を通してから気がついた。


 しまった、朝の挨拶をし損ねた。


 思わず離れていく妻の腕を掴んで引き止めようかと思ったが、俺でさえこれほどだるさを感じる風邪を、もし妻にうつしてしまったら可哀想だ、と思いとどまる。


 パタパタと軽い足音が家の中を行ったり来たりしている音を聞きながら、ゆっくりと身体を起こすと、節々が痛んだ。

 随分、熱が出ているらしい。


「旦那さま、お水飲みますか?」


 小さな妻が、タオルに埋もれるようにして、水差しを三つとコップを持ってふらふらと部屋に入って来た。


 ・・・どうやって水差しを三つも持っているんだ?


 差し出してくるコップが大きく見えてしまうほど、細い腕で小さな手なのに。

 不思議に思っていると、妻が少し考えた後に、口元までコップを寄せてくる。


 水は飲みたいが、動くのが億劫だ。


 受け取る気がないと分かると、そのままゆっくりとコップを傾けて来て、何度かに分けて飲ませてくる。汗をかいた身体は自分が思う以上に水を欲していたらしく、やけにうまく感じた。


 温かいタオルで顔を拭われて、汗でべたついた感じがなくなっていくのが気持ちがいい。

 首筋を拭かれるのもそのままにしていたが、妻が背中側に回って、服の裾から手を入れて来た時は、一瞬体が緊張した。


 妻はただ汗を拭っているだけだというのは、分かっている。

 ・・・分かって、いるんだが。


 タオル越しの小さな手が、慎重にゆっくりと背中を這う感触に、意識が集中してしまう。


 ちらりと振り向いて盗み見ると、その表情は真剣だ。

 一生懸命さが伝わって来るほど真剣に体を拭いているというのに、どこか色めいて見えて。


 ・・・だめだ。相当、熱で頭がやられてる。


 妻が服を着替えるように言って部屋を出て行くと、大きなため息が出た。

 動かしずらい身体でなんとか服を脱ぎ捨てて着替えたあとは、何もかもが億劫でうつ伏せになってうつらうつらし始めると、何か良い匂いが漂って来た。


「旦那さま、おかゆ作ったんですが、食べられますか?」


 頷いて起き上がろうとすると、背中にクッションを入れて座りやすくした妻が、おかゆをひと匙すくって冷ましている。


 ・・・柔らかくて、旨そうだ。

 その口元をじっと見ていると、妻が匙を差し出して来た。


 それを口に含むと、汗をかいたせいか、少しの塩味がとても旨く感じた。


 もう一口。

 今度は、少し熱い。


 我慢できないほどではないが、予想以上の熱さに思わず眉をしかめると、妻がいっそう甘くて旨そうな唇を尖らせて冷ました後に、匙の端がその小さな唇の中に消えていく。


 少しの間の後に、納得したように小さく頷いて、そのまま匙を寄せてくる。


 恐らく、冷めたかどうかを確認しているだけなのだろうが。

 ひとつの食べ物を分け合う、その親密な行動の意味を、おそらく妻は理解していないのだろう。

 不思議そうな妻がその事に気付いてしまう前に匙を口にした。


 先ほど以上に、旨い。


 妻に考える間を与えないために続きを促すと、せっせと冷ましては温度を確認してから食べさせてくる。


 すっかり食べ終わると、今度は、程よく腹が満たされて、眠くなってきた。


 空になった食器を満足げに片付けたり、タオルを替えたりしながら、パタパタ忙しく動き回っている妻を片手を伸ばして捕まえる。


「だ、旦那さまっ!?」


 動揺して暴れて抜け出そうとするのを、しっかりと苦しくない程度に拘束した。しばらく無駄な努力をしていたようだが、疲れたのか、諦めたのか、大きく息をついて力を抜いていく。

 そのまま、わずかに自由に動かせる手を伸ばして、俺に布団を掛け直した妻は、一仕事終えて満足そうに眠り始めた。


 腕の中で眠る妻を見下ろしていると、不思議な気持ちになる。


 誰かに心配されたり、世話を焼かれたりしている自分なんか、想像もしていなかったというのに。実際にこうして妻があれこれ世話を焼いてくるのは、なんというか、ひどく穏やかな気分になっていく。


 甘やかな妻の体温が心地よくて、ただ抱きしめているだけでは、物足りなくなってきた。

 ・・・そういえば、朝の挨拶がまだだったか。


 都合よく思い出した言い訳を心の中でつぶやきながら、ゆっくりと妻の頬に唇を寄せるが、またすぐに物足りなくなってきて。


 ・・・熱で浮かされた本能が、頬だけで、止まれるわけがなかった。






そうして、妻はがっつり風邪をうつされた、と(笑)



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