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幕間9 ある家庭での一幕


『——続いてのニュースです』


テレビの音が台所まで届いていた。


『昨日、大土島(おおどじま)で発生していた解放型ダンジョン災害について、探索者協会は事態の収束を発表しました』


「ちょっと、そろそろ着替えなさい」

「はーい」


返事だけして、山口結衣はソファに沈んだままリモコンを握っていた。スカートは穿いている。ブラウスのボタンが二つ開いたままだ。


画面に島の映像が映った。上空から撮ったものらしい。火山があって、そこから黒い柱みたいなものが空へ伸びている。


雲を貫いていた。


「うわ、なにこれ」


『こちらは三日前に撮影された映像です。大禍樹(たいかじゅ)と名付けられたこの超大型モンスターは、最終的に高さ二千百メートルに達していました』


「二千メートル?」


『成長を続け、根を海底へ伸ばしており、本土への到達も予測されていました』


本土って本州のことだよね。モンスターがこっちに来るところだったの?


映像が切り替わった。同じ場所で今は何もない。ただの火山だった。


「……消えてる」


『討伐に赴いた探索者らの活動により、大禍樹は完全に消滅。島民八千二百十四名全員の避難が完了し、死者はゼロでした』


母親が台所から顔を出した。


「すごいわねぇ。誰も亡くなっていないの?」

「らしいよ」


『特筆すべきは、この災害対応にSランク探索者が一人も参加していなかった点です』


「え」


『Sランク探索者は現在全員が国外の災害対応にあたっており、大土島には最短でも翌日以降の到着が見込まれていました』


「じゃあ誰が倒したの」


『事態を打開したのは、当時Bランクだった探索者、狭間蓮(はざま れん)さん、二十四歳です』


画面に写真が出た。白いTシャツにジーンズの男の人が短剣を持って立っている。どこかのダンジョンで撮られたものらしい。


「Bランク?」

「Bって、どのくらいなの」


母親が皿を拭きながら聞いてきた。


「知らない。でも下から三番目くらいじゃなかったっけ」

「そんなの?」


『狭間さんは動画配信サイト「Dチューブ」において「REN」の名義で活動しており、視聴者からは「短剣ニキ」の愛称で知られています』


「あ」


結衣は身を起こした。


「短剣ニキじゃん」

「知ってるの?」


「知ってるよ。ご飯食べてる人。クラスでも見てる子いるし」

「ご飯?」


「そう。ダンジョンで狩ったモンスター食べるの」


母親が変な顔をした。


「……食べるの?」

「食べるんだよ」



 ◇



ニュースは続いていた。


『狭間さんは独自の空間魔法により、島と本土を直接結ぶ転移経路を構築。船舶による輸送が困難となっていた状況を打開し、八千人の避難を実現しました』


図解が出た。島と本土が青い線で繋がっている。


『さらに負傷者の後送体制を確立。現地の食料不足に対しては、モンスターを食用として調理し、二百人以上の探索者に供給したとされています』


「ほら、食べてる」

「本当に食べるのねぇ」


『そして最終局面では地下深部に到達し、大禍樹の中枢を破壊。島の壊滅を防いだとされています』


「……あの人が?」


ご飯を食べてるだけの人だと思っていた。


『探索者協会は狭間さんについて、近日中にAランクへの昇格を発表する見込みです。全国に二十名しかいないAランクへの、このスピード昇格は異例となります』


「二十人しかいないんだ」


『関係者からは、将来的なSランク到達を期待する声も上がっています』



 ◇



「ねえ、お母さん」

「なに」

「探索者ってさ、どのくらい稼げるの」


母親の手が止まった。


「……なんでそんなこと聞くの」

「うちのクラスの男子が、なりたいって言ってる」


食器を置く音がした。ふきんを持ったまま母親が台所から出てきた。


「立派な仕事よ」


思っていたのと違う答えだった。


「あの人たちがいなかったら、もっと大変なことになってる。それは、お母さんもわかってるの」

「……うん」

「でもね」


母親がテレビを見た。画面には、消えた火山が映っている。


「あなたには、なってほしくない」

「なんで」

「危ないからよ」


そんなの当たり前だ、と言いかけて結衣は口をつぐんだ。母親の顔がいつもと違ったのだ。


「お母さんの同級生でね、探索者になった子が三人いたの」

「うん」


「今も続けてるのは、一人」


それだけ言って、母親はふきんで手を拭いた。


残りの二人がどうなったのか、結衣は聞かなかった。聞いてはいけない気がした。


「……ま、私はなんないけどね」

「そうしなさい」


「スキルも持ってないし」

「そういう問題じゃないの」


母親が台所に戻っていった。



 ◇



『現地では、島民の方々に話を伺いました』


映像が変わった。港だ。まだ瓦礫が残っていて、作業服の人たちが片付けをしている。


年配の女性がマイクを向けられていた。


『息子と孫が先に渡ったんですけどね。私も後から行って。向こうに毛布と、温かいものが用意されててね』


女性が目元を押さえた。


『家は荒らされちゃったけど、みんな無事でしたから。それだけで』


……大変だったんだ。テレビの向こうの話だと思ってた。


『探索者の皆さんには、本当に感謝しています』


女性が何度も頭を下げていた。


『一方で、こんな声も』


日焼けした男性たちが数人で映った。全員が笑っている。


『いやあ、あの兄ちゃんな! 食いっぷりがすごくてよ!』

『食いっぷり?』


『打ち上げでな、刺身出したらすごい勢いで食うんだよ。連れの嬢ちゃんも!』

『くさやも食ったんだよあの子! 島の人間でも苦手なやつがいるのに!』


男たちが大笑いしている。


『また食べに来いよって言ってあるからさ!』


「なにこれ」


結衣は思わず笑った。


「災害のニュースじゃなかったの」

「いい人たちねぇ」


母親も笑っていた。



 ◇



『続いて、専門家の見解です』


スタジオが映った。眼鏡をかけた男性が座っている。テロップが出た。


——東卿帝都大学《とうきょうていとだいがく》 神崎龍一郎 教授(ダンジョン遺物学)


ダンジョン研究で有名な大学だ。偏差値も高くて、うちの高校からだと相当な上位じゃないと入れない。


『神崎先生、まず今回の大禍樹というモンスターについて』

『はい』


落ち着いた声の人だった。


『根を伸ばして生息範囲を拡大するという生態は、国内では未確認のものです。明らかに新種と考えていいでしょう』

『新種、ですか』


『さらに実生体と呼ばれる特殊な個体を生み出すことが確認されています。本体が眷属を生産し続けるという構造ですね。これも報告例がありません』


眷属って何だろう。あとで調べてみよっと。


『未確認の点が多いということですが、今後の研究については』

『現地に残された組織のサンプルが、協会と各研究機関に送られています。継続的に調査が進むはずです』


キャスターが手元の紙に目を落とした。


『そもそもなのですが、この「解放型ダンジョン」というのは』

『入口のないダンジョン、と説明されます』


神崎教授が少し身を乗り出した。


『通常のダンジョンには入口があり、我々はそこから中へ入ります。ですが解放型は、すでにある場所そのものがダンジョン化する。そしてモンスターが外へ出てくる』

『世界的には、事例はあるんでしょうか』


『過去に四例です。今回で五例目になります』

『五例だけ、ですか。つまり、とても珍しいということですか』


『ええ。極めて稀な現象です』


『では、九年前の京洛大氾濫《きょうらくだいはんらん》のような、ダンジョンスタンピードとは』


『まったく別の現象です』


神崎教授がはっきりと言った。


『スタンピードは、既にあるダンジョンからモンスターが溢れ出る現象です。今回は、ダンジョンそのものが新しく生まれた。原因も、機構も違います』


『なるほど』


キャスターが紙をめくった。


『視聴者の方からも質問が来ています。今回なぜ大土島に解放型ダンジョンが発生したのでしょうか』


一瞬、間があった。


『わかりません』

『……わからない、ですか』


『はい』


神崎教授は表情を変えなかった。キャスターが続けた。


『五十年前にダンジョンが出現して以来、その数は増えていないと聞いていますが』

『ええ、その通りです』


『それが覆った、ということですか』

『覆ったという言葉は正しくありません。解放型ダンジョンはその例に入らないということです』


『今後も起こりうる、ということですね』

『現象としては不定期に発生する災害に近いですが。申し上げた通り、ダンジョンがなぜ存在しているのかもはっきりと判明していません』


神崎教授は続けた。


『ですがダンジョンに関しての研究は常に進んでいます。いつの日か明らかになる日も来るかもしれません』


『……なるほど。研究の進展が期待されるところですね』

『はい』


『神崎先生、ありがとうございました』



 ◇



「結衣、時間」

「あ、やば」


結衣は立ち上がった。ブラウスのボタンを留めながら鞄を掴む。結局、解放型ダンジョンってなんなのだろう。普通のと違うのかな?


「ねえ、お母さん」

「なに」

「解放型ダンジョンって、なに?」


母親は流しに向かったまま答えた。


「うーん。お母さんもよくわからないわ」

「ふーん」

「……でも」


手が止まった。


「昔ね」

「うん?」


「お母さんが子どもの頃に、そういうことがあったって聞いた気がする」

「そういうことって?」


「なんだったかしらねぇ」


母親が首を傾げてそれから蛇口をひねった。


「思い出せないわ。ほら、遅れるわよ」

「はーい」



 ◇



駅のホームで美咲(みさき)と合流した。


「おはよ」

「おはよー。ねえ、昨日のニュース見た?」


「島のやつ?」

「そうそれ。うちのお父さん、朝からずっとその話してた」


美咲がスマホをいじりながら言った。


「なんかね、本土に根っこが届くところだったんだって。あと二日遅かったらヤバかったって」

「二日?」


「そう。だからニュースで大騒ぎしてんの」


知らなかった。


さっきのニュースでは、そこまで言っていなかった気がする。いや、言っていたのかもしれない。聞き流していた。


「お父さんね、京洛のとき大阪にいたらしくて」

「え、そうなの?」


「言ってなかったっけ。だからこういうの見ると、めっちゃ真剣になる」


京洛大氾濫。


小学校のときに習った。九年前、関西の大都市でダンジョンスタンピードが起きて、たくさんの人が亡くなった。


毎年その日は学校で黙祷する。夏休みの前だ。


結衣も覚えている。テレビでずっとやっていた。父親が難しい顔で見ていた。


でも、七歳だった。


「うちのお母さんも、探索者になるなって言ってた」

「うわ、それうちも」


美咲が笑った。


「言うよね、親って。でもさ、翔太は普通に目指してるよ」

「翔太?」


「うちのクラスの。専門行くって言ってた」

「探索者の学校ってあるんだ」


「あるらしいよ。二年制のやつ。私は無理だけど」


電車が来た。乗り込んで、二人でつり革を掴む。


「そういえばさ」


美咲がスマホを見せてきた。


「短剣ニキ、昨日の島の人だって」

「知ってる。ニュースで言ってた」


「え、待って。結衣もう知ってるの?」


美咲が目を丸くした。


「私、さっき翔太のグループで知ったんだけど。朝から爆速で回ってる」

「翔太、ファンなの?」


「めっちゃファン。前に『あの人の空間魔法がやばい』って三十分語られた」

「うわ」


「今日たぶん一日中その話するよ、あいつ」


美咲がスマホを操作した。


「見て、トレンド」


覗き込む。


一位が「短剣ニキ」。二位が「大土島」。


三位が。


「……くさや?」


「そうなの。なんでか知らないけど」


タップした。


三十秒の動画が貼られていた。小さな女の子が、何かを食べて絶叫している。


『——んまああああああああい!』


「なにこれ」

「昨日の夜に上がってた。もう八百万再生」


「島救った次の日に?」

「島救った次の日に」


二人で顔を見合わせた。


「……なんか」

「うん」


「ゆるいね」

「ゆるいわ」


窓の外を、いつもの街が流れていった。


昨日、島が一つ消えかけたらしい。


だけど電車は動いているし、学校はあるし、駅前のパン屋は今日も開いている。


結衣は動画をもう一度再生した。


女の子が、幸せそうに口いっぱいに何かを頬張っていた。


 

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