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幕間6 帰還派―完璧なる奸計


桜樹町ダンジョン、第四階層。


薄暗い森の中を一人の男が音もなく歩いていた。


正規の探索者ではない。ギルドの入場記録にもその姿は残っていない。得意の幻影魔法で気配を絶ち、監視の目をすべて欺いてここにいる。


シルラス・ゴズ。魔王軍残党、帰還派の長である。


「……ふむ。今日も静かなものだ」


長い調査の末、ようやく掴んだ情報だった。この桜樹町ダンジョンでは魔剣が入手できる。長年追い続けた悲願にまた一歩近づく手がかりだ。


本来ならばあの男を狙うはずだった。狭間蓮。魔王剣を持つ人間。だがあの男がどのダンジョンに現れるか、そこまでは掴めなかった。ならば確実に魔剣がある場所を押さえる。それが道理というものだ。


前を、一匹のモンスターが横切った。「うわん」という日本の妖怪とやらだ。人間が通りかかると奇声を上げて驚かせるらしい。


シルラスは手をかざす。指先からゆらりと魔力が滲んだ。


うわんは一瞬びくりと足を止め、それから何事もなかったかのように、藪の奥へ消えていった。幻影で気配を覆い隠しただけだ。この程度の相手ならわざわざ倒す必要もない。


「この程度の魔物、我らの幻影の前では羽虫も同然よ」


なぜこの国の人間はこのようなモンスターを恐れるのだろうか。この程度、元の世界ではいくらでも存在した。まったくもって理解に苦しむ。


しかし問題は魔剣の入手法だった。どうすれば手に入るのか、それが判然としない。祭壇か、ボスの討伐か、あるいは何かの条件か。


そこでシルラスは一つの奸計を思いついた。


このダンジョンに潜る探索者。あれを利用するのだ。


探索者に幻影魔法をかける。それはもう、おぞましい幻を見せてやる。心の奥底の恐怖を、根こそぎ引きずり出すような。人間はそれだけで容易く失神する。あとは装備を、報酬を、素材を、まるごと奪い取ればいい。


「くくく……」


思わず笑みがこぼれた。


我ながら見事な策だ。魔剣を探す手間をかけずとも、探索者が勝手に持ち込んでくる。装備も素材も労せず手に入り、換金すれば資金にもなる。一石で三鳥も四鳥も落とす、完璧な策略。


配下は何人かでチームを組ませ、ダンジョンの各所に配してある。要所を押さえ、通りかかる探索者から順に、獲物を刈り取らせている。全員で網(・)を張り、効率よく魔剣と資金を集める。隙のない布陣だ。


「奸計を巡らせすぎて、我ながら頭が冴えるわ」


すでにいくつもの探索者がこの手にかかった。装備を奪われ、ダンジョンの外で目を覚まし、何が起きたかもわからず首をかしげている頃だろう。


ふふ、と髭の奥で口角が上がる。


長としての威厳と、五百年生きた魔族の知略。この二つが揃えば、人間ごとき手玉に取るのは造作もない。


——そう、彼は本気で信じていた。



 ◇



同じ頃。第二階層のとある岩陰。


「タリぃ〜〜っす……」


配下の一人が岩に背を預けてしゃがみ込んでいた。片手にはスマートフォン。もう一方の手には現世で買い込んだスナック菓子の袋。


「持ち場は守れっつってもさぁ。誰も来ねぇんすもん。暇なんすよ、暇」


隣で相方がこくりこくりと船を漕いでいる。とっくに任務を放棄していた。


さらに別の階層。木の根に腰かけた二人組は現世のグルメ談義に花を咲かせていた。


「秋場原の十郎、こないだ限定の味噌やってたんすよ」

「マジっすか。俺、関名井派なんで」

「出た関名井派。あそこはアレがいいよね……」


魔剣も探索もどこかへ吹き飛んでいた。


長の企てた網の目は——、いたるところでほつれていた。


無論、シルラスはそれを知らない。



 ◇



そして。第三階層の崩れた石壁の陰。


カジン・ユウは、持ち場をだいぶ離れた場所でスマホの画面に見入っていた。


「いやー、聖ちゃん今日も尊いっすわ……」


任務? そんなものは、頭の片隅にもない。彼が見ているのは推しの配信――ではなくそのコラボ相手。短剣ニキこと、狭間蓮のチャンネルだった。


「短剣ニキの探索配信、やっぱ面白いんすよねぇ。魔剣持ってるとか知ってから、余計に」


画面の中で蓮が薄暗いダンジョンを歩いている。どうにもいつもの蓮と様子が違うが、日本の妖怪らしきモンスターが襲いかかりあっさり返り討ちに遭っていた。


「ホラー系ダンジョンっすか。珍しー」


指先でスナックをつまみながら、カジンは何気なく画面を眺めていた。


だが。


ふと、その手が止まった。


画面の背景。蓮の後ろに広がる、薄暗い森。苔むした石壁。うわんという奇声あげる妖怪。


……あれ?


「……ん?」


カジンは画面をぐっと顔に近づけた。


このじめっとした密林みたいな感じ。あの石壁の崩れ方。それにあのよぼよぼで目がぎょろりとした妖怪――うわんとかいう、このダンジョン特有のやつ。


「あれ……ここ……」


背筋にタラリと冷や汗が流れた。


「……もしかして、桜樹町ダンジョン?」


配信画面に映る景色と、今まさに自分がいる場所がじわじわと重なっていく。同じ森。同じ石壁。同じ妖怪。しかもよりによってシルラスがいる階層である。


つまり。この配信はリアルタイムで。あの魔王剣を持つ男が、今、この同じダンジョンの中にいる。


「……えっ。えっ、待って。ヤバくないっすか、これ」


カジンの額にうっすら汗が滲んだ。報告しないと。シルラス様に。魔王剣の男が、すぐそこに来てるって――


そこまで考えて。


「…………」


カジンはスマホをそっと下ろした。


いや。


「……まあ、いっか」


だって報告して大騒ぎになったら、面倒だ。せっかくの配信も最後まで見られなくなる。それにシルラス様のことだ。何かあっても、あの人が何とかするだろう。長なんだし。


「うん。シルラス様が、何とかするっしょ」


カジンは再び画面に視線を戻した。推しのコラボ相手の探索配信。続きが気になる。報告なんてあとにしよう。あとで。


網の最後の一目も。こうして静かにほどけた。



 ◇



第三階層。


シルラスは満足げに森を見渡していた。


「さて。……そろそろ潮時か」


いい流れではある。だが長く居座るのは得策ではない。


あまり派手に探索者を襲えば、現世のギルドも本腰を入れて動き出す。捜査だ、警備の増員だと騒がしくなれば、いずれ我らの存在が、明るみに出かねない。五百年、息を潜めて生きてきた。ここで足がつくのはあまりに惜しい。


魔剣をまだ手にしていないのは業腹だ。だが欲をかいてすべてを失っては元も子もない。引き際を見誤らぬのも長の務めというものだ。


「今日、次の一人で仕舞いにするか」


そう決めると少しばかり肩の力が抜けた。


――そうだ。


ふとある考えが頭をよぎる。


今日はこれで切り上げるのだ。たまには自分へのご褒美があってもよかろう。


シルラスの脳裏に鮮やかな一皿が浮かんだ。


くる寿司。皿が回るなんとも不思議な店だ。


「……イクラの軍艦。あのぷちぷちと弾ける橙の宝石。海苔の香り。酢飯との、あの調和よ」


思わず腹が鳴った。


「そして、シーチキンツナの軍艦。マヨネーズと和えられた、あの得も言われぬまろやかさ……。あれは人間の生み出した奇跡と言ってよい」


異世界にはなかった。あんな美味なものはどこにもなかった。五百年生きて、この世界に流れ着いて初めて知った至福の味であった。


主を復活させ故郷へ帰る。それが悲願。それは揺るがぬ。


――だが帰る前に、あと何度かは通っておきたい。


「うむ。今日の働きへの自分への褒美だ。よかろう」


一人、深く頷く。長の威厳も、長年にわたるの悲哀も、回転寿司の前ではどこかへ溶けていた。


と。


森の奥から声が聞こえてきた。


近づいてくる。二人分――いや、一人と、もう一つ、やけに甲高い声。


『帰ったら飯にするぞ! 下僕よ! 今日はたっぷり食うのじゃ!』


『うう……早く帰りたい……暗いし、こわい……』


シルラスは、ゆっくりと石壁の陰に身を沈めた。指先に魔力を灯す。


「……ふ。今日の最後の獲物が来たようだ」


哀れな人間よ。存分に恐怖の幻を見せてやろう。


そうして、今日の仕舞いとしようではないか。


彼はまだ知らない。


その「次の獲物」こそが、五百年の悲願そのものを――魔王剣をその腰に提げていることを。



=========================

 竜刃丸です。

 お読みいただきありがとうございます!


 敵側、帰還派・シルラスの潜入回でした。

 完璧な作戦のはずが、部下は各所でサボり、唯一気づいたカジンは報告をサボり。

 そして当のシルラスは、次の獲物が誰かも知らないまま、頭は寿司のことでいっぱい。


 五百年の悲願は、今日も回転寿司に敗北しています。

 次回、ついに両者が接触します。ぜひお付き合いください!

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