幕間3 帰還派―五百年の悲願
朝の光が安っぽいレースのカーテン越しに差し込んでいた。
八皇子の外れ。築四十年の木造アパート、その二階の一室。
白須権蔵は、目を覚ますと同時にいつもの手順で顔を整えた。
太い眉。彫りの深い目元。白いものの混じった顎髭。鏡の中には身長190センチ、五十くらいの筋肉質ないい男が映っている。
近所では「白須さん」で通っている。物腰が柔らかく、面倒見がよく、ゴミ出しの曜日を一度も間違えたことがない感じのいい中年イケオジだ。
だがそれは幻影魔法で編まれた仮面にすぎない。
白須権蔵――否、シルラス・ゴズが幻術を解けば鏡には別のものが映る。人ならざる者の、青みがかった肌。長く尖った耳。五百年の年輪を刻んだ魔族の顔である。
シルラスは鏡の中の白須権蔵をしばらく見つめた。そして小さく息を吐く。
「……今日も、変わらぬな」
呟いて彼は窓を開けた。
朝の八皇子の街並みが広がっている。すっかり見慣れた平和で退屈な地球の朝だ。電車の音。パン屋の匂い。子供を送る母親の声。
——もう五十年。この世界に流れ着いて五十年になる。
異世界でシルラスは魔王復活を悲願とする一党の長だった。魔王の体は七本の魔王剣に分かたれ世界各地のダンジョンに封じられていた。それを集めていつか主の御身を再びこの世に――そう誓って剣を探し続けていた。
だがある日全てが狂ってしまった。
なぜ起こったか、その原因はよく分かっていないが、大規模な転移現象が異世界で突如起こった。ダンジョンが、そして魔王復活を企むシルラスたちごと、この見知らぬ世界へと投げ出された。
以来彼らは地球に隠れ住んでいる。幻術で人間に化け、正体を隠し細々と魔王剣の痕跡を追いながら。
「帰らねば」
それは彼の、いや彼ら一族の悲願であった。
魔王剣を集め主を復活させ故郷へ帰る。それだけが彼を生かしてきた決意の炎だった。
――カレンダーに目をやる。今日は火曜日、燃えるゴミの日だ。シルラスは手際よくゴミをまとめ集積所へ向かった。
「おはようございます」
「あら白須さん、おはようございます。今日もいい朝ね」
「ええ、そうですね。大丈夫ですか? よかったらお持ちしますよ」
「ありがとう、お言葉に甘えちゃうわ」
途中で会った隣家の老婦人に会釈を返し、彼女の腰の具合を案じる言葉までかけて荷物を持つ。
我ながら日本人のふりをするのも板についたものだと思う。
ふふ、自身の口元がニヤついていることにシルラスは最後まで気づかなかった。
◇
白須のアパートの隣の部屋、そこは彼が属するグループの拠点である。シルラスは周囲に気を配り、尾行や監視の気配はない、それを確認して中に入った。
ここは魔王軍、帰還派の砦。
六畳と八畳をぶち抜いた、しかしなんとも言えない生活感のありすぎる部屋だった。実働部隊の面々が思い思いに寛いでいる。
一人は、ソファに沈み込んでスマートフォンを凝視している。かれこれ一時間はそうしている。画面から漏れ聞こえるのはどこかの配信の音声だ。
一人は、床に寝転がって漫画を読んでいる。人間の少年向けだという、分厚い雑誌の束が壁際に積み上がっていた。
一人は、キッチンで何やら煮込んでいる。この頃、料理に凝りだしたらしい。だしの匂いが部屋に充満している。
先日、八皇子ダンジョンに侵入し得意の幻影魔法でセキュリティを突破したあの精鋭たちである。
だらけている。
「……お前たち」
シルラスが低く声をかけると、三人はびくりと動きを止めた。
「進捗はどうなっている。心臓の魔王剣の手がかりだ」
スマホの男が気まずそうに視線を泳がせる。
「あー八皇子はもう、しらみ潰しに調べたんっすけど、何も出んっすね……、あ、もういいっすか俺っちちょっと推しの配信みるのに忙しいんで」
「祭壇に残っていた気配は確かに魔王剣のものだった。あれは何者かが持ち去ったのだ。ならば追う手立てがあるはずだ、おい、お前、魔力反応はどうだった」
次に台所にいる部下に聞く。
「ズズっ、うっま! この味付けさいっこう! やっぱ醤油ベースに豚肉を味付けしてさらにどうやって十郎の味に近づけるか…………、ん? シルラス様、何かいいました? まだできてないっすけど味見します?」
「——なんでもない。いや、あとでちょっともらう」
「まったまたーシルラス様もほんと十郎、好きなんだから♪」
(——十郎、また行きたくなってきた。最近ダンジョン調査に忙しくて行けてない。個人的には関名井より秋場原のほうが好きだ)
「なぁ、渋家ダンジョンの調査はどうなってるんだ」
漫画を読んでいる部下に問う。
「————」
無視された。
シルラスはこめかみを押さえた。
……たるんでいる。実にたるんでいる。五百年の悲願を、こやつらは何と心得ているのか。飯だ、漫画だ、配信だと。危機感というものが、まるで無い。
部下の怠慢に落胆するシルラス。しかし――十郎の味付けを気にかけ、秋場原の店を懐かしんでいた当の本人に、その自覚はただの一片も無かった。
「たるんでおるぞ! お前たち!」
シルラスは言った。
「我らが何のためにここに集まっているのか、忘れたわけではあるまいな! 主の御身を取り戻し、故郷へ帰る。それが――!」
「あ、シルラス様。ただいまっすー」
間延びした声が、彼の説教を遮った。
◇
玄関から入ってきたのは若い男だった。
染めた明るい髪。細身のシルエットに今風の服。耳に光る小さなピアス。人間の言葉でいうところの「チャラい」という形容がぴたりとくる、二十代半ばの青年だ。
無論それも幻術である。素顔はシルラスと同じ魔族。名をカジン・ユウ。地球での名を加地悠一という。帰還派でも私に次ぐ腕の立つ男だった。
――だった、と過去形で語りたくなるほど、最近のこいつはたるんでいる。
「どこへ行っていた、カジン」
「渋家っす。ちょっと服見に。いやー、こっちの街、やっぱオシャレなもん多いんすよね。これ見てくださいよこのスニーカー、限定なんすよ限定」
カジンが片足を上げて真新しい靴を見せてくる。
うっ、NICKEの新作モデル、配色は悪くない——ド派手なカラーリングの一方シックな素材が上品に締めている。悪くない。悪くないぞ。
——くれ。
「探索の任はどうした」
シルラスは強靭な意思をもって自身の欲望を押し殺し、カジンを問い詰めた。
「あっ! いやー、もちろんちゃんと。ちゃーんと、渋家のダンジョンも一応チェックしつつ……いやほら、あっちも魔剣とか出るらしいじゃないっすか。ほらこの前ギルドの職員に暗示で情報盗んだでしょ。ついでにこう、情報収集も兼ねて行ってきたんすよ!」
「兼ねて、服を買っていたのか」
「……い、いやですねシルラス様、そんな。ちゃんと帰還の意志は、この胸に。めっちゃ、あります。帰りたいっす。あー帰りたいなー故郷。うん」
口ではそう言っているが気持ちがこもっていないのは明白であった。
だがシルラスは長い間、部下として見てきた男だ。カジンの言葉の芯がすっかり抜け落ちているのをシルラスは感じ取っていた。
飯がうまい。狩れば稼げる。服は洒落ている。何より危険が少ない。
――別に、帰らなくてもいいのでは。
そう思い始めている者の顔をシルラスは知っている。ここ数年、部下たちの顔に次々とその色が滲んできた。カジンなどその最たるものだ。
シルラスは深く、長く息を吐いた。
叱る気力も湧かなかった。
◇
「……もういい。座れ」
シルラスがソファを示すと、カジンはほっとした顔で腰を下ろした。そして緊張が解けたのか彼はまったく関係のない世間話を始めた。
「あー、そういえば聞いてくださいよシルラス様。最近マジでハマってる配信者がいて」
「……配信者」
「そうそう。アイドルなんすけど、探索者もやってて。FRUITS BASKETっていうんすけど。いやーその中の一人がですね、桃瀬聖ちゃんっつって、これがまた飯食う姿がめちゃくちゃかわいくて」
シルラスの眉間の皺が深くなった。
こやつ魔王剣の手がかりを問われた直後に何の話をしておるのだ。
「先日その子らが、渋家のダンジョンで遭難しかけたらしくて――」
「カジン。私は今、魔王剣の話をしている」
「あ、はい。……でも聖ちゃん、遭難しかけてもお弁当だけはしっかり持ってて」
「聞いておらん」
「握り飯、自分で握ってくるらしいんすよ。えらくないっすか」
「なぜお前はその娘の握り飯の話を私にする」
「でもそこに謎の探索者が現れて、劇的に救出したっつってバズってるんすよ。もう再生数えぐいことになってて。あ、その救出動画、俺スマホに――」
「カジン」
「これがまたコラボ配信でめっちゃ良くてですね、聖ちゃんと、その魔剣をもった探索者が連れてる女の子が、大食い対決してて」
――魔剣。
いや。今こやつは何と言った。
「……なんだと」
「え? いや、だから、大食い対決が――」
「その、魔剣とは、何だ」
「ああ、なんかその探索者、魔剣を持ってるんすよ。なんでも喋る魔剣らしくて。実体化するんすって。んでその実体化したのが女の子で、それがまた飯めっちゃ食うんで、聖ちゃんといい勝負で――」
シルラスの中で、何かが、ざわりと逆立った。
喋る魔剣——だと。
この世界にきて五十年、魔剣はいくつか見たが、そんなものは見たことがなかった。いや彼の故郷にすらないといえる。意思を持ち、実体化し、言葉を交わす剣。それはただの魔剣ではない。
「カジン、見せろ」
「へ?」
「その動画を、見せろと言っている」
シルラスの声の質が変わったことに、カジンはようやく気づいたようだった。慌ててスマホを操作し、画面を差し出す。
◇
小さな画面の中でそれは飯を食っていた。
炭火の上で肉が焼けている。屋外のバーベキューか何かの光景。若い娘たちが囲む中にひときわ小さな影があった。
銀色の髪。赤い瞳。八重歯を覗かせて、串に打った肉を、頬いっぱいに頬張っている。
『うまーっ! なんじゃこの肉は! 脂がじゅわっときて、たまらんのじゃ! おかわりじゃ、下僕、おかわり!』
甲高い傲慢な、それでいて心底幸せそうな声。
シルラスの指先が震えた。
その少女から確かに漏れ出ているのは、八皇子の祭壇で残滓だけを撫でた気配。
間違えるはずがない。
「……あ」
無意識に彼の手のひらが赤い光を帯びた。魔王剣の気配に共鳴する。画面越しですらそれははっきりと応えた。
「魔王剣だ」
「え?」
「あれは……魔王剣だ」
カジンがきょとんとした顔で画面と主とを見比べた。
「え、ええっ!? マジっすか!? ヴィヴィアンちゃんが!?」
「ヴィヴィ……?」
「あ、いや、その子、ヴィヴィアンちゃんって名前で……いや待って、じゃあ俺、探してた魔王剣の配信、ずっと見てたってことっすか!? 推しのコラボ相手が!?」
シルラスは答えなかった。
答えられなかった。
彼はただ画面を見つめていた。探し続けた。主の御身、魔王剣。
それが今、画面の中で。
『おかわりじゃーっ! そこの肉も焼け! わしはまだまだいけるぞ下僕ぅ!』
――人間の少女の姿で、肉を、貪っていた。
これは、一体どういうことだ……?
シルラスは、ゆっくりと、ソファに背を預けた。
◇
どれほどそうしていただろうか。
やがてシルラスは震える手で画面の中の探索者を指した。少女の隣に立つ黒髪の若い人間の男。
「……この男か。魔王剣を持っているのは」
「あ、はい。その人が例の、救出した探索者で。配信者名は、REN。えーっと、概要欄に……」
カジンが画面をスクロールする。
「あ、これだ。本名っぽいの載ってますね。狭間蓮。八皇子ギルド所属。えー、通称『短剣ニキ』」
「狭間、蓮」
シルラスはその名を噛みしめるように繰り返した。
たったの人間ひとり。名も知れぬ無名の探索者。それが五百年の悲願をその手に握っている。
「あの男から魔王剣を取り戻す」
シルラスの声に久方ぶりに芯が戻っていた。
だが。
「あー、でもシルラス様。この男、多分そこそこ強いっすよ」
カジンが動画を巻き戻した。別の場面にてこの探索者が巨大な翼の魔物と対峙している。
男が片手をだし魔法をはなった。
『――アニヒレイト』
放たれた魔力の塊が荒れ狂う竜巻の嵐ごと巨大な魔物をまとめて消し飛ばした。
山の頂に大穴が開いた。
「……ほら。シルラス様、ボスを一撃ですよ、一撃」
シルラスはその映像をじっと見ていた。
確かに妙な強さだ。あんな一撃を放つ人間を彼は久しく見ていない。
だがそれも一瞬のことだった。
「……なに。所詮は人間だ」
シルラスは鼻で笑った。
「どれほど力があろうと、我らの幻影魔法の前では意味を成さぬ。搦め手にかかれば、人間ひとりどうとでもなる」
「あー、まあ、シルラス様がそう言うなら……」
「五百年ぶりの手がかりだ。逃しはせぬ」
シルラスは立ち上がった。髭面のイケオジの奥で長き時を生きた魔族の目が静かに光った。
その姿には久しく忘れていた長としての威厳が確かに戻っていた。
カジンはシルラスに見えない角度で、こっそりスマホを操作し、「短剣ニキ」のチャンネルをフォローしていた。
なにせ推しのコラボ相手なのだ。これは追わないわけにはいかない。
◇
なお、翌朝。
シルラスがゴミ集積所で、資源ゴミの分別を律儀に済ませていたことを、ここに書き添えておく。
五百年の悲願を胸に抱く、スーツをきっちり着こなした帰還派の長は、これから秋場原のラーメン十郎に向かう。
この世界で、誰よりも、地球の暮らしに、馴染んでいた。
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竜刃丸です。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
敵側、帰還派の登場回でした。
五百年の悲願を追う男と、その悲願がバーベキューを食っている現実。
この温度差を楽しんでいただけたら嬉しいです。
次回もぜひお付き合いください!




