精神科の夜勤で、命の危険を感じた夜
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夜勤は、三人だった。
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看護師が二人。
男性と、女性。
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そして、看護補助者が一人。
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いつもと変わらない夜だった。
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二十時。
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眠前薬の時間。
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女性看護師と補助者が一組になり、
別のフロアを回っている。
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私は一人で、こちらのフロアを担当していた。
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順番に声をかけ、
患者に薬を渡していく。
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問題は、なかった。
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——あの一人を除いて。
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廊下の隅。
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一人の青年が、しゃがみ込んでいた。
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二十代くらい。
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静かだった。
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異様なほどに。
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他の患者の対応を終えたあと、
最後に声をかけた。
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「薬、どうしますか」
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返事はなかった。
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視線も、動かない。
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「詰所にありますので、飲みたくなったら来てください」
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そう伝えた。
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そして——
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背を向けた、その瞬間だった。
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強い衝撃。
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次の瞬間、
髪を掴まれていた。
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力が、異常だった。
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引き抜かれるような痛み。
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反射的に両手で押さえる。
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それしかできなかった。
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振りほどけない。
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「……離してください」
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声をかける。
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反応はない。
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青年は、
無表情だった。
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怒りでもない。
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笑いでもない。
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ただ、
こちらを見ている。
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そして、
さらに強く引いた。
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痛みで、思考が飛びそうになる。
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「……っ、やめてください!」
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声が大きくなる。
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それでも、
離さない。
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限界だった。
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「来てください!!」
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叫ぶ。
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別フロアにいるスタッフに向けて。
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数秒後、
足音が響く。
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二人が駆けつける。
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三人がかりで、
ようやく手を離させた。
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だが、
終わっていなかった。
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青年は、
こちらに向かってこようとした。
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同じ表情のまま。
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同じ視線のまま。
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距離が一気に詰まる。
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反射的に後ずさる。
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その瞬間、
はっきりと思った。
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——危ない。
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すぐに当直医へ連絡。
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そのまま保護室へ。
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隔離。
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そして、
鎮静。
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静かになったのは、
その後だった。
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あのとき、
感情はなかった。
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怒りも、
恐怖も、
なかった。
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ただ、
一つだけ残った。
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——“違和感”だった。
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人が壊れるとき、
それは叫びながらじゃない。
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静かに、
何も変わらない顔で、
起きる。
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