第4話【金星】
保健室のベッドで目が覚めた。
「………」
時刻は午後4時44分。下校の時刻を過ぎていた。
「…ッ───!!!」
あの生徒指導の教員の顔がフラッシュバックする。
「ぁ………ッ………」
頭が痛い。
また呼吸が乱れる。
「ッ………は……はッ………が……」
苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。
辛い。
「たす……けて……」
何も無いところへ手を伸ばし、ベッドから転げ落ちる。
「いッ………た………ぁ…… 」
「───霜夜」
「ッ!!!?」
名前を呼ばれて、電流が走ったように体がビクンと跳ねる。
──担任だった。
「お前、あの反省文はどういうことだ」
「────」
───声が出ない。どういうことだと言われても。
「教師をバカにしているのか」
「────」
───バカにしたのはそっちが最初でしょ。
「仮病で保健室に逃げるとはな」
「───」
────仮病?
「書き直せ。“反省文”、原稿用紙20枚分」
───ああ、そうか。
伝わらないんだ。
私がどれだけ言葉を並べても。
どれだけ意味を言葉に込めても。
どれだけ自分の言いたいことを伝えようとしても。
────何も伝わらない。
伝える力が無かったのか。はたまた、相手がそれを理解しようとしないだけなのか。
どちらにせよ────
「───私が何を言っても無意味なのね………」
何か言ったところで意味が無い。
何を言っても無駄なんだ。
人は言葉を叫ぶことができるのに、言葉の意味を理解しようとすることができない。
──それが悲しかったのか、悔しかったのか。
───私は大粒の涙を流して、痛みを知った子供のように、大泣していた。
鞄は教室に置いたままだろうが、もうどうでもいい。貴重品は常に持ち歩く主義だ。鞄には学校に関するものしか入っていない。
保健室を出て、玄関で上履きを投げ捨てて外履きに履き替える。
無言のまま学校から帰る。
呼吸はまだ安定しない。
細い体を襲い続ける悪寒。
吐き気に耐えながら駅を目指す。
何度も何度も変な咳と嗚咽を漏らしながら家に帰る。
頭がクラクラする。
階段も登れそうにないほど視界が揺れる。
居間の畳へ倒れ込んだ。
「………。…………。………」
なんとか気持ちを落ち着かせようと、ゆっくり呼吸することを心がけて、静かな時間を過ごした。
◇◇◇
────体が痛い。制服のまま畳の上で眠ってしまっていた。
「……っ」
ありえないくらい体がだるい。ぐわんぐわんとまるで内側からハンマーで叩かれているかのように頭が痛む。
「……熱……あるわよね…」
体温計に手を伸ばす。
電源を入れると前回測った体温『34.7℃』という、私にとっての平熱が表示された。
意識を失いそうになりながら体温を測る。
「……38.9℃……」
言うまでもなく、私にとってこれはとてつもない高熱だった。
弱々しく息をしながら、階段を登り自分の部屋へと向かう。
「…流石に……ベッドで…寝たい…わ……」
ブレザーを脱ぎ捨て、リボンを外しブラウスの第1と第二ボタンを開けて布団に入る。
物凄く気持ちが悪い。
本当に死にそうだ。
「寝て……。…寝れば……治るわよね……?」
◇◇◇
次の日になっても、体調は良くならないままだった。
歪む視界。ぐちゃぐちゃな夢を見たような気がする。
「………休むしか…ないわね……」
学校に電話をかける。
「すみません……2年1組の霜夜蒼です……体調不良のため…今日は休みます……」
「そうですか。分かりました。伝えておきます」
電話を切り、寝込む。
「………喉…乾いたわね……」
布団から出る。少し寒い。
部屋を出る。不思議と少し楽になったような気がする。
ガラスのコップに水道水を入れて飲み干す。
「……お腹も空いたわ……」
何も食べてない。なにか簡単に用意しよう 。
「……何も無い……」
冷蔵庫はほとんど空だった。
「………はぁ……流石に買い物に出かけようかしら。このままじゃ餓死しちゃいそうだし」
気持ち悪さを誤魔化す為にシャワーを浴びる。少しマシになった気がした。
「そういえば最近部屋着と制服しか着てなかったわね」
春休みの間、外出はアルバイト以外でせず、アルバイトにも制服で行っていたため、本当に久しぶりに私服のタンスを開いた。
「夏物………」
制服以外の衣替えの概念を失っていた蒼のタンスの中身は、去年の夏から変わっていなかった。
「まあいいわ。すぐ暑くなるでしょ。あとは上着で調節すればいい」
できるだけ寒くなさそうなフレアスカートを選び、適当な服を選んで上にカーディガンを羽織る。
「服も大して持ってないわね…」
ここ2年間くらい、まともに服を買いに行っていなかったかもしれない。
「……お母さんとお父さんに心配かけさせるわけにはいかないわ。元気に生きていかないと…」
元気でいること。それが母との約束だ。
「……お金も、有難く使わせてもらうわね」
あまりにも減らないと、また心配されてしまう。
まだ少し体がだるいが、家を出て駅に向かう。
ショッピングモールへ行き、そこの飲食店で食欲に身を任せとんかつ定食を注文。美人の店員さんに暖かい目で見守られながら完食。その後、服屋で春物の服を何着か購入。
途中で楽器屋をみかけ、吸い寄せられるように入ってしまう。色々あるせいで、ベース用の機材を見にきたはずが、色々見て周ってしまう。
「お嬢ちゃん、ギターに興味あるの?」
店員のお姉さんに話しかけられる。少し怖い。
「あ……いえ……私はベース以外は…。見てただけです」
「そうなんだ。ベース弾くの?」
「はい……まあ…」
「へぇ。どのくらいやってるの?」
「……始めたのは確か……小学生の中学年くらいなので……」
「ほぉ……で、今何歳?」
「…女性に年齢を聞かないでください……」
「あははは、ごめんごめん。でも、結構長いことやってるんでしょ?」
「そうですね。6、7年………」
「あら。年齢バレちゃったね」
「……忘れてください」
「…でも、それだけ続けてればそれなりに弾けるんじゃない?」
「…分かりません。家でひとりで弾いてるだけなので」
「えぇ、勿体無い。せっかくやるんだったら誰かに聴いてもらった方が良くない?」
「……そうですかね」
「そうだよ。音楽ってさ?自分が出したい音を出す、ってのももちろんあるけど、“誰かに聴いて欲しい”っていうのも絶対あると思うんだよね」
お姉さんは、壁にかけてあるギターを手に取り、椅子に座る。
「お嬢ちゃんさ。人と話すの苦手でしょ」
「………まあ、はい」
「やっぱりねー。“言葉”ってものがあんまり好きじゃなさそう」
「……当たりです」
「言葉ってさ。簡単に人の心を大幅に動かすことができちゃうんだよね。言葉ひとつで人を笑わせることができたり、その逆で、言葉ひとつで人を死に追いやったり。色々できちゃうわけ。でもさ───
────“音”は、人を傷つけないんだよね」
「………!!」
「不思議だよね~。こうやって、私がギター弾いてもさ。どれだけ怒りを込めて、どれだけ他人への不満や文句、最低な負の感情を込めながら音を出してもさ。人には、そこまで伝わらないわけよ。『怒ってんのかな』って、その程度しかない。むしろ、『ああ、いい音してんな』って、そう思ってもらえるわけ」
「………!」
「たとえ人を不快にさせる事があったとしても、それは、『下手くそ!聞くに耐えねーよ!』とか、逆に『私より上手いの腹立つ…』とか、あってもそのくらいなわけよ。音には人を傷つける程の刃がない。だから私は、音楽が好きなんだよね。聴くのもやるのも」
「………貴女みたいな人が、この世界にどれだけ居ますかね」
「さあ。私は私だけだからねぇ」
「……強いんですね」
「まあね。お嬢ちゃんもロックに生きてみたら?」
「ロックに……」
「辛いなら、高校なんてこれからも行かなくていいよ」
「……!!…なんで…知って…」
「なんでって、年齢バラしちゃったのはお嬢ちゃんの方じゃん。今日は金曜日だし、普通は学校あるよね」
「………まあ、はい…」
「学校行かなくても、できることは沢山あるよ。泣きたい時は泣きながら、辛い時は休みながら。好きに生きてみるのも“悪くない”よ。落ち着くまでゆっくりして、その時また学校行きたいかなって思えば行けばいいと思うし、その時、学校よりも大切なものが見つかれば、それに命かけて、スリル満点の最高の人生を送ればいいと思うな」
◇◇◇
「お母さん。しばらく学校休みたいの」
「…そう。分かったわ。無理しないで言ってくれてありがとう、蒼」
「お母さん……」
「本当にごめんなさい。こんな時、そばにいてあげるのが家族ってものなんでしょうけど」
「ううん。大丈夫よ。私は電話でも十分。お母さんも、あとお父さんも、仕事ばっかりで疲れたらちゃんと休んでね」
「ありがとう、蒼。元気でいるのよ」
「ええ。お母さんも、元気で」
電話を切り、ベッドに横になる。
「まずは風邪治して……元気になろう。お母さんとの約束だから」
何日か家で大人しく過ごした。ベースを弾いて、音楽を聴いて、それから、自炊の勉強をした。
「バイトもやろう。やっぱり、頼ってばかりは申し訳ないわ」
俯いてばかりなのもやめたい。前を向きたい。
前を向きたくて、変わろうとして、少し思いきって飲食店でアルバイトをしてみることにしたが、これは失敗だったかもしれない。少し調子に乗りすぎた。
「霜夜さん。お客様に失礼でしょ?もっとハキハキ喋れる?顔は笑顔で。ちゃんとしてよ」
「……すみません」
こんな叱責の後で笑えるわけがないでしょ。馬鹿なのかしら。そもそもそんな偽物の笑顔を誰が求めているというの?
不貞腐れながらバイトを続けた。
家でベースの音に想いをぶつける。
高校と大して変わらない。毎日、何も無いスカスカな日々を送る。
けれど、まだマシだった。ミスを叱られるのは私が悪いから。叱責にも理屈が通っている。それだけでもかなり楽だった。
辛い時は、音楽が助けてくれる。
「雨の日には…濡れて…晴れた日には、乾いて…」
大好きなバンドの大好きな曲を聴いて、口ずさむ。どんな理不尽が相手だとしても、それが特効薬になる。
ふとあの日のことを思い出しても、『最後に笑うのは正直な奴だけだ』というワンフレーズが私を支え続けた。
そうやって、4月、5月を乗り切った。
大それたことはしていないだろう。けれど、私は私なりに頑張ったつもりだ。そんな頑張りが報われたのか、6月の始め、私はこの人生での唯一の友達だった緋と再会した。




