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第9話:職人の耳と鉄の小箱/アリア

 昨夜、私の部屋の窓を叩いた「詠み鳥」の声を頼りに。

 私は一時的に城塞都市バレンシアを離れ、王都エーテルガルドの裏通りを歩いていた。


 復興支援の合間に作られた、わずかな公務の隙間。レオンは「勇者のメンタルケアに必要な、専門的な音響機材の調達」という完璧な名目で、私をこの場所へ連れ出したのだ。


 目立たないよう、二人とも深いフードを被っている。

 公の場ではないから、少しだけ肩が触れ合う距離で歩ける。それが、たまらなく愛おしい。


「……レオンさん、本当にここで合っているのですか?」


 周囲に人がいないことを確認しつつ、けれど一応念のため、余所行きの口調でレオンに尋ねる。

 目の前にある店が、これまで訪ねてきた「アイアン・ローズ重工」のような華やかなスポンサー企業とは、あまりにかけ離れていたからだ。


 看板には、掠れた文字で『エコー・ベル』。

 煤けた窓からは、魔導兵器の部品ではなく、古い木材の匂いと、弦を弾くような微かな音が漏れていた。


「はい。ここの店主は偏屈でしてね。軍事用のスポンサー契約なんて持ちかけたら、即座に追い出されるような場所ですよ」


 レオンは私に合わせて、丁寧な言葉づかいで言う。

 しかし、フードの下では悪戯っぽい笑みを浮かべていた。


 二人きりなのに「他人」を演じる、奇妙な距離感。それがもどかしくも、秘密を共有しているようで少しだけくすぐったい。


(……いやいや。今は大切なお仕事なんだから、しっかりしなきゃ)


 かぶりを振り、目の前のお店に思考を戻す。

 彼が調べ上げたのなら、間違いない。そこには必ず、今の私の「詰まり」を解消する鍵があるはずだ。


 彼が扉を開けると、カラン、という澄んだ鈴の音が響く。


「……帰りな。勇者に売る楽器なんて、この店には一挺もありゃしねぇよ」


 奥から響いたのは、錆びた鉄を擦り合わせるような、しわがれた声だった。

 現れたのは、眼鏡を鼻先に乗せた、白髪の老人。彼は私の純白の鎧を一瞥すると、隠そうともしない不快感を露わにした。


「楽器店主殿。……彼女を『勇者』としてではなく、一人の『歌い手』として見ていただくわけにはいきませんか?」


 レオンが記者らしい穏やかな、けれど芯の通った声で交渉を始める。

 店主さんは鼻で笑った。


「歌い手だぁ? あんな、喉を魔力で焼き切るような『拡声魔導器』をつけて歌う奴が、歌い手なもんか。ありゃ、戦場に響かせるための、ただの号令だ。俺が愛しているのは、心に響く『音』であって、魔力の『波』じゃねぇ」


 店主さんの言葉は、昨日のライアンさんの指摘と同じ場所を、鋭く射抜いた。


 私の喉にある魔導チョーカー。

 それは確かに、数千人の兵士に声を届けるための「兵器」だ。その出力と引き換えに、私は自分の声が持つ、細やかな震えや、レオンが「きれいだ」と言ってくれたあの柔らかな色を、少しずつ失っていたのかもしれない。


「……店主さん。おっしゃる通りです」


 私は、一歩前に出た。

 鎧がカチリと音を立てる。勇者としての威厳ではなく、一人の「教えを請う者」として。


「私は、剣の才能も決して特別ではありませんでした。だから、偉大な賢者や剣聖から『理屈』を学び、計算と泥臭い努力で壁を越えてきました」


 私は、喉元のチョーカーに手を触れる。


「でも、『歌』だけは……感覚に頼っていました。今の私の歌は、ただの『音の暴力』かもしれません。だから……教えてください。魔力に頼らない、本来の音の出し方を。六年前、何も持っていなかった頃に歌った、あの音を取り戻す方法を」


 店主さんは、しばらく私を値踏みするように見つめていた。

 やがて、彼はふん、と鼻を鳴らし、重い腰を上げてカウンターの下から一つの小さな箱を取り出した。

 装飾も何もない、武骨な黒い鉄の小箱。


「……そいつのゼンマイを、巻いてみな」


 促されるまま、私は震える指先で、箱の側面にある小さな鍵を回した。

 カチ、カチ、と規則正しい、機械仕掛けの感触が指先に伝わってくる。


 ――~~♪


 奏でられたのは、どの楽器とも違う、透き通った金属の音色だった。

 それはまるで、春の朝に降る静かな雨のようで。

 魔力による増幅も、ノイズもない、純粋物理による「振動」。


 不意に、私の頭の中に広がるスキルツリーが、微かに熱を帯びた。


(……あ、これ、は……)


 行き止まりになっていた『聖域』の枝の先。

 そこに刻まれた解放条件がうっすらと――『音響理論の理解』という項目が、その音色に共鳴して震えているのが見えた気がした。


 店主さんは、私の反応を見て、わずかに口角を上げた。


「それは『無垢なるオルゴール』の試作品だ。今は魔力を一切通さないようにしてある。……こいつの繊細な音に合わせて歌ってみな。あんたの喉が、まだ魔導具に毒されきっていないか、確かめてやるよ」


 私は、レオンを見た。

 彼は黙って、力強く頷いてくれた。

 その瞳は、「君ならできる」と語っていた。彼がここまでお膳立てしてくれたのだ。応えないわけにはいかない。


 私は魔導チョーカーの留め具を外した。

 カチリ、という音がやけに大きく響く。

 寝る前などはいつも外しているのに、なぜだろう。戦場以外で、こうして人前で外すのは、まるで鎧を脱ぎ捨てたような心もとなさと、不思議な喉の軽さを感じさせた。


 私は息を吸い込み、ただの生身の喉を震わせる。

 鉄の小箱が刻む、孤独で、けれど確かなリズムに合わせて。

最後までお読みいただきありがとうございます!

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