第6話:鋼と涙の定理(前編)/アリア
最初の任務で「殺す覚悟」を決めてから、数ヶ月が経っていた。
私は、ゼファーさんと共に各地を転戦し、少しずつだが「勇者」としての実績を積み上げていた。
剣の腕は、間違いなく上がっている。
魔物に対する恐怖も、もう手足がすくむほどではない。
けれど、世界は残酷だ。私の成長をあざ笑うかのように、次なる「壁」は唐突に現れた。
***
場所は、鉱山都市の深部。
現れたのは、岩盤が魔力によって命を持った怪物、『剛岩の巨人』だった。
高さは十メートルを超え、その装甲は鋼鉄よりも硬い。
「――はぁぁっ!」
私は、渾身の力で聖剣を振るった。
狙いは巨人の脚部。関節を破壊し、体勢を崩す。道場の教え通りの、完璧な剣筋だったはずだ。
ガギィッ!!
嫌な金属音が響き、私の手首に強烈な痺れが走る。
斬れない。
刃が通らないどころか、巨人の質量に、私の剣が弾き返されたのだ。
「うぐっ……!?」
体勢を崩した私に、巨人の裏拳が迫る。
咄嗟に剣でガードしたが、それは受け流せるなんて次元の威力ではなかった。
まるで崩落する山にぶつかったような衝撃。私は枯れ葉のように吹き飛ばされ、背後の岩壁に叩きつけられた。
「ガハッ……!」
肺の中の空気が強制的に排出され、視界が明滅する。
ゼファーさんの援護でなんとか撤退できたものの、それは私の勇者人生における、初めての「完敗」だった。
***
その夜。遠征先の粗末なテント。
私は机に突っ伏し、涙目で紙と格闘していた。
机の上には、魔導ランプの薄暗い灯りに照らされた、分厚い魔導書の山。
「――やり直しだ。計算式が間違っている」
冷徹な声と共に、私の目の前に新しい紙が放り出された。
ゼファーさんは、眼鏡の位置を指で押し上げながら、淡々と黒板(携帯用のスレート)を叩いた。
「うぅ……ゼファーさん、もう無理です……。私、剣士ですよ? どうしてこんな、魔導工学の計算なんてしなきゃいけないんですか……」
私は抗議の声を上げた。剣を振るうことなら何時間でも耐えられる。でも、この慣れない数字の羅列は、私の脳を確実に破壊しに来ていた。
「いいか、アリア。君の剣速は素晴らしい。だが、物理法則は残酷だ。体重50キロの君が、体重50トンの巨人に正面からぶつかれば、どうなるかは未就学児でもわかる」
「……私が、空の彼方に飛んでいきます」
「正解だ。……だが、君は『魔力』がある。そして、勇者である君には信じる民衆からの『信仰』がある。問題は、そのエネルギーをどう変換するかだ」
ゼファーさんは、チョークで複雑な図式を描き殴った。
「君の剣術に、魔力による『ベクトル操作』と『質量付加』を乗せる。いいか、ただ魔力を纏うだけじゃない。インパクトの瞬間に、魔力を爆発させ、その反動すらも斬撃の推進力に変えるんだ。……これができなければ、君はあの巨人を一生倒せない」
それは、剣術というよりは、高度な魔導演算だった。
敵の硬度、自分の速度、魔力の出力。それらを瞬時に計算し、最適解を叩き込む。
才能や感覚だけで戦ってきた私にとって、それは「剣を捨てる」ことにも等しい苦行だった。
「……やります」
私は、眠い目をこすりながらペンを握り直した。
この頃、レオンはまだ記者への修行中の身で、私の隣にはいなかった。
甘いお菓子も、優しい言葉もない。
あるのは、泥臭いレーションと、容赦のない賢者の講義、そして「私がやらなければ、鉱山都市の人々が死ぬ」という焦燥感だけだった。
***
翌朝からは、身体的な地獄が待っていた。
「おいおい、勇者様。もうへばったのか?」
大盾を構えて仁王立ちしているのは、当時まだ傭兵団の一員として臨時雇用されていた、若き日のライアンさんだ。
彼の役割は、私の「衝撃への耐性」をつけるための壁役だった。
「魔力を乗せた斬撃は、その反動もデカい。撃った瞬間にお前の腕が折れちゃあ、意味がねぇんだよ。……ほら、立て!」
彼の大盾によるシールド・バッシュが、容赦なく私を吹き飛ばす。
泥まみれになりながら、私は何度も立ち上がった。
「ほらほら! 剣士の俺が、本職じゃない大盾を扱ってるんだ。そんな奴に負けんな!」
(負けるもんか……。こんなところで挫けてたら、レオンに笑われる)
私は、来る日も来る日も、昼はライアンさんに泥まみれにされて体幹を鍛え、夜はゼファーさんに脳が焼き切れるほどの座学を叩き込まれた。
剣のダコよりも、ペンだこの方が増えたんじゃないかと思うくらい、必死に食らいついた。
すべては、あの理不尽な巨人を、私の剣で断ち切るために。
天才なんかじゃない。勇者なんて格好いいものじゃない。
ただの負けず嫌いな少女の意地が、そこにはあった。
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