第4話:深夜の後輩と英雄の死角
城塞都市バレンシアの夜は、戦火の爪痕を隠すように深い静寂に包まれていた。
宿泊先の一室。俺は灯りを消し、窓の外に広がる瓦礫のシルエットを眺めながら、机の上に一つの魔導通信水晶を置いた。
指先から微かな魔力を流し込み、特定の周波数を合わせる。やがて水晶が淡く発光し、その中に一人の女性の姿が立体的に浮かび上がった。
『――あ、繋がった。こんばんは、レオン先輩』
映し出されたのは、王都エーテルガルドの本社に所属する後輩記者、ミーナだ。仕事終わりのためか少し着崩したシャツ姿で、悪戯っぽく微笑んでいる。
「夜分にすまない、ミーナ。王都との通信感度はどうだ?」
『絶好調ですよ。……それで? こんな時間にわざわざ秘匿回線を使ってまで、私におやすみの挨拶をしてくれるために通信してくれたんですか?』
「そんなわけないだろう」
俺は即座に否定したが、彼女のからかうような視線を逸らすように、手元の資料へ目を落とした。
「仕事だ。王都の社交界と、スポンサー企業の重役たちの動向を探ってほしい。……可能なら、彼らのライバル企業もお願いしたいんだ」
『えー、やっぱり仕事ですか。冷たいなぁ』
ミーナはわざとらしく溜息をついて見せたが、その瞳には鋭い記者の光が宿っている。彼女は画面越しにペンを弄びながら、ふとした疑問を口にした。
『でも先輩、不思議ですよね。バレンシアの復興なんて、国家が税金でやればいい話じゃないですか。どうして私たちが、スポンサー企業の顔色を伺いながら、あんなに必死に「勇者アリア様」を演出しなきゃいけないんです?』
俺は椅子に深く腰掛け、暗闇の中で静かに答えた。
「気持ちは分かるんだけどな。……だが勇者の力は主神から与えられる一方で、その力を維持するための『祈り』は、何もしなければ成長しない。民衆に希望を与え続けるには、炊き出しのパン一つ、移動するための輸送車一台にも、膨大なコストがかかるんだ。国家の予算だけじゃ、到底この戦時経済は回らないのさ」
俺がそう諭すと、ミーナは「そんなことは知っている」とでも言いたげに唇を尖らせた。まだ納得がいっていない様子の彼女に、俺は物語に語られるような昔話をしてみることにした。
「大昔は、それこそミーナが言ったように、国が中心となって勇者の財政面を支えていた時代もあったようだ。だが、勇者はどこで生まれるか分からない。昔、ある小国で生まれた勇者は、はした金しか与えられず、魔物を狩って日銭を稼いでいたようなこともあったらしい」
『えっ、日銭を稼ぐ勇者様……? 想像したくないですね、それは』
「だろう? それでは勇者の名声もなかなか高まらず、信仰の力が集まらなかったため、魔王討伐まで随分と時間がかかったそうだ。特に今の時代では人口が増え、感情の母数が多い分、魔王へ集まる絶望や恐怖も多くなり、敵の力も増大している。だから勇者も、それに対抗するための確実性の高い財源が必要なんだよ。……それに、一国が独占して支援すると、国同士の軋轢で勇者の動きが縛られる。今のスポンサー制は、それを防ぐ側面もあるんだ」
『なるほど……納得です。私たちアークライト通信社は、その財と情報伝達の両面で、勇者様を支える「インフラ」なんですね』
「ああ。このスポンサー制を軌道に乗せた二代前の勇者の手腕には脱帽だな」
ミーナの表情に、ようやくすとんと落ちたような色が浮かぶ。俺はわずかに緩んだ空気に乗せて、言葉を続けた。
「企業が金と技術を出し、俺たちが物語を綴る。スポンサーになれば税制面の優遇もあるし、『月刊 ヒーロー・クロニクル』にも無料で広告を載せられる。彼らにとっても悪い話じゃないんだ」
『なるほど、ウィンウィンの関係ってわけですか。……あ、少し話が逸れますけど、「クロニクル」で勇者以外の英雄……騎士や狩人の記事をまとめてるのも、何か意味があるんですか?』
ふとした問いだったが、それはこの世界の「防衛」の核心に触れるものだった。
「それもちゃんと意味がある。……勇者はどうしても一人しかいないが、魔王軍は各地で同時に襲撃してくる。勇者がすぐに手を差し伸べられない場所で、人々が不安に陥るのが一番の不覚なんだ。その不安が魔王の糧にならないよう、強い騎士や狩人が世界中にたくさんいることを示して、人々の心をケアする。……それが『クロニクル』のもう一つの役割だ」
『……ありがとうございます。最近、仕事に悩みがあったので、なんだかモチベーションが上がりました』
ミーナは画面越しに少し照れくさそうに笑った。
「ミーナが新人の頃は一緒に勇者専属だったから、雑誌の意義がわかりやすかったんだろうが……。異動してからちゃんと説明できていなかったのは俺の落ち度だったな。……今度そっちに行ったら、一緒にご飯でも食べながら話そうな」
『絶対ですよ! 約束ですからね!』
「わかったよ。……話を戻すが、人々が雑誌を読み、勇者の活躍に熱狂する時、バラバラだった人々の認識は一つに同期される。学説によれば、この勇者像の一致率が高いほど、アリア様の剣の重さは増幅されるらしいんだ」
『……つまり、スポンサーが不純な動向を見せれば、そのノイズが混じって、アリア様の力も物理的に濁る、ってことですね』
「その通りだ。炊き出しの時の襲撃、魔王軍はあまりに正確に俺たちの隙を突いてきた。……王都で、情報が漏れていないか洗ってくれ。特に『アサシン・リーパー』の目撃情報や、万が一、目撃情報があった場合、その裏にいる組織の動きを」
『了解です。先輩の頼みなら、這ってでも調べ上げますよ』
ミーナは最後に満足げに微笑み、通信を切ろうとした。
「……頼んだぞ、ミーナ。――あと、例の『音響機材』の件は?」
『あ、すみません! 老舗を当たってるんですが、どこも門前払いで……』
「分かった。なら、リストだけ送ってくれ。あとは俺が動く」
『えっ、いいんですか? ……分かりました、助かります!』
「いや、こちらこそお礼を言わなければいけない。ありがとうな」
これで、アリアの「心」を守るための布石も打てる。俺は小さく息を吐き、彼女に告げた。
「……じゃあ、今度こそ切るぞ」
『はい。あ、最後に……先輩?』
「なんだ」
『……やっぱり、おやすみくらい言ってくれてもいいんじゃないですか?』
期待を込めたような、それでいて少し寂しげな顔。俺は一瞬言葉に詰まり、視線を泳がせてから、ささやく程度の声で付け加えた。
「……ああ。おやすみ、ミーナ」
水晶の光がふっと消え、部屋は再び静寂に包まれた。
***
翌日。バレンシアの作戦会議室には、朝の光と共に凛とした緊張感が漂っていた。
円卓を囲むのは、勇者パーティの面々たち。専属記者である俺は、対面から彼らを見やる。
一点の曇りもない瞳で正面を見据える勇者アリア。
眼鏡を直し、昨夜の魔導残滓を分析している賢者ゼファー。
椅子の背もたれに寄りかかり、愛剣を磨く剣聖ライアン。
そして――。
「……報告は、以上」
部屋の隅、影に溶け込むように立っていたのは、小柄な少女、シルフィだった。彼女の聴覚と隠密能力は、この国の暗部ですら一目を置くレベルにあるという。
「ありがとうございます、シルフィ様。……皆様、午前からお集まりいただき、大変助かります」
俺は手帳を開き、記者らしい穏やかな微笑みを湛えて彼らの前に立った。今回の目的は、記事の取材という建前で、昨日の「取りこぼし」の真相を探ることにある。
「次号の『月刊 ヒーロー・クロニクル』の特集では、昨日の鮮やかな防衛戦を詳細に記録したいと考えております。皆様がどのように襲撃を察知し、どう動いたのか。読者に『奇跡の裏側にあるプロの技術』を伝えたいのです」
「その点で言えば、私も、あの時炊き出し会場にアサシン・リーパーが来た時の様子を詳しく伺いたいわ」
アリアが俺の言葉に頷く。
「ふむ、私の魔導障壁を潜り抜けた要因か。分析としては興味深いな」
ゼファーが資料を広げ、ライアンも「俺の警戒をどう掻い潜ったのか、俺自身も興味があるぜ」と、戦士としての好奇心を見せた。
「アリア様から、襲撃はゼファー様からの連絡があり対応したと伺いましたが、その時はどのような経緯があったのですか?」
「あの三体に気づいたのは、最初はシルフィだったな。奴らに気づいたときは、既に我らの後方を走り抜けてた」
ゼファーの言葉を受け、シルフィは無機質な瞳を向け、短く答えた。
「……私も、風の音と足音で、既に抜かれていたことに気づいた。……私のミス」
彼女は耳に触れながら淡々と告げたが、俺のペンを握る指が一瞬止まった。
「それは……、皆さんに姿を気取られず、背後に回られたということでしょうか?」
「……そう。確かにアサシン・リーパーは隠密性の高い魔物だけど、物陰にも注意を払っていたのに抜かれたのは、一生の不覚……」
「周りは瓦礫の山だったから、足場の悪いそこを通ってくるとは考えづらくて、俺も警戒が怠っていたかもしれない」
シルフィとライアンの報告に、俺の脳裏で記者の嗅覚が警鐘を鳴らす。
アサシン・リーパーは確かに隠密性と機動力に優れた魔物だ。機動力を捨て瓦礫の山を通ることは確かに考えづらい。だから、シルフィも通りの端の物陰なんかは、特に注意を払っていただろう。
「……いえ、責めているわけではないんです、シルフィ様、ライアン様。それを記事にして、民衆に『勇者たちは常に改善を続けている』と伝えるのが私の仕事ですから」
俺はにこやかにペンを走らせる。だが、その内心は冷徹な疑念に支配されていた。
これほどの精鋭たちの網を、三体の残党が何の予兆もなく潜り抜けるなどあり得ない。
彼らの感覚を欺いた「何か」があったのか。あるいは、彼らの死角を正確に知っている誰かが、あらかじめ道を作っていたのか。
――表向きの取材を続けながら、俺は英雄たちの言葉の端々に隠された「情報の空白」を、静かに、そして執拗に嗅ぎ回り始めた。
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