第3話:戦場のスープキッチン
城塞都市バレンシア。その西区広場には、立ち上る湯気と共に、この数日で最も温かな空気が流れていた。
広場を囲むように並んでいるのは、G-ロジスティクスの紋章が刻まれた重厚な「魔導輸送車」だ。これは単なる物資運搬車ではない。舗装道路が整備された近代社会において、「勇者の救済を運ぶ足」としてのブランドの象徴だ。
馬を必要とせず、魔石の動力で動くその巨体には、スポンサー会議で決定した大量の食材と物資が積み込まれている。
「……はい、どうぞ。熱いから気をつけてくださいね」
俺の視線の先、アリアが泥だらけの子供に微笑みかけていた。
純白の鎧の上に質素なエプロンを纏い、頬に煤をつけたその姿。勇者としての威厳を保ちつつも、その瞳には一人の少女としての純粋な慈愛が宿っている。
俺は離れた位置から記録水晶を構え、その瞬間を切り取った。
傍らでは、G-ロジスティクスの職員たちがあまり身が入っていない様子だったが、俺が「次号の『月刊 ヒーロー・クロニクル』では、御社のロゴをアリア様の隣にレイアウトしますよ」と一言添えるだけで、彼らは急にキビキビと動き出す。情報の力は、時に物理的な命令よりも重い。
その時、アリアの耳元に装着された通信魔石が、鋭く発光した。
『――アリア、聞こえるか! ゼファーだ』
俺には聞こえないが、アリアの表情が一瞬で「戦士」のものに変わったことで、何らかの異常事態が起きたことを察した。
「……了解。数体、こちらに向かったのね。迎撃するわ」
アリアの声は低く、鋭い。
彼女はすぐさま俺の方を向き、視線だけで「来るわよ」と告げた。俺は無言で頷き、周囲の記者たちと避難民に指示を飛ばす。
「全員、魔導輸送車の陰へ隠れろ! 炊き出しの火を消せ! 安全第一だ!」
指示が終わるのと同時だった。
広場の外縁、瓦礫の山から黒い影が弾け飛んできた。魔王軍の残党、機動力に特化した「アサシン・リーパー」が三体。
奴らは一直線に広場中央へ突っ込んでくる。だが、その狙いは逃げ惑う民衆ではなかった。
「……っ、目標は『物資』!?」
俺は戦慄した。奴らの鎌が狙っているのは、アリアでも民衆ではなく、並ぶ魔導輸送車の動力部と、炊き出しの大鍋だ。
「させない!」
アリアがエプロンを脱ぎ捨てるより早く、聖剣を抜いた。
広場を縦横無尽に駆け巡るその姿は、一筋の閃光そのものだ。輸送車の動力部を狙った鎌を剣筋一つで弾き飛ばし、大鍋に迫る魔物を強烈な蹴りで吹き飛ばす。
避難民を守るだけなら、彼女の力なら容易い。ただ、今回の敵は執拗に「食料」と「輸送手段」を破壊しようとしていた。
「ハァッ!」
アリアの聖剣が、青白い魔力を帯びて一閃した。
広範囲を焼き払う技ではない。敵の急所だけを正確に貫き、周囲の物資には微塵の傷もつけない、極限まで制御された守護の一撃。
最後の魔物が塵へと還るのを見届け、俺はシャッター代わりの魔力を水晶に込めた。
火を消せ、という号令から最後の魔物が塵に還るまで、時間にすれば一分にも満たなかっただろう。アリアがエプロンを拾い上げ、大鍋の蓋をそっと開ける。そこからは、戦闘前と変わらぬ白く濃密な湯気が立ち上った。
アリアは怯えていた子供に再び歩み寄り、優しくその頭を撫でる。
「……大丈夫。スープは、まだ温かいわよ」
その光景に、広場からは割れんばかりの歓声と、涙混じりの感謝の声が上がった。
俺は震える指先で、この「物語」の結末を書き記す準備を始めた。
***
【アークライト通信・号外】
勇者アリア、炊き出しの現場で魔王軍を撃退! ~物資と民の笑顔を守り抜いた、聖剣とエプロンの奇跡~
【バレンシア西区発=レオン】
本日正午、西区広場にて行われていた炊き出し会場を魔王軍が強襲した。卑劣にも敵が狙ったのは、民の明日を繋ぐ「魔導輸送車」と「温かい食事」であった。
しかし、勇者アリア様は一歩も退かなかった。彼女は幼子にスープを配っていたその手で聖剣を握り、物資ひとつ、スープ一滴すら損なわせることなく全ての敵を討ち果たした。
戦後、再びエプロンを締め直し、民衆に微笑みかけた彼女の姿に、我々は真の英雄の在り方を見た。絶望を断つ剣と、希望を分かつ心。その両輪こそが、この暗雲を切り裂く唯一の光であると、筆者は確信している。
***
深夜、特別室。
防音結界の中で、アリアは俺が焼いたチョコチップクッキーを、おいしそうに音を立てて齧っていた。俺も一緒に横に座り一口頬張れば、クッキーの甘いバターの香りが、昼間の戦いの緊張感を緩和する。
「……ねぇ、レオン。今日の魔物、変だったと思わない?」
アリアが、ふと真面目な顔で俺を見た。
「ああ。てっきり、魔王軍の残党は勇者の首か、民衆の虐殺による『恐怖』の回収を優先すると思っていた。だが、今日の奴らは執拗に食料を狙っていた。まるで……」
「……この復興支援そのものを、台無しにしたがっているみたい」
俺は腕を組んだ。
魔王軍が「物資の破壊」という戦略的な行動をとった。これは、単なる直情的な暴力ではなく、高度な「情報の操作」を理解している証拠だ。物資がなくなれば、民衆は「勇者は結局助けてくれない」と絶望する。それは虐殺よりも効率的に、信仰を恐怖へ反転させる。
「今代の魔王は、過去の記録にある奴らとは何か違う。……それに」
俺は、通信の内容を思い出す。賢者ゼファーたちが取り零した三体が、なぜ正確に、アリアが炊き出しを行っている場所と時間をピンポイントで狙えたのか。
魔王が狡猾であり、その斥候が優れているのか。あるいは、人類側に魔王と情報を共有している裏切り者がいるのか。
「……アリア。明日からの取材、少し方針を変える。表面上の美談だけじゃなく、もう少し深いところを嗅ぎ回る必要がありそうだ」
「……うん。レオンがそう言うなら、私も気をつける」
アリアが少し不安げに俺の手を握る。
俺はその手を強く握り返した。
「安心してくれ。情報収集は、記者の得意分野だから」
その時、俺の手首にある時計の魔石が淡く明滅した。
まもなく日付が変わる。勇者アリアの管理スケジュール上、これ以上の夜更かしは推奨されない時間だ。
「……もう、時間だね」
「うん……。まだ、話し足りないけど」
名残惜しそうに指を離すアリアに、俺は一つ提案をした。
「今夜、『詠み鳥』を飛ばしてもいいかい? まだ少し、伝えておきたいことがあるんだ」
「! うん。……待ってる」
アリアの表情がぱっと明るくなる。
詠み鳥。俺たち二人だけが知る、古く、そして何よりも温かい通信手段。
その名前が出ただけで、彼女がこんなにも嬉しそうな顔をするなら、俺は何度でもその鳥を飛ばそう。
アリアは最後のクッキーを大切そうに包み直し、立ち上がった。
扉を開ければ、彼女はまた「完璧な勇者」に戻る。
だが、その背中は、部屋に入ってきた時よりも少しだけ軽やかに見えた。
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