第25話:煽動される正義、鉄の行軍
世界が、沸騰していた。
アークライト通信社が撒いた号外は、乾いた薪に油を注ぐが如く、人々の感情を燃え上がらせていた。
街角で、広場で、酒場で。人々は拳を突き上げ、口々に叫んでいる。
「許すな! 卑劣な魔王軍を!」
「我らが勇者に、悲劇など似合わない!」
「進め! 勇者アリアに神のご加護を!」
それは純粋な正義感であり、同時に、演出されたヒステリーでもあった。
彼らは知らない。自分たちが叫んでいる「正義」が、企業の利益と大人の事情によって設計された「台本」通りであることを。
だが、それでいい。
この熱狂的な信仰こそが、今の勇者アリアには必要なのだ。
***
アイゼンの街外れに集結した軍勢は、壮観の一言に尽きた。
先頭に立つのは、アイアン・ローズ重工が誇る最新鋭の『魔導装甲車両』の車列。
リベットで継ぎ接ぎされた無骨な鉄の塊が、黒煙と蒸気を吐き出しながら、大地を震わせている。
その砲塔は、従来の魔法使い数人分に匹敵する火力を秘めているという。
その後ろには、騎士団が整列している。
彼らは「勇者の盾」となる栄誉(と、防衛戦という比較的安全な任務)を与えられ、士気は高い。
そして、その中心。
白銀の騎獣に跨り、純白の鎧に身を包んだ勇者アリアがいる。
彼女は今、世界で最も美しく、そして悲しい「戦乙女」を演じていた。
伏せられた瞳、結ばれた唇。その姿に人々が涙し、さらなる信仰が集まっていく。
俺は、出発前のわずかな喧騒の隙間を縫って、アリアの元へ歩み寄った。
「……レオン」
アリアが騎獣から降り、俺の方へ駆け寄ろうとする。
だが、俺は手で制した。周囲には多くの目がある。騎士団、企業の人間。どこに目が潜んでいるか分からない。
「ここまでです、アリア様」
俺はあくまで「専属記者」としての距離を保ち、事務的な口調で告げた。
「私はここに残ります。戦場において、私のような非戦闘員は足手まといでしかないのです」
「……分かってる。分かってるけど……」
アリアの声が微かに震える。
彼女の碧眼が、不安げに揺れていた。
無理もない。シルフィの安否が分からないのだ。俺だってシルフィが心配だ。
「怖いですか?」
「……うん。シルフィが死んでいたらどうしようって。それに……貴方がいないと、私はただの剣を振るう人形になってしまいそうで」
弱音を吐く彼女に、俺は周囲を警戒しながら、一歩だけ距離を詰めた。
取材をしていますという体を取って、手帳とペンを持つ。
他人が見れば「打ち合わせ」に見える距離。
だが、俺たちの間には、確かな熱が通っていた。
「大丈夫だ。お前は人形じゃない」
俺は、自分のポケットから小さな包みを取り出し、彼女の手に握らせた。
焼き菓子だ。昨夜、宿の厨房を借りて焼いた、厚焼きのガレット・ブルトンヌ。
「甘いだけじゃ、戦場では喉が渇くだろ? たっぷりバターに、海塩を効かせてある。塩分補給も兼ねた、特製の行動食だ」
アリアがハッとして俺を見る。
「それに、頑丈に焼いてある。激しく動いても、ポケットの中で砕けたりしない」
俺は、彼女の手を包み込むようにして、強く握り返した。
「辛くなったら、これを食え。……俺はずっと、通信機の向こうにいる」
「……っ、うん!」
アリアの瞳に、力が戻る。
彼女は俺の手を、名残惜しそうに、けれど力強く握り返した。
ほんの数秒。
誰も見ていないはずの、一瞬の触れ合い。
一羽の鴉だけが、その光景を見つめていた。
***
正午。進軍ラッパが鳴り響いた。
「全軍、進めぇぇぇーーッ!!」
騎士団総長の号令と共に、鉄の行軍が開始された。
地響きがアイゼンの街を揺らす。
俺は司令部のテントから、遠ざかっていくアリアの背中を見送った。
隣には、パイプを燻らせるヴィンセント局長がいる。
「始まったな。……賽は投げられた」
局長の言葉に、俺は無言で頷く。
ここからは、俺の手を離れる。
アリア、頼んだぞ。
***
西へ。
シルフィが命を削って駆け抜けた荒野を、文明の利器が踏み荒らしていく。
道中、何度か魔王軍の斥候部隊や、空からの強襲があった。
だが、それらはアリアの剣に触れることさえ叶わなかった。
「目標補足。距離800。……撃てッ!」
ドォン!!
アイアン・ローズ重工の装甲車両から放たれた魔導砲が、空中のワイバーンを消し炭にする。
圧倒的な火力。
騎士たちが剣を抜くまでもない。これは戦争ではない。「駆除」だ。
その光景を、アリアは騎獣の上から冷ややかに見つめていた。
これが、レオンが作った「舞台」。
敵に恐怖を植え付け、混乱させるための、派手で無慈悲なパレード。
(……待っていて、シルフィ。今、扉をこじ開けるから)
行軍の末、軍隊はその「傷跡」に到達した。
大地を真っ二つに引き裂いたような、巨大な亀裂。
『大地の裂け目』。
そこは、不気味な静寂に包まれていた。
だが、アリアには分かる。
肌を刺すような視線。亀裂の底、闇の奥から、無数の殺意がこちらを見上げている。
「……見つけた」
アリアは剣を抜き放ち、夕陽に輝く刀身を掲げた。
「総員、戦闘態勢! ……あそこが、敵の本拠地です!」
その号令と同時に、亀裂の底から、無数の赤い光――魔物たちの瞳が一斉に灯った。
レオンの描いたシナリオ通り、最後の戦いが幕を開ける。
***
魔王軍拠点の、遥か地下深く。
そこで魔王はシルフィの記憶を眺めていた。
今の魔王には、これから地上で繰り広げられる「聖戦」などどうでもいい。
愉快そうに、その口元を三日月のように歪めた。
「クハハハハ! 傑作だ! あまりに滑稽で、涙が出てくる!」
彼は、シルフィの記憶を全て見た。
点と点が、線で繋がる。
「なんだ、そんなことか! この娘も、周りの連中も、なぜこんな簡単なことに気づかなかった?」
魔王は、石の手術台の上で虚ろな目をしているシルフィを覗き込んだ。
「勇者の弱点は、剣でも魔法でもない。『愛』だったとはな!」
彼は愉悦に震えながら、シルフィの頭を握りつぶさんと手を伸ばした。
――しかし、思い留まる。
「……いや、予定変更だ。こいつは、生かしておく」
彼はシルフィに向かって、慈悲深く、そして残酷に告げた。
「殺すには惜しい。お前は最高の『時限爆弾』だ。褒美に、勇者の元へ返してやろう。感動の再会、涙の救出劇……大衆が酔いしれる最高のハッピーエンドを演出してやる」
魔王の瞳が、暗い欲望で濁る。
「高く持ち上げれば持ち上げるほど、落ちた時の音は響くからな。さあ、登ってこい、偽りの勇者よ。お前が頂点に達したその瞬間、私が背中を押してやる」
地下の闇の中で、悪魔の脚本家が嗤った。
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