第17話:霧に溶ける街、見えざる魔手
リナールでの一件が落ち着き、王都に戻って数日が経過したある日の夜。
俺は宿泊先の自室で、上司であるヴィンセント編集局長と秘匿通信を繋いでいた。
水晶の向こうで、局長は深く紫煙を吐き出し、いつになく呆れたような、それでいて険しい表情を浮かべている。
『……レオン。リナールの件、ご苦労だった。G-ロジスティクスへの処分も決まり、世論も「雨降って地固まる」といったところだ。だが、息つく暇もなくてすまないが、新たな火種だ』
局長は一枚の地図を水晶に投影した。
指し示された場所は、北部の山岳地帯にある鉱山都市『アイゼン』。
「アイゼン……確か、アイアン・ローズ重工の管轄下にある、鉄鉱石の主要採掘地ですね」
『そうだ。ここ数週間、この都市からの鉄鉱石の納品が激減している。現地からの報告によれば、「季節性の流行り病による人手不足」で隔離封鎖中とのことだが……』
「病気、ですか? それなら医師団を派遣すべき案件では?」
『いや、それは表向きの理由だと裏が取れている。事態はきな臭く、そこにさらに個人的な理由が絡んできた』
局長はこめかみを揉みながら続けた。
『アイアン・ローズ重工のイザベラ専務が、半狂乱でスポンサー陣に怒鳴り込んできた。「私の可愛い甥っ子を返して!」とな』
「……は?」
『彼女の甥が、新入社員研修の一環として監査役に任命され、アイゼンへ視察に向かったそうだ。だが、現地入りした直後に連絡が途絶えた。……イザベラ女史は、「疫病なんて嘘よ! うちの甥っ子がそんな簡単に病気になるわけないわ! 何かトラブルに巻き込まれたに違いないから、今すぐ勇者を派遣して助け出しなさい!」と主張している』
俺は天を仰いだ。……スポンサーの私情か。
一企業の社員――役員の親族一人の捜索に、人類最高戦力である勇者を投入するなど、職権乱用も甚だしい。
「……それで、勇者にお鉢が回ってきたと」
『ああ。だが、イザベラ女史の勘もあながち間違いではない。我々が独自に入手した情報によれば、現地では病気など発生していない。代わりに、職員や住民が相次いで「消えている」という噂がある』
「消えている? ……逃亡や、集団移住ではなく?」
『分からん。だが、アイアン・ローズ社のメンツを潰す前に、勇者パーティの「極秘視察」という名目で現地入りし、事態を調査してほしい。……甥っ子の安否確認も含めてな』
「……承知しました。どのみち、企業の尻拭いは勇者の仕事のようですから」
***
翌日。出発の準備を進める俺の元に、後輩記者のミーナから緊急の連絡が入った。
以前依頼していた「スポンサーの周辺調査」に進展があったらしい。
直接話す必要があるという彼女の要請で、俺たちは下町の大衆酒場の個室で向かい合った。
「先輩、これを見てください」
ミーナがテーブルに広げたのは、数枚の記録水晶の画像だった。
写っているのは、荒涼とした谷底。そこには、赤錆びた鉄屑や、捻じ曲がった金属板が山のように積み上げられている。そして、その一部には見覚えのある「薔薇と鉄床」のロゴ――アイアン・ローズ重工の紋章が刻まれていた。
「これは……不法投棄か?」
「はい。場所は、これから先輩たちが向かう鉱山都市アイゼンのすぐ近く、通称『廃棄の谷』です」
ミーナは憤りを隠せない様子で語った。
「アイアン・ローズ社は、新兵器開発の過程で出た失敗作や試作品の廃棄コストをケチって、闇業者を使ってこの谷へ捨てていたようです。……ここまでは、よくある企業の汚職です。ですが、問題はこの先です」
彼女は一枚の写真を指差した。
深夜に撮影されたと思われるその画像には、ゴミ山を漁る人影――いや、歪な形をした魔物の姿が写っていた。
「スカベンジャー……下級魔物か」
「はい。奴らは本来、動物の死骸なんかを漁るはずなんですが……最近は、この『鉄のゴミ』を好んで巣に持ち帰っているようなんです」
俺は写真を見つめ、ため息をついた。
魔王軍には高度な製鉄技術がない。だから、人間が捨てた高品質な合金や部品を拾い集め、自らの装備として流用しているのだろう。
企業のモラルハザードが、結果として敵に資材を提供している。笑えない冗談だ。
「それと、現地の噂も洗ってみました」
ミーナが声を潜める。
「アイゼンの鉱山、かなりブラックな職場だったみたいです。借金持ちや身寄りのない人間を安く使っていて、過酷な労働に耐えかねて夜逃げする人が後を絶たなかったとか」
「……なるほど。だから初動が遅れたのか」
点と点が繋がり始めた。
現場監督たちは、最初の失踪者を「また逃げたか」程度にしか思わず放置した。
だが、それが頻発し、生産ラインが止まるほどになった。
本社にバレれば、監督不行き届きとブラックな実態で自分たちの首が飛ぶ。だから「流行り病」と嘘をついて時間を稼ごうとした。
そこへ、運悪くイザベラの甥っ子が来てしまい、彼もまた「消えた」。
「ありがとう、ミーナ。この件、神隠しとの関連は不明だが、アイアン・ローズ社の弱みとしては使える。預かっておくよ」
***
数日後。
俺と勇者アリア、そしていつものパーティメンバーは、鉱山都市アイゼンに到着した。
「……何、この霧」
アリアが不安げに呟く。
都市は、視界が数メートルも効かないほどの深く白い霧に包まれていた。
山岳地帯特有の霧ではない。肌にまとわりつくような、湿った不快な空気だ。
街の大通りを歩くが、人の気配がない。
建物はどれも窓が板で打ち付けられ、扉は堅く閉ざされている。まるでゴーストタウンだ。
「おい! 誰かいないのか! 勇者アリア一行だ!」
剣聖ライアンが大声で呼びかけるが、返事はない。
風の音さえ霧に吸い込まれ、不気味な静寂だけが返ってくる。
「……おかしい」
斥候のシルフィが、その耳をピクリと動かした。
「気配がないわけじゃない。家の中には人がいる。……でも、みんな息を殺して怯えてる」
俺は近くの民家――おそらく現場監督の詰め所と思われる建物の扉をノックした。
「アークライト通信社の記者、レオンです。アイアン・ローズ重工の要請で勇者パーティーと共に来ました。……イザベラ様の甥御さんの捜索も含めて、状況を教えていただけませんか?」
しばらくの沈黙の後、扉がわずかに開き、充血した目の男が顔を覗かせた。
身なりからして、ここの責任者だろう。
「……勇者様、なのか? ほ、本当に来てくれたのか……!」
「ええ。疫病が発生していると聞きましたが、どう見ても様子が違う。何があったんですか?」
男はガタガタと震え出した。俺の背後の霧を、親の仇のように、あるいは死神を見るように睨んでいる。
「……違うんだ。すまない、病気は嘘なんだ。……奴らだ。奴らが来る」
「奴ら? 魔王軍ですか?」
「分からねぇ……。姿が見えねぇんだ。足音もしねぇ。ただ、霧が揺れたと思ったら、隣にいた奴がいなくなってるんだ……! 昨日は向かいの家の娘が、その前は俺の部下が……!」
「……逃亡ではなく?」
「最初はそう思ったさ! ここの仕事はキツイからな! だが、逃げるなら荷物くらい持っていくだろう!? 飯を食ってる最中に、スプーンを持ったまま消える奴がいるかよ!」
男は錯乱気味に叫んだ。
姿が見えない。
その言葉に、俺は以前の城塞都市バレンシアでのアサシン・リーパーの襲撃を思い出した。隠密特化の魔物か? だが、シルフィの感知を潜り抜けるほどの使い手が、そう何度も現れるものだろうか。
その時だった。
「ギャアアアアアッ!!」
通りの向こう、霧の奥から悲鳴が響いた。
「行くっ!」
アリアが即座に駆け出す。俺たちもそれに続く。
悲鳴の地点にたどり着くと、そこでは一人の青年が――作業着を着た労働者が、何もない空中で必死にもがいていた。
「うわぁぁぁ! 離せ! 離せぇぇ!」
まるで「見えない巨人」に首を掴み上げられているかのように、青年の足がバタバタと空を蹴る。
「助け……て……!」
青年の身体が、さらに高く持ち上げられる。霧の奥へ連れ去ろうとしているのだ。
見えない。だが、青年の服が凹み、何かに掴まれている物理的な現象だけが起きている。
敵の姿は視認できない。
しかし、アリアの碧眼は鋭く細められていた。
「……ここねッ!」
アリアが踏み込んだ。
彼女は敵の姿を探すのではなく、青年の浮き方、服の引っ張られ方から、敵の腕の位置と胴体の位置を瞬時に逆算したのだ。
ブンッ!
一閃。剣が「何もない空間」を薙ぐ。
ドスッ!
「ギィッ!?」
空を切る音ではなく、確かに肉を断つ鈍い感触と共に、何もない空間から獣のような苦悶の声が漏れた。
拘束が解け、青年が地面に落下する。
「大丈夫!?」
アリアが駆け寄り、青年を抱き起こす。
俺の視線の先、何もない空間に、ポタポタと赤い血が滴り落ちていた。
(実体はある……! 透明化しているだけか!)
負傷した敵がよろめくような血の滴りが見える。今なら追撃可能だ。
そう思った瞬間だった。
ヒュンッ――ボォォォォォッ!!
霧の奥から、真っ赤な火球が飛来した。
「伏せろッ!」
ライアンがアリアたちを庇うように前に出る。
だが、その火球が狙ったのは、俺たちではなかった。
着弾したのは、先ほどアリアが斬りつけた「見えない敵」がいるであろう場所だ。
凄まじい爆発と共に、何もない空間が業火に包まれる。
「ギャアアアアア……ッ!!」
断末魔の叫びと共に、一瞬だけ炎の中に歪な人型のシルエットが浮かび上がり――そして、灰も残さず消滅した。
「……なっ!?」
あまりの火力に、俺たちは顔をしかめる。
仲間を助けるための援護射撃ではない。これは……。
「……口封じ、あるいは『証拠隠滅』か」
ゼファーが忌々し気に呟く。
今の炎は、対象を完全に炭化させることに特化した術式だった。敵の正体、あるいはその装備している「技術」を俺たちに解析させないための。
ビカァァッ!!
思考を切り替えたゼファーが、先ほど攻撃が放たれたであろう場所に電撃を放つ。
しかし、その攻撃は素通りし、霧の中に溶ける。
「シルフィ、攻撃者の位置は!?」
アリアが叫ぶが、シルフィは悔しそうに首を振った。
「……だめ。撃った直後に気配が消えた。相当、逃げ足が速い」
霧は再び、何事もなかったかのように静寂を取り戻していく。
助け出された青年は、腰を抜かして震えている。
アリアが剣を下ろし、油断なく霧を見つめる。
姿が見えない敵。そして、証拠を即座に消す統率された動き。
ただの魔物の群れではない。明確な「意志」と「知性」を持った組織的な犯行だ。
俺たちはまだ知らない。
この霧の中に潜む敵が、魔力でも呪いでもなく、人間の怠慢が生み出した「亡霊」であることを。
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