第15話:逃げた記者と、残された火種
リナールの空が、久しぶりに澄み渡っていた。
広場には湯気が立ち上っている。だが、それはかつての甘い匂いのする薬物入りのスープではない。
G-ロジスティクスの空輸部隊が運び込んだ、根菜と干し肉がたっぷり入った、泥臭くも温かい本物のシチューだ。
住民たちの顔色はまだ青白い。薬の禁断症状や、精神的な後遺症の治療には長い時間がかかるだろう。
けれど、その瞳には理性の光が宿っていた。
「……本当にお世話になりました」
街の出口にある馬車乗り場で、トマスが深々と頭を下げた。
彼は薬物摂取による健康被害の検査と、本社への報告のため、一足先に王都へ戻ることになっていた。
「申し訳ありません、アリア様、レオン先輩。僕がもっとしっかりしていれば……。無力な自分が恥ずかしいです」
トマスは悔しそうに拳を握りしめる。その姿は、自らの無力さに打ちひしがれる実直な若手記者そのものだった。
「ううん。トマスさんも辛かったはずよ」
アリアは優しく微笑み、トマスの手を握った。
「あの状況で、最後まで理性を保とうと戦っていたんでしょう? ……ゆっくり休んでね」
「……はい。ありがとうございます、勇者様」
トマスは感極まったように目元を拭い、逃げるように魔導車へと乗り込んだ。
動き出した魔導車の窓から、彼は小さくなる街と俺たちに向けて、いつまでも手を振り続けていた。
俺はその姿を見送りながら、胸の奥に刺さった小さな棘のような違和感を、どうしても拭いきれずにいた。
***
数日後。王都、警備局の拘置施設。
無機質な面会室のガラス板越しに、一人の男が座っていた。
G-ロジスティクスのマルコム常務だ。以前の傲慢な態度は見る影もなく、頬はこけ、目は血走っている。
俺とヴィンセント局長は、彼と対峙していた。
「……話が違いますよ、常務」
俺は手元の資料を机に置いた。
「あなたは『支援物資を打ち切った』わけではないと主張している」
「ああ、そうだ! 誓って言うが、打ち切ってなどいない!」
マルコムは机を叩いて叫んだ。
「確かに、魔が差したんだ……。予算の三割ほどを浮かせ、帳簿を操作して懐に入れたことは認める。だが、残りの七割は確かに発送したんだ! 現地を見捨てるつもりなんてなかった!」
「では、なぜ現地には届かなかった?」
ヴィンセント局長の鋭い問いに、マルコムは頭を抱えた。
「知らん! 輸送隊からの報告では『現地付近で魔王軍の襲撃に遭い、物資を奪われた』と……。だがその後、リナールの住民名義で『感謝の手紙』が届いたんだ。『少ない物資でも工夫して生きています。ありがとう』と」
マルコムは虚空を見つめ、うわごとのように呟く。
「だから、私は上手くいっているものだと……。横領もバレず、現地も感謝している。すべてが完璧だと……」
俺と局長は顔を見合わせた。
……そういうことか。
1.マルコムが欲を出して物資を減らした(人間の隙)。
2.魔王軍が輸送隊を襲い、残りの物資もすべて奪って備蓄した。
3.魔王軍が「感謝の手紙」を偽造し、王都を油断させた。
4.同時に現地では「支援打ち切り」の噂を流し、絶望させた。
(いや……違う)
俺は思考を修正する。
G-ロジスティクスの腐敗すら、魔王軍にとっては計算済みの「副産物」だったのかもしれない。
全ては、城塞都市バレンシア襲撃後のスポンサー会議で、「リナールへの支援を打ち切る」という議題が挙がった――その事実から始まっていたのだ。
噂とはいえ、それを信じるに値する根拠が、会議室の中からリークされていたのだとしたら。
***
「……あまりに手際が良すぎる」
面会室を出た廊下で、ヴィンセント局長が忌々し気に唸った。
「こちらの会議の内容――支援継続を知った上で、タイミングよく現地に『打ち切りの噂』を流し、物流をコントロールした黒幕がいるはずだ。……だが、その噂の出所だけは、プッツリと途絶えて掴めん」
「内通者、あるいはスパイの存在……ですか」
「ああ。マルコムのような小悪党ではない、もっと深く、暗い闇が潜んでいる気がする」
***
その後開かれた緊急スポンサー会議の結果、G-ロジスティクスへの処分が決定した。
その内容は、「契約不履行」と「横領」による巨額の賠償金、およびリナール復興への無償奉仕。
企業の屋台骨が揺らぐほどの厳しい処分だが、あくまでスポンサーは企業であり、行政機関でも司法機関でもないので、事業停止などの極刑は免れた。
また、行政や司法の判断においても、直接的な麻薬中毒の加害者は魔王軍であり、彼らもまた「騙されていた」という情状酌量が認められた(もちろん、物流最大手が潰れた際の世界経済への影響を恐れた政治的判断もある)。
「トカゲの尻尾切りか……。だが、これで企業側も襟を正さざるを得ないだろう」
俺はため息をつき、自室の机に向かった。
俺には、まだ最後の仕事が残っている。この記事を書かなければ、リナールの事件は終わらない。
真実をそのまま――住民が勇者を襲ったことや、企業の完全な裏切り――を書けば、民衆はパニックになり、勇者システムそのものが崩壊しかねない。かといって、嘘は書けない。
俺はペンを執り、慎重に言葉を選んだ。
***
翌朝。号外が王都中に配られ、リナールへの同情と支援の輪が一気に広がることとなった。
そして、アリアの名声は、戦う勇者としてだけでなく、慈悲深い「聖女」として、より一層高まる結果となった。
【アークライト通信・号外】
リナールの雪解け ――勇者の歌声が照らした、空白の一ヶ月――
【リナール発=レオン】
×月×日、筆者は勇者パーティーとともに、長らく沈黙していたリナールへ赴いた。
現地で判明したのは、魔王軍による卑劣な精神干渉の事実である。民衆は自らの意志を封じられ、助けを求める声すら奪われていたのだ。
なぜ、このような支配を許してしまったのか。
背景には、G-ロジスティクス社の不手際による物流の停滞がある。物資の遅配が招いた「孤立感」という心の隙。魔王軍はそこへ巧みに付け込み、静かに支配を広げていたのである。我々は、この狡猾な手口に屈してはならず、支援体制の再構築が急務であることを再確認した。
今回、勇者アリアは剣ではなく、心で民衆を救った。
彼女の行動が示したのは、傷ついた人々に真に必要なものは、空腹を満たすパンだけではないという事実だ。「自分たちは見捨てられていない」という確信こそが、人の魂を支えるのだ。
我々支援者もまた、今後は物資だけでなく、その「心」を届けなければならない。
***
王都、中央療養院の一室。
ベッドの上でその記事を読み終えた男が、新聞を丁寧に折りたたんだ。
『……綺麗にまとめたなあ、セ・ン・パ・イ。人間社会の膿を隠しつつ、希望だけを抽出する。嘘は言わない、見事な編集能力だ』
男は窓の外、平和な王都を見下ろして笑う。
『おかげで、世界は今日も平穏そのものだ。……クク、さて、次はどこの「正義」を腐らせてあげようか』
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