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第11-2話:希望の輸入と、空虚な凱旋

「……救いが必要ない、だと?」


 俺は倒れた男を指差そうとしたが、トマスは肩をすくめるだけで、手を貸そうともしない。


「ええ。彼らは自らの意志で『選別』に参加しているのですから。……やれやれ、皆さん、頑固ですね」


 納得がいかないという顔をする俺たちに、トマスは、まるで出来の悪い弟を見るような目で俺たちを見回すと、人差し指を立てて忠告した。


「……それでも街に入るというのなら、フードは深く被ったままであることを強くお勧めしますよ」


 その言葉には、親切心というよりは、これから起こる何かを期待するような、奇妙な響きがあった。


「……シルフィ」


 アリアが短く名を呼ぶ。

 斥候のシルフィが頷き、指先を軽く振った。一陣の風が巻き起こり、倒れた男の体をふわりと浮かせると、目にも止まらぬ速さで男を抱きかかえ、街の外れにある木陰へと運んでいった。まずは安全な場所で介抱するためだ。


 だが、その光景に対する周囲の反応は薄い。

 人が一瞬で連れ去られた状況に、通りを歩く住民たちは、虚ろな目で宙を見つめているか、あるいは地面の石ころを見るように無視している。


(……意識が混濁している? 今の一瞬の出来事に脳が処理できていないのか……?)


「参りましょう。広場を見れば、この街の『素晴らしいシステム』が理解できるはずです」


トマスに促され、俺たちはシルフィの帰還を待たず、街の中へと足を踏み入れた。


   ***


 街の中は、不気味なほど清潔だった。

 瓦礫は撤去され、壁という壁にはペンキでスローガンが書かれている。


 『笑顔は幸福の源泉』

 『感謝こそが唯一の通貨』

 『不満は魂を腐らせる』


 そして、俺はある違和感の正体に気づき、足を止めた。

 街の物流倉庫の壁。そこには、勇者のスポンサーである『G-ロジスティクス』の青い天秤のロゴが描かれていたはずだ。

 だが今は、そのロゴが削り取られ、上から乱雑な赤の塗料で『眼球と剣』を模した紋章――魔王軍のシンボルが上書きされていた。


「……この都市は魔王軍に占拠されてしまったのか?!」


 俺の呟きに、トマスが心底不思議そうに首を傾げた。


「占拠? 逆ですよ先輩。企業が住民を見捨てたんです。ここを救ったのは魔王軍の慈悲です。……当然の報いでしょう?」


「なっ……トマス、お前何を言っているんだ?!」


「……? それが真実ですから」


 トマスの瞳に迷いはない。完全に、この街の「理屈」に取り込まれている。俺は薄ら寒いものを感じながら、さらに奥へと進んだ。


   ***


 広場に到着すると、そこには長蛇の列ができていた。

 配給の時間らしい。だが、食料を受け取るプロセスは、俺たちの常識を逸脱していた。


 配給係の兵士の前に、奇妙な魔道具が置かれている。

 住民はその前に立ち、限界まで口角を吊り上げ、満面の笑みを作らなければならない。


『合格。幸福度B。黒パン一つ』


「ありがとうございます! 魔王様万歳! 魔王軍万歳!」


 合格した男は、涙を流しながら笑ってパンを受け取る。


 次に並んだのは、やせ細った老婆だった。

 彼女は震える体で必死に頬を引きつらせて笑おうとするが、空腹と恐怖で顔が引きつり、どうしても涙が溢れてしまう。


『不合格。幸福度E。――配給なし』


 無慈悲な機械音声と共に、老婆が兵士に突き飛ばされた。


「ああっ、お願いです! 三日も何も食べていないんです! もう笑えません、力が……」


 老婆は泥にまみれ、兵士のブーツにしがみつく。兵士は無表情にそれを蹴り上げようと足を上げた。


「やめて!!」


 アリアが飛び出した。

 風のような速さで兵士との間に割って入り、老婆を背に庇う。勇者の威圧感に、兵士が一瞬たじろぐ。


「大丈夫ですか!? さあ、これを食べて」


 アリアは自身の荷物からレーションを取り出し、老婆に握らせようとした。


 だが。


「……ヒッ!」


 老婆はアリアの手を振り払い、悲鳴を上げて後ずさった。


「やめてくれ! 余計なことをするな!」


「え……?」


 老婆の叫び声に、周囲の住民たちが一斉にこちらを向く。そして、あたりから石が投げられた。


 ゴッ。


 石の一つがアリアの額をかすめ、その衝撃で深く被っていたフードが外れた。

 太陽に照らされ、その輝く金髪と、誰もが知る「勇者」の顔が露わになる。


 静寂。


 そして、爆発的な罵声が広場を揺らした。


「勇者だ! 勇者が来たぞ!」

「何しに来た、今さら!」

「俺たちを見捨てた偽善者め!」


 アリアは目を見開いた。


「な、なに……? 私は助けに……」


「魔王軍様がいなければ、俺たちは餓死していたんだぞ!」

「帰れ! お前が来ると、ここが楽園じゃなくなるんだ!」


 住民たちはアリアを睨みつけている。殺意に近い怒りを向けている。

 だが、その口元は全員、必死に笑っていた。

 先ほどの老婆の様子から想像するに、「不満顔」を見せれば処罰されるからなのだろう。彼らは満面の笑みを浮かべながら、呪詛を吐き、石を投げつける。


「笑え! 勇者を殺せば点数が貰えるぞ!」

「死ね! 偽善者!」


 無数の石が飛んでくる。アリアは武器を抜くこともできず、ただ呆然と立ち尽くしていた。信じていた「正義」が、ここでは最も忌み嫌われる「悪」として断罪されている。


「アリア、走れ! ここにいてはいけない!」


 剣聖ライアンが叫ぶが、アリアは動けない。


「……ッチ!」


 動けないアリアをライアンが抱えて走り出す。

 俺とゼファーも続くが、俺はさらに、動こうとしないトマスの襟首を掴み、無理やり引いていく。

 俺たちは逃げるように広場を後にした。


   ***


 広場から離れた林の中まで撤退し、俺たちは荒い息を吐いた。

 アリアは木に手をつき、ショックで震えている。


 そんな俺たちを見ながら、トマスだけは平然としていた。

 いや、平然としているどころか、以前の彼なら「大丈夫ですか?」と気遣うところだろうが、今の彼はどこか楽しげですらあった。


 彼は張り付けたような笑顔のまま、俺たちを見て、不気味に愉快そうに言った。


「だから言ったでしょう? ……ここは『楽園』なんですよ」


 トマスは両手を広げ、森の向こうに見える街を讃えるように仰ぎ見る。


「あなたたちの居場所なんて、最初からなかったんです」


 その言葉は、完全に狂っていた。だが、その狂気こそがこの街の「正解」なのだと突きつけられているようだった。


   ***






『人間は面白い。餌をぶら下げて『笑え』と命じれば、隣人を踏みつけにしてでも笑う。……さあ、君はこの狂ったルールの中で、まだ勇者でいられるかな?』

最後までお読みいただきありがとうございます!

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