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第3話 時を止めた対話

車を走らせて一時間半ほど、ようやく円光(えんこう)和尚の寺へと辿り着いた。広大な土地には何台もの車が停められる駐車場があり、和尚が首を長くして待っていた。


樹木(きき)先生、お待ちしておりました。早速しだれ桜までご案内します」


挨拶もそこそこに連れていかれたのは、手入れの行き届いた日本庭園が広がる境内けいだいだった。桜の咲く季節にはまだ少し早いというのに、参拝客の姿もちらほらと見える。


長い参道を通り本堂に近づくと、本堂の横にはいくつもの支え木で枝を補助されている巨大な桜の木があった。想像していた以上に大きな木だった。


だが、私の目に映るその姿は、美しいものではなかった。桜の枝先からは黒い霧のようなよどみがまとわりつき、辺りには重たい空気が流れている。その陰鬱な様子は、間もなく訪れようとする春を待ち侘びているようには感じられなかった。


「こちらの木をよく観察して状態を見たいので、少し一人にしていただけますか。終わったら、また声をかけます」


「わかりました。本堂の中には誰かしら寺の者がおりますので、声をおかけ下さい」


そう言って和尚はその場からいなくなった。


私はポケットからスマートフォンを取り出し、桜の木の全体像を収めるようにカメラのシャッターを切った。それから木の周りに人がいないことを確認し、皮の鞄から木の杖を取り出す。杖で木に触れ、小さな声で呪文を唱えた。


laimatite(ライムアタイト)――時よ止まれ」


世界から音が消え、風が止まる。私は木に向かってゆっくりと呟いた。


「私を呼んだのは、あなたですか」


「そうじゃよ……」


大樹から聞こえてきたのは、しわがれた弱々しくも深みのある声だった。私はしだれ桜に問う。


「人間を使い私を呼びに来るとは、稀なことをしますね。だいたい何か私を使いたい時は皆、鳥や虫を使って呼びかけに来ることが多いというのに。花のつぼみを付けなかったのは、私を呼ぶためですか」


木は少し間を置き、ゆっくりと答える。


「そうでもあるが、そうでもない。わしは見ての通り、本来ならもう朽ち果てている木だ。人間の手を加えられなければ、こうしてここにはいられないだろう。もう蕾を沢山付けるような力も、わしには残っておらんのだよ」


「ふむ、そのような木が何故、人を使い私を呼びにきたのですか」


「あの坊主を見たであろう。あれは金儲けのことしか考えておらん。もうあんなのに利用される為だけに、長生きさせられるのは疲れたのだ。昔は勝ち桜なんぞと言われておったが、私にはもう何の力もないのだ。だから、最後を迎えるのに手を貸してもらえんか。わしを燃やしてほしい」


「燃やすくらい容易(たやす)いですが……私は見ての通り、木の魔法使いです。人間に手を加えられなくてもいいほどに、あなたにもっと生命力を与えることも出来る。それよりも死を選ばれるのですか」


「ああ、終わりにしたいのだ。だが今は、人間が憎い。こんなに汚れてしまってはもう元の祀り木に戻ることはできまい」


本来は優しい木だったのだろう。自我を保とうとしているのが伝わる。しかし今はその老いぼれた雰囲気とは裏腹に、寂しさと禍々(まがまが)しさを感じた。


「なぜ人間を……恨むようになったのですか」


「人間の願いを叶えようと日々願ってきた。しかし私は、この寺の坊主の金もうけに利用されていただけだったのだ。許せない……このままでは祟り木になってしまう。ワシは祟り木にはなりたくない。頼む、ワシを逝かせてくれ」


「あなたの望みはわかりました。報酬は何を頂けますか。タダでというわけにはいきませんので」


「ワシにはもう与えられる力は残ってはおらん。その代わり、ワシの『灰』をやろう。六百年の桜の木だ。それなりの術に使えるじゃろう」


「それは魅力的な提案ですね。しかし、今ここであなたを燃やしてしまうわけにはいきません。人間に魔法使いだと気づかれてはいけませんので。記憶を改変する術もありますが、私のような中程度の魔法使いには荷が重い。あなたの依頼はお受けしますので、少し時間を頂けますか」


「わかった。頼む。この生き地獄から、助けてくれ」


「時が来たら、また来ます。それまでどうか待っていてください」


私は杖でしだれ桜を二回ほど軽くトントンと叩いた。


titealaim(タイトアライム)――時よもどれ」


時止めの魔法を解き、杖をしまった。


(はぁ……時止めの魔法は、相変わらず魔力の消費が激しいな)


そう思いながら寺の本堂に戻ろうと後ろを振り返る。すると五メートルほど離れた石垣に、スケッチブックに目をやり写生をしている少年が座っていた。


(人!? 気づかなかった……。時止めの魔法がきちんとかかっているといいが……)


めったにいないが、人間の中には勘が良く魔法にかからない者もいる。石垣に座っているのは眼鏡をかけ、学生服を着た少年である。私は恐る恐る様子をうかがうため近寄り、彼に声をかけた。


「やぁ、少年」


私が隣に座り絵を覗き込むと、少年は驚いて鉛筆を落とし、恥ずかしそうに自分の描いていた絵を隠した。私がかけた時止めの魔法に違和感は抱いていないようだったので、彼は術にかかっていたのだろう。


「少年、なんで隠すんだい」


そう言って彼が落とした鉛筆を拾い手渡した。


「少年って、君も少年じゃないか。いきなり覗き込むなんてびっくりするだろ!」


乱暴に鉛筆を受け取り、彼はそう言った。


「私は少年ではないよ。それより、あの桜を描いていたのかい。ちらっと見えたが、とても上手な絵だ。せっかくだから見せてくれないか」


彼は一瞬照れたような表情をして私を見た後、胸に引き寄せていたスケッチブックを私に手渡した。


渡されたスケッチブックを見る。彼が今描いている桜は、目の前にある(よど)んだ空気の桜だった。その絵から順番に前の方にページをめくっていく。すると昨年の日付が書かれたスケッチに目が留まった。


それはしだれ桜の周りに何本かの他のしだれ桜の木が立っている絵だった。その木々は、目の前に立つしだれ桜の大きさには及ばないものの、それぞれ花をつけている様子だった。彼が丁寧に鉛筆で描いたしだれ桜は、目の前にある生気のない桜がいかに美しいものだったかを想像させた。


「その絵は、去年の満開の時に描いたんだ」


「美しい桜だ。桜の木は一本だけではなかったんだね」


「うん、去年まではあの桜の周りに他のしだれ桜の木があったんだ。君も今日はこの桜の木に願い事をしにきたの?」


「いや、私は樹木医(じゅもくい)という仕事をしている。木の医者だよ」


「じいちゃんが今日来るって言っていた木のお医者さん……。じゃあ、あの木を治して花を咲かせることが出来るんですか!!」


彼は私が本当に少年じゃないということを悟り驚いたような顔をしながらも、樹木医だと聞くと迫るように問うた。


「どうだろうね。もう少しよく診てみないと、あの桜が助かるかはわからないよ。ほかの桜の木は何故なくなったんだい」


私が尋ねると、彼は悲しそうな顔で俯き、桜林が無くなった経緯を話し出した。


「僕の家には代々この桜林を守るようにという言い伝えがあって、その教えを守ってきたんだ。でもひいじいちゃんが死んで、じいちゃんが住職になったらお金のことばかりにこだわるようになってしまった」


私は隣で無言でうなずき相槌を打つ。


「庭師に『しだれ桜を長生きさせたいなら他の桜は切ったほうがいい。すっきりして景観もよくなる』って言われて、周りの桜の木を切るって言い出した。残した方がいいって止めたんだけど、聞いてはもらえなかった」


「そうだったんだね」


「僕は大きなしだれ桜の周りに花をつけるあの木々たちの風景が好きだった。周りの木を切ってしまってから、大きなしだれ桜は元気をなくしていって、今年は蕾もつけていないんだ」


少年は顔を強張(こわば)らせ、悔しそうな顔で私の方を向き直った。


「僕はこの桜が好きなんです。小さいころから、じいちゃんや父さんに厳しく躾けられてきて、そのたびにこの桜の木の下で泣いていた。この木の下にいると、溢れ出した涙も不思議と止まるんです。でもここ最近、あの桜が泣いている夢を見たんです。おかしいですよね……桜の木が泣くはずなんてないのに。どうにか助けてください。もう一度花が見たいんです」


そう言って彼は私に頭を下げた。


「この木が助かるように、尽力(じんりょく)はしますよ。では私は、そろそろ帰らなければならないので」


彼に笑顔でそう告げ、その足を寺の本堂の方に向けた。


本堂に向かう階段の下には、願掛けに使われる木でできた絵馬が数えきれないほど沢山かかっていた。絵馬の片面にはしだれ桜が描かれている。その一つに目をやる。


【大学受験に受かりますように。】


勝ち桜と呼ばれるこの寺の桜になぞらえ、学業や仕事で成果が出てほしいというような願いの絵馬が多く置かれていた。


すると背後から円光和尚が私に呼びかけた。


「先生、桜の木はどうでしたか」


私は作り笑いで和尚の方を振り向いた。


「状態はわかりました。今日、樹皮(じゅひ)の採取と写真を撮らせて頂きました。これを分析して治るか検討します。もう少しお時間いただけますか」


すると和尚は、先ほどまで下手に出ていた表情からイライラした感情をのぞかせた。


「先生、市長の土門先生へ今回の仲介や治療の報酬はもうお支払いしています。その金額も決して安くないんですよ。花が咲かないと困るんです」


私はそんな態度にはひるまず、和尚に声をかける。


「まぁまぁ落ち着いて。焦ってもいい結果は出ません。二、三日中にはご連絡しますので、今日は失礼しますね」


そう言って和尚に背を向け、私は家路についた。


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