学食でのガールズトーク7
昼下がりの喧騒が、天井の高い学食の空気をじっとりと満たしていた。
週替わりランチの油の匂いと、学生たちのとりとめのない会話が混ざり合い、独特の活気を生み出している。
その一角、窓際の席で、由香と美玖は遅めの昼食をとっていた。
由香のトレーには、大盛りのカツカレー。
美玖の前には、本日のA定食、鶏の唐揚げが鎮座している。
「ていうかさ、三限の心理学、マジで寝そうじゃなかった? あの教授、自分の声が睡眠導入剤だって気づいてないのかな」
美玖が唐揚げを頬張りながら、やや不明瞭な発音で愚痴をこぼした。
「それな。私、五回は意識飛んだ。レジュメの穴埋め、全然できてない。後でノート見せてよ」
「いいけど。私もミミズみたいな字しか書いてないよ。てか由香こそ、またカツカレーじゃん。週何回それ食べてんのよ」
「勝負メシだから。土曜、大会でしょ」
由香はスプーンでカツを切り分けながら、こともなげに答えた。
「あー、そっか。由香、最近、マジで調子いいもんね」
美玖が箸を置き、お茶を一口すする。
その視線は、目の前の友人をじっと捉えていた。
「特にさ、バックハンド。なんか、えげつなさ増してない? バックでカウンターしてたじゃん。あれ、マジでビビった。」
「あー、あれね。まぐれ、まぐれ」
由香は照れたようにカレールーをかき混ぜる。
「まぐれであんな球、連発できないって。前はフォアでガンガン攻めるタイプだったけど、最近はバックのミート打ちの連打でラリーを支配していくじゃん。なんか、あったの?」
その言葉に、由香はスプーンを動かす手をぴたりと止めた。
「……まあ、ちょっと、バックのラバーを表ソフトに変えてみたんだよね。」
「 でも、表って扱い難しいじゃん。回転かけれないなら、角度やタイミング合わないとコントロールできないし、練習大変じゃん。」
「まあね。でも、弾きやすいのは確かだから。私、中学の時、剣道やってたから、手首の強さには自信があって、 あの、パチンと手首のスナップで『打つ』感じが、表のミート打ちに合うかなって思って」
「なるほどね…。でもさ、なんか上達早いというか、表ソフトを使いこなすとか、普通にセンスの塊だよ。なんか、秘密の練習とかしてるんでしょ。自主練とか」
「練習、ねえ……」
由香は再び視線を落とし、残りのカツカレーをスプーンでつつき始めた。
「まあ、家で、素振り、かな」
「素振り?」
美玖は首を傾げた。
「えー、地味。いや、地味だけど、えらいね。家で一人でコツコツ努力してるとか、マジ尊敬するわ。私なんか、家帰ったら即ベッドにダイブだもん。ラケット握るの、部活の時だけ」
「いや、まあ……」
由香は、カレールーの最後の一滴をスプーンですくいながら、言い淀んだ。
「一人でやってる、というか……なんというか……」
その歯切れの悪い様子に、美玖の好奇心センサーが反応した。
彼女はテーブルに身を乗り出した。
「え、なに。なにそれ、どういうことー?」
「いや、その……」
「まさか、秘密のコーチつけてるとか? それとも、彼氏?」
「……近い、かも」
「近いって何! あの人、卓球できたっけ? てか、何よ、その言い方!」
美玖がじりじりと距離を詰める。
由香は周りをキョロキョロと見回し、学食の喧騒に紛れるように、声を極端に潜めた。
「……あのね。彼氏を、お尻ペンペンして、というか」
「……は?」
美玖の動きが完全に停止した。
数秒の静寂。
そして、次の瞬間。
「ぶふっ! ゲホッ、ゴホッ! ちょ、由香、あんた今、なんて……?」
美玖は盛大に吹き出し、激しくむせ込んだ。
涙目になりながら、テーブルをバンバンと叩いている。
「美玖! 声でかい! 静かに!」
由香が慌てて美玖の背中をさするが、美玖の笑いの発作は収まらない。
「だっ、だって! おし、お尻て! 意味わかんない! ゲホッ」
「だから、声がでかいって!」
「あー、ウケる。無理。腹痛い。え、なに、どういうこと? お尻ペンペンが、なんでバックハンドの練習に……いや、その前に、なんでお尻ペンペンしてんのよ!」
ようやく呼吸を整えた美玖が、涙を拭いながら詰め寄る。
由香は、観念したように、しかしどこか楽しそうに口元を歪めながら、事の経緯を話し始めた。
「いやね。ことの発端は、彼氏がさ、この前、私の家でスマホでエロ動画みててさ」
「うわ」
「まあ、別に、そういうの見るくらいいいんだけどさ。問題は、私にバレた時の態度よ。『え、あ、いや、これは、あの、スポーツ、そう、レスリングの研究!』とか言い出して。アホかと」
「あー、なんというか。目に浮かぶわ。あの人、そういうとこ、すぐバレそう。致命的に隠すのが下手だもんね」
「でしょ? まあ、ぶっちゃけ動画見るくらいはいいんだけど、その嘘があまりにも稚拙でムカついたわけ。だから、なんか『お仕置き』が必要だなって」
「お仕置き、ねえ……」
美玖は嫌な予感がしつつも、先を促した。
「で、せっかくだから、毎日、お尻百叩きを百日間続けるっていうお仕置きを課すことになったんだけど」
「百叩きを百日!? あんた、どこの時代の暴君だよ」
「でもさ、普通に手で叩いたら、こっちの手が痛いじゃん? 百回も叩いたら、赤く腫れちゃうし。それもムカつくじゃん」
「理不尽の極み……」
「でね、どうしようかなーって部屋を見回したら、閃いたわけですよ」
由香は、ニヤリと笑った。
「あ、卓球のラケットで叩けばいいじゃん、って」
「……は?」
「だから、ラケット」
「え、由香のラケットで? 彼氏のケツを?」
「んなわけないじゃん! 壊れたら嫌だから、さすがに100均の安いやつ使ってる。ラバーも貼ってない、木の板みたいなやつ」
「100均のラケット……」
「でもさ」
由香は、急に真剣な、まるで卓球の技術論を語るような口調に変わった。
「これが、なかなか練習によくてさ」
「はあ!?」
「いや、聞いてよ。お尻を叩く瞬間だけ、手首と前腕を、ぎゅっと力を入れるように叩くんだよね。表ソフトのミート打ちとか、バックハンドのプッシュって、フォロースルーを大きく取るんじゃなくて、インパクトの瞬間に、ぎゅっと力を集中させるじゃん? 脱力からインパクトへ。あの感覚がね、お尻を叩くことで、めちゃくちゃ上手くつかめるんだよ」
由香は、スプーンをラケットに見立て、空中で素早く振る動作をしてみせた。
「的が、ちょうどいい大きさで、適度な弾力があってさ。しかも、『痛がらせる』っていう目的があるから、自然とインパクトに集中できるの。だから、バックハンドの練習がてら、お仕置きの百叩きができるんだよ。一石二鳥」
美玖は、あんぐりと口を開けたまま、目の前の友人を凝視していた。
カツカレーを平らげ、熱心に「ケツ叩きによる卓球上達理論」を説く由香は、狂気と正気の狭間にいるように見えた。
「あー、かわいそうに……南無阿弥陀……」
美玖は、彼氏の顔を思い浮かべ、そっと手を合わせた。
「しかもさ、叩かれた彼氏の顔見れば、きちんとインパクトできてるかわかるじゃん。痛そうな顔してたら、『あ、ちゃんと叩けた。』ってわかりやすいし」
「いや、ボールを打てばすぐわかるじゃん。でも、理屈は……通ってる、のか? 卓球とお尻叩きを一緒にしないよな。普通」
「いやでもさ」
由香は、美玖の反応など意に介さず、さらに話を続ける。
「さすがに、ケツラケだけじゃ、彼氏もかわいそうじゃん?」
「ケツラケ……」
美玖は、そのパワーワードにめまいがした。
「なに、その凶悪な響き。名前までつけてんの……」
「もちろんだよ。ラケットによるお尻叩き、略して『ケツラケ』。ちなみに百日間百叩きを続けるのは『百百の刑』って名付けたよ」
「ネーミングセンスまで極悪だよ!」
「でね」と由香は続けた。
「ケツラケ百回のあとは、仕上げが必要かなって思って」
「仕上げ?」
「そう。お膝の上で、うつぶせに寝かせて、今度は素手で百叩きしてあげるんだ」
「増えてんじゃん! 悪化してるじゃん! 合計二百回!?」
美玖は思わず叫んだ。
「どおりで! どおりで最近、変だと思ったんだよ! 椅子に座るとき『ひっ』とか小さい悲鳴あげながら、ゆっくり座るし、授業中なのにちょいちょい立ち上がってるしてるし」
「あ、バレてた?」
由香は、けろりとした顔で笑う。
「他の人には内緒だよ。さすがに、ね」
「うん……さすがにかわいそすぎて言えないかな。というか、何て言えばいいんだよ、『由香の彼氏、彼女のバックハンド強化の練習台にされてて、お尻痛いんだ』って。無理だよ」
学食の喧騒が、一瞬遠くなったように感じた。
美玖は、目の前の友人が、少し恐ろしくなってきた。
だが、由香の狂気(?)はまだ止まらない。
彼女はふと真剣な面持ちになり、顎に手を当てた。
「でもね。私、最近思うんだよね。お尻叩くなら、やっぱりラケットより竹刀の方がいいんじゃないかなって」
「……は?」
「私、中学の時、剣道部だったって言ったじゃん? だから分かるんだけど。ラケットだと『面』で叩く感じだけど、竹刀なら『線』で、もっと鋭く、深いところに響かせられると思うんだよ」
「待って待って待って。そういう問題!?」
「この前、試しにAmazonで『練習用 竹刀 少年用』って検索して、カートに入れた画面を彼氏に見せたらさ」
「見せたんだ……」
「うん。そしたら、土下座して、『ごめんなさい、もうエロ動画見ません、竹刀だけは本当に許してください』って泣いて謝ってくるんだよ。面白いよね」
由香は、カツカレーを完食した皿を見つめながら、うっとりと呟いた。
「竹刀でお尻ペンペンしないだけ、私、優しくない?」
「いやいやいやいや!」
美玖は、全力でテーブルに身を乗り出した。
「それ、本当にやったらもう、ただの傷害事件だから! 優しさの欠片もないから! あんた、鬼だよ! 悪魔だよ! ていうか、もしかして由香……そういう趣味あったの? Sっていうか……」
「え? 趣味?」
由香は、心底意外だという顔できょとんとした。
「違うよ、美玖、分かってないなあ。あくまで、お仕置きの効率化の話だってば。どうせ叩くなら、最大の効果と、最小の労力で、反省させたいじゃん?」
「お仕置きの効率化(拷問)……」
「それにさ」
由香は、いたずらっぽく笑った。
「彼氏も、あれで結構楽しんでるんだよ。多分」
「多分かい!」
美玖は、脱力して椅子にもたれかかった。
「あんたたちの関係、ホントよくわかんらんわ……」
学食の時計が、間もなく三限の終わりを告げる時間を指していた。
予鈴が鳴り響く。
「あ、やば、そろそろ行かないと。四限、移動教室だ」
美玖が慌ててトレーを掴む。
「あー、もう、なんかお腹いっぱいだわ。色んな意味で。もう、あの人の顔、まともに見れないかもしれない……」
「なんでよ」
由香もトレーを持ち上げ、悪びれもなく笑った。
「ケツラケのおかげで、私のバックハンドは日々進化してるんだから。今週末の大会、期待しててよ」
「期待するけど! するけど、彼氏さんにも、くれぐれも『お大事に』って伝えておいて……」
「了解。今日は『ケツラケ』、夜の部も頑張るって言っとく」
「そういう意味じゃねえ!」
二人の笑い声が、午後の喧騒に溶けていく。
由香のバックハンドの秘密を知った美玖は、週末の大会、複雑な思いで彼女のプレイを見つめていた。
そして、その大会で由香と美玖のダブルスがはじめての全国大会出場を決めた。これでいいのだろうかと複雑な気持ちになった。
あとがき
ラケットはお尻を叩くものではありません(笑)




