私は試験官である~勧善懲悪の道、ここに極まれり~
私は試験官である。
模試、資格、受験。競争社会の縮図と化した試験会場にて、厳正な場を設けるべく設置された、非正規雇用者だ。
非正規雇用だからと言え、侮ってはならぬ。
スーツ、ネクタイ、黒シューズに身を包んで壇上に立ち、煌びやかに巻かれた時を司る腕時計を填めるのが正装。
青ジャージで出勤しようものなら、ものの一秒で摘まみだされること言わずもがな。
手元にはマニュアルが用意され、非正規雇用であろうとも一言一句の指定及びしきたりの羅列に従わなければならない。
それだけで飽き足らず。試験は単体に置かれては平均的に一時間といった所。
合格の野望を抱きしものであれば、それにて終焉。しかしながら試験官は相違なり。
試験日は年に数回、そして数回の日に幾度の試験と被さること鏡餅の如し。幾層に折り重なったカリキュラムが提示されるのが常日頃。一刻で終わることなど、稀なり。
その悠久にも近しき長さは、坊主の修行に近しい、まさに苦行である。
厳粛、品行方正、公平的な立場に置かれた、公務員と似て非なる存在なのだ。
そんな肩身が狭くなるような職に月に幾度となく現れる私は、一体この試験に如何なる引力を感じているのか。
「では、開始」
私の鶴の一声を機に、天地を揺るがすようなざわめきが……起きるはずもなく。
一斉にちゃぶ台返しを食らう紙の折々。そして獲物を追い込んだ虎の如し。
血走った視線を紙にも走らせ、せかせかと答案用紙を埋めていく。
志を同じくしたものが、合格という名の称号を手にするため、我関せずとばかりに己に向き合いながら、切磋琢磨する。
まさに血肉の結晶。努力の賜りもの。これが青春と呼べずして、何を青春と呼ぶのか。
そんな群衆を前にする私は、競争を免除された、まさに王。
決して見下している訳ではないが、立ちながらも王座に踏ん反り返る姿が脳裏にありありと思い浮かぶ。
ふむ、此度の挑戦者もなかなかやりおる。
ない顎髭を撫でながら、そんなことに思いを馳せる。
訳では、断じてなかった。
機微を覚え、私は歩んだ。風の変化を感じた民数人が毛筆の手を止めこちらを見上げるも、目はそこにあらず。
一歩、二歩と足早々に進んだ先。
始まりの時より怯えた鼠のように異質な雰囲気を醸していた男。
私はその机に一枚の藁半紙を設置した。
その途端、彼の目は一点を見つめ、蒼白に変貌を遂げ、肩の力はだらりと抜け落ちた。
全身に稲妻が走った。
だが、私は試験管である。湧き上がる興奮を丸め込み、力なきその肩に手をやると、男は立ち上がり、私とともに教室を後にした。
――カンニング魔
試験という場において、まさに悪の権化。生の屍、屑、ゾンビ。
如何なる理由があろうとも、お尻ペンペンじゃ済まされない、語彙力が落ちるほどの醜悪。
奴らを逃した上で待っているのは、死。すなわち、正当に努力を重ねた者が一枠、その合格の権利を失う可能性すらある。如何ともしがたし。
そして翻せば、当落上を右往左往する努力家に手を差し伸べ、安楽地へと導くことができる。
勧善懲悪。
そう、私が執行しているのは、まごうことなき正義。すなわち私は、現代に君臨したヒーローだ。
本日も一名、懲罰室へと送り込んだ後、颯爽と帰還する。
ぴくりと肩を鳴らす者たちよ、驚かせてすまない。気にせず続けたまえ。私はただ、君たちにできることをしたまでだ。
常人ならば、退屈という名の苦行を味わうことだろう。だがしかし、私は正義を執行した達成感で冬の石焼き芋のごとくホクホクだ。しばらく愉悦に浸らせてもらうとしよう。
教室の端に立て掛けてある椅子に腰掛け、ふんぞり返るように腕を組む。パノプティコンにはなれずとも、運慶快慶には値するだろう。二匹目の魔族が出現することは、私が許さない。
祈りが通じたか、その後波乱も訪れず、本日の業務は終了。珍しく、一コマのみの試験であったため、懐は少し寂しい思いをする。
だが、それ以上に得られた満足感。私はこれを握りしめ、次なる戦場へと足を運ぶのだ。
私は教室を後にし、報酬を得るため一階の事務室へと足を運んだ。既に役を終えた監督達に心の中で敬礼し、私は報酬授与の列、最後尾に並んだ。
肩を叩かれた。
はて、知り合いがいただろうか。
私が振り返ると、そこにはこの場に似つかわしき、だが志は同じくするはずの警備服を来た男、そしてこの場の責任者らしき恰幅の良い中年の男がいた。
「君、明日から来なくていいから」
唖然とする私に手交された一枚の紙。
そこに書かれていた文字とは。
――○○、貴君は此度の試験会場において受験者の尻を触る行為をしたため、×条〇項の規定により、今後試験官としての地位をはく奪する――
「君、カンニングした生徒のお尻を何度も触ったそうじゃないか。それは今のご時世じゃ、許されないことだよ」
「い、いえ、あれはお尻ペンペンというちょっとした罰で、つい出来心で」
「それを世間は体罰と呼ぶんだ。君の今までの働きは知っているが、手を出しちゃいかん。公にしない代わりに、この処罰を受け入れたまえ」
ふむ、試されていたのは、私の心だったという訳か。
そして私は、試験という場に二度と姿を現すことはなかったとさ。
おしまい。
小説でもどうぞの5月テーマ「試験」のために書き下ろした作品ですが、期限を過ぎてしまい、泣く泣く供養のため投稿しました。
楽しんでいただけましたでしょうか。