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ブルームーン  作者: 葡萄
3/17

3話 ネグローニ

次の日の夜。

(かおり)は、昨日と同じカウンター席に静かに腰を下ろしていた。

マスターに出されたお冷には手をつけず、ただ入口をじっと見つめている。

やがて、バーの扉が静かに開いた。

薫はすぐに顔を向け、ふっと微笑んだ。

扉の向こうに立っていたのは、絢香(あやか)だった。

彼女は薫を見つけ、穏やかな声で挨拶を送る。

「こんばんは」

「こ、こんばんは。今日も会えて、嬉しいです」

「私も」

ふたりは隣同士に座り、グラスを傾けながら、夜が明けるまで語り合った。


あれから数週間がたった。

初めは何を話せばいいのか分からず、薫は絢香に色々な話を振った。

それをきっかけに、二人の距離は少しずつ縮まっていった。

絢香は、薫の話を一度も遮ることなく、静かに相槌(あいづち)を打ちながら、最後まで耳を傾けてくれた。

最初の頃は、「つまらないのかな」「ちゃんと聞いてくれているのかな」と不安にもなった。

けれど、次に会ったとき、前に話したことをちゃんと覚えていてくれた。

そのことが、何よりも嬉しかった。

気がつけば、絢香と過ごす夜が、父と話す時間と同じくらい楽しみになっていた。


ある日の夜───

薫は、初めて遅刻した。

理由は大学の課題である。

終わらせるとすぐに支度を整え、急ぎ足で待ち合わせのバーへ向かった。

扉の前で立ち止まり、ポーチから鏡を取り出してメイクを確認する。

乱れはない。

深呼吸をして、心を整える。

(よし、行こう)

意を決し、扉を押して店内に入った。

カウンターの奥に、いつもの席に絢香の姿を見つけた。

歩み寄ろうとした時、薫の足が、ふと止まる。

彼女が、タバコを吸っていたのだ。

今まで一度も見たことがなかった。

煙草の匂いも気配もなかったのに、目の前の彼女は当たり前のようにタバコを吸っていた。

(タバコ、吸うんだ・・・)

驚きと共に、わずかな好奇心が薫に芽生えた。

薫を見つけた絢香は、タバコを灰皿に押しつけた。

薫は自分がどんな表情をしているのか分からないまま近づいて、隣に腰を下ろす。

「こんばんは、絢香さん」

「こんばんは」

「絢香さんって、タバコ吸うんですね」

「・・・幻滅した?」

ふと、彼女は尋ねる。

薫はすぐに首を振った。

「そんなことないです。別に、吸う人を嫌だとは思いませんよ」

「そう」

グラスに口をつけようとする彼女を、薫はそっと見つめた。

「・・・ただ、ちょっと興味があって」

その言葉に、絢香の手が止まる。

絢香は持っていたタバコを差し出した。

「吸ってみる?」

「・・・いいんですか?」

うなずく絢香に導かれるように、薫はタバコを一本取り、恐る恐る口に加える。

火をつけてくれた絢香の仕草に緊張しながら、薫は息を吸い込んだ───

が、次の瞬間、激しく咳き込んでしまう。

「ゆっくり吸って、吐いてみて」

優しい声に、こくんと頷く。

言われた通りにもう一度試すと、咳き込まず、煙が口から漏れた。

「どう?」

「口の中が、ヒリヒリします・・・これが、ニコチン?」

「それ、低温火傷(ていおんやけど)だから」

苦笑まじりに、即座に訂正された。

もう一度、薫はタバコを吸い、吐く。

「このタバコ、少し甘いですね。なんて名前ですか?」

絢香がタバコのケースを差し出すと、薫はタバコのケースを見て、スマホで写真を撮った。

薫はふと気になり、絢香に聞いた。

「タバコに合うお酒って、あるんですか?」

「あるよ。私と同じのでいい?」

「はい、お願いします」

絢香はマスターに向かって、ひとこと告げた。

渡された酒に薫はマスターに軽く会釈(えしゃく)をして、グラスを手に取った。

「先にお酒を飲んでからタバコを吸うといいよ」

「はい」

言われた通り、薫はひと口飲み、煙を吹かす。

その瞬間、瞳がふっと丸くなる。

「甘みが・・・増したような?」

疑問符を浮かばす薫に、絢香は頷いた。

「風味が増したんだよ。相性がいいお酒だから」

「そうなんですね」

薫がもう一度試そうとすると、絢香は慣れた手つきで、火をつけ、煙を吐き、グラスを傾ける───その一連の動作を流れるように行った。

その姿に、薫は思わず声を漏らした。

「絢香さん、かっこいい・・・!」

不意打ちの言葉に絢香は目を瞬かせ、手元の灰を落としてしまう。

「ありがとう。そんなこと言われたの、初めてだよ」

照れたように、けれどどこか嬉しそうに笑う。

その夜で、薫は大人の楽しみを覚えた。

二人は煙を漂わせて、二人だけの空間が生まれた。

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