14話 オリンピック
十二月二十二日。
凍てつく風が窓を揺らす寒い夜。
薫と絢香は、暖房がきいたバーの中で、酒を片手に持ちながら語っていた。
そのとき───スマホが震える。
画面には通話アプリの通知が来た。
画面を見ると、「お父さん」の文字。
「あ、お父さんからだ」
薫は目を丸くした。
その様子を見て、絢香が首を傾げる。
「誰からなの?」
「お父さんからメールが届きました!」
薫は嬉しそうな表情をしていた。
「そっか・・・なんて書いてあるの?」
「えっと・・・『明後日には絶対に帰れる』って」
「それじゃ・・・クリスマスには間に合うね」
「はい!」
薫は嬉しさのあまり、ぽんと手を打った。
「あ、そうだ!せっかくだから、お父さんに料理を振る舞おうかな!」
「いいね。お父さん喜ぶよ」
「ありがとうございます。あ、そのことなんですけど・・・」
薫は少し眉を下げ、申し訳なさそうに視線を落とした。
「たぶん一週間くらい、お父さんと一緒に過ごすので・・・その間は会えないかも・・・」
「いいよ。また連絡して」
「はい、ありがとうございます!あ、あと絢香さん」
「ん?どうしたの?」
「明日からこの近くにクリスマスツリーが見れるそうなんです。なので、お父さんが帰った後、一緒に見に行きませんか?」
薫の言葉に、絢香は微笑を浮かばせた。
「いいよ。じゃあせっかくだし、次に会えた日、薫ちゃんが好きそうなお酒プレゼントするよ」
「ありがとうございます。とても楽しみです」
二人が約束をした二日後。
薫は父を迎えに空港に向かった。
十二月二十四日 空港
現在時刻十七時。
薫は、ロビーのベンチに腰を下ろしながら、腕時計に目をやった。
(もう、そろそろ・・・)
空港の放送が、彼女の思考を遮るように響いた。
『───便は、到着ロビーに向かっております』
父の乗った飛行機が着いたことを知ると、薫はスマートフォンの画面から顔を上げた、その時。
「おーい、薫!」
懐かしい声が耳に届いた。
思わず振り向いた薫の目が見開かれる。
人混みの向こうに、ひとりの男性が手を振っていた。
──三色 悠真。
薫の父だった。
「お父さん・・・!」
薫は駆け出した。
荷物を持つ父の胸に、勢いよく飛び込む。
「おかえりなさい、お父さん」
「ただいま、薫」
二人は長く会えなかった時間を埋めるように、抱きしめあった。
空港を出た薫と悠真は、タクシーでまっすぐ自宅へ向かった。
家に着くと、薫はキッチンに向かいながら悠真に向けて言った。
「お風呂、沸いてるよ」
そう言うと、悠真は頷いて浴室へ向かい、仕事の疲れを癒しに行った。
時刻は二十時、食卓の準備が整った。
「お父さん、できたよー!」
薫の声に応え、悠真が部屋から出てリビングのドアを開けると、目を見開いた。
「・・・これは・・・」
テーブルいっぱいに料理が並んでいた。
煮物、唐揚げ、グラタン、サラダなど、数えてみれば、十五種類を超えている。
「すごいな・・・まるでバイキングだな」
「えへへ、お父さんが帰ってくるから、つい張り切っちゃった」
嬉しそうに笑う薫を見て、悠真の顔が緩んだ。
「そうなんだ。ありがとう、薫。こんなに作ってくれて、本当に嬉しいよ」
そう言って、悠真は薫の頭を撫でた。
懐かしい感触に、薫の目が細められる。
「あ、ごめん。もう子供じゃないよな・・・」
手を引こうとした瞬間、薫がその手を、ぎゅっと掴んだ。
「・・・子供だから・・・もっと撫でて・・・」
その呟きに、悠真は一瞬目を見開いたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「わかったよ」
そして、優しく、ゆっくりと頭を撫で続けた。
満足したように薫は笑みを浮かばした。
そして、二人は食卓について、薫の作った料理の前に手を合わせた。
「頂きます」
二人は料理を口にしながら、積もる話を楽しそうに話した。
料理が半分ほど減った頃、悠真は箸を置いて、ふと尋ねた。
「そういえば薫。お酒、強くなったな」
「え? そうかな?」
以前、悠真が帰省したとき、二人でビールを飲んだが、薫は一本で顔を赤くしていた。
その姿を思い出して、思わず口元が緩む。
けれど今、目の前の彼女は、度数の強い酒を口にしてもまるで平然としている。
「最近、飲む機会が増えたから、かな? 少しずつ慣れてきたのかも」
「そうなのか。誰かと一緒に飲んでるんだ?もしかして・・・男か?」
「ううん。一緒に飲んでるけど、男の子じゃないよ」
「そうか」
悠真は胸の奥でこっそり安堵の息を吐いた。
「じゃあ女の子か・・・大学の友達?」
「大学の友達じゃないよ。バーで知り合った人」
「ば、バー!?」
薫がこくりと頷くと、悠真の眉がピクリと動いた。
彼は箸を置き、うつむいた。
「そ、そっか・・・バーか・・・」
「お父さん、バー、嫌いなの?」
「いや、嫌いっていうか・・・」
そう言って、悠真はゆっくりと顔を上げて、口を開いた。
「実はな・・・お父さん、若い頃に友達とバーに行ったことがあってな・・・」
薫がグラスを手にしたまま、頷いた。
「その時、二人組の女の人に声をかけられたんだ。楽しくなって、ついつい酒も進んで・・・気づいたら寝ちゃっててさ。起きたら財布がなかったんだよ」
「ええっ!? なにそれ、事件じゃん!」
薫が思わず声を荒げる。
初めて知る父の過去に、驚きと興味が入り混じる。
悠真は苦笑しながら、続けた。
「まぁな。けど、そのバーで働いてた女の子が、『今回はツケでいいよ』って、言ってくれたんだ」
「へぇ・・・良かったねお父さん」
「ああ。その時の女の子がお母さんで、なんやかんやあってお父さんとお母さんは結婚したんだ」
「・・・えっ!?」
薫の目がまんまるになる。
「ちょ、待って待って!話の展開が急すぎるって!その“なんやかんや”を聞かせてよ!」
「いや〜、話したいのは山々なんだが・・・」
悠真はグラスを置き、肩をすくめた。
「忘れちゃった」
「うわ、最悪!」
高らかに笑う父に、薫は呆れ顔。
けれど、どこか微笑ましくもあった。
「お父さんって、もしかして記念日とか忘れてお母さんによく怒られてたでしょ?」
「おっ!なんでわかったんだ?」
「はぁ・・・それは内緒」
薫は酒を飲むと、ふと思いついたように口を開く。
「ねぇ、お父さん。昔のお母さんの写真って、ある?」
「写真? あるぞ。ガラケーに残ってる」
「・・・見ていい?」
「いいぞ。ちょっと待ってな」
悠真が席を立とうとするのを見ながら、薫は思い出す。
生前の母。
薫はずっと気になっていた。
家には母親の時の写真は見たことはあるが、それ以前の前の写真は見たことがない。
胸を踊らせながら、薫は父の隣にすべり寄る。
そして、悠真がガラケーを開いて見せた。
「これが、母さんだぞ」
悠真がガラケーの小さな画面を薫に向ける。
覗き込んだ瞬間、薫は思わず叫んだ。
「お母さん、髪白っ!!!」
画面に映っていたのは、白髪に染めた女性。
それが自分の母だという事実に、薫は思わず目を疑った。
(え、うそ・・・)
彼女の部屋に飾ってある母の写真は、黒髪の優しい笑顔だった。
そのイメージとかけ離れた姿に、頭の中で混乱する。
そんな薫の様子を楽しそうに眺めながら、悠真が懐かしむように語った。
「当時のお母さんはな、ちょっとはっちゃけていて、白に染めたんだよ」
「へぇ・・・そうなんだ・・・」
知らなかった母の一面。
驚きと同時に、困惑した。
けれど、見れば見るほど、母の白髪姿はどこか気品があって似合っていた。
薫の中で、ある考えがふと浮かぶ。
(・・・私も、染めてみようかな)
壁にかけられている鏡に写る自分の顔と、画面の中の母の顔は驚くほど似ていた。
自身が白髪になる姿を想像すると、薫はおそるおそる父に尋ねた。
「ねぇ、お父さん・・・私も、髪、白に染めてみてもいい?」
その言葉に、悠真の表情が一変する。
真剣な眼差しで薫を見つめた。
「薫・・・」
(お、怒られるかな・・・)
薫は無意識に拳を握りしめた。
「もしかして・・・白髪が増えてきたから、染めようと思ったのか?」
「・・・え?」
突然の言葉に戸惑っていると、悠真はさらに言葉を重ねる。
「いやぁ実はずっと言えなかったんだけどさ。後ろ髪に一本だけ白髪あるんだよな。傷つくかと思って黙っていたんだが・・・気づいていたか・・・」
「・・・え? えぇ!? ちょ、待って、何それ!? 私、白髪あるの!?」
薫は慌てて立ち上がり、近くの鏡に駆け寄ろうとした。
「まぁ、嘘だけどね」
「え?」
振り返ると、悠真はグラスを片手にニヤリと笑っていた。
「お父さん!!」
「ははっ、ごめんごめん。つい、からかいたくなってな」
薫は頬をふくらませると、父の身体を軽く叩いた。
「もう、ホントやめてよ!」
「すまんすまん。でもさ、似合うと思うぞ白髪。薫はお母さんそっくりだからな」
「え、え、そう、ありがと」
薫は嬉しそうに笑みを浮かばせた。
そうして二人は、胃も心も満たされるまで語り、悠真はいつもの仕事部屋へと戻っていた。
「薫の料理、美味かったな」
デスクの端に置かれていた生前の妻の写真をそっと手に取る。
口角を上げて見つめながら、静かに呟いた。
「いつか食べて欲しいよ」
その瞬間、微かな物音が聞こえた。
悠真は眉をひそめ、音のしたほうへ歩いて扉を開けた。
廊下を見回したが、誰もいない。
(風か・・・?)
そう思い、扉を閉めたその直後。
背後から、ひやりと冷たい風が頬を撫でた。
(開けっぱなしだったか?)
首を傾げつつ振り返ったとき、悠真の表情が固まる。
何故なら、目の前に、“白髪の女”が立っていた。
その手には、拳銃。
銃口は、悠真に向けられていた。




