12話 スコーピオン
服屋に着くと、薫は目を輝かせながら店内を見渡した。
「えーっと、これとこれ・・・あ、これも」
呟くように言いながら、次々と服をカゴに入れていく。
その横で、絢香は静かに立ち尽くし、様子を見守っていた。
入店からわずか数分で、カゴにはすでに何着もの服が入っている。
それを見て、思わず薫に声をかける。
「決めるの、早いんだね」
薫はぱっと振り向き、笑顔で言った。
「はい。実はお店のアプリで、事前にチェックしてたんです。絢香さんに似合いそうな服を全部保存してきました」
「アプリか・・・私も使ってみようかな」
「いいですね。値引きクーポンももらえますし」
そう言ってまた服のほうに目を戻し、まるで自分が着るかのように楽しげに選び続ける薫。
絢香は近くの椅子に腰を下ろし、その姿を静かに眺めた。
三十分ほど経った頃、薫はカゴから服があふれそうな状態で、軽く小走りに戻ってきた。
「絢香さん、お待たせしました!」
「・・・もういいの?」
「はい!すみません、つい楽しくなってしまって・・・」
「大丈夫。じゃあ、試着室に行こうか」
「はい!」
二人は並んで試着室の方へ歩き出した。
薫の足取りは、明らかに浮いていた。
「それじゃあ、まずこれを着てください」
絢香は渡された服を手に取り、無言で着替え室へと入っていった。
カーテンが閉じる音が小さく響く。
その音を聞いた瞬間、薫はスマホを取り出し、慣れた手つきで撮影アプリを起動した。
画面に映るのはまだ閉じられたカーテンだけ───だが、彼女の期待は膨らむばかりだ。
そして、カーテンが静かに開かれた。
その姿を目にした瞬間、薫は思わず声を上げそうになったが、ぐっと唇を噛んでこらえた。
絢香が着ていたのは、白いブラウスに黒のスラックス、そして黒のテーラードジャケット。
まるでモデルのような洗練された装いだった。
息を呑む間もなく、薫は連続でシャッターを切った。
突然のフラッシュに、絢香は少しだけ眉をひそめたが、特に何かを言うでもなく、ただ静かに立っていた。
「あ、すみません。思っていた以上に似合っていてつい写真を・・・」
「気にしないよ。けど黒と白以外って言わなかった?」
「こ、細かいことは気にしない!次の服着ましょう!」
無理やり話を切り上げると、薫は次々と服を差し出してきた。
次は、深紅のボレロサイズのカーディガンに白のロングドレス。
仕上げに、透明フレームのファッションメガネをそっと添える。
「まるで人形みたいで可愛い!」
薫が小さくつぶやく。
次は、黒のショルダーオープンニットブラウスに濃紺デニム。
透け感のある素材に、普段よりも露出があり、薫は息を呑んだ。
三つ目は、シマシマの長袖に白のキュロット、黒のブーツ。
「嗚呼・・・良い・・・!」
目を輝かせながら、薫はスマホを構える。
四つ目は、赤のミニニットワンピースと黒のレザーロングブーツ。
上品な大人の女性その姿に、薫は噛み締めた。
「最高・・・ホント最高・・・!」
シャッター音が、試着室に響く。
薫は笑みを浮かばせながら、夢中で写真を撮り続けていた。
そして、最後のコーデを絢香に渡した。
「絢香さん、これで最後です」
絢香は最後のコーデを受け取り、着替え室の奥へと姿を消した。
やがて、カーテンが静かに開かれる。
その音を聞いた瞬間、薫の指がスマホのシャッターボタンから思わず離れた。
目の前に現れた絢香の姿は──想像を、遥かに超えていた。
青いマーメイドドレス。
その深い青が、彼女の純白の髪に溶け込むように馴染んでいた。
思った通り、いや、それ以上に、青が似合っていた。
ただ「似合っている」などという、浅い言葉ではとても語れない。
「綺麗」では、足りない。
「美しい」だけでは、語れない。
──それはまるで、神秘。
もしも神がこの世界に降り立ったなら、きっと、こういう姿をしているのだろう──そんな錯覚を薫は覚えた。
そのあまりの美しさに、カメラを向けるのが躊躇った。
「・・・撮らないの?」
ふと、絢香はいつもの調子で小首を傾げる。
「え・・・あ、い、いいんですか?」
「今さら?」
「ですね」
薫はそっと息を整え、指先を震わせながら、より慎重に、より丁寧に、シャッターを押した。
着替えを終えると、絢香はそっとドレスを畳み、薫に差し出した。
「絢香さん、気に入った服はありましたか?お代は全部、私が持ちますから」
そう言いながら、薫は籠を差し出す。
絢香はそれをじっと見つめたまま、小さく口を開いた。
「・・・全部」
「え? 全部、ですか?」
薫が目を見開くと、絢香は小さく頷いた。
「気に入らない服とか、なかったですか?」
「薫ちゃんが、私のために選んでくれたんでしょ。だから、全部着たい」
その一言に、薫は思わず笑みを浮かばした。
「そう言ってもらえて嬉しいです・・・」
言葉を口にしながらも、頬が熱くなっていく。
恥ずかしさをごまかすように、薫は顔を逸らし、早足でレジへと向かった。
会計を済ませ、二人は近くのカフェで昼食を取った。
「ご飯、美味しかったですね」
薫が微笑むと、絢香は「だね」と短く答え、グラスの水を口に運んだ。
その様子を見届けた薫は、少し遠慮がちに口を開いた。
「すみません・・・お手洗い、行ってきます」
絢香がうなずくのを確認して、薫は席を立った。
トイレの手洗い器で手を洗うと、薫の頭に、あの言葉がよみがえってくる。
───「薫ちゃんが、私のために選んでくれたんでしょ。だから、全部着たい」
彼女の真っ直ぐな言葉が、まだ胸の奥に残っている。
(・・・嬉しかったな)
頬がゆるみ、思わず鏡を覗き込む。
笑ってないか、ニヤけてないか・・・。
(大丈夫。ちゃんとしてる)
少し深呼吸してから洗面所を出ると、薫は席へ戻った。
「すみません、お待たせしました」
スマホをいじっていた絢香が顔を上げ、目が合うと軽く頷いた。
「じゃ、出ようか」
「はい」
二人は並んでレジへ向かった。
薫が財布を取り出そうとしたそのとき——
絢香がスマホでさっと決済を済ませてしまった。
「えっ・・・」
「行こ」
「は、はい・・・」
薫は戸惑いながらも、店員に軽く頭を下げて絢香のあとに続いた。
「すみません、絢香さん。支払いまでしてもらって・・・あの、いくらでしたか?」
「いらない」
絢香は首を横に振り、手にしたショッピング袋を軽く持ち上げた。
「服、買ってくれたでしょ。これ、そのお礼」
薫は、納得した表情を浮かばせた。
「分かりました」
それから二人は、街へ繰り出した。
カラオケで思いきり歌い、ゲームセンターでは競い合うように遊び、途中でクレープを食べながら笑い合った。
気づけば空は朱に染まり、夕方になっていた。
近くの居酒屋で席を取り、軽く酒を嗜みながら、ふたりは今日一日のことを振り返った。
どこまでも楽しく、どこまでも心地よい時間だった。
楽しい時間は、いつだってあっという間に過ぎてしまう。




