第二話「名も知らぬ恩人」
――森の木々をかき分け、
少年はただひたすらに走っていた。
「っは……っ、は……!」
肺が焼けるほど呼吸は荒く、
足は泥と血で重くなっていた。
それでも、止まれなかった。
生きなければ。
兄のもとへ帰らなければ。
あの人がくれた生を無駄にしないために。
自分を逃がしたあの人。
剣を振り下ろした直後、
突風が吹き、僕の背中を押してくれた。
そして、微かだけど僕の耳には聞こえた。
「……生きなさい」
その声が、頭から離れない。
もう何度転んだかもわからない。
木の枝が頬を裂き、服はぼろぼろだ。
それでも、決して足を止めることはしなかった
やがて、木々の間から光が差す。
視界の先に――懐かしい獣人の集落があった。
「……っ、あ……!」
倒れ込むように駆け込み、
限界を迎えた身体がその場に崩れ落ちる。
「誰か、医者を! アルが戻ったぞ!」
仲間の声が遠くで聞こえる。
僕は安心からか意識は手放した。
ーーー
ーー
「アル……!」
目を覚ましたとき、一番に飛び込んできたのは
兄の姿だった。
「よかった……本当に、よく戻ってきたな……!」
強く抱きしめられ、
アルの目からぽろぽろと涙がこぼれる。
痛みも、恐怖も、
すべてその胸の中で溶けていくようだった。
「兄さん……僕……もう、だめかと……」
「無理もない。お前一人で、よくここまで……」
レオンの声は震えていた。
目の前に映る兄の首には微かに残る汗。
きっと、必死に探してくれていたのだろう。
ふと、兄が力を緩め、離れる。
まるで憎悪が戻ってきたかのように。
「……待ってろ、俺がお前の仇をー」
剣に手をかけ、憎悪に染まった目の兄を見て
即座に叫び、必死に止める。
「待って!兄さん!」
「止めるな!お前をこんな目に合わせたやつを
殺してやるんだ!」
「やめて!確かに、人間に襲われたけど、
僕を逃して助けてくれたのも人間なんだ!」
「、、は?」
その言葉に、レオンの動きが止まる
ーーー
ーー
「……人間の女が、助けてくれた?」
パチ、パチ……と規則的に火が薪を焼く音が
静寂を刻んでいる焚き火の前で、
アルはレオンの言葉に静かに頷いた。
「信じられないかもしれないけど、
本当なんだ。その人は自分の手を切って
あたかも僕を始末したかのように見せて
逃してくれた」
レオンは腕を組んで黙り込む。
人間が、魔族を助ける?
そんなこと、ありえるのか?
「名前は?」
「……聞いてない。聞かれたのは僕の方で……。
でも……あの人、悪い人には思えなかった」
焚き火の炎がひときわ大きく揺れ、
赤い光がレオンの横顔を照らす。
その瞳が、わずかに細められた。
(気まぐれ?ただの同情か?いや、罠か?)
そう疑う一方で、
アルを助けてくれたことは変え難い事実。
「僕、、あの人にお礼言いたい、」
「罠かもしれないぞ、」
「うん、、でも、信じてみたいんだ。
僕たちを怖がらない、
差別しない人がいるってことを」
「、、、はぁ」
「兄さん?」
「お前はまだ寝とけ」
立ち上がったレオンの背中が、
焚き火に照らされる。
「でも!」
「大丈夫、俺が探してくる」
「え、」
「お前の命の恩人とやらをな」
その日から、レオンは密かに動き出した。
人間を信じるなんて一族にバレたら、
止められる。でも、知りたいと思った。
アルに言われたからというのもあるが、
その恩人なら俺の願いを叶えてくれる気がした
この、馬鹿げた争いを終わらせてくれると。