第一話「その剣は願いのために」
「っ、、、っは、、っ、」
朝靄が森を覆い、
静寂を切り裂くのは少年の荒い息と、
荒く木々を振り折る騒がしい足音、
そして、鉄の擦れる音。
「これ以上、逃げても無駄だ!
おとなしくしろ、魔族のガキが」
生にしがみつくようになんとか動かした
少年の足は後ろから迫る恐怖に耐えきれず、
もつれ、その場に倒れてしまう。
兵士たちは瞬時に少年を囲う。
そして、一人の兵士が少年に刃を向ける。
震える手で少年は後ずさる。
しかし、もうどこにも逃げ場なかった。
まだ幼い。背丈も腕も細いただの子供。
しかし彼らにとっては憎き魔族。
ーートンッ
「……下がりなさい」
冷ややかな声が森に落ちた。
それは、白のマントを風に靡かせ、
腰に携えた剣に手を添え、
彼らの元に近寄る女のものだった。
「っ!リリー様」
少年を囲っていた兵士はすぐに跪き、
こうべを垂れた。
そのただよらぬ光景に少年は息を呑む。
リリー・エルウィン。
アルセリア王国、第2公爵令嬢。
貴族でありながら、自ら剣を持ち戦場に立つ
ことから別名“華の騎士”と呼ばれている。
「ここは私の管理下です。
指示があるまで手を出すな」
兵士たちは戸惑いながらも剣を納め、
頭を下げその場から少し引く。
それを確認したリリーはゆっくり近寄り、
少年と対面する。
二人の間に張り詰めた空気がただよう。
少年は威嚇するように彼女を睨みつける。
彼女はそんな少年に小声で話しかけた。
「……名前は?」
「…………ア、ル」
その声は掠れ震えていた。
しかし少年の瞳は一切の揺らぎもない。
生きようとする強い力があった。
「……逃げなさい。
北西に向かえば、森の外れに抜け道がある」
少年の目が見開かれる。それもそうだ。
敵が逃がしてくれるというのだから。
信じられるわけがない。
でも、少年を見つめるその真っ直ぐの瞳に
偽りなどないように見えた。
リリーはゆっくりと剣を抜く。
「私が“処理した”ように見せる。信じて、
私はあなたを殺したくない」
完全に気を許すことはできない。
逃げ出そうとするその背中に
刃を突き立てられるかもしれない。
しかし、他に生き残る道はない。
少年は決死の覚悟で足を動かし、
北西に走り出す。
数秒後――
リリーの剣が振り下ろされる音と、
地面に何かが倒れる音が森に響き渡った。
兵士たちが駆け寄ると、
そこには血の付いた剣と、
地面に転がる小さな影。
「……終わりました。兵を引き上げなさい」
「しかし、死体の処理を、、、」
「心配ないわ、ここの動物が処理してくれる。
それよりも日が暮れる、夜は危険だわ」
兵士たちはその言葉に足を王国へと向ける。
リリーはそれを見届け、
小さな影が向かった森の奥へと目を向けた。
そして誰にも気づかれぬよう、
左手をきつく握る。
その拳からは静かに血が滴っていた。
(……これでいい。今は、これで)
隠蔽がバレてしまえば、自身が危ない。
しかし、それ以上に彼女には願いがあった。
ーー自身の生をかけるほどの“願い”が。