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08 こいつを一発殴るまでは

 天井が、ねじれてうねって下がってくる。


 江守さんは透真を確保しているので、当然俺は自力で伏せた。

 自力も何も生存本能の為せる業だが。



 伏せた俺たちの頭の上で、ひっくり返ったスチールデスクや棚が、大音響と共に押し潰されてひしゃげていく。



 だがその一瞬後、ねじれる天井が吹き飛んだ。


 俺は場違いにも、地域のリレー大会に出場したときのことを思い出していた――よーい、どん、で鳴ったあのピストルの音。

 あのピストルを百発同時に鳴らしたみたいだ、と。



 亀裂が走って木端微塵になる天井、どうやらいきなり変形したのは天井のごく一部らしい――見上げると空調のダクトだとか鉄筋だとかは、無事に頭上の高い位置に残っている。



 ぱらぱらと小さな天井の破片が落ちてきて、俺は咳き込みながら身を起こす。


 立ち上がろうとして手を突こうとしたところが、ちょうどスチール棚の破損した箇所でぎょっとした。

 ねじ切れたスチールは鋭利な角を生み出してしまっている。


「与座、ナイス」


 誰かが言って、俺の視線はまたしてもあの黒づくめへ。


 黒づくめは、さっきまで凍りつきそうになっていたのもどこ吹く風、平気そうに立ち上がって、ヘルメットに覆われた頭を傾げ、こきこきと首を鳴らすような仕草をしている。


「尋ちゃん大丈夫?」


 透真の震え声。


 俺は黒づくめから目を離せずに頷く。

 喉が乾涸びていて咄嗟に声が出ず、変な咳払いを一回挟んでから、なんとか言った。


「だい――大丈夫」


 そして、


「そんなことより逃げなきゃ」


 切羽詰まって俺が囁き、立ち上がって、江守さんに腕を支えられながら立ち上がった透真の、もう片方の腕を取ろうと手を伸ばしたときだった。



 また、あの白い罅割れが走った。


 ――()()()()()()()()()()





 このとき、俺は全く何もわかっていなかった。

 右も左もわからず、何の先入観もない状態だったわけだ。


 つまり、起こること起こること、全部が慮外の事態だった。


 それに比べて、他の皆さんは、場慣れしていた。

 慮外の事態に不意を突かれる()()があった。





 このとき俺は、「どうしよう」「来るんじゃなかった」「逃げないと」「マジでなんだこれ」みたいなことをずっと考えていたし、当然ながらめちゃくちゃ怖かったし、「役人なら一般人を守れよ」みたいなこともちょっとは思っていたし、思考の一パーセントくらいでは、まだ、「これって何かのイベントの撮影なんじゃないの」みたいな、縋るようなことも考えていた。



 そのノイズを全部省いて話したい。


 起こったことを羅列していく。



 ――まず、江守さんが、透真の腕を掴んだまま歩き始めた。


 それを俺がぽかんと見送ってしまったのは、江守さんが()()だという意識があったからだ。


 黒づくめの奴は明らかに俺たちに害意を持っていて、宮佐さんや江守さんはそれの敵。

 つまり俺たちの味方。


 透真も、びっくりしてはいたが抵抗はしていなかった。

 俺と同じ思考の空白があったのだ。


 斉郷さんと名屋さんが慄然とした眼差しで、凝然と江守さんを見ていた。

 明らかに立ち竦んでいた。


 俺には意味がわからなかった。


 与座さんが江守さんに向き直る。


 全く同時に、宮佐さんが黒づくめの奴に肉薄し、目にも留まらぬ早業で、その腕を後ろに捻じり上げていた。


「――この野郎!」


 宮佐さんが声を荒らげた。


「何しやがる!」



 黒づくめがもがいて、



 江守さんが、透真の腕を掴んでいない方の手を上げ、



 与座さんが同時に手を上げる。

 表情――恐怖と憤怒の表情だった、覚えている。



 聞いたことのない音――後から俺にも理解できたが、江守さんの念動が動かそうとしたものを、与座さんが防いだ音だった。



 江守さんが、透真を連れて壁の穴を乗り越える。



 その間に、宮佐さんが黒づくめを床に引き倒し、背中に膝を乗せて確保しようとしている。


 再び、あの暴力的なまでの冷気が周囲を席巻した。

 吐く息が白くなるほどの、床が凍りつくほどの。


 宮佐さんが怒鳴る――


「今は何時だ!?」


「あと一時間はあります!」


 斉郷さんが訴えるように叫び返す。


 そのときの斉郷さんも名屋さんも、手を出しあぐねていることがよくよくわかる、困惑と混乱の表情を見せていた。



 周囲は混沌。


 このとき、これまでの衝撃で倒れかけていたスチール棚の一つが派手に倒れて大きな音を立てた。

 棚に載せられていた、オンライン保存が禁止されている個人の能力レベル情報書類を綴じたファイルが、ばさばさと床に落ちて広がっていく。



 黒づくめがなおもがく。

 俺はそのとき気づいたが、黒づくめは不自然なほど無言で、今も呻き声ひとつ立てていなかった。



 そしてそのとき、与座さんがまともに後ろに吹っ飛んだ。



 俺は――恥を忍んで言ってしまえば――正直、ちびりそうだった。


 能力が暴力沙汰に使われているのを見たことはないが、たった今、与座さんと江守さんが同系統の能力で争い、与座さんが競り負けたのはわかったのだ。


「江守さん!」


 斉郷さんが怒鳴った。


「江守さん、ほんとしっかりしてくださいよ!」



 透真の表情にも、徐々に恐怖が顕在化していた。

「あの」と呟いて、その場に踏ん張ろうとする風情を見せる透真。


 だが、江守さんが無表情のまま、容赦なく透真を引っ張っていく。



「透真! 透真おまえ――マジで頑張れ、なんとか思い出せよ!」


 名屋さんが縋るように叫んだ。

 透真が息を吸い込んで、


「だから知らないんですってば!」


 江守さんが手を上げる。


 宮佐さんが真横に吹き飛ぶ。


 黒づくめがよろよろと立ち上がって、どん、と一度足踏みする。



 また、白い罅割れ。


 俺であってもこの白い罅割れに似たエフェクトには不吉なものを感じるようになってきた。



 江守さんが黒づくめに歩み寄る。

 黒づくめは当然のように江守さんを出迎えて、戦慄で膝が砕けそうになっているらしき透真の腕を、ぎゅっと握った。



「透真!」


 透真が愕然としている。

 黒づくめのフルフェイスのヘルメットに、その表情が克明に映り込んでいる。


「誰……?」


 透真が呟いた。

 声が震えている。


「誰、あなた……?」


 白い罅割れのエフェクトが光って、次の瞬間、モニタリングルームの試験室を見下ろす強化ガラスの窓が、ぐるんと渦を巻いて穴になった。



 ――このとき俺が考えたことはただ一つ。


 ()()()()()()()()()()()()()()



 試験室から通じているところといえば、試験室に入る――試験を受ける側が入るドアだけだし、そのドアの向こうは試験着に着替えたりするための部屋になっているはずだし、逃げようがない。


 冷静になっていればそう思って、俺は動かなかったかもしれない。



 だが、後からわかることだが、こいつが透真を連れてこの場を去ろうとしていたのは俺の勘が当たっていたし、透真以外の人間から距離を置こうとしていたのも事実だった。



 江守さんが後ろ手に透真を押して、宮佐さんたちを牽制している。


 宮佐さんは吹っ飛ばされた場所から、一瞬よろめいたものの、驚くべき頑健さで立ち上がっていた。

 だが手を出しあぐねているのは、江守さんが味方だからだ。


 その良識、情、そういうものがブレーキになっていたのだ。



 黒づくめが透真を引っ張って、試験室を見下ろす窓だった、今や穴となったそこを乗り越える。



 試験室は、一階層分下からここまでが吹き抜けになっている、縦に長い空間だ。


 そこに向かって黒づくめが、何の躊躇いもなく飛び降りる。



「透真!」


 俺は悲鳴を上げた。


 透真は声も出ていない。

 だが一瞬後には、試験室の床に落っこちた透真の、「うわっ!」という悲鳴がマイクに拾われ、観測室に響いた。



 また、白い罅割れのエフェクト。


 ――強化ガラスの窓が元に戻る。

 江守さんがそこに立って、宮佐さんたちを牽制し続けている。


 与座さんが――同系統の能力者だからだろう――前に出て行くが、透真が気になるのと相対しているのが江守さんだというので、表情は混乱に近く、精彩を欠く。



 そして次の瞬間、俺は人生で最も馬鹿な真似をしていた。



 誰も――それこそ、江守さんも――俺を見ていなかったことを幸い、走り出し、壁に開いた大穴を乗り越えて観測室のもう一方に飛び込み、試験室へ降りる梯子に通じる小さなドアに手を当てたのだ。



 さて、俺の能力は電気を発生させる。

 スタンガンよりちょっと強い程度であっても、使いようによっては案外有用だ。



 落ち着け、落ち着け、――自分に言い聞かせる。

 ――落ち着いて、導き出したい結果から過程を定義していけ。



 ――ばちっ、と俺の掌で電気が走ると同時、ドアを施錠していた電子錠が馬鹿になって、ロックが外れて緑のランプが灯った。


 レバーを回して開扉、試験室に向かって、白い梯子を殆ど滑り落ちるように降りていく。



 俺の背後は当然ながら騒然。


 後から聞いたが、斉郷さんが、「馬鹿なの!?」と叫んでいたらしい。


 俺を追おうにも江守さんがそれを阻止してしまう格好になっていて、名屋さんがギズモで応援を呼んだのがこのタイミング。



 だが、俺にそんなことは把握できていない。


 梯子を、半ば落ちるような勢いで降りた俺は、モニタリングルーム特有の、弾力性のあるクッション素材の床にバランスを崩しそうになりつつ、叫んでいた。


「透真!」


「尋ちゃん!」


 透真は黒づくめに対して激しく抵抗しているところで、俺を見て切実すぎる喜色を浮かべる。



 黒づくめが俺を振り返り、ちょっと考え込むように首を傾げる――当然、黒づくめからすれば、俺がBGSの職員なのかそうでないのか、そんなことはわからないわけで。



 そして、黒づくめは真っ当な判断をした――俺を、BGSの職員だと判断したのだ。


 思えばこのとき、黒づくめは江守さんを――どういう方法でかは知らないが――手許に呼び戻したのだろう。



 黒づくめが思い悩んだ隙に、とうとう透真がその手を振り解いて、俺の方に走ってきた。

 とはいえ足許はクッション素材、よたよたした動きになることはやむを得ない。


 俺は飛びつくようにそれを迎えて、声を潜めて怒鳴るという離れ業を披露した。


「おい透真! おまえ大都市クラスの能力者だろ!

 漫画なら今こそ記憶を取り戻して大活躍するタイミングだぞ!」


「無茶言わないでよ!」


 透真の瞳孔は開いている。

 まあ、そんなご都合主義、あるわけないか。ということで、


「走って走って走って!!」


 透真を梯子の方へ追い立てる。


 同瞬、またも強化ガラスの窓が渦を巻いて穴と化し、そこから江守さんが試験室の方へ飛び込んできた。


 宙に飛び出し、危なげなく二階分の高さからの着地を決める江守さんはかっこよかった。

 味方だったらさぞかし心強く思っただろうが、


「マジで無理マジで無理!!」


 人生いちばんの滑舌を発揮しつつ、俺は透真を梯子の上へ上へと、下から追い立てる。


「尋ちゃん――」


「あいつら絶対おまえ狙いじゃん! くそ、おまえ政府のエージェントだけじゃなくて賞金首かなんかなの!?」


「知らな――」


「あとで焼肉おごれよマジで!」


 人間、ここぞというときに馬鹿になるときもある。



 黒づくめが、首を傾げながら透真を見物している。


 江守さんがこっちを振り仰いだ――その瞬間、透真は観測室に通じるドアに手を掛けていた。



 透真がドアを押し開けて、観測室の中に転がり込む。



 転瞬、俺の視界が回転。


 は? と思ったのも束の間、俺は念動系の能力でそれこそ襟首を掴まれ、空中に放り出されている自分に気づく。

 十中八九が江守さんの仕業。


「尋ちゃん!」



 どう、と床に放り出されたが、幸いにもそこはクッション素材の床。

 顔面を強打したものの、「いってぇ!」で済む程度の衝撃だ。


 とはいえくらくらしながら立ち上がる――


 江守さんが、足許がクッション素材の床だとは思えない素早さ、足運びで梯子に走り寄り、足を掛けているのが見えた。


「おい、――」


 俺は声を上げ、


「――――!」



 ()()()()()に気がついた。



 ――あの、白い罅割れのエフェクト。

 あれを伴う()()で、どれだけのことが出来るのかは知らないが、だが、今この瞬間、透真を執拗に狙っているらしき黒づくめは、透真より()()()()にいて、またどういう手品か知らないが、黒づくめの手駒とされてしまったらしき江守さんも同じ位置にいる。


 ついでに、どんなモニタリングルームであっても、試験室の声は観測室に流れる。

 そのためのマイクとスピーカーが絶対にある。

 モニタリング中の事故防止のためだ。

 現にさっき、試験室に落ちた透真の声を、俺は観測室で聞いた。



 そうとわかれば話は早い。


 俺は無我夢中で梯子に走り、形振り構わず江守さんの靴の踵を掴んだ。

 うるさそうでも鬱陶しそうでもなく、ただ機械のような正確さで振り返る江守さんの足を力任せに引っ張り、さすがに体勢を崩した江守さんに体当たりして、彼を半ば梯子から落とす。


 その勢いで江守さんを追い抜き、ドアへ這い上っていく。


 が、世の中そう簡単には進んでいかない。


 ドアまであとちょっと、というところで、さっきの意趣返しのように江守さんが俺の踵を掴んだ。

 手で掴んだのか能力で掴んだのかは知らない。


 がくん、と身体が下がったが、まあ、()()()()()()()()()()()()()



 俺の指先はドアに触れていた。

 一度なぞった回路はなぞりやすい。


 ばちっ、と、俺の指先で弱々しく電撃が走って、



 ドアの電子錠が再び施錠され、赤いランプが灯った。



 一瞬後、俺は梯子から真下に落下。


 が、江守さんは案の定、施錠されたドアを前に動きを止めている。


 これが()()江守さんであれば、乱暴上等で彼の念動能力でドアをぶち壊していただろうが、そのときは別の、厄介な回路を挟んで思考していたようなものだったのだ。



 具体的には、黒づくめが状況に気づき、江守さんに指示を出すまで、江守さんは動けなかった。



 というわけで、マイク、出番だ。


「梯子落として!」


 このとき観測室にいた念動能力者は与座さんと名屋さんだ。

 どちらが俺の頼みを聞いてくれたのか、俺は知らない。



 凄まじい音と共に梯子が折れる。


 ゆらゆらと危うげに揺らめいて、やがて均衡を取れずに倒れ込んでこようとする。

 江守さんが梯子ごとこっちに倒れてくる。



 俺は、まだ頭上で梯子が揺れているうちから、黒づくめの方に向き直っていた。



 心臓はかつてないほど、破裂しそうなほどに早鐘を打っており、耳に聞こえていたのはその、激し過ぎる鼓動の音だけだった。


 頭は真っ白に近かったが、これだけは考えていた。



 ――こいつを一発殴るまでは、安心して寝られない。























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