05 まったく無意味になったりはしない
というわけで、どうやら俺たちは帰してもらえないらしい。
追い立てられるようにして、俺たちは部屋の外へ出た。
このとき俺たちと一緒にいたのは愛路さん。
廊下に出つつ、愛路さんは眼鏡の奥からまず俺を見て、
「どっちにしろ休みたいよね。きみ……えっと、黒川くんか。黒川くんは、うちの宿泊室を使ってね。
藤生くんには、藤生くんの部屋があるんだけど――」
透真は再び俺の腕を掴んできた。
大丈夫か、こいつ。
「嫌です、尋と一緒にいます」
俺たちを見て、というか、頑として俺の腕を離さない透真と、困惑している俺を見て、愛路さんは溜息。
「……とにかく一回、お部屋を見てよ。何か思い出すかも」
俺は出て来たばかりの部屋を振り返った。
「俺のギズモ……」
「壊したりしないし、明日返すよ。
きみ、ほんとに肝が太いというか図太いというか落ち着いてるよね」
愛路さんがいらっとした気配を察して、俺は黙った。
我侭を言える身分ではないのだ。
愛路さんに促されてエレベーターホールへ。
エレベーターの呼び出しボタンを押した愛路さんが、エレベーターが来るまでの場繋ぎみたいな感じで、「藤生くんと黒川くんって、いつからお友だちなの?」と訊いてきた。
透真が小声で、「保育園から……」と答えると、「付き合い長いね!」と目を丸くする。
――付き合いは長かったかもしれないけど、もし仮に、さっきの部屋で聞いたことが全部まるっと本当なら、透真が俺に言ってくれていなかったことがごまんとあるということだ。
まあ、何もかも全部話してくれ! っていうほどべったりいつも一緒にいたわけではないので、裏切られた気持ちとかは一切ないんだけど。
電子音がして、エレベーターの扉が開く。
乗り込んで、ホログラムの階数ボタンから、愛路さんが「30」を選ぶ。
ぐいん、とエレベーターが上昇する感覚――耳の奥が詰まったような感覚。
三十階でエレベーターから降りると、そこは無機質な白い壁と床、天井が続くデザインになっている。
無機質ではあるが機能的というか、無骨な感じはない。
エレベーターホールには大きな窓が開いていて、そこから東京が一望できる。
もう空は暗くて、星が瞬いていて、眼下の東京の町は星空を足許に敷き詰めたように輝いている。
エレベーターホールから廊下へ。
ちょうどそこを、欠伸混じりに三十代くらいの男の人が歩いてきたところで、その人は愛路さんに向かって「どうも」と手を挙げ――透真を見て、「うおっ!」と声を上げた。
「うわあ、透真! 戻ってきたのか! ありがたい!」
「誰ですか……」
囁く透真はそろそろ涙声だ。
それを聞いて、男の人はたいへん気まずそう。
「あ、あの噂マジだったの……」
「そう、そうです」
と、愛路さん。
「そこどいてください。取り敢えず部屋を見てもらって、何か思い出すか試すんですから」
「なるほどね」
そう言って、男の人がひょいっと脇に退く。
そして、じろじろと俺を見てきた。
そりゃあ、見知らぬ人がいたら見たくなるよね、ということで俺は黙って会釈。
愛路さんは広い廊下をずんずん進む。
廊下の両脇に、ぽつぽつとドアがあって、時代がかった真鍮のプレートに部屋番号が記されている。
そして、「9」と銘打たれた部屋の前に立って、愛路さんが「ここです」と。
目顔で促され、戦々恐々とした顔で透真がドアを開ける。
「うわ広っ」
と、これは俺。
なんか、ホテルのスイートみたいだった(スイートに泊まったことはないので、完全に俺の想像だけど)。
ドアを開けたところがいわゆるリビング、でかいソファとローテーブル、ちょっと離れたところに食事用のテーブルセット。
左を見るとキッチンがあって、奥にもう一部屋。
おずおずと入っていく透真に続いて入ってみると、奥はお察しで寝室だった。
そこから続いているのが洗面所とバスルーム。
バスルームはかなり広い。
生活感はそこそこあった。
洗面台にはハンドソープとか洗顔フォームとかの日用品が置いてあって、タオルもかけられたままになっている。
清掃は行き届いていて、黴はもちろん埃もない。
寝室のデスクに触れてホロスクリーンを起動させると、ちゃんと透真の指紋を認識してスクリーンが展開され、ホームの表示は中学のときの修学旅行の写真になっていた。
家族写真とかじゃないんだ。
写真の中では、中学きりで会っていない俺と透真の共通の友人が笑っていて、俺も笑っている。
修学旅行で行った、大阪のでかい科学館の前で撮った写真だな。
透真はお道化て変なポーズをしている。
とてもじゃないが、政府の怪しげな部署で働いている奴とは思えない。
「俺の写真……」
透真が真面目に呟いた。
「本当にここを使ってたんだ……」
愛路さんは焦れた様子だ。
「だからそう言ったじゃない。何か思い出す?」
「これ、いつの写真……? どこだこれ……」
俺が口を挟んだ。
「中学の修学旅行だよ。大阪」
「修学旅行……」
「そうじゃなくて、他に思い出すことない?」
愛路さんが突っ込む。
透真がホロスクリーンをスライドさせて、中を見始めた。
「仕掛中」「決着済」「これから」と題されたフォルダがあって、それを開こうとした透真がまごつく。
「パスワードがわからない」
「なんか適当に入れてみれば?」
俺が言ってみると、透真は何か心当たりがあるのか、ホロキーボードの上で手を走らせたが、エラーを喰らって気まずそうに手を止めた。
「違うみたい。わからないな……」
デスクから離れて、透真がその辺を見回り始めたが、間もなくして「何も思い出せない」と白旗を揚げた。
まあ、そんなもんだろう。
ここで走馬灯が走って記憶が戻るなら、透真のお父さんとお母さんの努力がもっと早くに実っていたはずで。
俺はそう思ったが、愛路さんは落胆したようだった。
「そっか……」と呟いて、見るからに肩を落としている。
部屋を出ると、そばに数人が待ち構えていた。
俺はぎょっとしたが、透真はもっとぎょっとしていた。
そこにいたのは、さっきすれ違った男の人と、大学生くらいの男の人と、同い年くらいの女の子。ユリではない。
「透真っ!」
と、その女の子。
アッシュグレーに染めたショートカット――ハンサムショートというのか、そういう髪型で、覗く耳にはごてごてのシルバーのピアスが光っている。
タンクトップの上から編み目の粗いニットを着て、ショートパンツに足許はブーツ。
透真は衝撃を受けた顔をしている。
ふんわりにこにこしている透真は、こういう女子とは極力関わり合いにならないように生きてきたのだ。俺は知っている。
「透真、マジで全部忘れたの!?」
と、女の子。
透真は、「全部じゃない……」と呟いて、スマートカジュアルに近い服装の、大学生くらいの男の人に目を向ける。
どっちかというと助けを求める目だった。
「誰……」
「あー、刺激するの良くないね」
と、男の人。
女の子の肩に後ろから手を置いて、「気持ちはわかるけど」と。
「望愛、ちょっとそっとしておこうか」
女の子は唇を噛んで透真を睨んでいる。
怖い。
俺ですら怖いんだから透真はどう思ったか。
――と思っていると、透真が一歩下がって俺の腕をぎゅっと掴んできた。
よしよし、怖いんだな。
愛路さんの取り成しでその場を脱出し、再びエレベーターホールへ。
今度は二階に降りる。
警備ボットが小さな作動音を立てながら行き来する、ドラマとかでよく見るオフィスビルといった内観の廊下を抜けた先で、「ここが宿泊室だよ」と。
素気ない白いドア二つを示してくれる。
「基本的に備品は自由に使っていいからね」
咄嗟に俺は「ありがとうございます」と口走ったが、ありがとうも何もない、俺は誘拐されている最中だった。
「ごはんは配膳ボットが運ぶようにしておくけど、他に飲み物とか欲しかったら、一階の自販機を使って」
「あ、はい」
頷いたが、ギズモがないなら金払えなくない?
「じゃ」
そう言って、愛路さんは踵を返した。
透真が何も思い出さなかったことが本当にショックだったのか、悄然とした足取りだった。
宿泊室は一人一部屋。
ドアを開けて、廊下から中を覗いてみると、よくあるホテルの一室といった感じ。
俺は溜息を吐いた。
「……無事な明日を祈って寝るか」
呟くと、「ごめん……」と透真。
「なんか、俺、変なところに出入りしてたみたいだね。なんか、そのせいっぽいね……」
「いや、絶対あれだろ。あの変な黒づくめヘルメットのせいだろ」
「あれ、なんだったんだろうね」
「そういや、そこの説明はなかったな」
「確かに」
「でもまあ、俺、明日には全部忘れるらしいんで」
「そんなあっさり……いいの?」
「良くない理由がなくない? なんかこれ、誘拐っていうよりなんかもっとやばそうじゃん。知らないに越したことないかなって。
あ、いや、副作用みたいなのあったら嫌だけど」
透真は俺をじっと見た。
何かを訴えるような目だったが、俺はその内容をキャッチできない。
きょとんと首を傾げていると、透真はちょっとだけ息を引いて、目を伏せた。
「明日、表彰式なのに……」
「いや、気が重かったし、むしろそっちに関してはラッキーかも。無駄足になったら姉ちゃんが怒りそうだけど。
――それに、学校に来るの……誰だっけ、消防庁の人だっけ。その人でも、俺がいないことに気づいたら、ちゃんと警察に通報して捜索してくれそうだし」
冗談めかして言うと、透真の表情がようやく緩んだ。
ふっ、と微かに綻んだ表情に安心して、俺は透真の肩を軽く殴った。
「そんな不安そうな顔すんなよ。おまえ、大事にされてるっぽいじゃん」
夜。
食事を終えて、部屋についていたシャワールームを使って、着替えがあるかなと造りつけの戸棚を覗いてみると、ユニセックスのスウェットがあった。
ラッキー、とそれを着て、靴だけは自前のものを履いてエレベーターホールへ。
言うまでもないが、眠れなかった。
気晴らしにエンタメフィードにアクセスしようにも、ギズモは取り上げられてるし。
いや、でも、ギズモがあったらニュースフィードで学校の事故……いや、事件か? 今日のことが取り上げられているのをめちゃくちゃ見ちゃいそうだし、むしろギズモは取り上げられてて良かったかも。
なんとなく、ショッキング過ぎたあの事件から心理的な距離を置けている感じがする。
一階に自販機があると愛路さんは言っていたけど、場所、すぐわかるかな。
――と思っていたが杞憂だった。
エレベーターホールのすぐ横に、自販機とベンチが置かれたレストエリアがある。
夜とあって照明は控えめで薄暗く、レストエリアの向こうに通路が続いていて、観葉植物が置かれている。
「――おわっ」
思わず俺は声を出してしまった。
びっくりした、すぐには気づかなかった。
透真がいる。
「……尋」
透真が顔を上げて俺を見る。
見ると、缶コーヒーを買ったらしく、また開けていないそれを両手の間でころころさせながらベンチに座っていたところらしい。
「めっちゃ静かに座ってるから気づかなかった」
そう言いながら、俺は自販機に寄っていく。
ギズモがないから支払いが出来ないが、駄目元だ。
ペットボトルのホットココアが売られていたので、浮き上がるそのボタンに軽く触れると、決済表示には移行せず、すぐさまがこん、と飲み物が落ちてくる音がした。
「タダか、ラッキー」
呟いて屈み込み、ペットボトルを掴み出す。
そして、無視するのも変なので、透真の隣に腰を下ろした。
透真はこっちを見ているが、話し出す様子はない。
表情を見ると、別に俺を鬱陶しく思っているわけではないらしい。
なのでこっちから話し出すことにする。
「ギズモがないとマジで暇なんだけど。そっちも?」
「あ、いや、色々考えてて……」
透真はそう言って俯き、またもコーヒーをころころさせる。
掌がちょっと赤くなっていて、それはどうやら缶が熱いかららしい。ホットコーヒーだ。
俺は思わず、
「なあ、コーヒーなんて飲んで大丈夫? おまえ、コーヒーで寝られなくなるんじゃなかったっけ?」
ぴた、と、透真が動きを止めた。
目を見開いてコーヒーを見つめ、それから俺を見る。
「――知らない。これも忘れてるんだろうな。自分の身体のことなのに」
「まあ、そんなもんか。コーヒーなんて、小学生ではあんまり飲まないもんな」
と、俺。
「なんでコーヒーにしたの?」
「……見ずにボタン押した。これが出てきた」
「おい」
「――俺……」
透真の声が微かに震えて、俺は身構える。
まさか泣くのか。
いや、泣いても仕方ないときだと思うけど、待ってくれ。
こっちには覚悟が。
が、透真はすんでのところであれこれを呑み込んだらしい。
大きく息を吐いて、言う。
「――尋ちゃん、すごく落ち着いてるよね。もっとこう、泣き叫んで暴れてもいい場面だと思うけど」
「それを言うならそっちもじゃん。――なんだろ、一人じゃないからかな」
俺ってこんなに図太かったんだ、と思った一日ではある。
というか、まだなんか現実感が追いついてない感じはあるね。
「それに――なんか、おまえには悪いけど、俺はさっさと今日のこと忘れられるっぽいし」
「悪い? なんで?」
「なんか、俺だけ安全地帯に撤退する、みたいな」
「――俺、元から、その安全地帯にはいなかったっぽいけど」
透真が平坦な声を出して、俺はううんと唸る。
「まあ、そうかもしれないけどさ。なんか、他人から言われただけだと実感が湧かないっていうか。難しいもんだな」
「俺……」
透真が息を吸い込む。
なんとなく危うい雰囲気を察知して、俺は二秒くらい息を止めた。
「俺、ほんと、どういう人間だったんだろうね。なんか、誰だっけ、愛路さん、とかも、俺のことすごく、知ってるっぽいし」
「……みたいだな」
「俺、病院で起きたときから、ぜんぜん、何がどうなってるかわからなくて、」
「……まあ、うん、だろうな」
「いきなり、なんか、産業級の能力者だっていうんで、役所の人は来るし、位置情報見張られるし、クラス替えになるし」
「うん……散々だよな。先生たちもさ、せめて学期末まで待ってくれれば良かったのにな」
「あのクラス、ほんとにやばいよ。尋ちゃんにも一日体験とかしてほしい。すごい値踏みする目でこっちを見てくるんだ。内輪の話しかしないし。
でもさ、よく考えたらみんな、都市クラスなんだよ。検査の結果が正しいなら、俺、大都市クラス」
「うん」
「今日の昼休み、俺、尋ちゃんのところ行ったじゃん。みんなびっくりした顔してたんだけど、あれ、なんで? 俺らって、仲良くなかった?」
「仲良くなかったっていうか……」
俺はもごもごと呟く。
「中学入ったくらいからかな、おまえ、なんていうのかな、誰ともつるまないっていうか、距離を取るような感じになってたからかな。さっきの、おまえの部屋? あそこで見たあの修学旅行の写真、あれ結構レアなんだよ。おまえが珍しく俺たちとつるんで楽しそうにしてたから。
それにおまえ、自覚してないかな、昼休みに俺のところに来たとき、砂漠でオアシスを見つけたみたいな顔してたよ。そりゃあ誰でもびっくりするって」
「ごめん……」
透真が、脇にコーヒーを置いて、両肘を膝について、掌で顔を押さえた。
「俺、ほんと、先月に小学校卒業したみたいな感じで……。いや、違うな、なんていうのかな、時間が経ったことは漠然とわかってるんだけど、実感が出来てなくて……。
尋ちゃんにも頼り過ぎだって、わかってんだけど……」
「いやそりゃ、記憶喪失初体験なら、知ってる奴に頼りたくもなるって」
俺は困ってしまう。
なんて言えばいいんだ。
「俺……」
透真の声が涙声になっている。
俺はじっとココアを眺める。
「俺、ほんと……」
透真が鼻を啜る。
「……愛路さん、たちも、俺に思い出してほしいことがあるみたいだし、父さんも母さんも、思い出話とか、めっちゃしてくるし。でも、何も覚えてなくて、俺」
俺は唇を噛む。
じっとココアを見る。
ココアよ助言をくれ。
「俺、なんか、なんだろう、俺が、みんなにとっての俺を盗ってるみたいな、そんな気分。
俺、駄目だな」
「そんなことないよ」
「俺って、俺なのかな?」
遂に透真が支離滅裂なことを言い出した。
「わかんない、だって俺、五年分の記憶がないんだよ。なんか、みんな、その五年のあいだにすっごく大事なことがあったみたいなこと言うじゃん。
じゃあ、その大事なことを覚えてない俺って、経験してない俺って、もうそれ、俺っていえるのかな?」
俺は瞬きして、透真に目を移した。
透真は俺を凝視していた。
「俺って、歴史がないわけじゃん。
それは、じゃあ、俺なのか?」
「――――」
俺は軽く息を吸って、唇を舐めた。
ペットボトルを手の中で転がす。
「難しいことはわからないけど」
ちょっと考える。
「――おまえ、俺と喋るじゃん。そりゃ、最近のおまえとはちょっと違うなって思うことあるけど、でも、それがなんだよ。喋ってて楽しいよ。
おまえはおまえじゃん。おまえがおまえとしてここにいるんだから、それが最優先だろ。
みんながおまえに、最近のこと思い出してほしいっていうのはさ、都合の問題じゃん。そんな他人の都合のこと、気にするなよ。
歴史がないって、だからなんだよ」
息を継いで、
「ここでおまえが色んなこと考えたり、感じたりするのは、その歴史がなくても十分出来てることだろ。
じゃあ、おまえはおまえとして、ここにいるんだろ。
それでいいじゃん。
おまえが何をどう考えるかとか、何が好きかとか、何が嫌いかとか、何を感じてるかとか、それが――なんていうの、存在の証明っていうの、そういうやつだろ。
おまえがそうやって悩んでることには価値がある」
透真は瞬きもしていない。
色素の薄い目を大きく見開いて俺を見ていて、俺はちょっと照れくさい。
「何もない上でそうやって悩んだりしてるなら、おまえにとっては、何もないことでも、何かの土台になったってことだろ。いいじゃん、それで。――結果だけ求めるなって。悩んだり迷ったりで人生経験積むのが大事なんじゃないの、これは漫画からの受け売りだけど」
「漫画かよ」
透真がちょっと笑う。
悪いかよ、と返して、俺はちょっと考えて、冗談めかす。
「たとえば、SF映画みたいにさ、実はおまえが透真に化けてるエイリアンで、本物の透真がどこかにいて、透真がある日ひょっこり出てきた、とかだったら、ちょっと自分の立ち位置を考えた方がいいかもしれないけど――」
透真がくすっと笑った。
俺も笑う。
「――でも、それにしたって、ここで、なんかタダで飲み物が出てくる自販機の前で、俺とこういう小難しいこと話してるのは、おまえだろ。他の誰でもないだろ。
じゃあ、おまえは、おまえとして、ここにいて、何も間違いじゃない。誰かの都合が悪いことはあるかもしれないけど、少なくとも、おまえは駄目じゃない。
スタート地点がどこであってもさ――十二歳でも、十七歳でも、十二歳から十七歳にジャンプした後でも、一回始めた人生だろ、まったく無意味になったりはしないって。存在してるだけで、なにかしら偉いところがあるんだって」
まあ、俺とて十七歳。
上っ面だけの言葉ではあるが、透真を慰めるとしたらこれだろう。
――そう思って、言葉を切って見つめていると、透真は鼻を啜って、鼻の下をこすって、にこっと照れ笑いした。
「――そっか」
コーヒーをもう一度手に取って、透真は視線を落として、呟く。
「そっか」
「うん」
ちらっと目を上げて、透真がはにかみ笑いした。
「――ありがと、尋ちゃん。俺、ちょっと病みそうになってたのかも」
「無理ないって」
透真がにっこり笑った。
これぞ透真という、ふんわりした笑顔。
「ありがと。
――明日には帰れるといいんだけど。尋ちゃんも俺も」
「ほんとにな」
しみじみ返すと、透真が立ち上がった。
やたら鼻を啜ってるので、泣きそうなのかも知れない。
「じゃあ、俺、部屋に戻るね。また明日」
「おう」
空気を読んで、俺は座ったままでいた。
透真だって泣き顔は見られたくないだろうという、武士の情けである。