04 ヒメユリ
さて、聞いた話を纏めると、こうだ。
――藤生透真は、小学校卒業時の能力判定テストで、産業級大都市クラスの能力値を叩き出した。
この政府機関――BGSはいち早くその結果を知り、その子供のヘッドハンティングを決意した。
ご存知ない方はいないと思うが、いちおう説明すると、俺たちの能力というものは、「気づいたら出来た」なんてファンタジーなものじゃない。
能力判定テスト――血液検査やら脳波スキャンやら――を経て、「あなたはこの系統の能力で、クラスはこれです」と言われて初めてわかるのだ。
そして中学校から組み込まれる能力授業で、能力の発現のさせ方、使い方を学んでいくわけ。
テストの結果では産業級の能力の見込みがあるが、才能がなくて結局日常級の能力しか発現させられませんでした、なんていう話もよくある(し、学校の産業級クラスの子たちは、みんなその可能性に怯えている)。
当然、能力テストも、受けて即日結果が出るなんてものじゃない。
健康診断よろしく、一ヶ月後とかに結果が封書として届くのだ(病院で個別に受けると二日とか、金を掛ければ即日で結果が出る。たぶん集団で受ける能力テストは、集団で受ける分結果が出るのが遅いのだ)。
ともかくも、BGSを名乗るこの集団は、透真本人よりも、透真のお父さんお母さんよりも、学校の先生よりも早く、透真のテストの結果を知った。
そこで透真に接触した。
「そんなことあったの?」
「覚えてない」
透真があからさまに疑わしそうにしたからか、下代さんが鼻の頭を掻いて、「覚えてないかな……」と。
「きみ、小学校卒業間際に、お菓子の懸賞を当てたでしょう――」
「覚えてないです」
「懸賞の内容が、お菓子工場の一日見学会――」
「まったく覚えてないです」
「工場見学の最中に、親御さんとは別ルートに案内して、」
「覚えてないですってば」
「そこでこう、我々の存在意義を子供にもわかりやすいように伝えて、『どうだろう、私たちと一緒に働かないか?』って――」
「覚えてないです」
「ってか詐欺じゃん!」
と、堪らず俺。
「子供じゃん! 十二歳かそこらの子供に何やってんるんですか! ばりばり未成年じゃないですか!」
「実をいうとね、お菓子工場に入るときに、藤生くんのお父さんからサインをもらっていてね。とにかく小難しい文言にして煙に巻いておいて、口頭では、お菓子工場だから衛生管理が云々と説明したようだけれど、実際は違う。法定代理人として、藤生くんがうちで働くことを承諾する書面で――」
「詐欺だ!」
俺と透真の声が完全にかぶった。
下代さんは気まずそうに顔を顰めたが、三条さんが冷然と言う。
「声が大きい。――こちらとしては懸かっているものが大きい。
多少の超法規的措置はやむを得なかった。念動系の能力は極めて利便性に富むが、その産業級大都市クラスの能力者となると、一万人に一人だ。他の情報も勘案して――彼は適任だった」
同じ産業級でも、中都市クラスと大都市クラスでは全然違うらしいとはいうけど。
それに、他の情報ってなに?
透真が昔から国語が壊滅的に出来なくて、算数はよく出来て、スポーツ万能だったこと?
「とにかく、藤生くんは頷いてくれました」
西平さんがきっぱりと言った。
いや、頷いたも何も未成年。
まだ子供。
ドン引きする俺と、「覚えてません」と繰り返すボットと化す透真。
透真の顔には「嘘だ」と書いているが、俺はそうは断言できない。
――だってさ……時期がかぶるんだよ……透真が、俺だけじゃなくてそれまでの友達全員と距離を取り始めた時期と……。
「以来、BGSの一員として、彼は非常によくやってくれました。
ですが、先月――九月七日の日曜日、彼からの連絡が途絶。その前日の――派遣においては普段どおりよくやってくれていましたし、帰還後も――森谷さんの話では少し元気がないようだったとのことでしたが、大きな行動異常は見られませんでした」
ユリが西平さんをちらりと窺って、息を吸い込んで、止めたようだった。
「ですが連絡は途絶し、次に情報が入ってきたときには、藤生くんは民間の病院に収容されており、しかも記憶障害、しかも――」
深々と息を吐く西平さん。
「――我々が、彼は日常級Bクラスの能力者だと隠匿したにも関わらず、再度テストを受検し、産業級大都市クラスの能力者だと行政に知られてしまった」
行政に――って、待てよ?
俺はこそっと透真に顔を近づけて、「おかしくね?」と。
「この人たち、自分たちは政府の……防衛省の、外局? って言ってんじゃん。だったらなんで役所と連携とれてないんだよ」
「――確かに……!」
透真の目から鱗が落ちたが、どうやら俺のこそこそ声は聞こえていたらしい、下代さんが言った。
「BGSは立ち位置が微妙でね。本来は省として立ち上げられてもいいはずの――事業を行っているんだけれど、当時の内閣での意見の対立だとか、色々あってね。地方自治体にもそれほどの影響力は持てない」
「子供にそこまで話さなくていい」
と、三条さん。
三条さんが両手を組んで、透真をじっと見る。
「我々としてはね、藤生くん。きみに何が起きたのか特定したいんだよ。そしてきみにはBGSに復帰してほしい。
本来ならばすぐにでもきみを確保したかったが、きみへの世間の注目度は高かった――ほとぼりが完全に冷めるまで待つわけにもいかなかったが、最低限、今日まで待った。
――愛路くんからの連絡では、」
と、三条さんが与座さんに目を移し、それからまた透真を見た。
「ちょうど同じタイミングで、侵入者からの干渉があったようで、こちらも肝を冷やしたが、無事で何より。
――きみには治療を受けてもらうか、あるいはより効果の高い方法で、記憶を取り戻してもらう必要があるんだ」
三条さんの目が、ユリに向かって動いた。
ユリは俯いて、じっと動かなくなっている。
宮佐さんがそれを不思議そうに見ていたが、三条さんの視線に気づいて、優しくユリの頭に掌を乗せた。
「――ヒメユリ、透真を何とかできるか?」
ユリは顔を上げて、透真の顔を見た。
なんというのか――透き通るような目だった。
気遣いと、慎重さと、危ぶむような色が混ざり合った、淡褐色の瞳。
それを見てふと、俺は「可愛い子だな」と思っていた。
あ、これはユリには内緒で。
ややあって、ユリは口を開いた。
「……難しいと思う。トーマくんの……なんていうんだっけ、ド忘れ? が治るのは、お父さんにとっても大事なことでしょ。
だったら――釣り合いがとれるのが、結構重い内容になると思う。それこそ、支部一つが潰れるとか」
「きついな……」
宮佐さんが呟いて、三条さんに目を向けた。
「長期戦になるかも知れないですよ」
「状況によっては、こちらでバーターとなるものを用意する」
三条さんが素気なく言い、他のスーツの二人を促して立ち上がった。
「――藤生くんの顔が見られて良かった。
では、続報として良い知らせを期待する」
下代さんが、申し訳なさそうに目顔で謝ってきた。
西平さんも苦笑する。
「藤生くん、きみからすれば急な話だったわね。でも、全部思い出してくれたあとなら、納得してくれるはずだから」
俺は逆立ちしても納得できそうにない。
――そんなことを思いながらも、俺は黙ってスーツの三人が部屋を出ていくのを見守った。
そして、「で、これで帰れるんですか?」という期待を籠めて、与座さんを見つめる。ギズモ返して。
「役人が帰った。さあ自由だ」
宮佐さんが宣言し、んーっ、と声を上げて伸びをした。
そして、微苦笑でユリを見つめる。
「――ヒメユリ、自分から外に出て行くなんて珍しかったな。そんなに透真が気になったのか?」
「んー、ううん」
ユリが曖昧に答える。
俺は勇気を出して立ち上がり、声を上げた。
「あの、俺のギズモ返してください。俺、帰りたいです。透真も帰りたそうです」
一拍を置いて、与座さんが顔を上げた。
「え? ああ、俺に言ってるのか。――駄目だな、少なくとも日付が変わるまでは」
「困ります!」
と、これは透真。
「明日、表彰式なんです!」
「ごめん今それどころじゃない」
「そんなことはどうでもいい」
俺と与座さんが同時に突っ込む。
愛路さんが、「表彰?」と、不思議そうに俺と透真を見た。
「表彰? 藤生くん、何か表彰されることしたの? さすがだねぇ」
「いや、俺じゃなくて――」
「なんで日付が変わるまでなんですか?」
と、これは俺。
零時になったら解放してくれるんだろうか。
「そりゃ、俺のヒメユリがあんたのことをなんとか出来るからさ」
宮佐さんがそう言って、俺はがっくりとテーブルに両手を突いた。
「意味がわからない。それにもう、誰が誰だか……」
「ああ!」
宮佐さんが陽気に手を打って、言った。
「――ああ、透真は忘れてるのか。で、そっちの彼はそのうち忘れてもらう予定、と。
――紹介がまだだったな。俺は宮佐。宮佐恵互」
「私は愛路菜津。藤生くんはともかく、きみはまったくわけがわからないよね。ごめんね」
愛路さんが名乗ってくれて、俺を犒ってくれたが、透真がつらそうに、「俺もわけがわからないんですが……」というのを聞いて、ひくっと顔を引き攣らせた。
愛路さんに肩をつつかれ、与座さんが溜息を吐きながら。
「与座。与座貴一だ」
愛路さんが俺を指差して、「車の中で聞いたけど、」と。
「きみは、えーっと、黒川くんだっけ。黒川尋くん」
「あ、はい」
と、真面目に頷いてしまう俺。
「さっきまでいた役人は、眼鏡のが三条さん、その横の兄ちゃんが下代、女性が西平だな」
宮佐さんがそう言って、「恵互さん」と、与座さんが警告するように呼ぶ。
「そこまで教えることないですよ」
「いいじゃん、どうせ覚えてないよ」
宮佐さんは動じずにそう言って、片手をユリの肩に載せた。
「で、こっちが俺の娘のヒメユリ。俺たちがここで鷹揚にしてられる理由の、自慢の娘だ」
ユリが俺たちに手を振った。
「ヒメユリでも、スターリリィでも、ユリでも、好きなように呼んでね」
「なにそれ、コードネーム?」
俺は口走ったが、ユリは笑って答えなかった。
宮佐さんが、誇らしげに続けた。
「ヒメユリは、今のところ地球でただ一人の、世界級の能力者だ」
「……――は?」
よくわからない政府機関が出てきたと思ったら、今度は都市伝説が出てきたんだけど。
半笑いで固まる俺に、ユリはどことなく気の毒そうな目を向ける。
「ねえ、知ってる? どこかのSF映画みたいに、ぴかっと光って記憶を飛ばせる便利な装置なんて開発されてないんだよ。トンデモ能力以外の何が、きみの記憶を消せるっていうの」
「おー――う」
俺は変な声を出してしまった。
うねる廊下とか、突然治った怪我とか、ここ一時間ばかりで触れた理不尽が走馬灯のように頭の中を走ったが、深く考えると頭がおかしくなりそうなので撤退する。
深く考えないのは俺の特技だ。
なので、取り敢えず頷いておいた。
「オッケー、そういうことにしとこう。取り敢えず俺はこの経験を忘れられるってわけね。オッケー、わかったわかった」