03 親友が、どうやら政府機関の一員として働いていたっぽい。
俺と透真が車から降りることを許されたのは、そこから一時間余りのドライブの後だった。
車が停まる少し前に、黒いプレキシガラス張りの東京駅が見えた。
俺の父はほぼ出社しない――在宅勤務が主体で、今日も家にいる。
俺の帰りが遅いことと、配膳システムに夕食のキャンセルが入ったことを考え合わせたのか、ドライブ開始から三十分ほどで、「今日は友達とごはんかな?」というメッセージが俺のギズモに入った。
俺はよっぽど、「今誘拐されています。助けて」と送ろうかと思ったが、女の子がまじまじとこっちを見ており、しかも野戦服の男性に睨みを利かせられているとあっては、命を危険に晒す選択肢はあんまり検討に値しなかった。
――もし、あなたたちの中に、能力判定テストもまだ受けていない小学生がいた場合、怪訝に思う人もいるかも知れない。
つまり、俺には発電能力が――スタンガンを少しマシにした程度の威力のものではあれ――備わっているのだから、どうしてそれを駆使しないのか、と。
けど、言わずもがなだろ?
能力は教えられて開花するもの、ハートじゃなくてブレインで使うもの、勢いの産物ではなくて、知恵を絞った結果のものだ。
頭の中にある、個々人に課せられた命題を解いて初めて発現するものだ。
つまり、こんなわけのわからない大混乱の状況で、それなりに難しい数学の問題を解くようなもの。
落ち着いているように振る舞えてはいても、なんていうの、思考が一箇所に留まらないよ。
そんな状況で集中できるか?
俺には無理だった。
透真にも無理そうだった。
透真を見ると、透真はめちゃくちゃ不安そうにしていて、こっそりと、「俺の方のフォローもお願い」と囁いてきた。
「母さん、俺がこういうことになってから、めちゃくちゃ俺のこと心配するんだよ……。今の現実を知ったら、あの人倒れちゃうよ」
とのこと。
まあ、そりゃそうか。
息子が行方不明、帰って来たと思ったら記憶喪失、だもんな。
というわけで、俺は忸怩たる思いでメッセージを送った。
「今日は透真とメシ食ってる。透真がギズモを学校で失くしたらしいから、捜す。遅くなるかも。透真のお母さんにも伝えておいてくれる?」。
産業級の能力者のギズモの捜索といえば、そりゃもう大義名分になるだろう。
と思ってたら父親から返信。
「とうまくんの? 警察には言った?」間髪入れずにもう一通。「明日は表彰式だけど、大丈夫? あ、お父さんもお母さんもお姉ちゃんも覗きに行きます」。
もうどうにでもなれ。
「先生が言ってくれたとおもう。表彰式の準備はばっちり」。
そこで、俺はギズモを握り締めて男性を睨みつける。
文面はばっちり見られていたはずだ。
「――っていうわけで、今日のうちに俺たちが帰らないと、俺の父親が警察に通報しますよ」
「それはどうとでもなる」
というのが男性の返答だった。
そして表情ひとつ変えず、ついでに抵抗できない早業で、俺のギズモを取り上げて、位置情報を全てキャンセルした上で彼自身のポケットに入れてしまった。
俺は唖然として、しばらくギズモを持っていた姿勢のまま固まっていた。
どうとでもなる、って、おい。
――そして今、俺は、「確かにそうかも」と思い始めている。
車は地下駐車場に入っているが、その駐車場、やたらと立派なビルの地下にある。
そして入るまでのセキュリティがやたら厳しかった。
まず、ビルの敷地が異様に広い。
都心でどうしてこんな広さを確保できているのか、意味がわからない。
入口で運転手の女性が警備ボットに応対し、掌紋スキャンで門が開かれた。
そこからさらに十メートルほどのところで、再度警備ボットの関門――今度は女性が何かを打ち込んで、それが承認されたことによって門が開いた様子。
そこから地下へ入ろうとすると、人間の警備員がいて、運転手の女性がIDカードらしきカードを彼のギズモに認証させ、続いて網膜スキャンを全員分。
透真は網膜スキャンを受けさせられ、俺はスキャンせず、ただフルネームを名乗るよう言われた。
ぞっとしたことに、俺のフルネームを読み上げる声が録音されて反復され、それから警備員が手許のギズモを操作して、俺の住所を正確に読み上げたのだ。
個人情報とは。
そうやって入った、広々とした地下駐車場。
「もう降りていい」
と言われて車から降りたときには、俺も透真も疲れ切っていた。
引っ立てられるように薄暗い駐車場を歩いた先に、物々しい黒いガラスのドア。
ぴったりと閉ざされているそのドアのそばのセンサーに向かって、女の子が軽やかに声を掛けた。
「ただいまー、お父さんはいる?」
向こうから声が返ったのが聞こえた。
『お帰り、スターリリィ。宮佐さんは――戻ってるよ』
そうして滑らかに扉が開き、電子音が鳴った。
その向こうには、黒光りする研磨タイルの広大な床と、見上げるばかりの吹き抜けの空間から成る、殺風景ながらも仰々しい荘厳さすら感じさせるホールが、宮殿の入口めいて広がっていた。
ホールを引っ立てられ、エレベーターへ。
エレベーターの階数表示は、アンティークな時計針表示になっているが、階数表示が刻まれ過ぎていて風情に欠ける。
電子音と共に開いたエレベーターのドアの中に押し込まれる――エレベーターの中も真っ黒で、まるで夜空に浮かんでいるかのようだ。
発光天井のお蔭で明るいが、なんかもう、現実離れした光景に見えてくる。
エレベーターの中に押し込まれたのは、俺と透真。
押し込んだのは野戦服の男性で、一緒にいるのは運転してくれていた女性と、あの女の子。
女の子は白いキャップを脱いで、ふう、と息をついて頭を軽く振っていて、さらさらと髪が揺れていた。
エレベーターに乗り込むと、ドア横の空間にホログラムの階数ボタンが表示された。
男性が乱暴に「4」を押す。
ここは「B1」。表示は「33」まであった。
ドアが滑らかに閉まり、エレベーターが上昇する。
はあ、と息を吐いて、男性が片手で顔を拭った。
「――最悪だな、思っていたより」
「まあ、顔を見ればあるいは――って思ってましたよね」
女性が応じて、透真を見る。
その眼差しの――なんて言おう、残念がるような、犒うような。
「まあ、相当ショックなことがあったんじゃない」
と、女の子。
俺は透真を見て、こそっと囁く。
「なあ、さっきから、おまえの知り合いっぽいんだけど……?」
「本当に知らない。ぜんぜん知らない」
透真が困惑して言う。
電子音がして、「4」と浮かんだホログラムの飾り文字が軽やかに回転して、扉が開いた。
今度は赤い絨毯張りの床と飴色の木目調の壁という、アンティークな雰囲気の廊下が見えた。
俺と透真がまごついているうちに、男性が透真の腕を掴んでさっさと歩き出す。
俺としては、「このままエレベーターの中にいれば逃げられるのでは?」という考えが頭をよぎったわけだが、振り返った透真が捨てられた仔犬みたいな顔で、「尋ちゃん……」と縋ってきたので、合わせて歩き出さないわけにいかなかった。
広い廊下を歩き、迷路みたいな角を何度か曲がって、やがて見えた大きな――なんていうんだ、ヴィクトリア朝様式っぽい? ――扉を、男性が押し開けた。
――途端、そこを駆け抜けて室内に入っていく女の子。
彼女が叫ぶ声が聞こえてきた。
「お父さんっ!」
「おー、ヒメユリ」
俺は室内を見た。
――ドーナツ状の大きなテーブルが置かれている広い部屋。
窓はなくて、その代わりのようにでかい風景画が何点も掛けられている。
ネイビーの絨毯が敷き詰められていて、壁も天井もアンティークで重厚な木材の感じ。
ドーナツ状のテーブルの真上から、飾り物のシャンデリアが下がっている。
実際の光源は天井と壁のあちこちに仕込まれている。
女の子は、ドーナツ状のテーブルの一角で立ち上がった男の人に、勢いよく飛びついて、抱き着いていた。
なんか、同い年くらいの女子であそこまで親に懐いている人って珍しい気がする。
それに、全然似てない――女の子の、日本人離れした色素の薄い容姿に比べて、彼女を抱き留めて、持ち上げんばかりに抱き締めている男の人は、がっしりしていて、浅黒くて、「かっこいいナイスミドル」を具現化したみたいな人なのだ。
格好は、やっぱり野戦服。
「お父さん、今日、一階のトイレの電灯が切れるから、気をつけてね」
「へえ? トイレの電気と同等っていうと、何をしたんだ?」
「トーマくんとジンくんの怪我を治したの」
「透真――はわかるとして、ジン? あいつか?」
男の人が顔を上げて、俺を見た。
俺はどうしたらいいのかわからず、ぺこっと会釈した。
――なんか、これは誘拐ではない気がする。
もっと大それた何かの雰囲気をひしひしと感じる。
室内にはその男性の他に三人いた。
その三人はスーツ姿で、男性二人と女性一人。
いかにも役人という雰囲気。
そのうち一人が咳払いをして、腕時計をちらっと見てから、手振りで着席を促した。
「――座ってください。首尾を聞きたい」
野戦服の男性と女性が、スーツの二人の対面に位置するところに座る。
俺と透真が狼狽していると、女性の方が俺たちを手招きして、座らせてくれた。
女の子は、当然の顔でナイスミドルの隣に座っている。
――さて、後からわかることなので、ざっとこの場の面々を紹介しよう。
まず、学校に乗り込んできた野戦服男性。この人は与座さんという。
運転手をしてくれた女性、この人は愛路さん。
女の子は――後から説明するが――決まった名前がなくて、ヒメユリだとかスターリリィ、ユリと呼ばれる。俺はユリと呼んでいる。
ユリのお父さん――宮佐さん。
スーツを着たお三方、左から、オールバック眼鏡の黒いスーツの三条さん、ツーブロックでネイビースーツの下代さん、ショートカットでベージュのスーツの西平さん。
三条さんが俺を見て、眉間に皺を寄せた。
「なぜ一般人をここへ?」
俺は透真を見た。
「おまえは一般人じゃないんだって」という意味だったが、透真はなぜか猛烈に頷いていた。
後から聞いたが、このとき透真は、俺が「帰りたいよ」という意味でそっちを見たのだと思ったらしい。
「侵入者の干渉事象を見られまして」
与座さんが答えると、三条さんは今度はユリを見た。
ユリがそれに気づいて、宮佐さんの蔭に隠れるようにする。
宮佐さんが卒なく言った。
「三条さん、ヒメユリは藤生と――そこの彼の怪我を治したようです。あと――」
宮佐さんが腕時計を見る。
「――今が六時ちょっと過ぎですね。あと六時間ほど、ヒメユリは何も出来ません」
三条さんが喉の奥で不明瞭な声を出した。
下代さんと西平さんは、熱心に透真を見ている。
透真がこの場から消えてなくなりたいと思っていることはよくよくわかる。
「彼は――」
と、西平さん。
三条さんがそれを手で制して、俺を指差す。
「与座くん、彼を応接室へ。わざわざ聞かせる話ではないだろう」
「あ、喜んで」
俺は立ち上がったが、透真がなりふり構わず俺の手を掴んできたのでバランスを崩した。
見ると、透真は完全にパニックの涙目。
――そりゃそうか。
行方不明になるわ記憶を失くすわ廊下は蛇腹になるわ誘拐されるわ……。
思わず手を握り返して、励ますように微笑んでしまう。
愛路さんが俺と透真を見て、ご注進、という感じで言った。
「えーっと、彼をここから放り出すのと、彼を放り出した挙句に気が動転するだろう藤生くんを宥めるの、どっちがいいですか?」
三条さんが、ふーっと息を吐いて椅子の背凭れに体重を掛けた。
「――なるほど。彼の状態は深刻だね。
きみ、座りなさい」
言われて、俺はがっくりしながら座り直す。
透真は手を離してくれなかった。
ユリがそんな透真を見て顔を引き攣らせているが、一方の宮佐さんは、「いやぁ、そんな場合じゃないですが、ちょっと面白いですね」と言って笑っている。
三条さんが宮佐さんを見遣る。
「あなたのヒメユリは、彼に対処してくださるんでしょうな」
「ヒメ?」
宮佐さんがユリを振り返り、ユリがこくこく頷いたので、鷹揚に微笑んで三条さんに向き直った。
「そりゃもう、しっかりと」
「俺、殺されるの?」
思わず俺はぼろっと言っていた。
宮佐さんが半笑いで俺を見て、「まさか」と。
「今日の午後について忘れるだけだよ」
「はい?」
ぽかんとする俺を置き去りにして、話は進む。
「頼みますよ」
三条さんがそう言って、西平さんと下代さんに頷きかけたのだ。
二人がじゃっかん身を乗り出す。
「――藤生くん、私たちのことがわかりませんか? 彼らのことも?」
西平さんがそう言って、ざっと室内の人たちを示す手振りをする。
透真の顔は強張っていた。
「お――俺……僕にわかるのは、尋だけですが」
「解離性健忘と聞いています。一種の記憶障害と。その情報が誤りであることを願っていましたが……」
「“聞いています”? えっ、誰から?」
透真が素っ頓狂な声を出し、大きく息を吸い込んだ。
俺の手を掴んだまま、ぐるりとその場を見渡して、透真はこの事態の解明に意を決したように。
「あの、ここ、どこですか。あなた方、誰ですか」
下代さんが、大きく溜息を吐いた。そして、透真と丁寧に目を合わせて、言った。
「――あいにくと名刺は作っていないんだけどね。
我々はBGS――防衛省の外局、世界安全保障局の者だ」
「げっほ」
ここで咽た俺を責めないでほしい。
めちゃくちゃはっきり覚えているが、俺はこのとき、「マジかよ」ではなくて、「ウケる」と思っていたのだ。
名称からしてイタさ全開じゃん(これは今でも思っている)。
大体、日本の防衛省の外局が「世界」の名称を冠していること自体がなんか変だもん。
スーツの三人組が真顔で俺を凝視したので、俺は顔を伏せた。
「すみません……」
ふう、と息を吐いて、下代さんが透真に目を戻す。
透真の唇も、ちょっとひくひくしていた。
が、そのひくひくを吹き飛ばすことを、下代さんは言い放った。
「きみもBGSの一員なんだけどね――思い出せない?」
「なんですって?」
「なんですって?」
俺と透真の声がかぶった。
――記憶喪失になったと思ったら桁違いの能力を開花させた親友が、どうやら政府機関の一員として働いていたっぽい。
もう何がどうなっているんだ。