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02 不審者

 うねる廊下、迫る天井、蛇腹と化した廊下の床。


 俺は叫び、透真も叫び、咄嗟に頭を庇った腕が勢いよく天井にぶつかって、このまま潰されるんじゃないかと思うほどの痛みが走った。


 ――夢じゃない。


 でも有り得ない。

 産業級の能力者だって、何の能力でこんなこと出来るんだ。


 物を変形させることが出来る能力者がいるなら、雑貨店なんて壊滅してるはずだろう。


 能力が干渉できるのは、物の動き、発火や発電などの自然現象、それから温度。

 これだけのはずだ。


 精神感応だって予知だって、漫画の中だけの産物だ。



 ばきっ! と音がする。

 俺のか透真のかわからないけれど、リュックの中のタブレットがばっきり逝った音だろう。


 こんな場合だというのに俺は、「タブレット壊したら弁償かな」なんてことを考えているし、そんな自分の思考を俯瞰して、「正常化バイアス、怖い」って思ったりもしている。



 違う違う違う、死ぬ。



 そのとき、床がまたもうねって急降下した。


 胃袋が持ち上がる不安感と不快感。

 天井の圧からは解放されたが、今度は波に乗るようにぐいんと下に落ち、転がって、透真と派手に衝突して上下の感覚がわからなくなる。



 えっ、死ぬ?


 こんなに急に? わけもわからず?

 ギャグみたいな勢いで?


 おかしいおかしいおかしい、理不尽だ。

 誰か助けに来てくれよ、ここ学校だぞ?



 今週の月曜日、俺は他人が死にそうになっている現場に遭遇した。

 あのときでさえ、俺は震え上がるほど緊張した。


 それで、今――


「――透真!」


 俺は思わず叫んだ。


 そのときまたもぐいんと床がうねって持ち上がり、二度目か三度目か、透真と派手に衝突する。


「透真!」


 透真がかわいそう過ぎる。


 なんだってこんな、人生の厄を一気に清算するみたいな目に遭わないといけないんだ。

 とにかく這ってでも、安全なところに行けるか試してみないと。


「透真――」


 そのとき警報が鳴った。


 俺は咄嗟に、「あ、助けが来る」と思ったが、違う。

 これは校内に不審者ありの警報だ。


 じりじりと激しく鳴る警報と、ホログラムの警告の光に、むしろ教室から誰かが出てきたら、この大惨事の餌食になる人が増えるんじゃないかと俺は思う。


 いや待って、いちおう不審者がいることは間違ってないのか。

 あの黒づくめ、一体誰だ――



 波打つ視界に、あの不審者の姿が映る。


 今も確固として動いていない廊下に立って、うねる廊下に翻弄される俺たちを見ているらしき、黒づくめの人影。


 そいつが腕組みして、首を傾げる――


「透真?」


 と、そいつが呼んだ。


「藤生透真? ()()()?」



 ――透真のことを知ってる?



 俺はびっくりしたが透真はもっとびっくりしただろう。

 そしてびっくりしている場合でもない。



 うねって迫りくる天井に、俺が堪らずぎゅっと目を瞑ったとき、



 ――爆音。



 ぱあんっ! という破裂音を、百倍くらいに重くしたような音が轟き、俺は悲鳴を上げた。


 爆音のせいじゃない、いきなり足場が消えたのだ。

 うねっていても足場があるのと、足場が消え去ったのとでは雲泥の差。


 悲鳴を上げて落下する俺は、次の瞬間()()と呻いた。


 トランポリンで身体が跳ね上げられたかのような柔らかい衝撃があって、肺の中の空気が押し出されたのだ。



 え、と混乱しながら目を開ける――そして唖然とする。


 周囲には、砕け散ったコンクリートの破片が、まるで時間を止められたかのように無数に浮かんでいた。


 まるで悪趣味なプラネタリウムの中のよう。

 下手に身を起こすと、その中のどれかに頭をぶつけそうだ。


 そう思って、かちん、と固まった俺と、俺と同様固まっただろう透真。


 が、次の瞬間、コンクリの破片が一気に上に動き、視界がクリアになった。


 廊下の窓から西日が射し込んで、その光でコンクリの破片から巻き上がった粉塵の乱舞が芸術的に見えている。



 クリアになったその視界に、グレーの作業服――あるいはこれも、野戦服といってもいいかも知れない――を着た男性が飛び込んでくる。



 賭けてもいいけど教員じゃないし、用務員さんでもない。


「は……?」


 茫然とする俺には目もくれず、男性は透真を見ている。


 手を伸ばして、透真の肩をがしっと掴む。

 そして言った。


「藤生? 藤生、俺がわかるか?」


 透真の顔には明々白々、「わかりません」と書いている。

 そして戦慄が浮かんでいる。


 さもありなん。


 透真の頬が何かの拍子に切れていて、血が滲んでいた。


 斯くいう俺も身体のあちこちが痛い。

 打撲で済んでるといいんだけど。


 呻きながら身体を起こす。


 何がどうなってるのか全くわからない。

 息をする度に胸が苦しい。



 ――廊下がうねった原理はわからないが、廊下が爆破された原理と、俺と透真とコンクリの破片が宙で止まった原理はわかる。


 それこそ透真と同じ、念動の能力があれば出来ることだ。


 廊下を完膚なきまで砕いたとなれば、産業級の能力だろうけど――



「透真、大丈夫?」


 声の震えを押し殺そうとしながら尋ねれば、真っ青になった透真がこっちを見る。


「尋ちゃん――」


 だいぶ混乱してやがる。「尋ちゃん」なんて、最後に呼ばれたのは小学校の低学年のときだ。


 とりあえずするべきことは、


「逃げよう」


 考えるより先に俺はそう言っていて、咳き込むような俺のその言葉に、透真もめちゃくちゃ頷いている。


 どちらからともなく手に手を取って、俺たちはよろめきながら立ち上がり、


「こっちだ」


 グレーの野戦服の男性が、俺と透真の背中を一纏めにして押した。


 いやいやいやいや。


「いやいやいやいや」


 声に出た。


「なんですか、なんかのイベントですか、これなに、」


 もう支離滅裂だ。


 透真はといえば、消え入りそうな声で「誰か助けて」と呟いている。


 そしてそれを聞いて、グレーの野戦服の男性は、聞くに堪えないことを聞いたように顔を歪めている。


「マジかよ……」


 いやこっちの科白だよ。


 身を捩ったけれど、野戦服の男性はがっちりと俺と透真の腕を掴んでしまった。

 そして何やら申し訳なさそうに俺を見てくる。


「きみは藤生の友達か? きみにはすまんが、こうなった以上は一緒に来てくれ」


「助けて!」


 俺は叫んだ。

 ここは校舎の一階、誰かいるだろ。


「助けて!」


「あんまり叫ぶとさっきの奴がこっちに来るぞ」


 そう言われて、俺は即座に黙った。

 とはいえ涙が出てきそう。


「なんなんですか……」


 透真の表情も恐怖と戦慄著しい。


 男性は答えない。

 そのとき気づいたが、男性は左耳にインカムを装着している。


 その向こうにいる誰かに向かってだろう、男性が言っている――


「――藤生は確保。もう一人いる。干渉事象を見ている、連れていく。ヒメユリに対処を頼む。車を回して。

 侵入者(アグレッサー)は一体――」


 俺は透真と目を合わせた。


 なんか、今も二人してリュックを背負ってるのがちょっと間抜けにすら感じられる。

 とはいえ、二人して制服はあちこち破れているし、身体中痛いけど。


「さっきの警報、この人が不審者?」


 透真が口走った。


 ――さっき鳴り響いた警報は、不審者侵入の警報だった。

 当然だが滅多に鳴らない。


 この人が学校に乗り込んで来たなら、それに反応して鳴り響いたということは十分あり得るが――


「それよりあっちの黒づくめだろ!」


「あれ、侵入っていうの? ドローンが気づく侵入の仕方?」


「夢なら覚めて!」


 叫ぶ俺と透真を半ば引き摺るようにして、男性が校舎の外へ向かう。



 下校時の大事故とあって、当然ながら学校内は騒然としているが、防犯ボットが動いてこの校舎から人を追い出して――あるいは安全な教室内に留めて、規制線を引いているらしい。


 恐ろしいほど人気(ひとけ)がなく、そのくせ悲鳴やら雄叫びじみた興奮の叫びやらは聞こえてくる。



「こっちを追ってくる様子はない。今のうちに戻る」


 インカムに向かってそう言って、男性は躊躇いなく俺と透真を校舎の裏口から外に出した。


 この裏口は校庭ではなく、学校の裏門に近い位置にある。


 そして驚いたことに、裏口からすぐの位置に、白いワンボックスワゴンが停まっていた。

 エンジンが掛かっているままだ。


 確定で、この人がさっきの不審者警報の原因だろう。

 見知らぬ車が裏門を突破してくれば、そりゃあ防犯ボットもドローンも、ここぞと警報を鳴らすだろう。



 引き摺るようにワゴンに向かって引っ張られてようやく、俺はこの状況が、いわゆる誘拐に近いものだと気づいた。


「え、これ誘拐?」


 思わずぼろっと言ってしまう。

 そして、男性に呆れ果てた目で見られた。


「きみは肝が太いね。――違うよ」


 ワンボックスワゴンの運転席には人が乗っている。

 自動運転車ではないのだ。


 そして後部座席のドアが、スライドして開いた。


 内側からドアを開けたらしいのは、驚いたことに俺たちと同い年くらいと見える女の子。

 女の子が目を丸くして、「トーマくん」と呼んだので、俺は透真に詰め寄った。


「知り合い?」


「知らない!」


 透真の魂の叫び。


 女の子が「あちゃあ」という顔をする一方、男性は容赦なく俺と透真を車に押し込んだ。


 そうしておいて目にも止まらぬ早業で、透真のポケットからギズモを取り上げる。

 あ、と声を漏らす透真を一顧だにせずに、男性は肩越しにそのギズモを後ろへ放った。


 あっ、やばい。透真のギズモは――


「えっ、あのっ」


 透真が弱々しく抵抗するが、男性はうるさそうに首を振るのみ。


 そして自分も乗り込み、ドアを力任せに閉める。

 それから運転席に向かって怒鳴った。


「出せ!」


「はいはい」


 そう応じたのは、運転席に座っている三十代くらいの女性。


 すばやくシフトレバーをRに入れて車をバックさせ、鮮やかに車を反転させるとDに入れて発進する。



 ここまで、俺は半ば茫然としていた。


 車は十人乗り、後部座席は三列。

 押し込まれた俺と透真は、とにかく運転席の真後ろの座席に二人並んで倒れ込むような格好になっていて、女の子がその後ろ、そして野戦服の男性が一番後ろに、今どっかりと腰を下ろしたところだった。



 ワンボックスワゴンは、何事もなかったかのように走り始めている。


 俺としては、今にもサイレンを鳴らすパトカーが大挙してこの車を追い始めることを期待してしまう。

 が、そんな様子は欠片もない。



 ――って、違う。



 俺はポケットからギズモを取り出した。


 これって誘拐じゃん。

 透真のギズモは行政が位置情報をモニタリングしているけど、そのギズモを放り出したってことは悪意のある誘拐じゃん。


 ギズモを持つ俺の手が震えたが仕方ないだろう。

 そして緊急通報をしようとして、


「あ、だめだめ!」


 運転席から叫ばれた。

 どうやらバックミラー越しに俺の挙動を見ていたらしい。


「通報しても無駄だから別にいいんだけど、うちのボスに余計な手間かけさせないでよね!」


「は……?」


 俺はバックミラー越しに運転手の女性を見た。


 四角い黒ぶち眼鏡、ポニーテールにした長い髪、格好は男性と同じ野戦服。

 ミラー越しに目が合うと、にこっと微笑まれる。


 なんか、誘拐犯っぽくない。


 それから振り返って、女の子を見る。

 こちらはラフなグレーのパーカーに黒いナロースカート、足許は白いスニーカーで、白いキャップを被っている。

 柔らかそうな髪は色素が薄く、栗色に見える。

 髪は長くて、前髪はぱっつんに切り揃えられ、その下で大きな淡褐色の目が俺を見ていた。


 なんとなく日本人離れした、モデルのように整った顔立ちの女の子だ。


「ヒメユリ」


 男性が言った。


 女の子が振り返り、俺は、「ヒメユリ」なんて奇妙な名前があるのかと疑う。


「そこの男の子のこと、なんとか出来るか」


 女の子が肩を竦める。

 彼女が探るようにじっと男性を見て、男性がはっとしたように言った。


「そうか、怪我が先か」


「そうだねえ」


 女の子が言って、俺たちを振り返る。


「トーマくんと――ええっと?」


 ちょうどそのとき、車が信号待ちで止まった。

 緩やかにブレーキを踏む丁寧な停止。


 もしかして、今ならドアに飛びついて開ければここから逃げられるんじゃないか、と、俺は馬鹿げたことを考える。


 ――が、それを実行に移す前に、信号が青に変わった。

 周囲の車と一緒に、この車もまた動き出す。


 俺はギズモを持ったまま、口籠って応じた。


「尋。――黒川尋」


「ジンくん」


「おい、馬鹿」


 男性が言った。


「名前なんか聞くな。怪我が先だ」


「はいはい」


 女の子が言って、ちらっと腕時計を見た。

 そして俺たちに目を戻すと、きっぱりと言った。


 何かの宣言をするように。



「――トーマくんとジンくんの怪我は治る。

 代わりに、庁舎一階のトイレの電灯が切れる」



「…………?」


 俺と透真がきょとんとする一方、運転席の女性が「あはははは!」と、ハンドルを叩いて笑い出した。


「トイレ! トイレの電気! 待って待って、そんなのと同等なの?」


「黙ってちゃんと運転しろ!」


 と、これは男性。



 ――そのとき、俺は違和感に気づいて自分の両手を見下ろした。


 続いてあちこち触ってみて、次に透真の顔を見る。



 痛くない。

 それに、透真の頬の切傷がなくなっている。


「え……?」


 透真も自分で自分の身体をあちこち触って、ぽかんとした声を漏らした。


「これって……?」


 医者という職業があることからわかるように、怪我を治すことの出来る能力者というのは存在しない。


 にも関わらず、これ。


「……さすがにそろそろ気絶しそう……」


 俺が半泣きで呟くと、後ろから男性があっさりと言った。


「気絶しててくれて構わんが、お父さんお母さんに、今日は友達の家に泊まるってメッセージを送っておいてくれよ」























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