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20 天羽成織

「――っ、何するの!!」


 女性の怒号は本気だったが、俺もユリもそんなものは聞いていなかった。



 ユリがデスクの上からヘルメットをひったくる。


 同時に俺は二、三歩の距離を勢いよく詰めて、びしょ濡れになって赤茶色の染みが拡がるスーツの胸元から太腿に掛けてを、声にならない怒号に肺を膨らませながら見下ろしている女性の肩を、思いっ切り掴んだ。



 女性が何か叫ぼうとする――が、次の瞬間、俺の掌で電流が弾けた。


 女性が目を見開くこと四、五秒。


 くた、と彼女が力を失ってメッシュチェアに寄り掛かって失神したのを確認して、俺は手を離した。


 一応、首筋に指を当てて脈を確認する。

 ――大丈夫そう。



 ユリはデスクの上にあった、女性の分の紅茶のカップを持ち上げ、ホロスクリーンの基盤部分――つまり、コンピュータの本体部分――に、情け容赦なくその中身を注いでいる。


 ホロスクリーンにノイズが入り、明滅しながら消えていく――



 ――このとき、白状するが、俺はほっとしていた。

 ユリが、語られた自分の出自に納得して、あっさりと旗幟を翻さなかったことに、心底安堵していた。



 俺は()()()()()()()()()


 だが、ユリは()()()()()()()()()()()()()



「――話、マジ、だと思う?」


 とはいえ、尋ねた声音は上擦った。


 今更ながら手が震え、背筋が震え、歯の根が合わなくなりそうで、ぎゅっと奥歯を喰いしばる。



 ユリは唖然とした顔で俺を見た。


「あれ以外に筋の通る説明がある!? でも、どうでもいいでしょ!

 お父さんのところに戻らなきゃ!」


「――――」


 どうでもいい。

 どうでもいいときたか。


 いや絶対にどうでもよくはない。


 ユリだってそう思ってるだろうに、優先順位のせいで言葉遣いがバグったのだ。


 それに不思議と腹は立たなかった。


 だってユリが泣きそうな顔をしているから。


「どうやって戻んの!?」


 こっちはこっちでパニックである。

 帰り道が一切わからない――というか、物理的な帰り道は、たぶん、ない。


「それは――」


 ユリが言い差したそのとき、青峰と名乗った女性の端末が震えた。


 二人して、怯えたウサギのようにそちらに視線がひゅっと動く。


 見慣れない端末のディスプレイに、『天羽成織』の文字を見て、一拍を置いて俺は、「あ、これがこの人の言っていた、『あもうせいし』か」と気づく。


「――それは、たぶん、これを」


 ユリが、両手に抱えたヘルメットをぶんぶん振る。

 手がわななくように震えている。


 俺は思わず手を伸ばし、ユリの手ごとヘルメットを両手で挟むようにして、ぎゅっと力を籠めた。


 ユリの手の震えがマシになり、こく、と唾を呑んだ彼女が囁く。


「これを、わたしなら使えるんじゃないかと」


 それを考えて、どうやって元いた場所に戻るかを知るために、あれこれと青峰と名乗った女性に質問していたのか。


「マジで」


「たぶん」


「それよりきみの能力で」


「お父さんのために取っておきたい」


「父親想い過ぎて涙でそう」


「親孝行でしょ」


「れ――練習とかいる?」


「ビギナーズラックが発動したときのために、ジン、わたしの肩とか掴んでて」


「ってかここでいいの!? 元いたあの管制室みたいなところで試さないと、元の場所には戻れないんじゃないの!?」


「アメリカに行くためにこの世界のアメリカからディバイドしてるとは思えない!」


「そりゃそうか」


 ユリがヘルメットを掲げ、まじまじと観察する。

 俺は部屋の外が気になって仕方ない。


「ユリ、早く」


 ユリはべそをかきそうな声を出した。


「なにこれ、どうやって使うの?」


 端末は震え続けている。


 俺はそれを見て、


「――ユリ」


「史上最高に忙しいんだけど! なに!?」


()()()()訊いたら?」


 俺は青峰と名乗った女性の端末を指差した。


 ユリがぽかんと目を見開く。


「は?」


「だから、こいつ。それの開発者なんでしょ?

 で、ユリはやっと帰ってきた友達なんでしょ?

 通信に出て、久しぶりーところでこれさー、って訊けよ」


「……本気で言ってる?」


「早くしてくれ、通信切れるぞ」


「――あああもうっ!」


 ユリが、がばっと端末を取り上げた。


 その拍子に落っことしそうになったヘルメットを、俺が屈んで、床寸前でキャッチする。


 ユリの細い指先が、通話を示すマークをタップする。

 途端に聞こえる、若い青年の声。



『――青峰さん? 紗綾は?』



 俺自身はまだ半信半疑にせよ、青峰と名乗った彼女の話が全面的に事実なのだとしたら、それは――俺からすれば、創造主の声というべきだったのかもしれないが、――これは強調しておきたい、()()()声だった。


 有難みも何もなかった。


 こちらを無条件に平伏させるようなものは何もなかった。



 九年前に十二歳と言っていたから、今は二十一か。


 声は少し高めというか、やや中性的だった。

 ちょっとハスキーで、繊細そうで、喩えるなら石膏像。


 とびきり幸薄そうな石膏像が声を出したような、そんな感じだった。



 俺の祈るような目を受けてから、ユリが息を吸い込んで、声を出した。



「……久しぶり、セイシくん」



 博打すぎない?

 下の名前をくん付けで呼んでた確証でもあるの?


 ――と思って見遣ると、ユリも早速、「終わった……」みたいな顔で目を閉じていた。


 おい。



 が、確率の女神は微笑んだ。端末の向こうで息を呑む気配がある。



『――紗綾? 紗綾なの?』



 ユリが息を吸い込む。


「――そっ……そうだよ」


 端末の向こうの声が一瞬遠ざかり、俺とユリは「バレた!?」みたいな絶望の目を見交わしたが、違った。


 ちょっと離れたところで洟をかむ音がした。

 泣いちゃったみたいだ。



 ――人間だ。普通の人間だ、と、俺は目玉どころか身体中から鱗を落とすような気持ちになっていた。



 ユリは、「うわぁ……」とドン引く顔になっている。


『……ごめん。なんか、こう、……紗綾だなと思って。

 やばいな、小さい頃に戻ったみたい。

 身体は大丈夫なの? 変な病気とか――』


「ないない、平気」


『良かった……。ごめん、紗綾、僕が見つけられなくて』


「えっと、そっか……」


『青峰博士は?』


「トイレ」


『…………。――ごめんね、紗綾、僕のせいで。

 八歳から……だから、ほんと、僕が紗綾の人生を壊したようなものだよね。学校も行けてないし。

 償うためならなんでもする。本当に』


「いやそれは全っ然いいんだけどね」


 ユリは心持ち早口だ。


「今ね、博士のヘルメットを見せてもらってるんだけど、これすごいね! セイシくんが作ったんでしょ?」


『紗綾のインステッドほどじゃ』


「どうやって使うの?」


 食い気味すぎない? そして直球すぎない?

 いやでも、時間がないのも確かか。


『え? なんで? 博士に教えてもらいなよ。

 それに、そんなことより、紗綾、病院とか行かなくていいの』


 向こうの声もじゃっかんの警戒を帯びる。


 ユリは天に祈るように目を閉じた。

 まあ、俺たちが祈るべきはここの天じゃないが。


「――博士、さっきからわたしのことを、それこそ八歳の子供を相手にするみたいに扱うのよ。ちょっと見返してやりたいというか。だから、博士に通信してたことがバレる前に切りたいんだよね。

 ――ええと、病院? わたし、病気でもないよ。怪我もしてないよ。すごく元気」


 口早にそう言ってから、ユリは真顔で。


「ほら、久しぶりの挨拶は、後でたっぷり出来るんでしょ? ね?」


 端末の向こうで、微かな笑い声。


 喉の奥で声を立てる、猫みたいな笑い声。


『――紗綾は相変わらずだな。安心した』


 しみじみしてないで、使い方をですね。


 俺はいらっとしたが、ユリもいらっとしていた。

 端末を握る手にガッと力が籠もっている。


「セイシくん? 博士、トイレは長い方なのかな?」



『ふふ、ごめんごめん。

 ――使い方ね、簡単だよ。ヘルメットだろ? 他の――靴とかだったら踵で合図することになってるんだけどね。ヘルメットなら被って、右耳の上を二回叩く。


 ()()()()に行きたいなら、初期値でないなら、座標を提示。

 戻って来たいなら、ただ二回叩くだけでいい』



 座標!?


 俺とユリの目が合う。

 二人して絶望している。


 ユリが力なく囁いた。


「……初期値って、どこ……?」


『皇居』


「コウキョ?」


『え? うん』


 ユリは目を閉じ、息を吐いた。


「ごめんね、わたし、えーっと、八歳でこっちを離れたから――」


『――っ、ごめん! 皇居は……ええっと、フェイクでは空き地だったな。東京駅を出てすぐの』


「――――!」


 天啓。


 いや、むしろ初期値だからこそ、三十六時間連絡の途絶えた仲間の救出ポイントになっているのか。



 ユリが通話を叩き切った。


 そのまま端末をゴミ箱に捨てようとするので、俺が慌てて止める。


「待って!」


「なんで! めちゃくちゃ酷いこと言ってたじゃない、こいつ!」


「違う! それ、お土産になるじゃん!」


「……あ、そうか」


 俺が差し出したヘルメットを、ユリが震える手で頭に被る。


 全く似合っていないが、その感想は置いておき、俺は彼女の左手を、命綱のようにぎゅっと握った。



 ユリが俺を連れて部屋の奥に下がり、震える右手を持ち上げる。



 そのとき、来客を告げるのだろう、ぴんぽん、という軽やかな音がした。


 続いて、微かに電子的なノイズの掛かった、「カウンセラーの茜谷です」と呼びかける声――



 カウンセラーって、直接こっちに来るもんなの!



 俺は息を呑み、ヘルメットの向こうでユリも息を呑み、俺は思わずぎゅっと目を瞑る。



 こんこん、と、指関節がヘルメットに当たる音。



 俺は緊張に耐えかねて目を開き、――そして目の前に、あの、干渉事象の白いエフェクトが走っているのを見た。



 安堵の余り手から力が抜けそうになるが、ユリがしっかりと俺の手を握ってくれている。



「――博士?」



 と、部屋の外から訝しそうな声が掛けられるのを聞きながら、俺とユリは、元の世界に向かって、白い罅割れの向こうに開いた空間目掛けて落ちていった。






















次の更新は本日の23:10です。


あと3話!



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― 新着の感想 ―
読んだ事があるSFだとちょっと「幼年期の終わり」的テーマだなとか思いながら読んでおります。 完結を楽しみにしております!
なんだか天羽くんすごく良い人そう…。久しぶりに話せた友達が実は記憶喪失であることを隠して自分から情報を引き出そうとしていたと知ったとしても、怒るより落ち込みそうな人だなって印象を受けました(勝手な想像…
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