01 事の発端
クラスが違えど、下校時間は同じだ。
俺はリュックを片肩にかけて立ち上がり、右手で携帯端末を操作する。
メッセージフィードに、「おわった?」とひらがなで打ち込んで、一秒でそのメッセージに既読がつき、「終わった」と返信がくるのを見届ける。
返信は面倒なので、サムズアップしたマークでリアクションだけをつけてから、「明日のスピーチの準備はどうですかぁ?」とふざけて絡んでくる友人をいなして、自分の教室を出た。
下校時間を迎えて、廊下にはわんさか人が溢れている。
このあとクラブ活動に参加するのだろう一団が、風のような速さで廊下を疾走して下校していき、それとは真逆に、「このあとさぁ」という声を交わす女子の一団もいる。
その間を縫うようにしてL字型の校舎のほぼ中央に位置している階段まで行き着き、階段を駆け下りる。
一階分降りたところでギズモが震えた。
ちらっと見ると、「行こうか?」というメッセージを受信している。
階段を降りつつ、「向かってるよ」とだけ送ると、「待ってる」という返信がすかさずあった。
俺は思わず苦笑する。
短いメッセージの向こう側から、ひしひしと不安を感じていることが窺えるのは付き合いの長さのためだろう。
最近は付き合いが悪くなったというか、稀薄になったなと思ってはいたが、いざ以前の距離感で接してみると、透真は全く変わっていない。
階段を降り切って、いったん外へ。
渡り廊下なども一切ない、独立した別の校舎へ駆け足で入る。
こっちの校舎のモニタリングルームは、さっきまで俺がいた校舎のモニタリングルームとは比較にならない頑丈さと精巧さで造られている、らしい。
一段飛ばしで階段を駆け上がって二階へ。
2―Aとホログラムで表示された教室のドアに触れると、ドアがすっと横へ開いた。
「――よ、透真」
覗き込みながら声を掛けると、がたん、と立ち上がる俺の親友――藤生透真。
教室の中には透真だけではなくて、他にも数人が残っている。
全員が俺を見ていた。
その、異邦人を見るようなまじまじとした眼差しよ。
俺のメンタルが弱ければ、ここでくるっと回れ右をしているところだ。
まあ、どんな目で見られようが知ったことじゃないから、興味はないけど。
「誰?」
と、教室の隅っこで誰かが言う。
ぼそっと言おうとしたのだろうがばっちり聞こえている。
とはいえ、透真には俺しか見えていなかったらしい。
満面に不安から安堵への遷移状況を表現しながら、リュックを抱えてこっちに走って来ている。
「尋」
そう呼ばれて、俺はギズモを持ったままの手を振った。
俺――黒川尋。
「迎えに来たよ」
「待ってた」
そう言いながら、透真はリュックを背負って俺を促した。
「帰ろう」
うん、と頷いた俺が踵を返す。
そのとき、「あ」と、教室の中から声が上がった。
「黒川くんじゃん。明日表彰される――」
あー、と、教室の中で声が上がったが、そのときにはもう、俺は教室から出ていた。
とはいえ声は聞こえていたので、廊下に出ながら透真が俺を見て、ふわっと笑った。
――色素の薄い、ふんわりした癖っ毛と穏やかな顔立ち。
俺より背は高くて、スポーツ万能で、それなりに体型はがっしりしているのに、透真には「ふんわり」という形容がよく似合う。
ふんわりした声で、透真が俺にこそっと囁いてきた。
「有名人だね」
「おまえほどじゃない」
返した俺の言葉は謙遜ではない。
――藤生透真。
現在この高校でぶっちぎり一番の有名人。
こいつはもともと――それこそつい一ヶ月前まで、俺と同じクラスだったのだ。
クラス分けは能力順だ。
俺と同じ能力値――つまり、日常級の生徒は多い。
だから俺たちは、古き良き時代の――つまり、能力というものが発現していなかった時代の、学校にまだ部活というものがあった時代の、学校にまだ勉強とは関係のない、体育祭やら文化祭やらがあったという時代の――生徒たちと同じく、クラス替えのどきどきを味わうことが出来る。
俺は日常級の中でもBクラスと呼ばれる能力値で、もう掃いて捨てるほど、同じ評価を受ける人たちがいる。
つまり、日常の中でもまあまあ便利だよね、っていう評価だ。
日常級Aクラスであれば、日常の中で役に立つよね、という評価になる。
俺の能力は皮膚上に電流を伝播させる能力――いってしまえば、ちょっと威力の高いスタンガン。
不審者退治ならお任せあれ(これは嘘。能力を使っての暴力沙汰は罪が重いからね、知ってのとおり)。
そして、たった今透真が出てきた教室。
このクラスに属するのは、たった十五人だけだ。
つまり、産業級の能力の見込みありと判断された生徒たち。
クラス替えのどきどきとは縁のない人たち。
ギズモで常に位置情報を管理されている人たち。
能力を生かした職業に就くことを、殆ど義務づけられているといっても過言ではない人たち。
たった一人で一つの工場相当に産業の役に立つ能力規模であると見込まれた人たち。
俺と同系統の能力で産業級となれば、都市に電力を供給できるレベルということだ。
産業級はさらに、大都市クラス、中都市クラス、都市クラス――と分けられる。それぞれ、大都市クラスであれば、大都市の利益になるだけの能力規模、ということだ。
当然、すっごく希少。
都市伝説で、産業級の上に世界級なる階級が存在すると囁かれることがあるけれど、これはまあ、都市伝説だから。
さて、「あれ? 透真くんって尋くんと同じクラスじゃないの?」と思ったそこのあなた。
正解だ。
透真は先月まで、俺と同じクラスでふんわりにこにこと過ごしていた。
それが今や、産業級のクラスでこっそりびくびく過ごしている――産業級のクラスって、クラス替えがないからか、良くいえば団結力が強く、悪くいえば排他的。
そこに途中から放り込まれた透真の心境たるや。
はい、「あれ? 産業級のクラスにクラス替えがないなら、どうして透真くんはクラスが替わって産業級のクラスに移動になってるの?」と思ったそこのあなた。
正解!
そもそも今は十月で、クラス替えの時期じゃないしね。
そしてそれが、透真が学校で有名人になった理由でもある。
透真は先月、いきなり行方不明になった。
といっても二日で見つかったんだけど。
中学に上がった頃から疎遠になっていたとはいえ(透真はクラスでも、ふんわりにこにこと一人でいることが多かった)、ご近所の誼で幼馴染をやっている俺としては、その二日はマジで寝られないくらいに心配した。
こいつが見つかったと聞いたときには、真面目な話、その場でぶっ倒れたものだ。安心して。
が、戻ってきた透真の様子がおかしかった。
――そう、十二歳から最近までの、数えて五年間の記憶が、まとめて全部ぶっ飛んでいたのである。
病院に見舞いに行った(というか、記憶を呼び戻すために会ってくれと言われた)俺に、疎遠になる前の距離感で接してきたのを見たときには、なんともいえない気持ちになった。
中学の頃の話とか、高校に入ってからの話とかを振ってみても、首を傾げるばかりで全然響いた様子はなく、しかしながら試しに数学の教科書を渡してみると、最近習ったところは漠然とわかっているらしかった。
なんてご都合主義な記憶喪失。
で、まあ、記憶喪失だけなら、話題にはなるだろうけど一週間で飽きられる。
透真は違ったのだ。
記憶喪失以外にも、明確かつ、聞いたことのない異変があった。
――透真は確かに、小学校卒業と同時に受ける能力テストで、俺と同じクラスの成績を出していたはずだった。
けれど、病院の検査の一環でもう一度同じテストを受けたところ、叩き出された数値が全く違っていたのだ。
透真の能力は念動。
ベーシックで、念動力者はごまんといる。
そして叩き出された数値は、病院関係者がいったんは装置の故障を疑ったレベルのものだった。
――つまり、産業級、大都市クラス。
百人に一人いるかいないかという、そのレベルの能力値を、記憶が半減したこの友人は叩き出してしまったのである。
――当然、すぐさま役所から人が来て、透真のギズモに専用アプリを入れて位置情報の観測がスタート。
高校側はクラス替えの手続き。
透真はきょとん。
透真の両親は卒倒。
俺たちと同じ中学からこの高校に進学したのは僅か三人で、俺との付き合いが最も長かったこともあり、いつの間にかかつての距離感で俺にべったり頼る透真が誕生してしまった。
人見知りではなかったはずだが、記憶がないせいで周りは全部お兄さんお姉さんに見えるわ、産業級のクラスに放り込まれるわで、相当きつかったらしい。
透真は退院して登校を再開してから二日で音を上げた。
それが先週の火曜日。
それから昨日まではいわゆる保健室登校をして、今日やっと、もう一度クラスに登校したというわけだ。
今日は木曜日で、俺としては、明日からにすりゃ良かったじゃん、という気持ちはある。
だって明日なら金曜、一日耐えれば土曜日だという心の支えがあるから。
けど透真は今日から頑張ると言ったらしく、理由は恐らく――
――俺のギズモのメモアプリに入っている、短い原稿。
「一日おつかれ、透真。大丈夫だった? どっかでなんか食べて帰る?」
犒う俺に、透真は遠慮がちな顔をする。
「明日、表彰式でしょ? 原稿覚えたりいろいろ、あるんじゃないの?」
俺は思わず、ははっと乾いた声を出してしまった。
――メモアプリに入っている原稿は、明日の朝イチのためのものだ。
今週の月曜日に俺が遭遇した事故の。
「いや、もう覚えてるって。大丈夫だよ」
それでも遠慮がちに瞬きする透真に、透真が好きな昔ながらの定食屋の名前を告げてみると、ぱっと目が輝いた。
透真には、記憶はないが習慣は残っている。
十二歳の精神年齢に逆行したわけではなかったけれど、ふとしたときに最近にはなかった無邪気な顔を見せる。
「オッケー、じゃあ食べてから帰ろうぜ」
言いつつ、俺はギズモを操作。自宅の配膳システムあてに、今日の夕食を一人分差し引くように指示を送る。
透真も同じ操作をして、全く同時に、ぽん、と二人のギズモが鳴る。
配膳システムから、栄養バランスの取れたお勧めのメニューの提案が送られてきたのだ。
ミールのお節介を無視するのは高校生の鉄則。
二人とも、通知を見もせずに消す。
そしてギズモをポケットに仕舞い、そもそも生徒数が少ないがために人気のない、産業級クラスのための校舎の廊下を、二人で談笑しながら歩き出し――
――そしてそのとき、目の前の空気が罅割れるのを見たわけである。
話は冒頭に戻る。