16 11:09
十時半。
――俺たちは促されて、最初にこのビルに入った場所であるところの、地下駐車場に案内された。
どうやらこのビル、地上階に通常の出入口はないらしい。あるのは非常口だけだとか。
駐車場では既にワンボックスワゴンが待機していた。
宮佐さんが運転席に回り、自動運転設定を切ってハンドルを握る。
俺と透真、ユリは後部座席だ。
与座さんが車外に立って、運転席の窓越しに宮佐さんと雑談している。
出発するのかと思いきや、車は動かない。
俺が怪訝に思っていると、駐車場の奥から、どう見てもこれは護送車だなとわかる、ごつくてでかい車が進んできた。
続いてビルの入口が開く。
そして、恐らくはあの取り調べ映像の中で侵入者を取り調べていた人だろうなとわかる、神経質そうな若い男の人が、――見間違えようもない――あの侵入者を後ろ手に手錠を掛けたまま、小突くようにして護送車へ誘導していく。
侵入者のヘルメットは毟り取られたままになっており、彼が頻りに左右を見渡して、「なあ、あのガキどこ!?」と怒鳴っているのは聞こえてきた。
俺としては小さくなるほかない。
大変な奴からの恨みを買ってしまった。
護送車に侵入者が押し込められ、ここまで彼を連れて来た人が、ふぅ、とばかりに額を拭う。
間髪容れず、与座さんが「おつかれ」とばかりにその肩を叩いて、護送車の中に入っていった。
護送車には、自動運転を示すランプが点いている。
「よーし、出発だな」
宮佐さんが言って、バックミラーの位置を調節してから、シフトレバーをDに入れた。
ハンドブレーキを下ろしつつ、バックミラー越しに後部座席を見て。
「ヒメユリ? 助手席に来てもいいんだぞ?」
透真がじゃっかん傷ついた様子で、「俺ってそんなに危険人物かな?」と俺に囁いてきたが、――違うそうじゃないんだ。
きみが変なことを言ったせいで、妙に宮佐さんが神経質になってんだけど、と責める目を向けると、ユリはてへへと笑っていた。
俺たちの乗った車を先に立て、護送車も動き出す。
広い地下駐車場を抜け、抜群のセキュリティを抜けて、水天宮通りを進む。
車内システムが既に通話モードで起動されていたらしく、明瞭な三条さんの声が聞こえてきた。
指揮Gと呼ばれていたか、その人たちが通信の向こうにいるらしい。
『――護送車が妙な動きをしないか注意していてくれ。きみのヒメユリが決めた縛りがあるとはいえ、相手は侵入者だから』
「そのためにわざわざ貴一をつけてるんですがね。――了解してますよ」
『ヒメユリは、今日はまだ?』
「まだ使ってないです、大丈夫です」
ユリが口早に応じる。
俺も透真も落ち着かない気持ちで、ちらちらと後ろを振り返り、リアウィンドウ越しの護送車を窺ってしまう。
「こんな一般道を使っていいんですか?」
と、俺は思わず運転席の宮佐さんに向かって尋ねてしまう。
「この辺り一帯を通行止めには出来ないからな」
宮佐さんが素気なく応じる。
そうしながら俺は、バックミラー越しに、宮佐さんが何度も後部座席を確認していることに気づいた。
俺を見ているのではなく、ユリを見ているのでもない。
――透真を見ている。
ちらちらとリアウィンドウを振り返る透真を、俺や透真の、不慣れなゆえのあてずっぽうな警戒ではない、確たる意図のある警戒を以て――じっと見つめている。
俺たちが東京駅丸の内口から出て四百メートルほどのところから広がる、およそ二平方キロメートルにも及ぶ広大な空き地に到着したとき、そこにまだ、侵入者が言っていた、迎えとやらは影も形もなかった。
宮佐さんが、自動運転システムを励起させてから車を降りる。
そばに停まった護送車の方へ大股に歩いていった宮佐さんが、与座さんと交代した。
与座さんがこっちに歩いてきて、運転席に収まる。
自動運転システムは切らず、音声起動で発進できるようにしたままだ。
「ヨザおじさん、どんな感じの展開の予想?」
ユリが立ち上がり、運転席のシートに掴まって身を乗り出しながら尋ねた。
与座さんは、ちらっと――今も車内システムが音声通信の状態にあることを示す――フロントガラスの隅に灯る白いランプを見てから、頭の後ろで手を組む。
「――さあなあ。こんなの、前代未聞だしなあ」
「他の国でも経験なし?」
「なーし。ヒメちゃんいなかったっけ、昨日のうちにアメリカとスイスとドイツ、フランス、ロシア、あとオーストラリアだな。その辺のBGSには問い合わせ済みだ」
「あっちの国の人たちが、日本には伏せてることだったり?」
「その可能性もまあ、それこそ三条さんとかは考えただろうけどな」
ね? と、通信の向こうにいる相手に声を掛け、応答がないことに鼻を鳴らしてから、与座さんは続ける。
「にしては結構、この事例に喰いついてきたらしいんだよな。何なら、あそこにいる――」
護送車を顎で示す。
「――あのガキについても、スイスとかは『こっちで預かりたい』って言い出したらしくてさ。いや、どう見てもあいつも日本人だから、これはこっちで片をつけますってことで畳んだらしいけど」
「あらら」
と、ユリ。
目を丸くする彼女がバックミラーに映っている。
「じゃあ、責任重大? そんなのに、BGS職員二人で臨んでいいの?」
「ヒメユリを入れれば三人、通信の向こうには――ええっと何人だっけ。指揮Gだから十一人か。それだけいるだろ。参集すれば来られる場所に、制服組の人員も置いてるしな。
それに、責任重大かというと――そうでもない」
あっけらかんと与座さんは言った。
「初めてやることだろ? 成功したら大喝采。失敗したら、この事例は難しい事例だったっていうことになる、それだけ。だから人命最優先」
それに、と言葉を継いで。
「他の国も知らない切り札が、うちにはある」
「わたしだね」
「そう、ヒメユリ」
「ちなみに、成功の定義は?」
与座さんが苦笑する。
ブリーフィングにいなかった俺たちに、ユリが状況というか、作戦の全容を教えようとしているのがわかったのだろう。
「ミッションその一、あのガキの言ったことの真偽の確認。
ここでルート分岐だな。あいつの言ったことが真なら、本物の透真を取り返す必要がある。その場合、出来ればここにいる透真も確保し続けたい。
――あいつの言ったことが偽なら、あいつの目的の確認。この場からの全員無傷の撤退は必須。かつ、どうして透真が記憶を落っことしたのか、その再調査も必要になる」
透真が俯く。
「ミッションその二、侵入者側の観察だな。マジでここまでどの国も後手に回ってるから、連中のテクノロジーの一部でもわかれば大金星だ。
何を狙ってこっちに手を出してるのかもわかれば、言うことなしだな」
「侵入者の集団が、ここをディバイドするのかな?」
「壮観だろうな。――まあ、それがいちばん可能性としちゃ高いが」
『思い込みは禁物です』
通信の向こうで、下代さんらしき声がする。
与座さんが肩を竦めた。
「わかってますよ」
ユリがお道化た様子で運転席の真後ろのシートに腰を落ち着けながら、首を傾げる。
「じゃあ、他にはどんな登場になるかな。ヘリが降りてくるとか?」
ちら、と目配せを受け、俺は義理のような気持ちで付き合う。
「――戦車で登場」
「他には?」
「向こうから俺たちそっくりの集団が現れる。鏡かな? と思ってよく見ると、侵入者」
ユリが弾けるように笑った。
透真が呆れた様子で俺を見て、「よくそんなの思いつくね」と言っている。
与座さんが、ドン引きした様子でバックミラー越しにユリを見ていた。
「ヒメユリ、なんかこいつと仲良くなってない?」
「歳が近い人って珍しくて」
「望愛がいるだろ」
「ノアちゃんはちょっと……怖いというか……」
「まあ、あいつ、ゴリゴリのギャルだしな……」
そのとき、与座さんのギズモがアラーム音を立てた。
与座さんが落ち着いてギズモをポケットから取り出し、音を止める。
ユリも、すっと真顔になっていた。
「十一時九分」
与座さんが淡々と言う。ギズモはパブリックモードの音声通信状態。
ディスプレイには、「宮佐恵互」の表示。
「――あのクソガキを捕まえてから、ちょうど三十六時間」
車の中の空気が張り詰める。
心なしか、通信越しの三条さんたち――背広組の人たちも、固唾を呑んでいるのが伝わってくるようだ。
「恵互さん、ガキの調子はどうですか?」
『変わらないよ。にやついてるだけ』
宮佐さんの冷静な声。
そのとき、俺たちから三十メートルほど離れた空間に、異変が起こった。
――空気に罅が入る。
さながら、その空気がガラスと化したように。
空中を伝播した白い罅割れが、差し渡し縦に二メートル、横に五メートルほどに達し――割れる。
音もなく。
砕け散った空気は、仄かに光る白い欠片となってひらひらと舞い落ちて、――その向こうが見えた。
「お出ましだ」
与座さんがそう言って、運転席のドアを開けて車の外に出る。
エンジンは掛けたまま――いざというとき、音声指示で自動運転が働くように。
ドアを閉める寸前、与座さんは俺たちを振り返って、「中にいろよ」と念を押した。
俺と透真は固唾を呑んで、ユリは落ち着いて、頷きを返す。
ユリがギズモを取り出して、窓を開けて、動画を撮影し始めた。
白い罅割れの向こうから、三人の黒づくめが進み出てきた。
――いや、黒づくめの格好ではあるが、ヘルメットは被っていない。
ヘルメットは腰のベルトからぶら下げている。
三人とも男で、顔を晒している。
先頭に、生真面目そうで冷ややかそうな、前髪をきっちり分けた三十代くらいの男性。
その後ろに二人――片方は明らかにガタイが良い、髪を角刈りにした四十代くらいの男性、もう一人はくしゃくしゃの髪をした二十代くらいの男性。
三人が三人とも、特段の感情のない事務的な表情で足を進めていて、――その足を、はたと止める。
先頭の男性が、訝しそうに与座さんを見て、俺たちが乗っているワンボックスワゴンを見て、それから護送車を見た。
そして皮肉っぽく唇を曲げる。
片方の脚に体重をかけて、後ろの二人を半ば振り返るようにして、言う。
その声がこちらにも聞こえてきた。
「――白井くん、やっぱりドジを踏んでましたね」