13 さらに急転
軟禁といっても、あくまで透真には、「藤生透真ではないかもしれない」疑惑が掛かっているだけだ。
なので、「出来れば部屋から出ないように」と言われて、警備ボットと一緒に部屋に戻されただけだが、透真が自発的にあの部屋から出て来るとは思えない。
俺は茫然とそれを見送るほかなかったが、納得しかねる表情はさぞかし溢れていただろう。
宮佐さんと与座さんが俺の隣の席に移ってきて、「殺されるわけじゃないんだから」「安全のためだって」と言い聞かせてくれたが、納得できないものは納得できない。
下代さんが咳払いして、「動揺するのはわかりますが」と前置いた上で、
「この映像を見たのは、この場にいる七人と、藤生くん、あとはBGS指揮Gの八人だけです」
与座さんが横目で俺を見て、「指揮Gってのが背広組の精鋭さんたち」と教えてくれるが、――どうでもいい。
透真がどうなるかが気になるだけだ。
下代さんが淡々と続ける。
「もちろん、BGSの他のメンバーに、藤生くんが本人ではない可能性があるなどと、そんなことは公表できない」
「まあ、透真――だか、そうじゃないんだかわからないが――あいつが袋叩きに遭うか、逆に『透真が偽物なわけないだろ! 透真が捕まったりするわけないだろ!』ってことで制服組と背広組みの間で戦争になるか、透真がいないならもう駄目だ、って自暴自棄になる奴が出てくるか、どれかだろうな」
宮佐さんが言った。
多分、わけがわかっていない俺に状況をそれとなく教えてくれたんだとは思うが、そのときの俺はそれに気づくどころではなかった。
下代さんが、「仰るとおりで」というようなことを不明瞭に呟きながら、また手許のホロキーボードを操作する。
ホロスクリーンの映像が再開される。
『――確実な話なのかな? 合流場所、と言っていたね。それはどこかな?』
『偽藤生クンを返してくれるか返してくれないか、それを先に教えろよ』
『――検討はするが、それを即座に返答できる立場にはない』
『立場。ウケる』
『――きみ、若いね』
『てめぇほどじゃねーよ』
『きみと同じ組織――組織というべきなのかな、そこに属しているテロリストで、間抜けにも背中をとられて捕まったのは、実はきみが初めてなんだ』
『そりゃ、俺は今回が初体験だったからな。マジで貧乏くじだわ。あのガキ、どこにいんの? ちょろちょろして馬鹿にしやがって』
『誰のことだろうね』
『――まあいいや。で? 偽藤生クンは返してくれるんですかー?』
『合流場所はどこかな。それを言ってもらえないと、私も上司に諮れないよ』
ホロスクリーンの映像の中で、侵入者が顔を顰める。
腹立たしげに、どん、と足を踏み鳴らして、「クソが」と呟く。
『編集権限が効かないなんて聞いてねぇぞ、てめぇら、どういう手品だ、これは?』
『どうでもいい。――合流場所は?』
はあ、と大きく息を吐き、侵入者が椅子の背凭れに体重を預ける。
上を向いて何かを考え、ややあって気怠そうに顔を戻した。
『――東京駅の近く。丸の内駅前広場から、西側に真っ直ぐ進んだところ』
尋問者の方が、やや戸惑ったように尋ね返す。
『あの、大きな空き地?』
『そう、そこ。――俺からの応答が絶えて三十六時間で、そこに迎えが来ることになってる』
映像が停止。
下代さんが俺を見た。
「事の真偽を確かめるためにも、彼の確保から三十六時間――明日の午前十一時頃だね、そのときに姿を見せるらしい、彼のための迎えとやらは確認しなければならない。
場合によっては――この侵入者の申出が全面的に真実だったときには――、人質交換だ」
「――――」
「彼と引き換えに、本物の藤生くんを取り戻す」
俺は唇を引き結んでいた。
そうしなければ、自分が何を言うのかわからなかった。
「そしてそうなったときのために、黒川くん、きみにもその場にいてほしいんだ」
「は? 目の前にいるが本物の透真かどうか見分けるためにですか?
だったら俺には出来ませんね、だって今さっきまで横にいたあいつ、俺から見れば完全に本物の透真ですから」
俺が喧嘩腰で応答し、「気持ちはわかるがまあ落ち着け」と宮佐さんに肩を叩かれる。
下代さんは苦笑の風情。
高校生如きがきゃんきゃん吠えていたところで、痛くも痒くもないといった感じだった。
「それもあるが、正確には、藤生くんの反応を見るためだ。
――仮に、本物の藤生くんが侵入者側に捕縛されているとすれば、彼は黒川くんがどうしてBGSの中にいるのか知らないはずだ。必ず戸惑う。その反応が見たい」
「偽透真と偽透真を交換することになったら困るから?」
俺がだいぶ荒らげた声で言うと、下代さんは微笑んだ。
「そういうことだ」
「きみも、もしも藤生くんが偽物とすり替わっていたなら、本物の藤生くんが今どこでどうしているか、心配でしょう?」
西平さんが宥めるようにそう言って、「わかってちょうだいね」と俺に向かって頷く。
俺は唇を噛み、それから喧嘩腰で言った。
「これ、のこのこその場に行ったら何かの罠があって全滅とか、そもそも透真のことを他の人には言わないんだったら、その場に行く人が極端に少なくなるとか、そういうことがあるんじゃ」
「それを考えるのはこっちの仕事」
宮佐さんが素早く言ったので、俺は口を噤んだ。
下代さんがホロキーボードを操作する。
ホロスクリーンが、ぱっと消えた。
三条さんが俺を真っ直ぐに見て、微かに首を傾げた。
「――黒川くん、一緒に来てくれるね?」
俺はぐるぐると歩き回っている。
俺が貸してもらっている二階の一室だ。
隣室には透真がいるはずだけれど、壁が分厚くて気配すら窺えない。
この部屋に戻って来たときに、透真の部屋の前に警備ボットが配置されているのを見た。
それを見て俺は、やっぱりこんなの監禁じゃねーか、と思った。
頭の中が、かつてなく混乱していた。
――透真。
保育園から一緒にいる透真。
小学生のとき、校庭のブランコで手を離してしまって吹っ飛んだ俺を見て、「尋ちゃぁぁん!?」と叫びながらすっ飛んで来てくれた透真。
中学に上がった頃から疎遠になった透真。
修学旅行では珍しくはしゃいでいた透真。
高校受験の日、同じ高校を受けるので久々に肩を並べて会場に向かっていた透真。
合否がギズモに届いてすぐ、『こっち受かった、尋は?』とメッセージを飛ばしてきた透真。
いきなり行方不明になった透真。
見つかったという知らせを聞いて病室に駆けつけたとき、ぽやんとした顔で俺を見て、嬉しそうに笑った透真。
――『俺って、歴史がないわけじゃん。それは、じゃあ、俺なのか?』
歩き回るのにも飽きて、乱暴にベッドに腰掛ける。
返してもらったギズモを見てみると、メッセージフィードにまたもやメッセージが溜まっている。
親や学校に対しては、BGSが言い訳を考えてくれるらしい。
既読もつけずに放置する。
透真にメッセージを送ろうとしたが、そういえば透真のギズモは学校に放り捨てられたんだった。
苛々しながらコミュフィードを開いてみる。
学校にいるとあって、友達のルームは更新されていない。
ルームを遡ってみて、やはり俺の表彰の話が綺麗に消えていることに気づく。
エンタメフィードを覗いてみたが、今の精神状態で興味を惹かれるものは何もなかった。
腹立ちまぎれに、ギズモから自宅の配膳システムにアクセスして、今日と明日の分の食事を全てキャンセルしておく。
途端、またメッセージフィードが更新される。
配膳システムに俺からの指示が入ったことに気づいたのか、母親が俺と音声通話をしようとしているのだ。
ごめん母さん、と内心で唱えながら、通話リクエストをキャンセルする。
そのとき、部屋のドアにホログラムのポップアップ表示が出現した。
『来客です』
「――――?」
怪訝に思いながらも立ち上がる。
警戒しながらドアを開けると、
「ちょっと話があるんだけど」
そこにはユリが立っていた。
なんだ? とは思ったものの、今なら気晴らしの話の相手は大歓迎。
俺が横にずれると、ユリが素早く部屋の中に入ってきた。
今もリクルートスーツっぽい格好のままだ。
「話、終わったの?」
と、俺。
俺がむすっとしたまま会議室からの退出を促された後も、BGSの人たちの間では話が続くような雰囲気だったのだ。
ユリも当然そこにいた。
「うーん、わかんない。実を言うと、わたし、重要な話し合いに混ぜてもらえることって少ないんだよね」
ユリはそう言って、室内の一人掛けのソファにすっぽりと収まる。
俺も、小さな丸いローテーブルを挟んでその正面に置かれたソファに腰掛けた。
「あ、お父さんが、わたしを信用してないわけじゃないよ。ただほら、余計なことを知ってると、わたしが上手く能力を使えなくなったりするからさ」
肩を竦めるユリ。
それから、気遣うような眼差しで俺を窺う。
「――明日、一緒に来てって、あれ、ほぼ脅しだったよね。なんかわたしが言うのも違うと思うけど、ごめんね?」
「え? ――ああ、うん……」
曖昧に頷いて、俺は目を擦る。
「……透真、大丈夫かな」
「…………」
ユリが俯く。
俺はぼそぼそと続ける。
「……俺、正直、まだぜんぜん、透真がこの――BGSで働いてたのとか、実感はないんだけど。透真、ちゃんと学校に来てたし」
「あー、それね」
と、ユリが顔を上げて、気まずそうな表情になる。
「ちょっとはわたしが細工したこともあったんだよね。トーマくんの学校生活なんて、わたしの知ったことじゃないから、バーターは結構軽いもので済むし。トーマくんが学校にいなかった日に、いたことにするっていう」
「マジかよ」
俺は声を大きくした。
「俺の知ってる透真、どんどん解像度が低くなっていくんだけど」
「トーマくんは学校に行きたいって言った稀有な例だから」
ユリはどことなくとりなすように。
「ツフクくんとか、ノアちゃんとかは、BGSが引き抜きの話を持って行った段階で、こっちで生活することにしたんだよね。二人とも産業級の能力だけど、都市クラスだから、能力判定テストと同時に引き抜き――なんて話もなかったわけだし」
「こっちで生活してるって、家族は?」
「ツフクくんは、そもそも実家は熊本なんだよね。こっちの大学に通ってる設定にしてるみたい。
ノアちゃんは、ノアちゃんのお父さんがBGSの人なんだよね。だからここで同居」
「なるほど……」
「でもトーマくんは、学校通いたいって言ってたから」
なんとなくぐっとくるものがあって、俺は口を噤む。
だが、そうするとユリも、話の切り口を見失ったように口を閉じてしまったので、また俺が口を開いた。
「――透真、そんなに大した奴だったんだ」
「もうね、英雄」
ユリが言って、ギズモを引っ張り出して操作した。
それから、ギズモをローテーブルの上に置く。
――ギズモからホログラム動画が吐き出されて、動き出す。
どこだろう――住宅街の一画の動画だ。
ユリが車の窓からギズモで撮影しているようで、映像はぶれぶれ。
車は停車しているようだが、ユリが落ち着きなく手を動かしてしまっているのだ。
動画の中央には、高層マンションが映っている――と、唐突に、そのマンションの壁が吹き飛んだ。
ぱっと見て、たぶん三階から六階部分までの壁、それが凄まじい勢いで粉砕され、弾けたのだ。
動画に、ユリの「わあっ!」という悲鳴が入る。
見ているだけの俺もどきっとしたが、すぐに動画が停止――違う、爆破されたように吹き飛んだ、マンションの破片というべき瓦礫の崩落が、ぴたりと止まったのだ。
「うわ……」
俺は思わず声を上げる。
こんなの、一戸建ての解体現場を停止するに等しい荒業だ。
数千、あるいは数万個に及ぶ瓦礫の破片を全て受け止めるなんて、普通は数人掛かりでやることだ。
もちろん、産業級の能力者の――今、わざわざこれを見せられているということは、間違いなく透真の――能力。
一瞬をおいて、あの、干渉事象の白いエフェクト。
瓦礫の幾つかが変形して、マンションの内側に向かって、砲弾のように射出されていく。
――が、それが全部、ボールのように撥ね返っていく。
ややあって、瓦礫の中から黒づくめの侵入者が飛び出してくるのが動画に映った。
撮影者であるユリもそれに気づいたのか、動画がその一点にズームされていく。
足許に白いエフェクトを拡げながら、空中で固定された瓦礫の上を走り抜ける侵入者――と、その足許の瓦礫が崩れた。
室内から、透真が走り出して来る。
宮佐さんが着ていたのと同じ野戦服。
今の透真の、自信のなさそうな不安そうな素振りなど欠片もない。
自信に満ちた軽やかな足取りで瓦礫を踏み、体勢を崩した侵入者に肉薄する。
そのまま侵入者に飛び掛かり――落下。
動画の中でユリが、「あっ!」と声を上げる。
が、十メートルほど落下したところで、透真と侵入者の身体は見事に止まっている。
透真が何かを怒鳴っている――口が動いている。
侵入者が弱々しくもがき、と、次の瞬間、爆破されたはずのマンションが凄まじい勢いで元に戻っていく。
まるで動画の一部だけが早戻しされているかのように。
「――これ、真っ逆さまに落ちてミンチになりたくなかったら、建物を直せってトーマくんが脅したらしいんだよね」
なんと。
あの透真が。
脅しを。
見入ってしまう俺。
透真がマンションの様子を確認した――その隙に、再び干渉事象の白いエフェクト。
今度は透真が数メートル落下する。
その隙に自由になった侵入者が、かなり慌てた様子で空気を割り、その奥に開いた空間に逃げ込んでいく。
たちまちのうちにその割れ目が閉じる。
空中に取り残された透真は、相当悔しそうにそれを見上げている。
――動画が停止。
ユリがギズモを膝の上に置く。
「――ね、すごいでしょ?」
「――……すごいな」
「トーマくん、お父さんより頼りにされてたもん」
「すげぇ」
昨日の夜、俺が見たのはほんの一部だろうが、宮佐さんの能力は桁違いに思えた。
大体、何もない場所から氷をすっと出せるほどの温度変化の能力者なんて、それこそ一万人に一人いるかいないかのはずだから。
「――じゃあ、そんな透真が記憶喪失で、しかも本人じゃないかもしれないってなったら、そりゃもう、ここは大騒ぎになるわけだ」
俺が呟くと、ユリが黙り込んだ。
息を呑むようなその沈黙に怪訝なものを感じて、俺は瞬きして、ユリを見る。
「ユリちゃん?」
ユリは淡褐色の瞳で俺を見つめた。
俺がどきっとするような、縋るような目だった。
「――ジンくん、トーマくんの友達だよね?」
「は……? え? そう……だけど」
ユリが膝の上のギズモをぎゅっと握る。
その淡褐色の大きな目が震えるのを目の当たりにして、俺はわけもなく及び腰になった。
「あの……ユリちゃん?」
「お父さんにも言ってないの」
ユリは吐き出すようにそう言った。
俺はいっそう困惑する。
「何を……?」
「お父さんでも、ヨザのおじさんでも、言っちゃったらどうなるかわからないと思って。
だけどもう黙ってられないの。わたし以外にもこれを知ってる人がいなきゃ、いざというときに事態が変な方向に転がっちゃうかもしれないと思って」
要領を得ないユリの言葉に、俺はいっそぽかんとする。
そんな俺に向かって、ユリは膝の上からギズモを持ち上げて、再びローテーブルの上に戻す。
そして、ディスプレイにホームを表示した。
女児向けのアニメのキャラクター。
肩にふわふわした小さい生き物を乗せて、きらきらしたステッキを構えているキャラ。
「これ、このアニメ、終わるんだよねって、話したよね?」
え? アニメの話?
俺は呆れて口を開けた。
「言ってたけど……ごめん、俺、今はアニメの話とかする気分じゃなくて」
「これ、バーターなの」
「は?」
「わたしの能力。わたしが受ける利益のバーターが、このアニメの終了なの」
俺は無言で瞬きする。
昨夜のユリとのやり取りが甦る――
――『終わるんだ? なに、スポンサーが離れたとか?』
――『ううん。――ほんとに後悔』
ほんとに後悔、と彼女は言った。
あれは、自ら、彼女がこよなく好むこのアニメシリーズを終わらせたことへの述懐だったのか。
「えっと……どういうこと? ユリちゃん、それと引き換えに何をしたの?」
「ジンくんは、トーマくんの味方だよね?」
俺は混乱して瞬きし、眉を寄せた。
「ごめん、本当に、なんの話だ?」
「わたし」
ユリがしゃくり上げるような様子を見せたが、涙はなかった。
ただ、顔色がどんどん蒼褪めていっていた。
「わたしなの」
「は?」
訊き返す俺に向かって、ユリは、信じ難いことを口走った。
「――トーマくんの記憶を消したの、わたしなの」