12 急転
――たとえば、SF映画みたいにさ、実はおまえが透真に化けてるエイリアンで、本物の透真がどこかにいて、透真がある日ひょっこり出てきた、とかだったら、ちょっと自分の立ち位置を考えた方がいいかもしれないけど……
そんな風に話していたのは、昨日だったか。
衝撃に声も出ない、瞬きも出来ない俺と透真を置き去りに、ホロスクリーンの映像は進んでいく。
『――どういう、意味だ?』
さすがに衝撃を抑え切れていない、尋問者の震え声。
侵入者の方はにやにや笑っている。
『お、その顔を見るに、やっぱりあいつは記憶喪失ってことになってたんだな。
――てめぇらの時間で九月六日から七日の間だろ、そうなったの』
『――――』
『おいおい、顔に出てるって。
――でさぁ、そっちにとっても悪い話じゃねえと思うんだけど? 偽物なら要らねぇだろ? 引き取ってやるよ』
『――藤生くんは……』
震える声の尋問者に、侵入者はどうでもいいと言わんばかりに肩を竦める。
『さあ? ま、俺が知ってるときにはまだ生きてたけど?』
侵入者が身を乗り出そうとして、がちゃん、と手錠が引っ掛かる音。
ち、と舌打ちを漏らして、侵入者が猫撫で声を出す。
『なあなあ、手に余るだろ? 引き取ってやるってば。な? 俺が指定する場所に、指定する日時に行けば、俺とあの偽藤生クンと引き換えに、本物の藤生クンが返ってくるって』
沈黙。数十秒ののち、尋問者の声が入る。
『――我々にその意思があることを、どうしてきみの仲間が知ることが出来る』
ち、と、侵入者が舌打ち。
『あのさぁ、俺たちには、てめぇらが考えられないようなテクノロジーの手段があるわけよ。もっといえばさ、普通に合流場所まで行っちゃえば、俺の口からこっちの人間に説明できるわけよ』
『それは――』
尋問者が口を開いたところで、映像が停止した。
下代さんがキーボードを押したのだ。
――俺はぽかんと口を開けている。
透真も全く同じ。
愕然とすることもまだ出来ていない、単純に何が起こったのかわかっていない顔。
意識しないまま、俺は透真を振り向いていた。
真っ先に考えたのは、あの侵入者は嘘をついているのだということだった。
――何かこう、スパイ映画とかでもあるじゃん、偽の情報を流して敵を攪乱する、ああいう工作の一種だと。
次に、ひやりとした。
――まさかここにいる人たち、侵入者の言うことを真に受けて、透真を敵の一味だとか、そういう風には思わないよな、と。
そしてその後になって、胃袋が数段落ち込むような心地とともに、思った――思ってしまった。
――本当に、ここにいる透真が、透真じゃなかったら?
透真が、映像が停止したことに数秒してからようやく気づいた様子で、ぱちぱちと瞬きしてから、心底戸惑った様子で、俺を振り向いた。
視線が合った。
――これは、偽物だろうか。
色素の薄い、ふんわりした印象の顔かたち。
スポーツ万能の透真らしい、がっしりした身体つき。
自信がないときに、ちょっとだけ猫背になる癖。
俺の知っている透真、そのままの。
「――待って」
俺は思わず、叫ぶように言っていた。
立ち上がろうとしたが、脚に力が入らない。
否定しなきゃと思った。
道理とか理屈とかではなくて、目の前にいる透真が偽物だなんて、そんなことはあってはならないと思った。
だって、透真のお父さんもお母さんも、あんなに頑張って思い出してもらおうとしていたのに――あれが全部無駄な、見当違いの努力だったなんて、そんなの。
「待って、いや――嘘だろ。嘘でしょう、あれ。ちゃんともっと――ちゃんと、訊いたんですか?」
「尋ちゃん……」
透真の、消え入りそうな小声。
もはや何が起きているのかわかっていないらしく、俺が声を荒らげたことに、むしろびっくりしたようだ。
「え、尋ちゃん――待って、どういうこと? さっきのあれ、どういう意味?」
「透真だもん、こいつ」
俺は叫んでいる。
「こいつ、どう見ても透真じゃん。――あいつ……侵入者だっけ、あいつ、嘘だってつけるんでしょ? じゃあ、あいつ、嘘ついてんじゃん。そうに決まってんじゃん」
なんか、よくわからないままに目の奥が熱くなって、俺は泣きそうになっていた。
鼻の奥がつんとして、慌てて鼻を啜る。
透真を振り返る。
透真はぽかんとして、瞬きを繰り返している。
「――な、透真?」
呼びかけると、透真はまた瞬きして、言葉に詰まり、俺から目を逸らして、その場の人たちを見回した。
三条さんが、俺が心底この人に腹を立てたことに、冷静で淡々とした声色で、言い聞かせるように告げた。
「――我々としても、侵入者の言うことを全て真に受けるわけではない」
「だったら!」
色めき立つ俺を制止することすらなく、三条さんは続ける。
「だが、蓋然性というものはある。
――これまで、特定の人間に執着したことのなかった侵入者が、そこの彼のことは、わざわざ追跡した。――そこの彼には記憶がないが、藤生透真は、最後に確認されたときにも、それほど重篤な記憶障害を起こす前兆はなかった」
「でも、おかしい」
俺は言い募っている。
「こいつ、十二歳より前のことは覚えてるんですよ。おかしいでしょ、こいつが――こいつが透真じゃないなら、全部綺麗に忘れてないとおかしいでしょ」
「確かに」
ユリが言った。
宮佐さんがユリを振り返って、怪訝そうに言う。
「おまえ、最初にこれを観てから、やたらとあそこの透真――透真なんだか、そうじゃないんだか――を庇うな?」
「だってトーマくんはトーマくんだと思うから。……たぶん」
ユリが小声で言う。
三条さんが軽く頷く。
「もちろん、これを以て即座に、そこの彼を藤生透真ではないと決めつけるということはない。
だが、その可能性もあるということだ」
「だって、どう見ても本人で」
言い募る俺に、三条さんは険しい目を向ける。
「無論、本人である可能性もある。彼は本当に、解離性健忘でここ数年のことを思い出せないだけなのかも知れない。だが一方で、彼が――侵入者たちが、彼らがそれを持っていることはじゅうぶんに推察できることだが、我々には及びもつかないテクノロジーで生み出した、例えば藤生透真の精巧なクローンであり、藤生くんの記憶の一部を――何らかの手段で引き継いでいる、そういった可能性も否定できない」
「及びもつかないテクノロジー、とか、何らかの手段で、とか、不透明なことが多過ぎませんか。そんなの、実質、不可能なことじゃないですか」
「だが事実として、侵入者は我々には到底不可能な、物質の変容を行ってみせる」
「でも透真、病院で検査を受けたんですよ。これまで透真が受けた検査の記録と、当然突き合わされたはずでしょう? それで本人だって言われてるんですよ?」
「クローンの意味はわかるか?」
俺がさらに言い返そうとしたとき、西平さんが、「三条さん!」と強い口調で呼び咎めた。
「相手は高校生ですよ。言い過ぎです」
三条さんが肩を竦める。
「――そうだな」
俺は言葉にならない感情に、馬鹿みたいに口を開け閉めしている。
――俺の隣にいる、この透真が、透真じゃないなんて、そんなこと……有り得るのか?
有り得ていいのか? 許されるのか?
「――ちょっと待ってください」
透真が声を上げ、俺は思わずテーブルの下でぎゅっと拳を握る。
そうだ、透真、言ってやれ、人権侵害とでも名誉棄損とでも――
「あれ――あの映像で言われてたのは、俺は、藤生透真じゃないってことですか?」
「なにを聞いていたんだね」
三条さんが邪険に言って、俺はむかついた。
――このやろう、当事者と第三者で、受ける衝撃が同じだと思うなよ。
「透真、おまえ――」
おまえはおまえだよな、と言おうとした俺を遮るように、透真が大きく息を吐いた。
どさりとメッシュチェアの背凭れに身体を預けて、透真は肺の底から吐き出すようにして、瞼を閉じる。
そして、目が眩むような安堵を籠めて、言っていた。
「――ああ、なんだ……」
目を見開く俺の眼前で。
透真が瞼を上げ、そうして見えた彼の双眸は、驚くほど穏やかで、何かの強迫観念が抜け落ちたようですらあって。
「……じゃあ、俺がここ数年のことを忘れてるのは、忘れてるからじゃなくて、知らないから、なんですね」
透真の顔には安堵の兆候すら見られ――
「――俺が何も知らないのは、あなたたちの期待に応えられないのは、じゃあ、――不自然なことじゃ、ないんですね」
「――――」
俺は愕然として凍りついている。
――確かに透真のメンタルは追い詰められていた。
だけど、まさかこれほどまでにとは思っていなかった。
「透真……?」
震える声で名前を呼ぶと、俺の保育園以来の親友であるはずのそいつは、俺を見てふんわりにっこりと笑った。
いつも通りの顔で。
「――なんか、タダで飲み物が出てくる自販機の前で、尋ちゃんと小難しいこと話してたのは、俺だったもんね」
そんなこと言ったっけ。
言った気がする。
でもそれは。
本当に、言葉の綾で。
――だけど、透真は、俺のあの冗談の言葉をよすがにして笑っている。
「……尋ちゃん、ありがとう」
――こうして、透真は軟禁された。
――記憶喪失になったと思ったら桁違いの能力を開花させた親友が、どうやら政府機関の一員として働いていたっぽくて、しかも記憶喪失になったのは本人ではなくて、記憶喪失を偽るその替え玉だった、らしい。
もう本当に何がどうなってるんだ。




