10 きみはもう無関係ではない
大騒ぎというには冷静な、しかしながら熱の籠もった時間が過ぎて、侵入者と呼ばれた青年が拘束される。
江守さんはメディカルルームに搬送。
その手続きが完了するまで、俺は透真と一緒に、まんじりともせず座っていた。
――っていうか、顔を覚えたって言われたんだけど。
ただで済むと思うなって言われたんだけど。
どうなるの、俺。
そんなことをぐるぐると考え、俺と透真は不安げな視線を交わしこそすれ、ずっと無言。
さながら親戚の手術を待っているかの如く、BGSビル六階の、モニタリングルームにほど近い会議室の一つで座っている。
「ここにいて」と言われたものの、正直俺たちのことをみなさん忘れているんじゃないかと思い始めた頃に、ふらっとユリがやって来た。
「――ユリちゃん」
思わず声を上げる俺。正体不明の感動があった。
女児向けアニメの話をしていたのが遠い昔のよう。
なんか、「俺、生きてるよ!」と報告したくなってくる。
が、ユリは眠そうだった。
あからさまに目を擦ってよろよろしており、欠伸を連発している。
対する俺と透真は、異常事態の連続でアドレナリンが出まくっており、目はぎんぎんに冴えていた。
ユリはよろよろしながら会議室に入ってきて、俺と透真のそばの椅子に腰掛けた。
そして、うーん、と伸びをして、覚束ない手つきでギズモを取り出す。
そして、俺に向かってギズモの時刻表示を見せた。
00:52の表示。
俺はしばらくぽかんとしてそれを見て、それからはっとして、思わず立ち上がった。
「日付変わってんじゃん!
――ユリちゃん、俺の記憶をぶっ飛ばしに来たの?」
透真が、「尋!」と声を上げる。
落ち着きを取り戻したとみえ、昔馴染みの「尋ちゃん」呼びはなくなったが、寝不足とストレスで真っ赤に充血した目が怖い。
ユリが欠伸して、首を振った。
「違います。あと一日付き合ってね、って伝えに来たの」
「なんで?」
「あのねぇ、相手は侵入者ですよ――って言っても、きみにはわからないのか。とにかく、なんかすごいハイテク技術を持ってるっぽい、国籍不明のテロリストの一人なの。
『こいつは逃げないしわたしたちに危害も加えない』って、わたしが決めなきゃいけないでしょ?」
「なるほど……」
腑に落ちる俺と対照的に、「なんのこと?」と首を傾げる透真。
あ、こいつはユリの能力について知らない――というか、忘れてるのか。
「代わりに何したの?」
ユリはちょっと迷った様子を見せたが、ややあって勢いよく、ぱんっ、と俺に向かって手を合わせてきた。
「――ごめんなさいっ!」
「えっ、俺!?」
きょとんとする透真と対照的に、俺は戦慄の表情。
――侵入者、と呼ばれているあの青年が、BGSの人たちに危害を加えず、逃げ出しもしないというならば、それはユリにとって利益になることだ。
つまりユリは、釣り合いがとれる彼女にとっての不利益を定義したはずで、そこに俺が絡むとすれば――
「なになに、俺、大怪我するとか? 死ぬとか?
それできみが逮捕されるとか!? なになに!?」
戦慄し、後退る俺に、ユリはぶんぶんと首を振る。
「違う違うっ! ――えー、あのー、申し上げづらいんですが」
「なに」
「お父さんから聞いたんだけど、ジンくん、表彰されるらしいですね」
「え? あ、うん……今日……」
「なかったことになりました」
「えっ?」
「だから、ジンくんが表彰されるの、なかったことになりました」
「――――」
俺は薄く口を開けて茫然とする。
透真が「は?」と剣呑な声を上げているが、――待ってくれ。
「――待って……」
俺はよろめいて、手探りで椅子を確保して、もう一回そこに腰掛けた。
額を押さえて、震える声で尋ねる。
「待って、じゃあ、あの人、助からなかったことになったの?」
「…………?」
ユリがきょとんと首を傾げ、一秒後、跳び上がって両手を振った。
さっきまで眠そうにしていたとは思えない。
「違う違う違うっ! ごめんね、言い方がややこしかったね。
――きみが人命救助をしたのは、変わってない。でも、ごめんね、誰が人命救助したか、わからなかったことにしちゃったの」
えーっと、と言いながら、ユリがギズモを操作する。
そうしているとまた眠気がぶり返してきたのか、ふわぁ、と欠伸を漏らして、空いている手では目を擦っている。
「えっと……これこれ。見て」
ユリがギズモを差し出してきたので、受け取って覗き込む。
ニュースフィードだ。
十月十三日月曜日付のニュース一覧。
そこに俺の通学路の駅名が挙がって、急病人発生の旨と、通りすがりの人間の救命活動で一命を取り留めたことが記されている。
――ここまでは、俺の記憶と一致。
が、あのときは確か俺の名前が学校名と共に付記されていたはずだが、このフィードでは「通行人の高校生」としか書かれていない。
透真も横からギズモを覗き込んできて、「なにこれ!」と声を上げている。
「ニュースフィードを編集したってこと?」
「…………」
俺は顔を上げて、ユリを見た。
ユリは気まずそうに微笑んでいる。
――世界級の能力者。
なるほど。
「……本当に、人命救助をしたのは俺だってこと、みんなは知らないようになってるんだね?」
尋ねた俺に、ユリはこくんと頷く。
え、と透真が声を上げる。
「一応、BGS職員ときみ自身は覚えているようにしたの――というのも、」
肩を竦めて、眠たげながらも軽やかに、それでいて何かを警戒するように。
「わたしが被る不利益は、きみの表彰を取り消すことできみから罵倒される心理的な負担だからね。――だから、きみ自身は覚えてなきゃいけないし、きみが……こう、自分は理不尽に怒ってるんじゃないってことがわかるためにも、他にも事実を覚えてる人は必要でしょ?」
「ああ、なるほど」
俺は呟いて、頭を掻いた。
目は冴えているが、やっぱり脳みそは眠いのか、頭が回らず全然怒りも湧いてこない。
「えーっと、じゃあ、罵らないとまずいのか。――うーん……」
ちょっと考えて、弱々しく言った。
「――俺の家族、俺が表彰されるの楽しみにしてたんだけど」
「うっ」
ユリが顔を歪めたので、どうやら効いたらしい。
ユリはお父さんっ子だから、家族関連には弱かった。
「姉ちゃん、今年から大学生で一人暮らし始めたのに、表彰式のためにわざわざこっちに戻って来てて、俺の父さんも母さんも、姉ちゃん戻ってくるの嬉しいって、あれこれ準備してたし」
大学の夏休みは姉ちゃんもこっちに戻っていたが、社会人たる父さんにも母さんにも、夏季のまとまった休暇はとりづらかったから、割と一家全員ばらばらの生活だったしね。
「うっ……」
「姉ちゃん、がっかりするだろうな。――あ、姉ちゃんが戻って来てたこともなかったことになってんのか。ってことは父さんと母さんがあんなに楽しみにしてたこと、なかったことになったわけね」
「ううっ……」
俯くユリ。
透真が、「尋……」と呼んできたので、言い過ぎたか、と思って透真の方を、お伺いを立てる感じで振り返ると、透真はちょっと呆れた顔をしていた。
「おじさんおばさんと凛ちゃんのことばっかりだけど、尋。表彰がなかったことになるの、尋は嫌じゃないの」
「俺さ、別に大勢の前に出ていくのは全然緊張とかしないし、いいんだけど」
「うん」
「そのあと、マスコミが来るとかでコメント言えってのがあってさ。一応スピーチみたいなのは考えてたんだけど、そっち方面の才能がからきしで」
「……うん?」
「むしろ流れて良かったかなって」
「ちょっと」
「だってさ、下手したら俺のコメントがニュースフィードで炎上して、コミュフィードで物笑いの種になるかもしれなかったわけじゃん。やだよ、友達のルームで俺のアホ面動画を見るのなんか」
「そんなこと考えてたの……?」
「うん。久喜とか悠人とかには、もうめっちゃからかわれてたし」
明日はどんなスピーチをするんですかぁ? とか絡まれてた。
俺はユリに向き直った。
「えっと、こんなところで大丈夫?」
「なんか、逆に無理やり罵倒を迫ったみたいになって、ごめんね」
と、ユリ。
それから、ギズモをもう一度見た。何かのメッセージが入っていたのかもしれない。
それに返信するような操作をして、ユリは顔を上げた。
「――お父さんが、もう大丈夫だから、今日はもう寝てくれって」
俺と透真はげっそりと頷く。
目は冴えているが、疲れてはいる。
明日の学校はどうなるんだろうとか、色々考えるべきことはあったが、考えるには余りにも疲れていた。
というわけで、俺と透真は二階の部屋に戻された。
目は冴えてる、と俺は思っていたが、実際はそんなことはなかった。
ベッドを見るなり意識が朦朧とし始め、俺はふらふらとベッドに歩み寄ると、ベッドカバーを引き剥がす気力もなく、その上にばたんと倒れて、殆ど気を失うようにして眠りに就いた。
翌朝、ヘッドボード内臓のベル機能で俺は叩き起こされた。
時刻を告げる声と、「起きてください」というアナウンス。
うあー、と呻いて、手を伸ばして、ちらちらと動くホログラムを掌で叩き潰すようにする。
それでアナウンスが途切れ、ついでにちらちら動くホログラムを追っている間に目も覚めた。
――で、えーっと、ここはどこだっけ。
ベッドの上に座り込み、茫然としつつそんなことを考える。
――直後、濃厚すぎた昨日の出来事が一挙に脳裏に去来して、俺は呻いてしまった。
こんなところで目が覚めたってことは、あれは夢じゃない、な。
ヘッドボードの上に、ホログラム表示されているデジタル時計。
――08:00。
まあまあよく寝たというべきか、激動の昨日を思えば昼まで寝ておきたかったと思うべきか。
デジタル表示が翻り、08:01になった。
俺はのそのそとベッドから降りて、洗面所兼脱衣所へ。
寝起きのぼんやりした顔で鏡を見たタイミングで、鏡面にメッセージが表示された。
『黒川さん、身支度を整えたら部屋を出てください。警備ボットが案内します。制服は昨夜のうちに洗浄済みで、クローゼットに収納済み。09:00までには部屋を出てください』
へえ、この部屋、家政ボットまで備えつけてるんだ。
ホテルじゃん。すげー。
そんなことを思いつつ、俺は大急ぎでシャワーを浴び、髪を乾かし、クローゼットを開けた。
制服一式が確かにあった。
どうもどうも、と誰にともなく呟きながら、俺は身支度を整える。
それが終わって部屋を出ると、数秒の差で透真も出てきた。
制服を着ているが、カッターシャツのボタンが一個ずつずれている。
それを指摘すると、あわあわした様子でボタンを直した。
俺と透真、それぞれの部屋の前に、白いボディのボットがいたが、どうやら案内する対象が二人一緒に出てきたと判断したらしい、一機がくるんと旋回してどこかに行った。
警備ボットが「ご案内します」と表示を出して、すうっと滑り始める。
俺と透真が「どこに行くんだろう」という顔でついていくと、案内されたのは同じ二階にある、どう見ても食堂と思しき大きな部屋だった。
そこに配膳ボットが待ち構えていて、保温モードになっていた収納から、今しも二人分の朝食を出してくるところ。
ごはんと味噌汁と鮭の塩焼きとだし巻き卵とひじきの煮物。
まさかの朝メシ。
びっくりしつつも座って食べ始める。
意識していなかったが、俺はしっかり腹が減っていた。
ぱくぱく食べる俺を他所に、透真は卵焼きを一切れ口に運んだところでギブアップ。「食欲がない……」とのこと。
「大丈夫?」と訊くと、なんだか恨めしそうな目で見られた。
「むしろ尋、よくそんなに平気そうに食べられるよね」
「俺、メンタル強いのかも」
透真が、食べるのか食べないのかわからない手つきで朝メシをつつきながら、「本当に思い出せないんだけど」と。
「昨日案内された、――俺の、部屋? あそこのデスクホロのホーム画面、あれって中学の修学旅行って言ってたよね」
「うん。大阪。なんかでっかい科学館」
「科学館以外はどこに行ったの?」
「テーマパーク。あと、京都を通り抜けて、琵琶湖」
「京都って見るものないもんね」
「それな」
「――覚えてないな……」
落ち込んだ様子を見せる透真の顔をよくよく見れば、隈が出来ている。
眠れていなかったのかもしれない。
昨夜の騒動のときに、「本当なら透真なら一撃で解決だった」みたいなことも言われていたし、また記憶喪失の自分にへこんでいたんだろうか。
とはいえ、下手に何かを言って、また透真に泣かれては敵わない。
俺は無言で、粛々と食事を終えた。
俺が食べ終わったことを察したのか、警備ボットがまた近寄ってきて、「ご案内します」の表示を点滅させる。
二人で立ち上がって、再び警備ボットについて歩き出す。
――今度はエレベーターホールに案内され、当然のようにエレベーターに乗り込むよう促される。
「七階です」と告げられたので、ホログラムボタンで七階を選択。
警備ボットをエレベーターホールに残して、エレベーターの扉が閉まり、ぐいん、とエレベーターが上昇する。
ややあって電子音と共に扉が開くと、そこでさっきのと同型の警備ボットが待ち構えており、「ご案内します」。
斯くして、俺たちは七階の会議室に案内された。
アンティークな木目模様のドアが、テクノロジーを感じさせる動きでしゅんっとスライドして開く。
その向こうには、大きな楕円形のテーブル――部屋の向こう側に、昨日も見た気がする、スーツ姿の三人。三条さん、下代さん、西平さん。
そしてこっち側に、宮佐さんと与座さん、ユリ。
宮佐さんたちは相も変らぬ野戦服で、ユリは今日は、リクルートスーツみたいな格好をしている。
俺と透真が会議室に入ると、三条さんが片手で眼鏡を押し上げつつ、ちらっと腕時計を見てから、「座ってください」と空いている椅子を示す。
その椅子はいわゆるお誕生日席、宮佐さんたちとスーツ姿の三人に挟まれる椅子にあった。
俺と透真は顔を見合わせてから、怖々と会釈して、おずおずと椅子に座った。
早速、とばかりに口を開く三条さん。
「昨夜、このビルがディバイドされたそうだね。ともかくも無事で良かった」
俺と透真は、早速出てきた意味のわからない用語に、「なに?」みたいな目を見交わす。
三条さんが、既に疲れた様子で眼鏡を外して眉間を揉む。
そして眼鏡を掛け直して、言葉を続けた。
「黒川くんの尽力のお蔭で、侵入者の一人を確保することに成功したと。――まずはおめでとう。我々にとってもきみたちにとっても。
宮佐くん、きみの自慢のヒメユリにも不可能だったことだ」
「何度も言っていますが、バーターになる事象で相当に重いものを許容できれば、ヒメユリには出来ることなんですよ。
そもそもの始めに、侵入者の脅威度とその排除の重要性をヒメユリに話してしまったあなた方のミスだ」
宮佐さんが冷ややかに言う。
ユリはちょっと俯いていた。
三条さんは、見事に宮佐さんの言葉を聞き流した。
恐らく、もう何度も経験しているやり取りだったのだろう。
「確保したはいいが、侵入者は明らかにそこの彼――藤生くんと呼んでおこうか、彼に執着していた、そうだね?」
三条さんに目を向けられて、一拍遅れて全員からの視線を向けられて、透真が俯く。
俺は、透真を指す呼称になんだか奇妙なものを感じて首を傾げた。
下代さんがじゃっかん身を乗り出す。
「つまり彼は、侵入者にとって価値のある存在だということです。これまで、侵入者が特定の人物に固執したことはない」
「覚えていません……」
透真が呟くと、得たりと頷く下代さん。
「それはもういいんです。――このことからも、取り調べ結果にはある程度の信憑性がある、そうですね?」
下代さんが、三条さんと西平さん、宮佐さんと与座さんを見てそう尋ねる。
何が? と思う俺と透真を置いて、頷く皆さん。
ユリがこっちを見ていて、心配そうだった。
「くわえて」
と、西平さん。
俺に視線が向く。
西平さんは少しばかり気の毒そうに顔を顰めて。
「黒川くん――でしたね。侵入者が彼の顔を見て、いわゆる脅迫じみたことを言ったと、そういうことでしたね」
「記録映像のとおりですよ」
宮佐さんがうんざりした口調で言う。
俺からは見えていなかったが、後からユリに聞いたところによれば、このとき与座さんが、「礼儀正しくしてください!」と言わんばかりに宮佐さんの足を蹴ろうとしていたそう。
西平さんが頷いて、三条さんが後を引き取って口を開く。
「つまり、申し訳ないが、黒川くん」
そして、極めてあっさりと、俺にとっては重い言葉を吐いた。
「きみの身の安全を考えるならば、きみはもう無関係ではない」